5.桶狭間(後編)
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1560年5月18日夜。
今川の大軍が尾張国内に侵入したとの知らせが入った。
この時、私は既に眠りについていたため、起きた時には城内は林佐渡守様しか残っておらぬ状況であった。
佐渡守様は、女房衆の館前に陣屋を建て、前線からの報告を受けていた。館の前に陣を建てたのは、女房館の玄関にいることで御台様にも報告内容が聞こえるためだ。…やはりこの時も佐渡守様はお濃の方様に気を使われていた。…この時代、当主の正妻にも戦況を伝える義務があったのだろうかと当時は思っていた。
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「注進!…鷲津砦にて織田玄蕃允様…討死!」
「丸根砦にて佐久間大学様、討死!」
「今川方の先発隊が、大高城に入りました!」
信長様が出陣されて、既に1日が経過している。
報告は次々と清洲にもたらされているが…いずれも良い内容ではなく、佐渡守様の表情は険しかった。吉乃様も青ざめてしまっており、奇妙丸様に至っては泣きじゃくっている。(…まあ、大好きなおじいが死んでしまったからだと思うが…。)
だが、お濃の方様だけは違っていた。
じっと正面に跪く伝令を見つめ、冷静に返答している。まるで報告内容が予定通りであることを確認するかのように、小さく肯き…そしてこぶしを握り締めておられた。
「ご報告!織田上総介様、善照寺砦にご到着!」
…来た。この後、一帯に雹が振り、それに乗じて桶狭間で休息していた義元本隊に急襲をしかけるはず。…いや、報告は一刻ほど遅れてここに到達しているので、既に始まっているかも知れん。
「佐々隼人正隊、千秋四郎隊、今川軍と交戦を始めました!」
始まった。これは史実でもあった。そして二人とも討死するはずだ。
俺は隅の方から報告を聞いていたが、次々となされていく報告に身を乗り出していた。そして、いつの間にか後ろからがしっと抱きかかえられ、御台様の側まで連れて来られて座らされた。振り返ると…奇妙丸様が目を真っ赤にして腫らしながら、じっと前を見据えていた。
「…無吉。お前もこの織田家に仕えるのであれば、よおく聞いておけ。」
立派なお言葉を吐かれているが…両手はブルブルと震えていた。怖いのだろう。…俺も怖い。なんせ初めての経験だ。俺は奇妙丸様の手を握り返した。
「あい。」
小さく返事すると、俺は次の使者を待った。
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1560年5月19日。
今川治部大輔義元--討死。
今川軍は荷駄隊も含め四万を超える軍勢で尾張に侵攻した。
松平元康が大高城に入るのを確認し、本隊は鳴海城へと進軍。途中、佐々隼人正、千秋四郎が今川軍と対峙したが、これを蹴散らして更に先へと進んだ。そして鳴海城に到着目前で、突然の雹に襲われる。
今川軍は進軍を中止し、各々が雹を避けるために桶狭間にて休息を取っていたが、その合間を織田軍が二千の寡兵で本陣へと襲い掛かった。
突然の雹で兵達も陣形を崩して雨宿りを始めたが、織田軍が急襲を仕掛けたことで、今川軍は一気に大混乱に陥った。「今川義元、討ち取ったり!」の声が響くと、今川軍が完全に瓦解した。
駿河、遠江、三河から出陣した国人たちは我先にと逃げ出し、今川家直臣たちはこれを抑えることができず、撤退の波に飲まれて行った。
尾張織田軍は今川方当主を含め、2500の首級を上げる。
今川方死者
今川 治部大輔 義元
蒲原 宮内少輔 氏徳
三浦 左馬助 義就
由比 美作守 正信
朝比奈 主計介 秀詮
一宮 出羽守 宗是
庵原 美作守 之政
江尻 民部少輔 親良
岡部 甲斐守 長定
葛山 安房守 元清
斎藤 掃部介 利澄
藤枝 伊賀守 氏秋
吉田 武蔵守 氏好
飯尾 豊前守 乗連
松井 左衛門佐 宗信
井伊 信濃守 直盛
織田方死者
織田 玄蕃允 秀敏
佐久間 大学助 盛重
飯尾 近江守 定宗
佐々 隼人正 政次
主だった者だけでも、今川方のほうが圧倒的に多かった。一方織田方も重臣や有力国人に被害が出ている。特に鳴海を囲っていた部隊や、直接今川軍とぶつかった部隊の被害が大きい。
当時、私は幼すぎたため、この戦で何がどうなったかは後になって知ったのだが、この戦で今川治部を討ち取った織田家が注目されることになり、当主を失った今川家は急速に求心力を弱めたそうだ。
