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14.ご主君元服(前編)

ご主君の元服にまつわる話となります。

しかし、主人公の九郎(吉十郎)は尾張を追放されている身のため、直接そのお姿を見ることは叶わず、元服の儀の日取りが決まってから、その後まで身の回りで起きた出来事が話の主軸となります。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 1573年7月-


 奇妙丸様は、元服なされた。


 岐阜城の御殿には各国から要人が招待され、盛大に執り行ったという。


 この時に御台様は後継者たる奇妙丸様を養子に迎え、正式に信長様の後継者であることを内外に示された。…実の子にも関わらず、当時の美濃情勢を鑑みて実母であることを隠し、吉乃様が育てられた。そして、元服の際にも実母を名乗ることは無されず、養母として息子を眺めておられたという…。


 私はこの儀には参加できなかったことを今でも悔やむ。これほど御主君の雄々しいお姿を目に焼き付けることが出来かったことも、御台様がどのような思いで御主君を見つめられていたかを見ることも出来なかったことも、信長様のご機嫌なお姿も、信勝様の信孝様の御姿も(これはついでだが)、どれもこれも人づてに聞いたものしかなく…。


 やはり、見聞きしたことをしっかりと書き残しておこう。


 ~~~~~~~~~~~~~~






「九郎、奇妙丸様の元服の日が決まったそうじゃ!」


 枚方城の城下に屋敷を宛がわれた俺の下に団平八郎がずかずかと上がりこんできて大声を張り上げた。この男、無意味に声が大きい。「うるさい」と文句も言いたかったのだが、余りにも嬉しそうな表情に怒る気も失せ、無言で俺の横に座るように指図した。俺の手振りを見て状況を理解したのか「これは失敬…」とだけ言って、大きな体を丸めて俺の横にそろりと座った。

 俺は医者の治療を受けている最中だった。医者も平八郎の大声に一瞬驚いていたが、直ぐに集中力を取戻し、俺の傷に薬を塗り始めた。横で(さき)どのが心配そうに俺の身体を見つめている。

 咲どのは枚方に戻ってからも、ほぼ毎日俺の見舞いに来られた。一応、池田様より下女を借り受け、屋敷の生活は不自由がないようにしてもらってはいたが、咲どのも俺の世話をするようになっている。


(こう)、平八郎に白湯を。」


 俺の指示にさっと頭を下げ、下女の(こう)が立ち上がろうとすると、「アタイが!」と言って咲が立ち上がった。


「咲どのは、俺の傷を診る仕事が御座ろう?何でも咲どのがすれば、考の仕事が無くなってしまう。」


 俺に注意されて、はっとして考の顔を見た咲どのは恥ずかしそうに座り直した。その様子を見た考が咲どのにも頭を下げて奥の部屋へと向かった。一部始終をずっと見ていた平八郎は笑いを堪えていた。


「九郎…毎日こんな様子か?」


「……笑うなら笑えよ。」


「咲どのは親父どの(勝三郎恒興)と同じで心配性だ。庄九郎のようにどんと構えておったら良い物を。」


「…平八郎どの(・・)は、九郎()の最初の御様子を見ておられぬから、そのようなことを言えるのです。」


「…ふうん?……俺は“どの”で九郎は“様”か。」


 平八郎の言葉に咲どのはあ!という表情をして顔を真っ赤にし、顔を伏せてしまった。今度は医者が笑いを堪えている。俺はまたため息を付いた。


「咲どの、ここに来られるのは構いませぬが、ちゃんと親父どのに断わってから来られませ。…それと平八郎も一言余計だ。」


 俺は安見宗房に斬られて、咲どのの看病を受けてから毎日こんな状況だった。流石に池田様の娘にほいほいと手など出せぬ。というか、茜にもまだ手を出しておらぬと言うのに、そんなことできない!

 俺は斬られたことによる肉体的なダメージよりも毎日俺の包帯を取り替えてくれる咲どのからの精神的ダメージに耐える日々を過ごしていたのだ。


「で、いつなのだ?」


