16.ご主君元服(後編)
1573年7月17日。
信長様の三人の御子が元服為された。
尾張を追放されている俺は、元服の儀なんぞに出席できるはずもなく、枚方で城番である。
隣には俺の腹心、祖父江孫十郎がいるのだが、その彼は俺に不満顔を差し向けている。それもそのはず、何かに付けて俺の世話をしようと池田勝三郎様の娘、咲姫が傍に控えているのだ。
俺は咲どのの押しに負け、世話をお願いしている。それが孫十郎には気に入らないらしく、不機嫌な表情を崩さずに側に控えているのだ。
「孫十郎、兵糧は予定通り集まっているか?」
「…ご自分で確かめられませ。」
無愛想な返事を受け、俺は仕方なく確認するために立ち上がった。すると咲どのも一緒に立ち上がった。
「咲様は座られませ。」
「しかし、九郎様が…。」
「女子如きがウロウロされると面倒に御座る!」
孫十郎の強い口調に半泣きの表情で咲どのは大人しく座った。
「咲どのはここでお待ち下され。」
俺は優しく声を掛けて咲どのを安心させると孫十郎に向き直った。
「孫十郎、ついて参れ。」
「嫌に御座います。」
「……孫十郎、ついて参れ。」
俺は強めの口調で言い放ち、孫十郎がしぶしぶと言った表情で立ち上がったので、歩き始めた。咲どのの目から見えなくなったところで、小声で声をかけた。
「お前の危惧するところは判っておる。」
「わかっておりませぬ。あれは池田様の娘様です。間違えばお家問題になります。」
孫十郎は不満顔を越えて怒った口調になって言い返した。
「だがな、あれは庄九郎の差し金なのだ。」
「は?」
「あ奴は近どのの一件で俺に恩を感じておる。あ奴は俺を池田家の婿に迎えることで、違和感なく古渡様から俺を引きはがして、清洲への帰参の道を作ろうとしておるのだ。」
俺の言葉を聞いて孫十郎は考え込んだ。庄九郎の思いは理解できる。俺が津田の名を捨て池田を名乗ることで、古渡織田家の家督継承権を放棄させ、織田家親族ではない家臣として奇妙丸様の家臣に迎え入れられるようにしたいのだ。
だが多少強引な気もする。佐脇様あたりが噛みつきそうだ。
「それでも、やはり池田様にご相談されるべきです。」
孫十郎は自分の主張を変えなかった。こいつは、咲どのの行動を勝三郎様にご報告し判断を仰ぐべきと言っているのだ。…なんか咲どのを裏切るような気がして俺は躊躇っているのだが。
米蔵の確認を行った俺は、外の様子を眺めるために櫓に登った。孫十郎もついてくる。二人で遠くを眺めて互いに気分を落ち着けた。
「孫十郎、この先の戦をどう見る?」
俺は曖昧な質問をした。
「そうですな、この先畿内の織田軍は増える一方です。しかし、本願寺を中心とした反織田派は増える兵がありません。」
俺は前世の知識と照らし合わせて言い返した。
「雑賀、根来はどうじゃ?摂津の諸将に動きはないか?西国との繋がりは問題ないか?」
「生駒様の御話では特に動きはないとの報告が…。」
「土田生駒衆は最近活動しすぎている。敵に行動が知られているのやもしれぬ。ここは物見の衆を変える事を提案すべきかと思うが。」
「なるほど…山岡殿にも相談してみましょう。しかし、九郎様は女子以外のことは鋭く頭が回られますなぁ。」
「…。」
「そう言えば、霜台様が屋敷を去る前に言われておりましたぞ。『九郎殿もそろそろ茜殿と初夜を迎えられては如何か?女子は夜を務めて一人前で御座るぞ』と。」
わかっておるわ。この時代では子供を産んでもおかしくない歳だって言いたいんだろ?だがな、俺の前世の倫理観が邪魔してだな。
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ご主君の元服の儀は熱田で行われた。
清洲から長い行列で熱田へ向かい、宮司の千秋様の御前にて、衣服と髪結を改められ、烏帽子親である信長様の手によって、烏帽子が付けられた。信雄様、信孝様も同時に執り行われたのだが、主役はあくまでもご主君であったそうだ。
その後、行列は岐阜城へと続き、各国の諸将を集めての大宴会が行われた。席には信長様の家老衆だけでなく、旧幕臣の方、遠方の大名の代理の方、公家までも列席為されたと聞いている。珍しくも豪勢な料理が振舞われ、大量の酒が酌み交わされたという。そして信長様は終始ご機嫌であったと後に御台様に御伺いした。
