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6.織田信長VS竹中半兵衛



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1568年9月28日


 信長様は、遂に京に到着された。

 同行した帯刀様の文によると、京の街はかつての栄華を誇った面影もない程荒れ果て、街の人々は怯え、華やかさなど欠片も感じられなかったそうだ。

 信長様は古渡様を京に置き、治安の回復を図った。自身は東福寺に陣を構え、柴田隊、森隊、坂井隊を更に西へ進軍させた。

 亡き三好長慶の側近だった松永弾正様と三好家の有力家臣である三好三人衆による内紛で三好家は組織的な対応ができなかった。西国街道沿いに織田軍が戦線を展開し、高槻、茨木、芥川の三城主が早々に撤退。松永弾正様は早々に信長様に降伏した。


 信長様は畿内から三好勢力を一掃すべく、山城(やましろ)から摂津(せっつ)、さらに河内(かわち)へと進軍し、三好勢は阿波(あわ)へと撤退した。



 松永弾正様が「九十九髪茄子(つくもかみなす)」を土産に織田様のもとに参陣された。信長様は大喜びだったと言う。他にも京の商人、堺の商人らも信長様に挨拶にやって来た。足利将軍家と京を手中に収めた信長様は、黙っていても周囲から人が寄ってくるようになった。人によって意図は変わるであろうが、信長様が天下に名を轟かせた証でもあった。


 あの頃、報告を聞いていただけの私には、信長様はこのまま天下を統べるのではないかと期待を抱いていた。しかしそれ以上に信長様が遠くに行かれることによる不安も増大していった。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 信長様が上洛を果たした頃、清洲の奇妙丸様は、鍛錬に勤しんでいた。我ら小姓衆も、毛利新左衛門様、服部小平太様に扱かれ、体つきも変わり、肌も日に焼けて逞しくなった。

 そして半兵衛様からは戦について学んでいた。


「戦は人と人のぶつかり合いに非ず、群れと群れのぶつかり合いです。当然群れの大きい方が強くなります。そしてその群れを自在に操るのが軍配者の仕事です。」


 皆の目は真剣で、半兵衛様に集中している。


「では、ここに千の敵の群れがいます。我らは五百の群れ。…どうしますか?」


 少し間を置いてから各々が口を開いた。


「突撃する。」

「戦う。」

「頑張る。」


 いろいろ意見は出たようだが、どれも違うようで半兵衛様は首を振る。


「正解は…逃げる、です。」


「何故?」


「二倍の敵に対し、何の計略もなしに勝つことはできません。ここは兵を引き、二倍の敵に勝てる場所に移動するのです。」


 何もせずに逃げるのは良くないと考え俺は反論した。


「陣形を駆使して勝つことはできませぬか?」


 半兵衛様は肯いてから首を振った。


「陣形を変えて勝てるのは、相手の軍配者がよっぽどな阿呆の場合です。目の前で陣形が変わるのを見て何もしない大将はおりませぬ。それに陣形を敷くのは、相手に勝つためではありません。…相手の動きを止めたり、思いの場所に移動させたり、次の手を打つための手段です。…ですが、陣形について知っていて損はないでしょう。それは別の機会に教えます。今は二倍の敵に勝つ方法です。」


 何かを思いつき、奇妙丸様が声を発した。


「半兵衛、それは地の利というやつか?」


 奇妙丸様の答えに半兵衛様はにこりと微笑んだ。


「ほぼ正解ですね。地形を活かすのはそのうちのひとつです。」


「地形?」


「極端な例ですが、二倍の相手が、平地で襲い掛かるのと、林の間の小道から襲い掛かるのと、どちらが強いでしょう。」


 平地で一斉に襲い掛かられる方が攻撃面も大きく、破壊力がある。一方、小道では攻撃面が小さくなり、群れの大きさを十分に活かしきれない。…なるほど。そういう意味か。


「つまり、兵の多さを活かせないようにする、と言うことですか?」


「吉十郎殿、正解です。戦は数です。その数を十分に活かせる者が兵を率いることで勝てるのです。…ですが、誰もがそれをできるわけではありません。だから戦をするには、まず相手より多くの兵を揃える。これが基本です。」


