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5.比叡山焼き討ち(前編)

延暦寺焼き討ちの話になります。

史実でも、その真意は様々な意見が言われておりますが、本物語では少し複雑に考えました。


それではどうぞ。



 5月の早朝、平野郷(ひらのごう)で火の手が上がった。


 火をつけたのは、平野攻めの大将、明智光秀の軍…ではない。街中にいた平野出入りの商人で、織田軍が平野郷に攻め込んできたことを知り、逃れるために蔵に火を放ったのだ。これでは、自分が怪しい人物ですと言っているようなものだが、商人からすればそんな悠長な状況ではなく、捕まれば即斬になることをわかっているからこそ、なりふり構わず、平野から逃げおおせるために、火を放ったのだ。

 火の手はあちこちで上がり、早朝の街に悲鳴と怒号が飛び交った。明智光秀も街中の異変にすぐ気付いたが、包囲を解かずに百騎ほどを従えて街に入った。

 火は街の中心ではなく、南側に面した川沿いの蔵から上がっており、平野七家の兵が南の空が赤く染まるのを見て騒いでいる状況であった。


「何があった!?」


 光秀が大声を上げると、兵たちが明智の旗印を見て仰天し慌てて平伏した。


「答えよ!何があった!?」


「は、はい!山崎、粕谷などの商家の蔵から突然火が!」


「見れば分かる!何故燃えている!?何が燃えている!?」


 兵たちは光秀の問いには答えられず右往左往するばかりで、明智は「らちが明かぬ!」と馬を走らせ街の南にある蔵前まで向かった。そこは火に煽られて逃げ惑う人がそこかしこにいる有様であった。直ぐに自分と共に街に入った家臣たちに消火と避難の手助けを指示し、更に南へと向かう。そこには堺へと続く南門がある。南門は既に明智の兵が門の周囲を包囲し始めていた。


「誰もここから出すべからず!無理に出ようとする者あらば捕えるべし!」


 明智光秀はそう指示すると、再び火に覆われた街へと戻って行った。



 早朝に起きた火事は平野郷の南の一画を焦がし、十数戸の大蔵が焼け崩れ、百人を超す死者が発生し、街から逃げようとした4人の商家が捕えられた。いずれも平野郷に出入りする商人で、中には七家の1人土橋家に連なる商人もいた。明智光秀は有無を言わさず4人を岐阜へと送り、平野七家の兵権を一時的に取り上げ、焼けた平野の復旧と三好からの守備のために塙直政の三千を城番に置き京へと帰還した。



 交野(かたの)から山科の屋敷に戻り、茜の接待を受けながら、俺は明智様に同行した祖父江孫十郎の報告を聞いて微妙な表情をした。

 明智様は凄いお方だ。平野郷に向かう時も八千の兵を周辺国に知られることなく交野城に集結させ、夜陰に乗じて一気に平野まで進軍し、効率よく周囲を包囲させる差配を見せたかと思うと、突然の失火にも対応し、逃亡しようとした商人どもを捕え、更には街に対しても慰撫を行っている。独断で塙九郎左衛門様を平野に残して、信長様に城番を追認させており、此度の働きに非の打ちどころがない。古渡様も「さすがは明智殿!」と褒め称えている。

 史実を知る俺には明智様が活躍されればされるほど複雑な思いだ。悪いお方ではない。そんなことはとうにわかっている。だからこそ怖い。信長様に近付けば近付くほど、互いの確執が生まれ、本能寺の変へと導かれていくのではないかということに。


「旦那様、難しい顔を為されておりますね。明智様のご活躍が素直に喜べないのですか?」


 俺の肩を揉みながら、茜が微笑みかける。俺は気恥ずかしそうに茜の視線を逸らした。それを見て孫十郎がくすくすと笑う。


「…九郎様。明智様に対して何をお思いになられているのかわかりませぬが、張り合う相手をお間違えではございませぬか?」


 などと言われては、ぐうの音も出ない。俺は山科の主、織田軍総代の古渡信広の義息でありながら、家臣の一人も持たぬ身。おまけに素顔を晒すことまで禁じられ、周囲から“鬼武者の右筆”と言われて距離を置かれている。


 俺は腕を組んで唸った。


 自分の立場を考えているのではない。古渡様から命じられた密命をどうこなせばよいのか考えあぐねているのだ。


「…行って見るか。」


 ぼそりと呟き、俺は立ち上がった。茜が「どちらへ?」と聞き「比叡山」と応えると、怒った表情を見せた。俺は大丈夫だと答えて茜の頭を撫でたがふて腐れてしまう。俺は訳が分からず孫十郎を見たが、孫十郎は白い目で俺を睨んでいた。



 この二人の態度については、実際に比叡山に行って俺は理解した。…もちろん、茜にはちゃんと謝った。「勘違いさせて悪かった」と。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 1571年6月-


 私は、古渡様の密命を帯びて、比叡山に登った。…と言ってもこの時は、内情を見るべく、修験者として日中に入山し、銭を払って案内と護衛の僧を雇い、比叡山全体をつぶさに見て回っただけだ。


