12.織田VS武田
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1573年4月-
佐久間様は五千の兵を三河国境に布陣させた。名目は堺川東岸の刈谷一帯の受け取りだが、この行為は脅し以外の何物でもなかった。
記録上では「徳川家は武田家との密約は存在せず、武田の駿河侵攻を察知して遠江から駿河に出陣した」だけとしているが、その直後に佐久間様の三河布陣に東三河の家臣追放が行われれば、当時この場にいなかった私でも、何があったか想像が付く。
徳川は、岡崎城主の信康殿を名代として、刈谷城引渡しを執り行った。佐久間様は終始高圧的な態度を取られ、徳川家の面々は血が出るほど拳を握りしめてその光景に耐えていたと聞く。
これにより、対外的には織田と徳川の関係が強く印象付けられ、実際に織田の支援によって、徳川の軍事力が大きく増強されたことも事実であった。だがこの頃から徳川家の内部分裂は明白になりつつあった。
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京の都。
ここは二条城の大広間。
ずらりと並ぶ甲冑姿の幕臣たち。
上座で扇子を壊す勢いで叩きつけて怒りを露わにする将軍様。
下座に座るは相手の怒気をものともせず平然とたたずむ村井喜兵衛様。
そしてその後ろで控える俺。…俺の身分を考えると場違いではないかと委縮しそうになる。
俺は、村井様に連れられて、織田家に対して挙兵した将軍様を詰問しに二条城へとやって来た。相手は武装して現れたがこちらは平装。但し、俺の鬼面が新調され、より鬼らしさが際立った角付きの朱色面である。中座に座る面々は俺に慄き、睨み付けては見るもののやや引き気味の表情である。
それもそのはず、ここに並ぶ幕臣たちは、何度も古渡様と面会されており、内密な相談もされている。そしてそのいずれの場にも俺は記録係として同席しているのだ。言わばこ奴らの秘密を握っている証人なのだ。将軍様の幕臣としてここに座っている立場からすれば、肝の冷える状況であろう。…しかし俺がこういう形で役に立つとは思わなかったな。流石古渡様と言うべきか…。
「村井よ!貴様はどういうつもりでここに来たと申すか!」
会話は将軍様の癇癪から始まった。村井様は小首を傾げて「はて?」という表情をする。その仕草が癇に障るのか将軍様は扇子を投げつけた。扇子は村井様に当たることもなく床の上に落ちた。
「公方様は…本願寺と武田と、一体どのような密約を交わされたので御座りますか?」
村井様はいきなり直球で将軍様に質問された。もはや相手に対する敬意は不要とばかりに、威圧を込めた表情で将軍様を見やっている。
対する将軍様は村井様に怒気を込めた視線を送ってはいるが、感情に任せて答えることはなく、「貴様ごときに言う必要なかろう」とだけ言われた。…まあ今の答え方で武田と何らかの密約を交わしていると言ってるようなもんなんだけど。幕臣たちは慌てふためいてるし。
「お応えできぬとおっしゃるのであれば、大殿の出された御掟に反していると見なしまするが?」
将軍様の紅潮度合いが更に上がった。
「儂に指図できる身分と思うてか!下がれ下郎!」
将軍様は立ち上がって金切声をあげた。しかし村井様は平然としてこれに応える。
「公方様に物申して“正道”を歩ませるのも所司代の役目に御座います。」
「信長の都合の良い“正道”であろうが!」
畳床机を蹴って怒りを露わにされるが、表情には“怒り”に加えて“痛み”が混じっているようだ。俺は笑いそうになった。…それくらい将軍様は滑稽であった。畳床机がどこかに行ってしまい座る場所を失った将軍様は鼻息を荒くして会見の間から出て行ってしまう。…やや足を引きずっていたので吹き出しそうになった。
ドタドタと荒々しい足音が遠ざかり、間に残された俺達は顔を見合わせていた。俺にはこの場で喋る権利などないから黙って様子を覗っているだけだが、中座に座る幕臣たちはこの場をどうするかで互いをけん制し合っていた。