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桶狭間の大戦は決着した。
俺は奇妙丸様に抱えられて、報告を聞いていただけ。…だが、殺し合いの恐ろしさは想像以上に実感した。何せ、戦が進むにつれて、やってくる伝令の甲冑姿がどんどんひどくなっていったのだ。義元の首を取った報告をもたらした伝令は血まみれだったし。
だが、勝った。
史実通り、大将の首を取って、逃げる敵軍を追い打ち、多くの首級を上げた。
今川軍敗走の後は矢継ぎ早であった。
大高城を守備していた鵜殿長照、朝比奈輝勝は義元討死の報を聞いて三河へと逃亡し、残された松平元康も数日様子を窺ったのち、織田軍の隙を突いて三河へと撤退した。
6月に入って鳴海周辺の諸城が次々と織田軍によって開城されていったが、岡部元信が守る鳴海城だけが頑強に抵抗し続けた。信長様は岩室長門守様を使者として岡部元信と交渉し、今川治部大輔の首を引き渡すことを条件として鳴海城を開城させた。
これにより、尾張中南部一帯から、完全に今川家が撤退。日和見的な対応だった知多半島の海賊、佐治家も党首自ら清州に出向き臣従を誓ったことで、尾張は織田家の支配下となった。
…と後で奇妙丸様に教えて頂いた。
それから俺の知っている史実と異なった点が1つ。
千秋四郎様が討死せずに生き残ったのだ。史実では佐々政次様と共に玉砕していたが、ここでは中島砦に逃げ込み、命拾いしている。
ここで問題。
無吉はこの世界で“異物”の存在。この異物が取った行動により、歴史が変わってしまう。桶狭間でも俺の何かしらの行動によって、歴史が変わり、討死するはずの千秋四郎様が生き残った…のだが、俺のどの行動が四郎様の人生を変えたのかが全く分からない。
俺はまだ数えでみっちゅ。行動範囲は女房衆の館の中のみ。直接的には四郎様と関わってはいない。何か俺と関わることが四郎様の周辺であったと考えているのだが…。
「類!奇妙!熱田へ行くぞ!」
桶狭間の戦いから数日後。どかどかと足音を鳴らして、信長様が入って来られた。周りにいた女中たちがすっと身を屈めて頭を垂れる。俺も部屋の隅に移動して頭を下げた。
「お、無吉!様になってきたな。…だが、まだまだだ。女房どもに躾けて貰え!」
ガハハと笑うと奥へと入って行った。俺の作法のことはまあどうでもいいが……奇妙丸様が遊び疲れて昼寝されてるのに…。
結局、ぐずる奇妙丸様を無理矢理担いで連れて行った。舞さんに聞くと、千秋のご当主様の怪我が回復されたので熱田神宮で戦勝報告の儀式を執り行うそうだ。その後、鳴海城で知多の海賊、佐治家と会談し、その後津島で豪商大橋重長様と会談。…俺は奇妙丸様に向かって合掌した。舞さんも俺が手を合わせている意味がわかったのか、一緒に合掌していた。
千秋四郎様が俺とどのように関わったかはわからない。だが、千秋家は熱田宮司として今後も織田家と大きく関わっていくことになる。それが、歴史にどのような影響を与えるか…今の俺では何もわからない。だが生きている以上、必ず何かしらの変化が発生するはずだ。
成長したい。
この身体では、何もできない。生きるも死ぬも選択ができない。
でも、俺はこの世界で何をすればよいのだろうか。
自分の知識を活かせる場面が果たしてあるのだろうか。
何度も、何度も俺は自問した。
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桶狭間の戦いを無事に乗り越えた私だが、まだこの世界で何をすべきかわからずにいた。しかし、尾張にはまだ問題が残っていた。
そのひとつが、信長様の従兄…犬山城主の十郎左衛門信清との戦いである。
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桶狭間の戦いの真相は諸説ございますが、本物語では信長により、尾張まで誘い出されて首を取られた的な扱いにさせて頂いております。事の詳細は後々の説明回のなかで説明される予定です。
千秋四郎:史実では桶狭間の戦いで、佐々政次と抜け駆けをして討死しています。
林秀貞:信秀時代の忠臣にあたります。信長の家老となっておりましたが、信長を嫌い信勝に組しておりました。信勝死後は信長に恭順しますが、先代の家臣は煙たがられたようで、佐久間信盛と一緒に追放されてしまいます。