 皆が肯いた。半兵衛がまた微笑む。


「では、皆で考えて下さい。8年前、大殿は今川治部の大軍を破り、尾張の南部を掌握いたしました。この時、大殿率いる織田軍は二千。対する今川軍は合計四万にも届く大兵力でした。どうやって大殿は勝ちを手にしたのか、先ほどの話を踏まえて考えてみて下さい。」


 皆が目を見合わせた。奇妙丸様も真剣な表情になった。これは四万の兵が、どういう理由で戦に参加せず、織田軍二千が相手にできる兵数になったかを考えろってことか。


「…これは皆の知っていることを言い合い、当時の状況を確認し合おう。」


 奇妙丸様が言うと、皆が集まる。


「当時は雹が降ったと聞きました。」

「今川は鳴海城を目前に休憩していたと聞きました。」

「我らが築いた砦を攻略する為、軍を編成し直していたと聞きました。」

「佐々隊、千秋隊を退けた軍が追い打ちを掛けるためにかなり先行したと聞きました。」

「当時今川方だった徳川様が大高城に兵糧を運び込んだと聞きました。」


 各々が知っていることを口にする。


「…つまり、今川方の兵は大半が戦をする状態になかった…ということか?」


 奇妙丸様が皆の意見をまとめる。その通りだと思う。だが、これだけでは足りない。俺は信長様と御台様の会話を思い出した。



(…もしや、鷲津砦の大叔父様を助ける手立てがないか模索しておられるのですか?)



 信長様が戦に出る前に、御台様はこうおっしゃった。…その意味を考えろ。

 当時、鳴海を囲うように砦を5つ築き、有力家臣を配置した。これにより鳴海城は孤立し、これを助けるべく、今川治部が大軍をもってやって来た。そう思っていた。だが、半兵衛様の講義を聞くと、この砦の役割はそれだけではない気がする。


「半兵衛様、当時鳴海城の周りには5つの砦がありました。…あの砦、今川の兵を引きつける目的があったのではないですか?」


 俺の発言に皆が驚いた。当然だ。あの砦は鳴海を孤立させるために築いたもの。そう聞かされていたのだ。だが、半兵衛の目は笑っていた。


「…そうですね。かなり恐ろしい作戦ですが、あの砦は囲うことで内側にある者を孤立させ、同時に外側からの攻撃を引きつける役割を持っていたと考えてよいです。」


「そして砦を攻撃されても、織田軍は救援を出すつもりもなかった…ですよね?」


 俺の言葉にまたもや驚き、無言で凝視する小姓たち。奇妙丸様もやっぱりか…という表情をされた。


「あの砦は、互いに干渉し合うことで1つの巨大な城郭の体を容し、小競り合い程度の戦で落ちるモノではなくなりました。…では次の問題です。貴方が今川であれば、その砦をどうやって攻略しますか?」


 俺は直ぐに気づいた。奇妙丸様も問題の意図に気づかれたようだ。


 鳴海周辺の砦を各個撃破することが難しいならば、大軍を持って同時に攻撃するしかない。砦の中にいる者を内応させるという手もあるが、信長様はそれをさせない為に敢えて信頼のおける重臣を配置した。今川は大軍が必要。大軍を指揮するには当主自ら大将にならねばならん。

 あの時、東海地方の脅威を取り去るには、今川家の弱体化が必要でその為に今川治部の首を狙ったことは理解していたが…こうやって当主を引きずり出していたのか。


「今川が大軍を擁して攻め込んできた理由は理解できたでしょう。そして、その大軍は砦を攻略するために、鳴海の手前で左右に展開していくはずです。徳川殿が大高に入ったのは兵糧を運ぶことも目的だったでしょうが、大高城から攻め込む兵力の補充が目的です。」