三淵藤英様(細川藤孝の兄)、真木島昭光様、畠山昭賢様といった奉行衆は俺の視線を気にしながら、黙り込んでいる。明智様はもちろん、細川藤孝様、一色藤長様、摂津晴門様、伊勢貞為、貞興兄弟といった重職の方々が居られず、二条城で挙兵したはよいがどうにもできなくなってしまっていたようだ。
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1573年3月に入り、甲斐武田の動きに同調して二条に兵を集めた。事実上の挙兵であり、京の街がにわかにざわつき、京周辺に居を構える諸将は足利義昭の「将軍に組せよ」の書状を手に右往左往したそうだ。
義昭は、武田信玄が美濃侵攻する報告を受けてこれに呼応して行動したのだが、この攻防はかなり複雑であったため、ここに私が知る限りを記しておく。
史実では、武田信玄は遠江に侵攻し、三方ヶ原で徳川軍を討ち破り、これに応じて義昭が兵をあげたのだが…。ここでは武田軍は織田家によって兵力増強された徳川には攻め込まず、信濃の豪族を従えて美濃の遠山に攻め込んだ。大将は秋山信友という譜代衆で、遠山家が守る東美濃に五千の兵で侵攻した。
そしてこれに呼応するように、越前の朝倉が北近江から南下し、横山城を守る羽柴秀吉様と対峙した。当時羽柴様周辺を守城していたのは池田様、柴田様、斎藤様であったが皆出払っており、万を超える朝倉軍に一千の城兵で挑むしかなかった。
一方柴田様、斎藤様は、明智様と共に東美濃の救援に向かわれており、池田様は三好討伐を本格化するために枚方へ全軍を向かわせていた。孤立した羽柴様の救援には、坂井政尚隊、蜂須賀正勝隊が向かい、これに奇妙丸様の指示を受けた荒子前田利久隊が加わって何とか朝倉軍に対応された。
佐久間様は三河国境に向かわれ、徳川に睨みを効かせており、東美濃の救援はまず信長様が自ら行われた。その後、両軍順次増援が行われ、最終的には武田軍二万二千、織田軍一万五千の大軍同士が岩村、岩井戸で睨みあった。…私は山科で古渡様に泣きついてくる公家衆や奉行衆の応対に追われ、東美濃の戦いに参加できなかった事を悔やんだものだ。
織田軍の主力は明智様、柴田様、丹羽様、そして竹中様。対する武田軍は馬場、山縣といった宿老も加わった精鋭部隊が展開され、激しい戦いが行われるものと予想された。武田軍は盛んに声を出して織田軍を威嚇し、織田軍もこれに応えるように鉄砲を撃ち返し、双方数備えで陣取りを何度も行っては互いに牽制し合っていた。
東美濃は十日ほど睨み合いが続いたが、突如織田軍に激震が走った。
謎の大軍が中山道を通って中津川周辺に現れたのだった。謎の軍の正体は、諏訪四郎勝頼。信濃衆を率いて突如として美濃に侵入し苗木城に襲い掛かって来た。城主の遠山友勝様は城に篭もり徹底抗戦の構えを見せ、一万もの大軍が恵那山に群がる光景が広がり、苗木城は武田の手に落ちる寸前となった。
「人は見たいものに目を向けようとするものです。ならば見せたいものに目を向けさせるのは造作も御座いませぬ。肝心なのは、見せたいものの裏に潜む真実が何なのか…。それは戦でも同じと私は考えます。」
竹中様は、本当に良く全体を見ておられると私は感心した。あの時も信長様を含め全員が目の前の武田軍に目を奪われており、諏訪四郎の進軍に気付かなかった。しかし、竹中様は予め苗木救援として斎藤利治様の三千を向かわせていたのだ。斎藤様は竹中様の指示に従い、武田全軍が山に群がったところを見計らって襲い掛かり、武田軍は城兵との挟み撃ちとなって多くの将兵が討ち取られた。
武田信玄は、全軍のほとんどを岩村・岩井戸に向け、人の目をそちらに集中させておいて、別路から諏訪勝頼が率いる信濃衆で美濃に侵入し、本軍と対峙する織田軍を挟撃するつもりだったが、これを竹中様は見事に破られたのだった。
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「朝倉軍、撤退の由!」
よく通る伝令の声が響き、その声に御殿の大広間に集まる諸将から感嘆の声があがった。
「相わかった!」
太い声で返事がされ、見ると、古渡様が口の端を吊り上げて笑っていた。
武田軍との戦は、斎藤隊が諏訪勝頼の軍を討ち破ってからは形勢が織田軍に傾いていた。
