11.始まり
…一番ご意見(特に厳しいご意見)が多かったお話の序盤になります
1570年1月。
清洲内でも年初めの行事を終え、一息ついた頃。
「無吉、小折から文が届いたぞ。」
そう言って、奇妙丸様が俺に折り畳んだ紙を渡した。俺は恭しく受け取るが、明らかに一度開けた形跡がある。俺は奇妙丸様をチラッと窺ってから、紙を開いた。
文は生駒姫様からで、京に行ったときに、なけなしの銭を使って反物を買いお送りしたお礼がたくさん書かれていた。
反物は明るい柿色と薄い桃色で染められて活発な印象があり、姫様に似合うと思い家長様にも見つからずに購入し、清洲の誰にも見つからずに小折の姫様にお届けしたはずなのに、姫様の文がまさかの検閲…。
文章からしてかなり喜んでいるみたいで、今はその反物で着物を織ってもらっているいるところで、早く見せたい、早く会いたい、お礼の膳を用意するなどと書かれていた。
読み終わって見上げると、奇妙丸様を始め、小姓衆が薄笑いを浮かべて俺を見ていた。
「…私はそんなことの為に、京に行かせた訳ではないのだがなぁ……。私が松姫に文を書くときは散々色々なことを言ってくれていたが…。」
…どうしよう、この先俺は奇妙丸様の文に対して何も言えなくなってしまった。
俺達は清洲で年を越し、その間、津島衆と伊藤衆を使って情報を集めては皆で討論会を開いていた。
目的は周囲の情勢を把握することと、皆で言い合うことで意見をまとめる力を学ぶこと。最初は喧嘩になりかけることもあったが、最近ではうまく言い合えるようになっている。
岐阜には前年以上に多くの有力諸侯が信長様に挨拶に訪れ、織田家の権力は増大している。更に今年は明智様が幕臣を代表して挨拶に来られており、信長様と明智様の関係は益々強くなっていると思われ、諸侯の中には、織田家に取り入るために明智様に近づく者もいるそうだ。
「古渡の叔父上はご立腹だそうだ。わざわざ取次役として京にいるのに、明智十兵衛に声を掛けている連中は儂をないがしろにしている!と。」
「どうされるおつもりですか?」
俺の質問に奇妙丸様は鼻で笑って返した。
「どうもせぬよ。どうせ明智は父上が岐阜に呼び寄せる。そうなったときに奴らは叔父上を通さねばならなくなる。叔父上が自分をないがしろにした連中を許すはずもなく、今騒ぎ立てる必要もあるまい。」
「では、明智様と古渡様の御関係は?」
「それが良好だ。明智の人徳もあろうが、叔父上の文によると、不思議と怒りが湧かぬそうだ。叔父上と幕府の関係も問題ない。…あるとすれば、将軍様だろうな。」
足利様はまた全国に書状をばら撒いているそうだった。古渡様がお諫めに行ったそうだが、格下と見られ相手にされなかったから、脅しをかけたそうだ。古渡様もだんだんと信長様化しつつあるようで、俺はクスクスと笑った。奇妙丸様も笑っていた。
「そう言えば、お市様がまたご懐妊されたとか。」
「そうなのだ。昨年生まれたのは女子とか。此度はおのこであるよう、皆が祈祷を捧げたと聞く。…姉上(実質は叔母だが、伯母上と呼ぶと怒られるので)も絶対おのこだと言っているそうだ。」
奇妙丸様ははしゃいでいるが、残念…次も、その次もおなごなんだな。前年長女がお生まれになり、“茶々”様と名付けられた。つまり今身籠っているのは次女の“初”様。…と言うことは浅井長政様は織田家を裏切った後で三人目の“江”を作ったのか…。
「そう言えば、浅井の家臣を越前で見かけたと報告がありました。」
津島衆からの情報を与三衛門殿が報告する。奇妙丸様は形の良い眉をぴくりと動かした。
「浅井家は越前朝倉派の家臣と、近江旧六角派の家臣に分かれている。織田派の家臣は、磯野員昌などの少数しかおらず、姉様も肩身の狭い思いをされていると思うが…。」
浅井の動向を聞きたかったが、話が市姫様にすり替えられてしまった。史実に沿えば、この年の5月に朝倉討伐が実行され、その進軍の最中に浅井家が裏切って挙兵し、退路を断たれた織田軍は朽木ルートと呼ばれる琵琶湖北岸沿いの道で京へ撤退している。
浅井家の裏切りについては、はっきりとした理由を俺はわかっていないのだが、当主が家臣を統制しきれず、前当主と一部の家臣が旧恩の朝倉からの調略により寝返ったものと考えている。
俺としては、この浅井家の挙兵を阻止できないものかと昨年から活動していたのだが…俺には浅井家との接点がなさ過ぎることがネックになり、何も掴めずにいた。ここで他の小姓から何か情報が聞き出せないかと話題に取り上げてみたが、お市様のことしか無いようで俺は話の継続を諦めた。
浅井家は元々北近江の守護、京極家の譜代家臣であったが、先々代の亮政の代に京極家の内紛に乗じて周辺国人をまとめ上げ京極家をも飲み込んで支配地域を広げていった。…と言っても、立ち位置的には江北国人衆の盟主という立場で活動しており、代が変わるとその影響力も変化する。