その席で、霜台様が隠居を信長様に申し出た。周囲の家臣はその瞬間凍りついたらしいが、その理由を述べて信長様は多いに喜んだという。
「霜台!貴様は我が意を得たり!」
そう言って、手を叩いていたそうだ。
その後霜台様は、大和守護を辞し、多聞山城を明け渡して清洲に移られた。大和は一旦古渡様預かりとなり、後に大和南部の寺社豪族である筒井氏に預けられた。
「吉十郎殿、儂は余生を清洲でなどと思うておらぬぞ。若様の御為に存分な働きを示すつもりだ。儂が怠けておったら遠慮なく叱咤してくれ。」
清洲に戻った私に、霜台様は豪快な笑いで迎えてくれたことを思い出す。
元服の儀に終始付き添っていた庄九郎の元服為されたご主君を思い浮かべる顔は、何度殴っても飽き足らぬほど腹が立ったことも書き記しておこう。
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庄九郎が岐阜城から戻ってきた。
正確には勝三郎様と庄九郎ではあるのだが、勝三郎様は、山科に一泊され、庄九郎は新妻に会うことなく枚方に戻された。俺は心の中でザマァと叫んだ。更に俺はこの後、平野郷に移動することになっていたので、俺と交代するために、急ぎ枚方に戻ってきたと聞いてもう一度ザマァと心の中で叫んでおいた。
「これが若殿様の新しいお名前だ。」
そう言って庄九郎は紙を俺の前で広げた。そこには奇妙丸様、茶筅丸様、勘八様の新しい名が記されていた。
・織田勘九郎信重
・北畠三介具豊
・神戸三七郎信孝
………誰?
信孝様しかわかんない。
え?奇妙丸様って初名は“信重”!?“信忠”じゃないの!?てっきり信忠様だと思ってたのに!
8月に入り、畿内は慌ただしくなった。稲刈りの時期だからである。織田軍は畿内にある一向宗の集落周辺で徹底的に青田刈りを行った。武力を持たない一行門徒には、悪魔のような所業であるが、仕方がないのだ。どこそこの村は武力を有している、有していないなど一瞥で判断できるものではない。結局一向門徒に対して武力の有無にかかわらず徹底的に弾圧するしか本願寺に抗する術が無いからなのだ。
言い訳などしても、畿内で餓死者が増えるのは必定。前線を指揮している塙様の表情は厳しい。塙様だけでなく全ての武将が浮かない顔で青田刈りを進めているのだ。
「大殿の命令がこんなにも苦しいとは思わなんだ。皆々方も苦しいと思いますが、非難は我ら塙一族が受け持ちましょう。堪えて下され。」
大将である塙直政様が頭を下げて諸将に青田刈りを指示する。諸将の中には、塙様よりも家柄の良い方もいたが、文句は言わず黙って塙様の肩を叩いて労い自軍へと向かわれる。皆さまも言いたいことを堪えておられる様だった。
だが、その成果もあって、一向宗の動きは鈍くなり、且つ周辺諸国の目は畿内に集中されていた。
そんな中、信長様は二つの軍事行動を起こしていた。
1つは勘九郎様の初陣。
伊賀に逃亡している六角承禎の討伐を命とした軍事行動である。これには、半兵衛様、斎藤様、荒子前田様、津島衆といった清洲の兵のみで編成され、一万余の兵力となった。
もう1つは北近江への軍事行動。
信長様自らがご出陣され、丹羽様、柴田様、明智様、羽柴様、森様、佐久間様、滝川様といった重臣全てが参加し、総兵力五万を超える軍勢となった。
浅井・朝倉滅亡へのカウントダウンである。
その頃、畿内勢を率いる塙九郎左衛門様は未だに畿内に立て籠もる三好勢を駆逐すべく、万の兵を集め、城攻めを行おうとしていた。
俺の名が世に知れ渡るきっかけとなった戦である。
織田信重:織田信忠の初名です。作者も最近知りました。直ぐに“信忠”に変えているようですが、その由来と時期は判りませんでした。元服後初陣として伊賀攻めを行っております。
北畠具豊:織田信雄の初名です。15756年には“信意”⇒“信雄”と改め、更に姓も“織田”に変えています。これにより名門伊勢北畠家は滅亡しました。
神戸信孝:織田信孝の初名です。母が北伊勢の豪族出身のせいもあり、北伊勢では評判が良く、自身も家臣を大事にしていたようです。




