10.明智十兵衛という男
人は思い込みすぎると精神がおかしくなってしまうものです。
今回はそんなお話です
目の前に明智光秀がいる。
目の前にご主君の敵がいる。
目の前に織田家を崩壊させた全ての元凶がいる。
俺はそれ以外考えられなくなった。このままコイツを帰らせたら、ご主君が殺される。「本能寺の変」が起きる。今ここで命を奪えば歴史は大きく変わる。ご主君は生き延びることができる。
皆が何かを話している。そんなことはどうでもいい。俺は小太刀を抜いて一歩進んで振り下ろすだけ。血を見ることになるがご主君の為だ。簡単な動作だ。俺でもできる。できる。動けばいい。動いてくれ。
俺は突然立ち上がり、その場に倒れたそうだ。
次に俺が気づいた場所は…布団の上だった。
辺りは既に暗く、冷たい風が障子を叩き、俺は寒さを感じて布団を自分に巻きつけた。
「気がついたか。」
声を掛けられ、見ると義父が枕元に座っていた。
「お。お義父上…。」
「びっくりしたぞ。たまたま商いで京に来たところだったが、竹中殿より知らせを受けて急いできたぞ。」
「ここは…?」
「古渡様の御屋敷だ。…なんだお前、何も覚えてないのか?」
…そうだ。俺は古渡様にお会いしに半兵衛様と来たのだった。それから帯刀様とお会いして、古渡様が来られて…その後ろに……。
思い出した。俺は明智様にお会いしたのだった。そこからの記憶が途切れ途切れだが、目の前に「本能寺の変」の首謀者を見て頭がどうにかなったようだ。
俺は頭を振った。
「?頭が痛いのか?」
「い、いえ…先ほどまでは…今は何ともありません。」
家長様は俺の様子を見て安心した顔を見せた。
「明智殿が心配をされていたぞ。儂は別用で明智殿の屋敷に行くから、一言申し上げておくぞ。」
「い、いえ、私もついて行きます。できれば直接お会いしてご迷惑をおかけしたと謝りとう御座います。」
俺は布団から出て、家長様に向かって座り直した。連れて行ってほしいとお願いをする。
「生駒殿、吉十郎を連れて行った方がよさそうだと私は思いますよ。」
若い声がして、その方を見ると半兵衛様が柱にもたれて立っていた。
「こ奴…明智殿のお顔を見ながらぶつぶつ言いだして…まるで、魔物に取り憑かれたようになり…このままでは明智殿の心証も悪うございましょう。叶うかどうかはともかく、連れていった方がよろしいです。」
家長様は渋い顔をされたが、半兵衛様の言うことも尤もだと、了承してくれた。明智様は既にご自身の邸宅に戻られており、俺はそのあとを追う様な形で家長様に連れられて屋敷に向かった。
家長様の用事は直ぐに終わる。明智邸の門番と顔見知りの様で、家長様を見つけると、二通の書状を渡された。家長様はそれを懐に仕舞うと、事情を説明して明智殿にお会いしたいとお願いをされた。門番の男は「生駒様のお頼みとあらば」と言って、取次ぎのため中へと走って行った。
「会えるかのう?」
家長様は小さな声を漏らしたが、杞憂に終り、俺達は中へと案内された。屋敷の奥へと進み、とある部屋に通されると既に明智様が座っておられた。黒い椀を手に取って眺めておられたが、俺達の姿を見て、椀を木箱に戻し、丁寧に風呂敷に包んで自分の横に避けてから俺達に挨拶した。
「先ほどは、私の義息が失礼をいたしました。お蔭様でこのように回復致しました故、お詫びに参った次第に御座います。」
家長様が深々と頭を下げ、俺がそれに続いた。
「元気になられてなによりです。…しかし、一体どうなされたのですか?」
「はい、吉十郎の話では、明智殿のお顔を見たとたんに目の前が真っ暗になったそうです。これまで若殿様の御為に働いていた吉十郎ですが、疲れが溜まっていたようです。そこに大殿の覚え目出度き明智殿に急にお会いしたことで、緊張の度合いが一気に高まったのでしょう。明智殿に失礼があってはという思いが先走りましたようで…。お許しくださいませ。」
「ははは。私のような新参者に緊張されるとは…私も佐脇殿が言う“魔物”が気になりまして。こちらこそ急に押しかけてご無礼致しました。」
互いに頭を下げて話が終わる。俺は明智様から「佐脇」の名が出たことで不機嫌になっていた。
「吉十郎、お前は本当に佐脇殿に恨まれておるな。…一体何をしたのだ?」
「…身に覚えが御座いませぬ。」