 半兵衛様はここで一旦話を止め、茶を口に含んだ。そして手にした軍配を天井に掲げた。


「ここで、予想外の問題が起こりました。」


 …雹か。


「突然の天候変化…。にわかに視界が遮られ、今川軍は行軍を止め、各々で雨を凌ごうとしました。恐らくその時に今川治部本陣までの道筋が偶然できたのだと思われ「いえ、それは違います。」」


 半兵衛様の言葉を遮って声を掛けたのは、毛利新左衛門様と服部小平太様であった。お二人は庭先に立っておられた。思わぬ反論に半兵衛様は二人を鋭く睨んだ。二人は縁側から部屋に入り、俺達の前に並んで座った。


「…あの時、殿は最初から雨を待っておりました。今川軍の行軍がちょうど良いところで雨に(まみ)えるよう、佐々隊、千秋隊に抜け駆けまでさせました。」


 戦に参加した張本人からのカミングアウトに半兵衛様も含め全員が目を見張る。


「砦を包囲するために、大軍を展開することは予想されていました。そして相手は海道一の弓取りと呼ばれる程の戦上手な御方。その隙を突いて攻撃を仕掛けてくることも予想されていると、殿は考えたのです。そこでその手前で本陣を手薄にさせ、一気に攻め上がる策を講じました。」


「そ、それが…雨……」


 半兵衛様の声が震えた。


「雨が降れば、行軍を停止させるため、多くの馬廻り(大将のボディガード兼指令伝達係)が本陣を離れると考え、そのために、わざわざ雨が降りやすい時期に攻め込んでくるよう、鳴海の包囲を調整したのです。」


 半兵衛様は軍配を落とした。


「我らは最初から本陣の位置、軍容を把握しておりました。生駒衆、梁田衆がそのために、遠く三河遠江まで出張っておりました。後は、雨が降るのをひたすら待ち、一気に攻めるのみだったのです。本陣には四千の兵がおりましたが、我らの急襲に対応したのは五百に満たなかったと思います。」


「なんと!」


 奇妙丸様が声を張り上げた。


「奇跡があるとすれば、あの時、雨ではなく…」


「雹が振り更に視界が悪くなったこと…ははっ」


 半兵衛様は新左衛門様の言葉を引き継ぐように話し、乾いた笑いを見せた。


「殿は天候さえも…戦術に組み込まれていたのか…。それですら、雨ではなく、雹…なんという幸運の持ち主…。」


 半兵衛様が薄笑いを浮かべ感嘆の声をあげていると、小平太様がここへ来た目的を話された。


「半兵衛殿、大殿の幸運は今も続いておるようですよ。先ほど三好が抱える公方様、足利義栄公が死去されたという報告を受けました。」


「ははは!…これで義昭公が将軍宣下を受けるための条件は全て整った訳ですか。“織田信長”と言う男は…本当に恐ろしい男です。」


 半兵衛様は言葉とは裏腹に喜んだ。小姓衆も喜んでいる。だが俺は喜ぶことはできなかった。

 戦は史実通りに進んでいる。このまま行けば将軍宣下を受け、仲違いして、裏切られ、包囲される。“吉十郎(おれ)”という異物がこの世界にいる以上、何がきっかけで命を落とされるかわからない。今、信長様に何かあっては、「本能寺の変」どころか、織田家の存続すら危うくなる。


 先を知っていることがこんなに不安だとは、思いもしなかった。




桶狭間の戦い:今話で書いた桶狭間は本物語上の真相です。


松永久秀:三好長慶に仕えた武将。長慶の死後、将軍弑逆に加わったとされていますが、直接は加担していないようです。名器「平蜘蛛」と共に爆死したことで有名ですね。


九十九髪茄子:大名物に分類される茶道具。本能寺の変で焼かれ、大阪城落城でも焼かれたそうで、江戸時代に修復されたそうです。(読者からこの記述に対して「焼き茄子」という言葉を頂きました。思わず上手い!と思いました)


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