 当時の比叡山は酷いものであった。山全体に張り巡らされた参道のいたるところに色店が立ち並び、昼間から酒を浴びた僧どもが店に出入りしていた。そこには僧だけでなく、色を求める庶民、武士、公家と思われる恰好の輩までうろついている。

 天台宗の総本山として君臨する寺は、長年権力の近くで猛威を振るった陰で堕落の道を辿っており、仏を信じぬ私ですら憤ったほどであった。もはやここは権力、銭、色に溺れた集団でしかなかった。


「悪しき慣行は滅ぶべし!」


 信長様が比叡山を焼き討ちするときに言ったとされるが、実際の目的は違っている。彼らは、天台座主様を蔑ろにし、権力闘争に明け暮れ、自らの権力を高めるために公家や武家に干渉し、天下統一を阻む敵と認定されたから兵を向けられたのだ。

 もしあの時、覚恕様が下山され、高僧達が時勢を読んで信長様に従っていれば、焼き討ちは無かったであろう。格式や、名跡に拘り、身を滅ぼすとはこの事だと周囲に分からせる出来事であったと記しておく。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 ひと月掛けて比叡山周辺を隈なく調べた。今の時期、天台座主様は東塔で庶務を行っている。ただ末端の僧兵では東塔のどの寺院で過ごされているかまでは知らないようで、そこからは、潜入して探さなければならなかった。

 状況を報告しに古渡様のもとに向かうと、ちょうど、生駒甚助様も来られており、俺は孫十郎に率いられて広間に通された。入って予想外の状況に一瞬驚いて足が止まった。


「なんじゃ?儂がいるのが不満なのか?」


 俺の態度に不機嫌そうな声で甚助様が声をあげられた。俺はすぐさま首を振る。…あの方は俺に対してはいつも喧嘩腰だ。何故かわからんがいつも冷たい態度を取られる。…さて、部屋には上座に古渡様、中段に土田生駒様と帯刀様。そして下座には、見知らぬ顔と、瀬田で見かけた肉人間と懐かしい面々。皆にいちいち頭を下げ、下座に向おうとすると、帯刀様に「九郎はここへ」と言われて自らの隣を指された。俺はもう一度下座の方に挨拶して帯刀様の隣に座る。帯刀様がそれを確認してから、口を開いた。


「皆に紹介する。私の義弟の“津田九郎忠広”と申す。…宜しゅう。…九郎、挨拶せよ。」


 俺は良くわからなかったが、


「九郎忠広に御座る。以後お見知りおきを」


 と言って頭を下げた。


「九郎。儂がこの間何の為に瀬田に連れて行ったと思う?…せっかく山岡殿に顔繋ぎに行ったのに、一言も喋らぬとは、せっかくの機会を台無しにするでないぞ!」


 横から甚助様がもう一度突っかかって来た。ああ、あの時、瀬田に俺を連れて行ったのはそういう意味があったのか。道理で甚助様はあの後怒っていたはずだ。俺は空気となって一言も喋らんかったからな。…だったら、はじめからそう言ってほしい。


「まあよい。こ奴は普段から無口なのだ。だが今、景佐(かげすけ)がおるのだ。良い機会だ。見知っておけ。」


 上座より古渡様が取り成し、俺は改めて肉人間…じゃない、景佐様に頭を下げた。


「先日は失礼いたしました。九郎に御座る。」


 景佐様は「ははっ」と行って平伏した。…なんか様子がおかしい。俺はどういうことか分からず古渡様に視線を向けた。


「…景佐は比叡山の件が済めば、貴様の家臣とする。今の内に見知っておけ。」


 え?


「景佐、こ奴がお前の面倒を見る。…と言ってもまだ、家臣も孫十郎しかおらぬ小物だがな。このあと行動を共にするのじゃ。困ったことがあれば孫十郎に聞くが良い。」


 俺は更に驚く。孫十郎は渡り廊下ですっと頭を下げた。俺は混乱した。孫十郎が俺の家臣?この肉人間も?え?え?


 帯刀様が堪えきれずに吹き出した。


「九郎!お前、何も聞かされていなかったのか!?」


「え?い、いや…孫十郎は俺に仕えておったのか?」


「はい。茜さまも私を九郎様の家来と見ておりますぞ。」


 孫十郎に言われて思い返すと、色々と思い当たる節がある。俺は恥ずかしい表情で頭を掻いた。


「鬼の面頬を着けてそんな仕草をするでないわ。気色悪い。」


 また甚助様が文句を言う。俺は直ぐに頭を下げた。


「九郎が勘違いをしていたところで、話を先に進めようか。…此処での話は他言無用だ。我らは冬までには比叡山に戦を仕掛ける。」


 古渡様の一言で場の空気が変わった。


「生駒殿の報告で比叡山が我らと敵対することは明確となった。ならば、万民が納得する理由を付けて成敗する。…だが、それには主上の御弟君であられる覚恕(かくじょ)様に比叡山をご退去頂く必要がある。あのお方は信仰厚き御方と聞く。我らの行動に正当性があろうとも難色を示されることであろう。それ故覚恕(かくじょ)様をご説得する必要があるのだ。」