朝倉家との関係は、先々代では対等の立場だったのが、先代、久政の代では従属的な立場へと変化し、更に東からは斎藤家、南からは六角家の圧力を受け、遂には息子新九郎様に六角家から室を娶らされ、「賢政」(六角義賢の一字から付けられる)と名乗らされて、六角の家臣化が進んでいた。
1560年、反六角派の家臣を引き連れて浅井新九郎様は六角家に大勝(野良田の戦い)し、六角の影響力を排除することで、新九郎様の影響力が高まると、久政様と朝倉派の家臣たちを隠居させて浅井家をまとめ上げることに成功し、その勢いでもって織田家との同盟にまで持ちこんでいる。
だが、織田家と違い、浅井家の当主は江北の盟主という色が強く、隠居した先代当主の派閥も影響力を残していることで、家中の意見を無視することもできず、結局朝倉に与することになったのだろう。
既に今の時点で、長政様の周辺では何かしらの変化があると思われるのだが、そういった情報が伝わっていない。お市様と連絡が取れるのであれば、その変化を察知して何かしらの情報が得られるかも知れないが…残念ながらお市様は俺のことを嫌っているので、俺はお市様に対しても何もできていない。
「…どうした無吉?何か気になることでもあるのか?」
奇妙丸様が考え込んでいた俺に声を掛けるが、ここで浅井家の話をしても、証拠がなさ過ぎて説明もできない。
「いえ、お市様とは余りお話する機会がありませんでしたので…。」
無難な返事をしてごまかすしかなかった。
2月になり、久しぶりに御台様から文を頂いた。宛先はもちろん奇妙丸様である。御台様は信長様の近況を細かに説明されていた。
丹波国人の織田家への恭順が遅れていることに腹を立てている。
越前の朝倉家が幕府の命を無視して上洛しないことに腹を立てている。
甲斐の武田家に毎月せっせと贈り物を届けているのに一向にに松姫を送って来ないことに腹を立てている。
岡崎の次郎三郎信康様と徳姫様の子ができぬ事に腹を立てている。
公家衆が銭の工面をやたらとせがんでくることに腹を立てている。
…要は思い通りに事が進まなくなっていて四六時中イライラしている、といった内容の文章であった。奇妙丸様は一通り読んで小さくため息をついた。
「父上は短気なところがおありだ。尾張におられた頃は三郎五郎や林のじいがお諫めしていたこともあったが、岐阜では、お義母上しかその役目を担っている者がおらぬのではないか?」
確かに史実でもこの頃から信長様の独断が顕著だった様な気がする。
「やはり、武田と朝倉が思うように幕府の命令を無視しているところが大きいかと。」
小姓を代表して丹羽源六郎殿が返答すると、奇妙丸様はもう一度ため息をついた。
「幕府の名で書状を出して効果があるのは、守護、守護代家に仕えていた国人達。古くから幕府と反目してた守護大名家にはもはや幕府の名は無意味じゃ。」
「…では次の一手が必要になりますな。」
次席の大橋与三衛門殿が話を先に進めた。
「そろそろ、大殿様は“殿上人”になられるのでは?」
与三衛門殿の言葉に奇妙丸様は大きく肯いた。
「父上は幕府とは異なる立場から、全国の諸大名を服属させるつもりなのであろう。叙位についてもこれまでは断られてきたが、今後は影響力を強めるために受けていかれるであろう。」
奇妙丸様は言葉とは裏腹に心配そうな表情で皆を見返した。俺も含めて皆は何も言えずただ平伏するだけであった。
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1570年3月-
内々に越前討伐の為の準備を進めるよう国内に命が下された。
2月に若狭守護である武田家に上洛を促す書状を送ったが、武田家はこれを無視した。若狭武田家は1568年に朝倉の侵攻を受けて従属する形になっており、当主武田元明は越前で庇護されていた。信長様は若狭に対して糾弾の書状を送ったが、守護不在で朝倉家に監視されたままの武田家臣たちはどうすることもできず、この時も朝倉家に対応を求めた。
それは信長様の思惑通りで、自国で対応できず、越前を頼った武田家臣に対する討伐を名目に、出兵の準備を進めた。
尾張からは直臣勢として、柴田隊、佐久間隊、中川隊、丹羽隊、木下隊、生駒隊。
美濃からは稲葉隊、安藤隊、氏家隊
畿内からは、池田勝正殿、松永久秀殿。
幕府軍として、明智光秀殿。
三河の援軍として徳川家康殿。
総勢三万五千の大軍で敦賀郡への侵攻だった。
今にして思えば、あの侵攻は何処までを目的としていたのか不明である。だが、あの侵攻から、市姫様の悲劇が始まったのだと、私は回顧した。
それは私にとっても悲しい結末となる戦いであり…いや、多くの人が悲しい結末を迎えた戦いであったと記録する。
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