「では、佐脇殿は吉十郎殿を陥れるために噂を広めているようですな。」
明智様が抑揚を抑えた声で応えられた。よくよく見れば、この方は武士とは縁の遠い、貴人のような風格がある。
「人を陥れるような者は、やがて人の信を失います。吉十郎殿、放っておいても良いかと思います。それよりも突然のことだったので、あの時は何も話ができませんでしたが、せっかく訪ねて来られたのです。生駒殿、このまま食事は如何ですか?」
信長様のお気に入りで幕臣の明智様からのお誘いを断れるはずもなく、家長様と俺はそのまま食事を馳走になった。
明智様は、東美濃の土岐氏の支族、明智一族の出だと言われる。俺が生まれた時には既に一色義龍に攻められて領地を失っていたそうだが、斎藤道三の継室が明智一族から出ていたそうで、元々は斎藤道三の重臣であったらしい。だが義龍との対立で、道三は討死に、道三派の豪族は次々と滅ぼされたそうで、明智様も城を追われ、僅かな家臣と共に流浪された。
そこから色々あって幕臣として大きな屋敷も与えられ、信長様からも将軍様からも覚え目出度き御方。気品に溢れ、見目も悪くない。物腰も柔らかく俺にさえ丁寧な口調で話される。兵を率いても宜しく、公家衆との取り次ぎも宜しく、また幕臣からの評判も宜しく…。弱点が見つからない。最初はこの方の命を奪えば全てが解決すると思っていたが…話をすればする程、こんな方が何故史実ではあのような変を起したのかがわからなくなった。
俺は明智様からお話を聞き、明智様にお話をし、明智様が悪いお方ではないと考え、そして自分が恥ずかしくなった。
俺は…ご主君の為なら何でもしてやると息巻いていたが……それはできない。間違っている。
何かどこかでボタンのかけ違いがあり、明智様は信長様に刃を向けたのではないかと考える。実際にも「本能寺の変」の真相には諸説があり、どれが正しいとも証明されていない。
俺は「本能寺の変」の回避は明智様の御命を奪うことではなく、明智様がどこかで掛け違えたものを正しく戻すことの方が正解ではないかと思うようになった。
食事のお礼に小折産の香の物をお届けすることを約束し、俺と家長様は明智様の屋敷を後にした。
帰り道、俺は家長様から声を掛けられた。
「…楽しい食事であったな。だがお前は時折上の空になっておったな。…一体どうした?」
俺は正直に思ったことを答えた。
「私は…明智様が大殿のお命を狙う刺客だと考えておりました。」
「な!?」
家長様は思わず大声を出され、慌てて自分の手で口を押えた。
「余りにも手際よく大殿に接近されたもので、てっきり越前あたりからの刺客ではないかと疑っておりました。それに、嫉妬…もあったと思います。ですが、今日話をさせて頂いて、間違いだったと気付かされました。何よりも…佐脇様と同じ考えに至っていたと思うと恥ずかしくて恥ずかしくて…。」
「わはっははははは!!」
家長様は大笑いをされた。
「お前が藤八殿と同じ!?はは!確かに!」
俺は幼い頃から信長様に家族のように良くして頂いていた。最近は信長様にお会いする機会も少なくなり、明智様が信長様を独占しているかのように思っていた。史実を知っている故に恐ろしくなり、思考がどんどん違う方向に向いていったと自覚する。それに俺の目的はご主君が殺されるのを回避することであってその手段はどうでもよいと考えていたせいもあり「パチン!」
……。
俺は義父に頬を叩かれた。強くはないが痛かった。
「…今の話は忘れてやる。目の前のことに集中せよ。お前は頭が切れるから、余計に色々と考えてしまうようだが…まだ餓鬼なんだから。」
「はい……。」
その後しばらくは…父親に叩かれた頬が、俺にとっては凄く熱かった。
1570年元日。
俺は清洲で新しい年を迎えた。
岐阜では、各国の有力者が年賀の挨拶に訪れ、今年は奇妙丸様ですら、岐阜城に詰める河尻様より挨拶を断られたほど。
そして、この年は織田家苦難の幕開けの年でもある。
越前攻めに始まり、江北の勇、浅井家の裏切りが行われる年である。
明智光秀:光秀の出身は諸説ありますが、美濃明智の豪族、明智光綱の子という説を採用させて頂きました。性格、見目は物語の都合のいいように設定させて頂きましたが、金柑頭については、採用させて頂いております。




