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3.東と西で

今話の前半は三人称視点で進みます。

後半は九郎視点です。



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1571年1月-


 河内で本願寺を中心に反織田の決起が広がる中、織田支配圏の東で変化が起こり始めていた。ニ年前に徳川家と共闘して駿河に進出した武田家である。


 武田家は元々織田家とは友好的関係を結んでいた。信長様の姪にあたる遠山直廉の娘、苗様が諏訪四郎勝頼様の元に嫁いであり、その後も奇妙丸様と松姫様とのご婚約も結ばれていた。

 だが、本願寺決起を受けてその関係に変化が生じた。理由は武田家と本願寺との関係である。本願寺法主、顕如の正室は、武田信玄の継室と姉妹で、家同士も盛んに書状のやり取りが行われており、正確な記録が残っていないが、顕如の依頼を受けて活動していたと思われる。その証拠に、松姫様は未だに尾張に寄こさず、甲斐に逃亡した織田信清の返還にも応じていない。そのことで、以前から信長様はイライラされていたが、今回更に信長様をイライラさせる出来事が起きた。

 甲州には埋蔵量の豊富な金山があり、産出した金を織田家に提供していた。織田家は見返りに米を送っていたが、この甲州金の送付が途絶えたのだ。理由を問う使者を送ったが、病と称して会うことをせず、金の送付が止まった以上、こちらも米の送付を停止させた。甲州は米が育ちにくい地域。米がなければ苦しむのは武田家であるのだが、提供先が他にあるのであれば織田家からの米がなくとも問題ない。…提供先は越後であろうと予想された。


 貿易の停止は外交の停止にも繋がる。武田家の動向は注視する必要があり、伊藤衆が駆り出されて信濃、甲斐へ情報収集が行われた。


 伊藤衆を指揮した御主君のお気持ちは、さぞ辛かったであろうと考える。御主君はまだ見ぬ松姫様に想いを寄せており、その父である武田信玄を信じたかったと言うお気持ちもあったであろう。…だが、そのお気持ちとは裏腹に武田家とは敵対していくことになる。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 父の指示で伊藤衆に甲斐信濃に向かわせた奇妙丸は暗い表情でいた。皆がその理由をわかってはいるがどうすることもできず、掛ける言葉も見つからずにただ見つめているだけであった。こんな時吉十郎であればどうするのか。丹羽源六郎はそんなことまで考えてどうすればいいのか無い知恵を絞っている状態であった。


「兵力の増強はどうなった?」


 唐突な質問を奇妙丸がする。気持ちを切り替えようと武田以外の話を持ち出したようで、小姓衆はすぐさまそれに応じた。


「はっ、現在五千の兵を動かせるようにしております。」


 大橋与三衛門の言葉に、奇妙丸は少し不満気な表情を見せた。今年から正式に奇妙丸の家臣となった斎藤利治が三千の兵を保有している。つまり清洲で取り揃えた兵は二千しかいない。兵が集まらないのだ。理由は幾つかある。

 まずは荒子前田が長島願證寺を巻く織田軍の後詰に出張っており、そちらに兵力を割いていること。佐治家を始めとする知多衆は伊勢湾と播磨灘を結ぶ海路の安全確保のために、海上に駆り出されており、未だ奇妙丸の旗下に加えられていないこと。そして、三河国境の豪族水野家が織田大城郭図において境川守勢担当に組み込まれている為、清洲に出仕していないことであった。

 今清洲に出仕している家は大橋、岩崎丹羽、梶川、荒尾、尾張浅井、尾張前田、美濃前田と少ない。何より筆頭家老である林秀貞が奇妙丸と距離を置いている為、一族陪臣からの兵が集まっていなかった。


「やはり、林殿の影響は大きいと感じます。…いっそのこと、粛清される方が後々遺恨を残さずに済むのではないですか?」


 林家のことをあまり良く思っていない荒尾平左衛門は危険な発言をするが、奇妙丸は首を振って答えた。

「林のじいには、私に尽くして貰う。…それが出来ねば諸大名を束ねることは出来ぬ。」


 何かの決意を込めた言葉に周囲は黙りこんだ。清洲城を与えられてより、奇妙丸の家老の地位にあり、清洲総奉行として活動する林秀貞だが、その功績はほとんどない。


 織田家は、先代信秀の時代は平手家、林家の二家が“取次役”という外交担当をしていた。平手家の当主中務丞(なかつかさのじょう)政秀は信長の守役でもあったが、1553年に自刃している。理由は若き信長の素行をお諫めするためとか、織田家の未来を悲観してとかいろいろ言われているが後を継いだ久秀は信長と距離を置き、子の汎秀(ひろひで)を近習として出仕させている。林家は信長と信勝の跡目争いで敵対し、以降は家老の地位にいながら信長から離れた位置で織田家に仕えていた。

 取次役家が離れた信長は外交担当を新たに一から構築する必要があり、初代が岩室重休、重休死後は村井貞勝が執り行った。苦労はしたが、お蔭で古い体質や昔からのしがらみに捉われず、織田家としては良い意味でも悪い意味でも外交交渉ができている。

