3.1560年正月
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年が明けて1560年元日。私は初めて年賀の挨拶というものに立ち会った。歳を重ねるごとにその規模は大きくなったものだが、やはり最初に見たあの光景が…一番忘れられぬものであった。
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「殿、明けましておめでとうござりまする。」
「「「「おめでとうござりまする」」」」
上座に座る奇妙丸様のお父上、信長様の前に、織田家に仕える家臣一同が集まっていた。一番前に座る白髪交じりの男が平伏して挨拶すると、後ろに控える全員が動きを合わせて平伏して挨拶した。
「うむ。」
信長様は短く返事されて、白い器に入った何かをグイッと煽った。
恐らく酒だと思われるが…織田信長って「下戸」だったという記事を読んだことがあるが…。
俺は、信長様の後ろに控える吉乃様の膝の上でこの光景を眺めていた。奇妙丸様は信長様の膝の上だ。(因みに茶筅丸様はぐずり出したので舞さんが寝かしつけている。)新年を迎え、清州城で家臣一同が集まり、新年の挨拶を当主及びそのご家族に行っていた。(俺はどうやら特別枠で当主のご家族扱いされていた。)
先頭で挨拶した初老は、林佐渡守秀貞様。織田家の宿老筆頭で、こういった行事に際しては、最初に言葉を発する役目を負っているらしい。その横には大叔父の織田秀敏様が座られている。反対側にはずんぐりとした体格の髭面の男が座っていた。そしてその三人の後ろにずらりと家臣たちが並んでいる。
正直、圧巻としか言いようがない。
俺は、今の織田家がこの尾張でどれほどの勢力を誇っているのか全く分かっていないが、これだけを見ると、尾張ではかなりの実力者であるのだと実感した。…たしか、織田大和守も織田伊勢守も滅亡していて、尾張全域を支配下に置いていたんじゃなかったっけ?…ここに柴田勝家様とか後々活躍する武将がいると考えると、ちょっとテンションあがっちゃう。
家族側には、“お濃の方”こと帰蝶様が信長様の隣に座られていた。女房衆の中でもひときわ美しい着物を着ていて、はっきり言って妖艶。密かに俺はお濃の様に“裏ボス”というあだ名をつけてしまった。
挨拶が終わり、家臣一同に膳が配られ、宴会が始まった。
この時代、「かんぱーい」とかはないらしい。静かに食事が始まり、暫くして家臣同士での会話が始まった。
宴席は信長様からみて、右手側に秀敏様を先頭に親族衆が。左手側には秀貞様を先頭に家老衆が座られているのだが、家老衆側から先ほどのずんぐりとした体格の男が立ち上がり、酒瓶を持って信長様の前に近づいた。(酒瓶という表現が正しいかどうかわからんが)
「殿、今年こそは、山口親子の討伐を私めに。」
そういうと酒瓶を差し出した。信長様が白い器をかざすと、静かにそこに何かを注いだ。
「半羽介。期待しておるぞ。」
そう言って、ニヤリと笑うと信長様は杯を一気に煽られた。…このずんぐり体型は佐久間信盛様だったのか。なんか、武将っぽくない顔つきだからちょっとイメージが違ってたが…この人織田家の重臣なんだ。失策続きで追放されるひとのイメージが強すぎて重臣にも見えない。それにしてもよくしゃべる人だ。信長様が少々辟易されている。
続いて信長様の前に座られたのが、赤黒い肌に髭もじゃの顔。あ、これわかる。絶対、柴田権六郎様だ。それしかない。
俺は二人の会話を期待して見ていたが、先ほどとは異なり、会話は無く、お互いに杯を交わしただけで赤黒の髭もじゃは無言のまま自席に戻られてしまった。…絶対柴田様だと思うんだがなぁ。
何人かが前に出て信長様と杯を酌み交わし、その後、暫く信長様は無言で食事をされていたのだが、不意に「三郎五郎」と声を掛けられた。その瞬間にざわざわした雰囲気が静まり、親族衆の一人に視線が集まった。
注目された男は、髷を結わず、長い髪を背中になびかせて無言で箸を進めていたが、名を呼ばれて箸を置き、信長様の方に体を向けて礼をした。信長様は気怠そうな仕草で手招きする。長髪の男は膳を静かに横に移動させて立ち上がり、ゆっくりと信長様の前に進んだ。
ゆっくりとした動作だが、動きに無駄がなく優雅にも見える。俺はそのお姿を観察しながら「三郎五郎」という名の武将を必死に思い出そうとしていた。その間に長髪の男は信長様の前に静かに座り、白い器を差し出した。信長様は無言でそこに何かを注いだ。男はやはり優雅な所作で杯を煽る。
…後になってようやく思い出したのだが、このお方が信長様の兄にあたる織田三郎五郎信広だった。信広様は杯を置くと、酒瓶を手にして信長様に何かを注いだ。
「…お主が古渡に引き取った直子とその子を、清州に寄こすが良い。」
信広様の手が止まり、顔をあげられた。驚いた表情をされている。
「…お濃が女房衆として引き取りたいと五月蝿くてな。聞けば中々の器量で台所を纏めているいうではないか。」
「…は。」
信広様は返事をしたものの、信長様の言葉の意図がわからず、あちこち視線を泳がせて、御台所様を見た。その様子に御台所様はクスリと笑われた。
「義兄上殿、ご心配無用です。介様に直子殿の御子を実子とお認め頂きました。妾が直子殿を介様の側室として面倒致します。」
御台所様のお言葉に信広様が平伏された。…俺にはさっぱりわからなかった。まず「直子」が誰かわからん。ただ、側室が子連れで一人増えることはわかった。御台所様が面倒見るとおっしゃっているが、アナタ俺が来てから半年の間で、数えるほどしか姿を見せてないじゃん、と心の中では突っ込んでおいた。見上げると吉乃様が嬉しそうな顔をされていた。…知己なのか?