伊勢では、一向宗の残党が将軍様の檄に呼応してゲリラ的な攻撃が仕掛けられたが、織田信興様、滝川様によって鎮圧され、羽柴様(最近改名された)に襲い掛かっていた朝倉軍も諏訪軍の壊滅の報を受け撤退した。…織田軍に次々と襲い掛かってきた敵が当方に打撃を加える事もできずに撤退しているのは僥倖だ。後は、武田軍の本陣を押し返せばひと段落する。二条に篭もる将軍様は、池田勝三郎様の一隊だけで封じ込められている。俺も思わず安堵のため息を吐いた。
次の伝令はそれから二刻ほど経った日が沈んでからだった。
俺は史実でいつ信玄が病没したかを思い出している最中だった。時期的にはもうそろそろだが、何せ三方が原の戦いがなかったのだ。信玄の寿命に違いも出てくるだろうと思う…。
「報告!武田軍が美濃から撤退いたしました!」
伝令の報告にどよめきが起こった。感嘆ではなくどよめきが起こると言うことは誰もが予想外であったということ。
「まことか!?我らと互角の布陣をしておったのではないか!?」
帯刀様が興奮気味に質問する。伝令は冷静に相手の身分を確認して一礼すると声を張り上げた。
「武田より和議の使者が到着し、その和議の条件交渉を進めていたところ、昨日の早朝に全軍が撤退しておりました由!」
伝令の言葉に静まり返った。古渡様は苦々しい表情をされている。…わからないのだ。伝令は起こったことをそのまま伝えた。その言葉に不明点が二つ。
1つは、何故和議の交渉を始めたのか。
そしてもう一つは、何故交渉中に全軍撤退してしまったのか。
誰もが思う疑問点。だが、迂闊な言葉で楽観意見を言える場でもない。
「…恐れながら。これは甲斐、信濃に物見を出した方がよろしいかと。」
俺は控えめに古渡様に具申した。古渡様は俺の言葉に肯かれた。
「貴様もそう思うか。…しかし、尾張美濃の商人どもは顔がばれているやも知れぬ。かといって瀬田衆は物見は不得手だ。……ニシノを使うてみるか。」
古渡様の言葉に俺は「誰?」て表情をした。配下の家臣が恐る恐る聞き返している所を見ると、余り知られていないみたいだ
「父上、説明不足です。“西野”が誰を指しているのか皆わかっておりませぬ。」
帯刀様の言葉に「ちっ」という舌打ちが聞こえた。けど、誰もそれには突っ込まない。
「父に代わり私が説明する。“西野”とは、ここ山科を拠点に活動していた商人衆だ。座を持たず、本願寺内で商いを行っていたが、法華衆に山科を追われ、各地に散らばっていたのを、父が呼び寄せ保護していた。こやつらも物見として活躍はできると期待している。」
帯刀様のご説明で、一同が肯いた。ほうほう、新たな商人衆か。だが元本願寺派の商人だろ?大丈夫なのか?…と俺の心の声が聞こえたのか、帯刀様が俺を見た。
「貴様は西野衆が本願寺派の人間ではないかということを心配しておるのだろう?心配ないとは言い切れないが、奴らは顕如とは袂を分かっておる。それに我ら織田家を裏切るとどうなるかは十分に理解させておる。」
俺は黙って頭を下げた。上司が決めた事に部下が文句を言うのは基本NGだ。…あれ?俺の上司って帯刀様だっけ?…まあいい。この件は俺は関わらないはずだ。
会議は終了し、古渡様と帯刀様が退出。それを見送って家臣たちが大広間を出て行く。俺達下っ端は全員が退出されてから、顔を上げて退出する。俺は顔を上げて自分の屋敷に戻ろうと立ち上がったところで、まだ人が残っていることに気づいた。…池田庄九郎だった。今は池田勝三郎様の陣代として、摂津枚方城から山科に出張っていた。
「どうした、庄九郎?」
「…お前の屋敷に寄ってもよいか?」
「無口なお前が?…珍しいな。構わぬ。酒を馳走しよう。」
俺の応えに庄九郎は無言で会釈し、俺について来た。
…多分、霜台様がまた勝手に俺の家に上がり込んでいるだろう。庄九郎が霜台様を見てどんな顔をするのか見ものだな。
西野衆:山科本願寺の寺内に商家を構えて商売を行った商人衆。史実でも“西野と東野の商人ども”という程度で出てくるので、それなりの商家が集まっていたものと思われます。しかし、山科本願寺は解体され逢坂に移動し、その後は歴史からその名は消えてしまっております。