 だが、旧取次役家の持つ人脈には価値があった。奇妙丸はこの人脈を秀貞から得たいと考えており、何度も会話を進めている。だが、秀貞は奇妙丸の言葉に興味を示さなかった。


「林様は頻繁に書状を認め岐阜に送っていると聞きましたが?」


 河尻与四郎が同僚から聞いた話を思い出し、奇妙丸に話してみた。奇妙丸は苦笑して首を振った。


「あれは、義母上(ははうえ)様への文じゃ。林の爺はあの歳で義母上様に惚れている様じゃからの。」


 思いがけぬ言葉に一同が驚いて声をあげた。相手は信長の正室である。しかもそこそこ夫婦仲も良い。そんな相手に熱を上げて文を送っていることが信長に知られれば首ちょんぱであろう。奇妙丸が更に苦笑して父は知っていることを告げると一同はもう一度驚きの声をあげた。信長は、林秀貞の動向など気にもかけず一切無視しているそうだった。それほど二人の関係は冷え切っている。


「そんな林の爺だからこそ、私に従わせることで織田家内外に大きく影響を与えることもできる。」


 奇妙丸は豪語したが、小姓たちの意見はそこではなかった。


「い、いや、若殿はその文の中身は気になりませぬか!?」


 大橋与三衛門が慌てて質問したが、若殿はにんまりと笑みを返した


義母上(ははうえ)様は毎度その内容を書き写して父上と私に送ってきている。…中身は恋文とは程遠いものぞ。」


 そう言って、手紙を懐から出し小姓たちの前に放り投げた。小姓たちは恐る恐る手紙を開き、無言で読んだ。………内容は、近々の伊賀、伊勢、大和、飛騨の情勢が書かれていた。特に大和については詳しく書かれている。小姓たちは読み終えると、驚いた表情のまま主君を仰ぎ見た。


「これが取次役家の持つ力だ。他国の豪族との繋がりを持ち、配下の者を動かすことでこれほど細かい情報を得られる。場合によっては調略を行うこともできるであろう。平手家は代が変わったことによってその力を弱めているが、林家は未だ健在なのだ。…まあそこに甲斐についての情報がないのが残念だがな。」


 小姓たちは、これにより林佐渡守に対する見方を大きく変えることとなった。




 2月になり、新たに二つの情報が奇妙丸の元に届いた。1つは佐和山を守護していた磯野丹波守員昌と、織田方に寝返る密約を取り付けたこと。元々佐和山城は織田方の城に囲まれており、物資の供給もままならない状況にあったのだが、信長は、近江に別の所領を与える約束をし員昌がこれに応えたものとなった。準備が整えば、佐和山城に戦を仕掛け、員昌が降伏する形をとって、浅井家から離脱する。

 もう1つは関東の情報だった。関東から甲斐信濃に向けて米が流れているとの情報だった。これは甲斐信濃を調査している伊藤衆のうち遠江からの甲斐侵入を断念した者が、関東にまで足を延ばしたことで偶然手に入れた情報だった。

 米を集めている。つまり、戦をする準備を進めているということ。これが何処に対する戦なのかが不明。奇妙丸は、すぐさまこの情報を岐阜に送った。そして信長は大城郭の東側を担当する苗木、岩村、沓掛の書状に「武田に警戒せよ」との命令を出した。






 山科館。


 義父古渡様から手紙を受け取り、最後まで読み終えると、俺はこれを義父に返した。古渡様は鼻で笑う仕草をされた。


「嬉しそうだな、九郎。」


「はい、奇妙丸様がご活躍されているとのことなので。」


 そう言うと、古渡様は「フン」とまた鼻で笑われた。


「今貴様は儂の家臣であることは忘れるなよ。」


 少し声を低くして脅すような言葉に俺は頭を下げて即答した。


「はい。肝に銘じます。」


「頭に血を昇らせるのも禁止じゃからな。」


 横から生駒甚助さまが釘を刺した。俺も申し訳なさそうに返事をする。


「姫…今は茜か…が言っておったぞ。生駒のことで旦那様を失いとうございませぬ!…とな。」


 俺は恥ずかしい気持ちで平伏した。



 “伊藤何某が生駒の敵であっても、旦那様が命を落としてしまわれては意味がありませぬ!もう少し自重というものを覚えて下さい!”