宴会はまだまだ続いていた。
既に奇妙丸様はお眠むの時間のようで、御台所様と一緒に広間を出て行かれている。俺の身体も時間切れの様で、吉乃様は侍女の亀さんに俺を預け、亀さんは俺を連れて、女房衆の居館へと戻った。
もっと、宴会の様子を見ていたかったがこの身体では仕方がない。俺は亀さんのお乳を吸いながら夢の国へと旅立った。
笑い声が聞こえて、俺は目が覚めた。布団で寝かされていたようで、見渡すと隣の部屋から話し声が聞こえていた。俺は起き上がると、ぎこちない足取りで衾に手を掛けゆっくりと押し開いた。
「あら無吉。起きてしまいましたか。」
亀さんが素早く俺を見つけ、泣きそうになっている俺に手を伸ばして抱き上げた。
「なんだ、もう自力で歩けるのか?」
声の主は信長様だった。俺はびっくりした。その感情が俺の身体に伝わり、勝手に泣き始めた。
「フフフ。無吉にはまだ介様が怖いようですよ。」
泣きながら俺は見ると裏ボス御台所様まで座っておられた。どうやら宴会は終了し女房衆の居館にて二次会を開いているようだった。信長様は顔を赤らめて上機嫌のご様子で、御台所様も終始笑顔。少し離れて吉乃様も俺の泣く姿を見て笑っておられた。暫く俺をネタに話が盛り上がっているようだった。
俺は生前、織田信長と斎藤帰蝶は仲が悪かったとか、美濃との同盟解消後に里に返されたとか、早々に亡くなられたとか、夫から相手されなくてひっそりと晩年を過ごしたとか、いろいろな記事を読んでいた。だが、実際に見ると仲睦まじく思う。吉乃様や、他の女房衆とも仲が良いようで、しっかりと御台所としての役目を果たしておられるみたいだ。
…普段は極端な引きこもりなんだけど。
子はいなかったようだが、奇妙丸様とも仲は悪くなく、奇妙丸様も敬愛されている。やはり、この時代よっぽどのことがない限り、女性の名やその活躍ぶりは残らないものなのだと、改めて思った。
ふと俺は思い立ち、泣きわめく俺の身体を全力で泣き止ませ、亀さんの身体から御台所様のほうへ両手を伸ばしてみた。
その様子を見た裏ボス御台所様は嬉しそうに俺に近寄って、俺を抱き上げた。亀さんも吉乃様も信長様も俺も驚いた。
まさか、俺を抱き上げるとは思ってもいなかったからだ。亀さんがオロオロしている。
「よいよい。今日はめでたい日じゃ。無吉とやらにも褒美をやろう。ほれ、妾が“濃”じゃ。よう覚えておけよ。」
御台所様は俺の頬をつんつんした。周囲は呆気にとられている。
「…わっはっはっはっはっ!!」
急に大きな声で笑い声が聞こえた。見ると信長様が膝を叩いて笑っている。
「お濃!お前も今日は浮かれておる様じゃな。下賤の子を抱き上げ嬉しそうにあやしてる姿を道三が見ればたまげるじゃろう。」
「介様。この子は顔立ちも良く、長じれば奇妙丸の良き小姓になるやも知れませぬ。今の内にこうして恩を売っておけば、妾への忠義も忘れぬ事でしょう。」
そう言って御台所様は俺に笑顔を振りまいた。間近で見るとこのお方は本当に美しい。そして意外にも無邪気である。俺の中での斎藤帰蝶のイメージが大きく変わった瞬間といっても良いくらいだった。
だが、最後に御台所様は俺の瞳をじっと見た。…何か俺の心の奥底を見定めようとするように見つめられて、ふっと笑顔に戻った。
…何今の?って俺は思った。
歴史はこれより桶狭間へと向かっていく。女房衆のお乳を咥える日々を過ごす俺にとっては、関わりたくともどうにもできない最大イベントが半年後に迫っていた。
亀さん:本名は加藤亀で、熱田加藤の一族です。はい、架空の人物です。
斎藤帰蝶:言わずと知れた斎藤道三の娘です。史実では、ほとんど登場しない人物で、今でも離縁された、早々に死んだ、ひっそりと晩年を過ごした、などと言われております。本物語では、信長と睦まじく過ごされております。ちょこちょこ登場する重要人物になります。