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15.ご主君元服(中編)



 足利義昭様は、俺が思っていた以上に阿呆な御方であった。将軍の挙兵により、全国から将軍様の御為に大軍を率いて集まってくると本気で思っておられたらしい。

 だが、織田家を相手に大軍を率いて上洛できる勢力はごく僅かで、その者たちも将軍様に組みするメリットが無ければ上洛などするはずもない。そういうことを理解為されようとしない足利様は、挙兵して数日で信長様の大軍に包囲され、巻き返しの援軍など来る筈もなく、鉄砲の音に怯えて降伏した。


 俺のいる池田隊は、荷駄隊として長期戦に備えて兵糧を京田辺まで運んでいる最中だった。池田家の出番なく戦が終了し、勝三郎様含めて何とも言えない表情で枚方へと引き上げる。口に出しては言えないが「もうちょっと抵抗しろよ将軍様!」と思う…。



 引き上げの途中、多賀勝兵衛が古渡様からの書状をもって合流した。宛先は池田様であったが、内容は俺に山科に来いというものであった。


「…恐らく畿内の一向宗殲滅に向けた話じゃろう。此度の将軍様の挙兵に本願寺が何かしらの文を各地にばら撒いたと聞いておる。」


 池田様は少し険しい表情をなされた。一向宗は長島願證寺が滝川様によって殲滅されてから、勢いが衰えていた。だが、本丸である大坂本願寺が健在で何かに付けて織田家に対してワンワン吠える顕如のおかげでゲリラ的な活動が絶え間なく行われていて地味に効いている。


「池田様、俺はここから山科に向かいます。」


「うむ。」


 俺の言葉に池田様は肯かれる。


「父上、私も九郎と共に山科に向かいまする。」


「うん?」


 何故か庄九郎が俺と同行を池田様に申し出た。


「畿内のことであれば、古渡様のお話をすぐ父上にご報告することもできまする。」


 も?


 ……言い方が気になる。


「そうじゃな。九郎、庄九郎も連れて行け。」


 池田様に言われては断ることもできない。俺は短い返事とともに、多賀勝兵衛に案内を命じた。…勝兵衛が庄九郎を訝しげに見た…ような。




 山科に到着した俺達は、勝兵衛の案内で甲冑姿のまま古渡様の屋敷を訪問した。庄九郎が「着換えるべきでは?」と言ったのだが勝兵衛はその言葉を無視して屋敷へと向かったのだ。

 屋敷で客間に通され暫く待っていると古渡様がやって来られた。…表情が怖い。これは覚悟をしておかないと。


「九郎!庄九郎!……臭いわ。」


 戦では甲冑は着っぱなし。風呂も無い訳だし、今は夏。やはり着替えてから来るべきであった。


「まあよい。将軍様は自ら“足利家が不要”であることを証明なされた。これからは畿内の掃除に移る。儂は塙直政を大将として畿内平定の案を大殿に具申した。」


 おお!確かそろそろ“原田”の姓を賜る頃だ。俺は思わず前のめりになった。


「とは言っても畿内で兵を動かす者共はあ奴より家格の上の者ばかり。貴様が上手く間を取り持ってやれ。」


 な!?俺は今度は九郎左衛門様の配下になると言うことか!


「…ここで功を立てれば、奇妙の小姓への復帰も叶うだろう。」


 俺は古渡様の気遣いに平伏した。庄九郎も隣で同じように平伏した。


「庄九郎は、奇妙の元服に向けて、一度清洲に戻れ。既に他の小姓たちも帰ったぞ。」


「はっ」


 庄九郎は短く返事した。…表情が暗い?何かあるのか?


 俺は清洲に戻るよう言われた庄九郎の表情の意味をこの時はまだ分からなかった。





 その後、細かい指示を頂き、九郎左衛門様にお渡しする書状を預かって屋敷を辞した俺達は、茜の待つ自宅へ戻った。山科に家のない庄九郎は当然のように俺について来て、勝兵衛がその庄九郎を見て不満そうに俺達を先導した。家に入り、茜に甲冑を脱がせてもらうところで、俺は勝兵衛の不満と庄九郎の表情の意味に気付いた。