 こんな言葉を茜から何回も言われていたからだ。流石に甚助様にまで俺の短絡的な行動の話が伝わってしまっていては情けないとしか言いようがない。これ以上追及されないよう俺は話題を変えることにした。


「で、磯野様の所領については決まりましたでしょうか?」


 俺は古渡様の前に座る大男をちらりと見た。古渡様は顎に手をやった。考えておられると言うことは決まっていないと言うことか。


「磯野殿には…高島郡を任せようと思うておるが…どうだ?」


 古渡様の言葉に磯野様の表情が強張った。近江国高島郡。そこは“高島七頭”と呼ばれる佐々木一族が治める土地である。一族には既に織田家に恭順している朽木家も含まれており、名門の血族であることを誇りにしている、所謂扱い辛い連中のいる所であった。現時点では、朽木を除く六頭は浅井家に組しているが、古渡様は浅井家排除を前提に場所を提示した。

 磯野様は目を閉じ考えに耽った。思うところもあるようで長考になっている。


「……磯野殿。…貴殿は今織田家に降り、儂の家臣として、ここにおる。いつまでも旧家に対する忠義を残していると、叛意有りと見なされるぞ。それに貴殿は浅井家に見捨てられたのだ。それを忘れるでない。…浅井家は家臣を纏める事もできず、家臣を助けることもできず、幕府を無視する朝倉に組しておる。そんな浅井に天命などない。」


 古渡様の言葉に磯野様は肯く。肯いているが唇を噛み締めている。


「殿、磯野様は忠義厚き御方です。その御方が旧家への思いに苦しんでおられます。もう少し気を使われても…「餓鬼の癖に出しゃばるでないわ!」」


 古渡様の怒号が響く。怒りの目が俺に向けられた。俺は尚も言い返す。


「古渡様は家臣を大事にされる御方です。降将であれどその忠義を褒めるべ「だまらっしゃい!!」」


 俺の言葉はまたも怒号に遮られる。そして古渡様が立ち上がった。一歩前に出たところで、磯野様が古渡様に向かって平伏をされた。


「三郎五郎様、お座り下され。これ以上この若者に庇われては我も恥と心得まする。…高島の儀、承りました。これより三郎五郎様の先兵となりて織田家の御為に働きましょう。」


 そう言うと更に深く頭を下げた。……俺は心の中でガッツポーズをした。だが次の瞬間古渡様の蹴りが顔面に炸裂し、部屋の隅まで吹っ飛ばされた。


「…磯野殿の顔を立て、それで勘弁してやる。今度出しゃばればその大太刀で(はらわた)を抉り出してやる!!」


 俺は意識を失いそうになりながら慌てて平伏する。見れば甚助様が笑みを浮かべていた。…くそう、ちょっとくらい助けてくれてもいいじゃないか。





 その後、磯野丹波守員昌様は織田信広様預かりとして、浅井家滅亡まで山科の城番を務める。古渡様は磯野様の想いを汲み、浅井家との戦には出陣させることは無かった。



 甚助様は俺の考えた作戦を実行すべく、土田生駒の者を畿内全域にばら撒いた。行商や浪人などに身を扮し物資が何処から渡って来るかを調べさせた。同時に堺の商人衆を呼びつけ、三好や本願寺と繋がっていそうな者に横領米を売りつけるよう指示した。


「さて、どんな絵地図が出来上がるかの。…吉十郎…今は九郎か。お前にも働いてもらうぞ。なに、三郎五郎様の許可は頂いておる。この作戦には小折生駒の生き残りも働いておるのだ。お前も生駒の名を残すために働け。」


 そう言うと飄々とした態度で西の空を見上げていた。俺は古渡様に蹴られ面頬の形に痣のできた顔をさすった。甚助様は俺を見てプッと笑った。


「…お主も中々やりおるの。あんな形で磯野殿に決意を固めさせるとはの。…期待しておるぞ。生駒の為に、茜の為に。」


 俺は「は」と短く返事をした。尾張では奇妙丸様も頑張っておられる。俺も手柄をたて、一刻も早く奇妙丸様のもとに戻れるようにしなければと、決意を新たにした。



遠山直廉の娘:名前がわかりませんでしたので苗木城主の娘ってことで「苗」とさせて頂きました。


前田家:前田利家や慶次郎で有名な前田家ですが、本家は美濃だそうです。美濃前田家の武将としては、前田玄以になります。そして尾張に移り住んだのが尾張前田家(前田長種など)、そこから枝分かれしたのが荒子前田家だそうです。

因みに、本物語では荒子城主はまだ前田利久のままです。理由は・・・後々でてきます。


林秀貞:信長の守役の一人でしたが、弟の信勝を担ぎ上げて織田家を乗っ取ろうとしています。戦国時代には、主家の安泰を願い、または主家を傀儡とするため、家臣が当主を交代させることがありました。伊達家や松平家も当主交代が行われておりますし、織田家も秀吉によって当主を決定させられています。この時代では当主が全てを差配しているわけではなく、家臣との折り合いをつけながら治めていたようです。秀貞も目的があって信勝を担ぎ出しましたがあえなく失敗に終わりました。・・・因みに当主の奥方に手を出す家臣は首ちょんぱだと作者は思います。林の爺の話はまた出てきますのでよろしくお願いします。


磯野員昌:浅井四翼と謳われた浅井家の先鋒衆のひとり、外交も担当していたようで本物語でも織田家との外交担当として、岐阜城に足を運んでおります。調べてみると猪突な猛将的な面と知性的な面を併せ持っている記載も多く、本物語でも活躍させたいと考えております。史実では信長の不興を買って出奔し、養子に迎えていた織田信澄(信勝の子)にお家を乗っ取られてしまいます。




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