 一気に話し終えると、一息ついて古渡様が俺を見た。俺は目で一礼する。


「九郎、潜入はお前の得意とするところ。配下に山岡景佐率いる瀬田衆と、奇妙丸(・・・)から借りてきたそこの小姓衆、合わせて百騎を預ける。…天台座主様をご説得せよ。」


 俺は、一同を見回してから一礼した。


「皆の助力をお頼み申す。」


 俺の言葉に下座の一同が「はは!」と頭を下げた。




 自己紹介が更に続いた。古渡様の依頼で清洲から、毛利新左衛門様、前田玄以様、大橋与三衛門重賢、坂井久蔵尚恒、池田庄九郎元助に清州の兵五十名。瀬田からは山岡景佐率いる荒くれ肉集団五十名。…そして初老の男。名は塩川伯耆守長満と言った。このお方は、元々摂津の国人で三好家に仕えていたが、隣国の池田氏が織田家に降るとこれに合わせて織田家に従属された。しかし、池田氏が三好に呼応して織田家に反旗を翻すと、池田、荒木、三好に攻められ居城である摂津川西を追われたそうだ。一族郎党を連れて古渡様を頼り、ここに居る。延暦寺攻略後は、前田玄以様と共に清洲に移ることが決まったそうだ。


 因みに、鬼面頬の九郎忠広が吉十郎であることをどうやら清洲から来た連中は分かっていない。少し悲しいがこのまま伏せておこう。


「九郎、貴様にこの件を命じてひと月たったが、成果を報告せよ。」


 古渡様に促されて俺は一度平伏してから現状を報告した。


「座主様は東塔におわすことは判りましたが、それ以上は末端の僧兵からは情報を得られませんでした。恐らく東塔の離れた堂塔で隔離されているものと思われます。」


 俺の言葉に皆の緊張の表情が見て取れた。主上(天皇)の弟ともあろう御方が総本山の中で“隔離”という言葉で居られるというのは、やはり異常らしい。


「場所を特定する為、今一度比叡山に侵入致します。大人数では見つかりやすいので、孫十郎と庄九郎殿に同行願います。…それから、やはり組織内においては座主様は孤立されております。幾人かの僧と会話しましたが座主様に畏敬の念は無いようです。比叡山内でいくつかの派閥に分かれて主導権争いも行われているようです。」


 誰かが舌打ちした。胸糞悪い話なのであろう。歴史を持つ古い宗派の総本山ががたがたなのだ。


「秋までに座主様と接触せよ。我らとの会話なく下山されては意味を成さぬ。あくまでも我らに比叡山を託して下山されるよう仕向けるのだ。」


 俺の一礼に皆が続いた。




 織田家による比叡山侵攻。



 後の世では信長様の悪逆ぶりを象徴するかのごとき「延暦寺焼き討ち」ではあるが。


 その実は、行き過ぎた寺社勢力への鉄槌である。だが守勢に徹し、他の勢力を抑えつつ比叡山に兵を集めるのは至難の業であろう。


 だが、あの御方であれば…この戦、兵を集め全山包囲を行い堕落した僧兵どもを叩くことはできるであろう。…思えばこれが信長様との初の共闘になるのか。ますます、お二人は近付くこととなり、確執を生み出す可能性が上がる。




 俺はこの戦でどう動くべきか。




 俺は古渡様からの密命ではなく、更にその先をどうするか考えていた。





山岡景佐:山岡景隆の弟で、織田家⇒豊臣家⇒徳川家と仕えた武将です。筋骨隆々の男で主人公は「肉人間」と呼んでいます。…モブのはずです。


前田玄以:美濃前田氏の出身で出家前の名前は前田基勝と言うそうです。前田氏においてはこちらが本家で荒子前田は分家の分家です。元服して直ぐに出家し比叡山で修業を積んだと言われています。


坂井尚恒:坂井政尚の子で、史実であれば姉川にて討死しています。本物語では、信忠の小姓として生きております。


池田元助:池田恒興の長男です。史実では、小牧長久手の合戦にて討死します。本物語では、信忠の小姓衆最年少として無口な少年を演じております。


塩川長満:摂津の有力国人で、のちに娘の鈴が信忠の側室になります。摂津播磨の豪族と公家衆を結ぶ外交官的な立場で活躍されたとされていますが、史実では本能寺の変後に断絶してしまいます。


覚恕法親王:正親町天皇の弟で天台座主を務めた比叡山のトップ。史実では、延暦寺焼き討ちの時は京におり、その後甲斐へと逃亡して武田家に庇護されたそうです。武田信玄が覚恕を権僧正にしようと画策したらしいですが、その前に死去してしまいました。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本能寺の変を回避したいって言ってるなら、光秀を暗殺するなり、義昭を暗殺するなり、家康を暗殺するなり、歴史知識あるなら、色々やれよ!本当に口だけでイライラするわ!転生の意味ないわ!濃姫も転生者…
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