「おお、そうじゃった!7月の11日と決まった!」


 ふた月後か。皆は儀に出席するために岐阜に行くのだろうな。…俺は無理だけど。と言う顔をすると、平八郎も俺が岐阜に行けない理由を思い出したようで、視線を落として悲しい顔をした。


「す、済まぬ。悪気があった訳では…。」


「気にするな。日取りが決まったことを知らせてくれて礼を言う。」


 俺は小さくなる平八郎の肩を叩いた。




 後日、俺は勝三郎様に呼び出された。登城すると直ぐに奥へ通され、部屋では既に勝三郎様が待っていた。慌てて下座に移動して平伏する。


「よいよい。それより傷はどうじゃ?」


 勝三郎様は俺の傷を心配された。


「お蔭様で普通に生活する分には問題ござりませぬ。」


 俺は、咲どのがどこまでちゃんと話をされているか分からなかったので、曖昧に応えた。


「そうか。では、そろそろ仕事に復帰してもらおう。我らは一度岐阜に戻る。…理由は知っておろう。その間、お前は枚方城(ここ)の城番として取り仕切ってくれ。…ああ、山科から家臣を連れて来ても構わぬぞ。霜台様も大和に戻られたから、手も空いておろう。」


 俺は「は」と短く返事する。…俺も岐阜に行きたいのだが、こればかりはしょうがない。こうして織田家跡継ぎの元服の儀のために畿内の主要な将と公家衆が岐阜へと向かった。居残り組は、京の警護に村井様、平野郷の警護に塙様、三好へのけん制に一色様和田様、播磨へのけん制に羽柴様、そして補給拠点である枚方に俺…となるらしい。

 俺も偉くなったものだ。城番とは言え、城を預かり補給の要として働くことになるとは…池田様にも感謝せねば。とは言っても、既に将軍と信長様は和解され二条城も武装解除されている。史実では確かもう一回挙兵したと思うのだが、現実問題として、本願寺も三好も下火になっており、このまま大人しく過ごすのかもしれない。


“敵は滅ぶべき時滅ぶよう導く。市には悪いがここで浅井家には裏切ってもらう。”


 ふと俺は御台様の昔の言葉を思い出した。そして暫く考え込む。池田様がその様子を不思議そうに見ていた。


「どうした九郎?何か気になるのか?」


「あ…いえ、奇妙丸様の元服については、遅かれ早かれ本願寺や三好、将軍様にも知れましょう。私が織田家の敵の立場ならどうするかと考えておりました。」


 俺の言葉に池田様は身を乗り出して俺に顔を近付けた。


「…お前ならどうする?」


「手段はともかく、挙兵の機会と考えるでしょう。村井様や塙様、羽柴様と密に連携すべきと考えます。…いや、わざと隙を見せるのも手かと…。」


 池田様は更に顔を近付けた。


「…却下だ。」


 …な、なにかデジャヴ感が漂う。


「その懸念は既に大殿も考えておられる。恐らく11日という日取りも、将軍に見せる隙であろう。…知らないのか?大殿が考えておられることと同じことを献策すれば怒られることを。」


 そうだった。尾張にいた頃を思い出し俺は吹き出した。池田様も大笑いされた。


「そうでした。私も、何度か大殿に怒られました。」


「そうじゃろ!?儂も理不尽じゃと何度も思ったわ。儂だけではないぞ。羽柴殿なんか一番怒られておる。」


 そうか、信長様の家臣は一度はこれで怒られてるのか。俺は昔を懐かしんだ。俺の表情に気付いたのか、池田様は笑うのを止め、俺の肩に手を置いた。


「大丈夫じゃ。若様を含め、多くの者がお前が許されることを願っておる。千秋殿もそうじゃ。」


 俺は平伏した。本当に有難いと思う。“父無し子”の俺にはもったいない。




 6月になった。


 傷は完全に塞がった。


 斬られた後はくっきりと残ったが、体を動かすのには支障はない。俺は朝の稽古を終わらせて部屋へと戻る。考が着換えを用意して待っており、俺はいつもの様に無言で考の前に立った。考も黙って俺の着物を脱がせ、汗を拭いて新しい着物を着せる。帯をしっかり締めるとその場に平伏して終了である。