 庄九郎は(ちか)に甲冑を脱がせてもらっていた。二人に会話はないが、夫婦と思わせる雰囲気を醸し出している。勝兵衛がワナワナと震えて顔を青くしている。…なるほどそういうことか。…だが(ふく)の表情がおかしい。不安そうに見つめている。…まて、近は勝兵衛の姉だよな。姉に言いよる男は大殿の親族でもある池田家の御曹司。家格的にも申し分ないはず。なのに、近を知る二人(勝兵衛と福)が顔色を変えて庄九郎を見ている。



 …ちょっと伊勢家に顔を出してみるか。



 翌朝、俺は伊勢家に使いを走らせ、福を伴って伊勢貞為様の下に向かった。貞為様様からすれば俺は妹婿。俺の来訪に驚きはしたが追い払うことなどせずに俺達を迎え入れてくれた。上座に座る貞為様に挨拶し、此度の戦でも足利家に組しなかったことについてお礼を申し上げる。貞為様は織田家の為に働けたと喜んでおられた。


「…貞為様、実はご相談があって参りました。」


 俺は一度平伏してから、近の嫁ぎ先について池田家は如何かと申し上げた。俺の家臣…と言っても元は伊勢家に仕える京極家にも連なる家柄の者。貞為様に相談すべき事案である。

 織田家の重臣の家に嫁ぐ。普通なら喜ぶべき事案。だが、貞為様はおろか隣に座る福までもが真っ青な表情になった。それを見て俺は確信した。


「伊勢家にとっても池田家と縁続きになるのは喜ばしいことかと思いまする。何より、貞為様の姉様(・・・・・・)は庄九郎を好いておりまする。」


 俺の言葉に貞為様は立ち上がった。周囲を見回し侍女どもに障子を閉めるよう慌ただしく指示しだした。既に福は俺に向き直って震えて平伏している。貞為様は青い顔のまま俺に近付き福の横に座って俺を睨み付けた。


「……いつから気付いておった?」


「はっきりとしたのは先ほど。おかしいと思ったのは昨日に御座います。」


 貞為様は険しい顔で言葉を続けられた。


「我ら伊勢家は織田家に対して他意はない。ただ、姉上の身を慮ってのこと。九郎殿には申し訳ないと思うたが「お待ち下さりませ」…?」


 俺は貞為様の言い訳を途中で遮った。


「勘違い為されては困ります。私が娶ったのは“福”であり、伊勢家の姫様では御座りませぬ。」


 俺の言葉に貞為様は呆けた顔を見せた。福なんか驚いた表情で俺を見上げている。


「元々伊勢家と私の縁談は御台様が織田家と誼を結べるようなされたことですが…池田家と縁を結ぶ方がより織田家に近づくことになります。…将軍様が織田家に降伏されたことで、畿内は安定へと進んで参ります。そうなれば山科の古渡様はお役御免となり隠居なされるでしょう。そうなれば私も京を去る身となります。そうなる前に池田家に嫁がせて織田家との繋がりを強くしておくことが貞為様の御為になるかと思い、まかり越して参りました。」


 俺は再び頭を下げた。





 ~~~~~~~~~~~~~~


 1573年7月11日-


 奇妙丸様の元服の儀は足利家挙兵によって延期され、替わりに京にて池田庄九郎元助と伊勢貞良の娘との婚儀が執り行われた。


 近の素性を知った庄九郎の顔と言ったら、今でも忘れられぬ。だが、これをきっかけに庄九郎とは“友”として生涯を共にした。福とも睦まじさを増し、多賀家が私に忠誠を尽くしてくれた。「勝手なことをしおって!」と古渡様に殴られたのも良い思い出。大殿から祝言の祝い品が届いた事には皆で大騒ぎをしたものだが…。子に恵まれず早世された近様は最後まで私に礼を言われておった。


 庄九郎も既にあの世だ。ここは庄九郎が如何にして近をものにしたのか細かに書き残しておいてやろう。大丈夫だ。ちゃんと私があの世に行ってから詫びておく。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 祝言の後、近は…いや近様は山科の屋敷に移られた。ちょうどよく考の一族が伊勢から到着したので、若い女子を教育と言う名目で近様の世話係に付けた。一族の最年長は芝山翁鉄斎という方で御年70になる。長年伊勢国司の北畠家の家老職である芝山本家に仕えていたらしいが…うん、知らん。


 とにかく、人が増えてこの館では手狭になったので、もっと大きな屋敷に住み替えたいと考えていた。そしてそれは思いがけないことで住み替えが実現した。



 その頃、槇島(まきしま)城で降伏した義昭様は他の幕臣たちとそのまま城内で軟禁されていた。流石に公方様ともなると、敗者として預かる者が居らず、どう扱うかでも織田家で意見が分かれている様であった。そのため、行先も決まらず、そのまま城内で武装解除された状態で軟禁となり、未だに城の周りを織田兵で取り囲んでいる。

 そんな状況下で俺は古渡様に呼ばれた。呼ばれたのは俺だけでなく、明智様、羽柴様、村井様も呼ばれており、俺が到着したことで「行くぞ」と言って場所も目的も伝えられず山科を出発した。向かった先は本能寺。後年、信長様がここで命を落とされる場所。俺は何とも言えない気持ちでその門をくぐる。

 この時代寺社衆は自前の武装集団を擁していた。本能寺も同じく武装した僧兵が境内の中あちこちに立っているのが見えた。他の寺社衆と異なるのは、皆鉄砲を持っていること。俺もさすがに鉄砲に触れたことは無くその威力も良く分かっていない。だが、恐ろしい事だけは理解できており、寺の中なのに恐ろしくて身が震えてしまった。

 古渡様はそんな場所に何しに来られたのかと思っていると、住職に離れに案内された。中には一人の僧が頭を伏せてじっと待っていた。


 上座に古渡様が座り、その両脇に明智様、村井様、羽柴様が座られる。俺は入り口のすぐ側に太刀を持って座り、中々頭を挙げない僧を見やった。


「…面を上げられよ。」


 古渡様の声に応じて、僧がゆっくりと顔を上げた。年齢は三十代後半くらいか。頭髪は当然無いのだが、美しい顔の持ち主で美青年と言ってもいいだろう。…だが誰だ?


「……安国寺恵瓊と申します。」


 僧の言葉に俺は倒れそうなくらいの衝撃を受けた。


 毛利の外交僧。怪僧とも呼ばれ、豊臣秀吉の側近として権勢を振るった坊主で最後まで親豊臣派として活躍した男だ。そんな男がここで古渡様と会談となると…。


「毛利は、公方様を引き取る用意が御座います。」


 やっぱりー!将軍様をどうするかの交渉の場だ!俺、とんでもない会見に立ち会っちゃってる!


「…以前は公方様を西国に引き入れることは出来ぬと申しておったではないか?」


「以前とは状況が違います。織田家と戦わずして降伏為された公方様では、西国の安寧を脅かす存在にはなりませぬ。」


「ふむ……。して、毛利側の要求は?」


「毛利との対等の盟約を。」


 恵瓊の言葉に古渡様は考え込まれた。…いや振りだけだろう。


「よかろう。我らとしても、織田家として天下を取ることが目的ではない。戦をせずに織田家に組して西国を安定に尽力するのであれば、織田家の同盟者として毛利家を遇するのも悪くはない。」


 古渡様の言葉に恵瓊様が大きく頭を下げられた。将軍様の引受先の密約。…だが史実では木津川で織田家と毛利家は大きく衝突するはず。最初は友好的だったのだろうか?俺はただ側に控えて聞いているだけである。


「以降、毛利殿との折衝はここに居る木下…「羽柴秀吉に御座います。」…そうであったな。この羽柴とされるが良い。」


 古渡様の言葉で羽柴様がお辞儀をした。




 良いのか?


 羽柴様と恵瓊様との間に繋がりができたのではないか?


 これは本能寺の変へと大きく近付いたのではないか?




 俺は何度も自問するが、やはり答えは出せなかった。



羽柴秀吉:後の豊臣秀吉で、丹羽の「羽」と柴田の「柴」から付けた名というのは有名なお話です。この頃からこの名を使い始めております。「筑前守」を名乗るのはもう少し先ですね。


安国寺恵瓊:元は若狭武田家に連なるものだそうです。後の豊臣五奉行の一人ですが、現時点では毛利の家臣です。


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[気になる点] 暗黒JK 安国寺恵瓊は安芸武田家。 全盛期尼子&大内や若い時の元就に挟まれてボコられて没落した安芸の名家。
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