「考、近々山科にいる俺の家臣がここへやってくる。多分、俺の世話をする侍女も連れてくるであろう。そうなればお主はお役御免だ。…行く宛はあるのか?」


 考は平伏したまま黙っていた。


「正直に言うてくれ。俺は考に感謝しているからこそ、心配している。」


 ゆっくりと顔を上げた考は、悲しげな表情であった。


「…私は、伊勢の出に御座います。ですが長きに渡る国主様の圧政に家は食い扶持を失い、滝川様のところに奉公に出ました。その後前田様に雇われ、織田信興様の下に移り、池田様に雇われここまでついて来ております。」


 びっくりした。この女子(おなご)、思った以上の苦労人だ。


「今更伊勢に戻っても、仕事など御座いませぬ。どなたか雇って頂ける方をご紹介下さりませ。」


 額を床に付けて平伏する考に俺は情を感じた。女子に対する恋慕の情ではなく、家族に対する愛情に近い感情。俺は決断する。


「では、伊勢に残る家族を連れて来るが良い。俺が面倒見よう。」


 考は涙を流して俺に礼を言った。「九郎様の御為なら夜のお相手も厭いませぬ」とまで言ってきた。それは丁重に断った。

 昼過ぎには山科から祖父江孫十郎がやって来た。10名ほどの郎党と下女を引き連れていた。何でも俺の禄を使って京で雇い入れたそうだ。…まあ銭に頓着している訳ではないからいいけど。で、俺への挨拶を済ませると、孫十郎は考を舐めるように見てから俺へ視線を移した。…言いたいことはわかるぞ。だが俺は潔白だとばかりに堂々と孫十郎を見返した。


「…茜どのが何と言われるか…。」


「勘違いするな。やましいことは何もない。」


「…本当ですか?」


 俺は考がここに居る経緯とこれからについて孫十郎に説明した。話を聞いて渋々と言った表情だが納得はしてくれた。


「7月になれば、また戦になる。恐らく将軍様がまた挙兵なさる。その時は我らは池田様の城番として、荷駄を率いて後詰に向かう。」


「…将軍様は本当に兵を挙げられますか?」


 俺は力強く頷いた。普通ならば警戒して様子を覗うであろう。だが、足利義昭と言う男は自分に都合のいい噂は信じたがる傾向にある。誰かから一言「今が好機」と言われれば、直ぐに踊り出すであろう。



 そして、将軍様は本当に挙兵した。



 孫十郎が来てから考は俺から距離を置くようにしていたが、この日は早朝から孫十郎が外出していたため、考は俺の寝起きを手伝っていた。そこへ山科からの使者が来たとの知らせを受け、俺はその使者に会うた。



 足利義昭様、槇島(まきしま)城にて挙兵。奇妙丸様の元服の儀の10日前である。中途半端なタイミングだと思う。俺は池田様より事前に頂いていた指示の通りに戦の準備を始めた。既に池田様や庄九郎など、主要な織田家家臣は岐阜に向かっており、枚方の戦支度は俺の仕事となっていた。

 俺の役割は、兵糧を戦地に運び、各軍に提供すること。その為に主戦場の後方に布陣し、補給路を確保すること。今回は山城の南部で挙兵なので、京田辺を越え、木津川手前に陣を敷くことになろう。



 待っておれよ、足利義昭。俺の御主君の晴れ舞台を台無しになどさせぬからな。



「…九郎様、何やら意気込んでおりますけれど、我らの役目は荷駄役ですぞ。」


「…わかっている。」


 いつの間にか戻って来ていた孫十郎が呟き、俺の気分を台無しにする。そして戦支度で慌ただしくなった俺の周囲に、じっと俺を心配そうに見つめる考とその後方に更に心配そうに見つめる咲どのがいるのを見つけ、孫十郎は白い目で俺を睨み付けた。


「…一人増えてますよね。あれは誰ですか?」



 …おのれ足利義昭。戦に出る前から俺の心を挫くとはいかに「九郎様、ご説明頂けますか?」



 ……。



 孫十郎、俺はお主が憎々しいぞ。



芝山考:伊勢の出身で、実家が貧しく織田家の伊勢侵攻に伴って織田家に奉公しています。もちろん架空の人物です。北畠家の家老職、芝山家に連なるという設定です。


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