1.西国の動向1
三話連続で投稿します
拙い文章を読んで頂いている読者の方々、投稿再開しましたので再び宜しくお願い致します。
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本能寺の変……。
それは歴史の流れが大きく変わった事件で、混乱に包まれたまま山崎の合戦へと繋がり、清須会議を経て天下統一を目指す覇者が交代した。
それまでは武家の頂点に最も近かった者は織田信長であり、中央はほぼ支配下に置いていた。追随する武家は既におらず、後は地方の豪族共を従わせるだけであった。
変はなぜ起きたのか?
首謀者は本当に明智光秀だったのか?
誰の策略で歴史が動いたのか?
史実についてはもはや私には事実を追求することはできない。…だが私が生き抜いたこの世界ではわかる。
信長様は、ご自分の想いを伝えなさ過ぎた。
明智様は、多くの人々の想いをくみ取り過ぎた。
羽柴様は、信長様に対して想いを乗せ過ぎた。
三者は交わることもなく組織が大きくなるにつれてそれぞれの想いが個別に膨らんでいき…事件は起きた。
史実通り、信長様は本能寺で襲われた。
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1581年5月1日 尾張国生駒屋敷-
思った以上に屋敷は荒れ果てていた。…それもそうか。家長様を失った後、あらぬ疑いで領地を召し上げられ一族は追い出されたのだ。甚助様の計らいで何人かはそのまま土田生駒家に雇われており、此度は茜が甚助様に申し入れして小折生駒の旧臣を引き取らせてもらうことができたおかげで、領地への移動が早くに実現できた。…と言っても暫くは久昌寺に寝泊まりするのだが。それでも実家に戻れることを茜は喜んでおり、今日も屋敷の片付けにここへ来ていた。
「吉十郎様、この屋敷…立て直さずに済みそうですか?」
「畳と柱は幾つか張り直しだし、壁も塗り直さねばならぬ。だが、大丈夫だろう?」
茜の表情が明るくなった。やはりどんなにぼろぼろでも今の屋敷に愛着はあるらしい。今日も下人たちに交じって掃除を始めた。下人たちはおろおろしてる。俺はそんな様子を見てため息をついていると俺の横に留が寄ってきてくすりと笑った。
「…すまぬな。正室なのにあんなにはしゃいでしまって。」
「いえ、私も実家に帰れたならばあのようにはしゃいでしまうでしょう。…むしろ羨ましく見ております。」
「…そうか、そういうものか。」
俺はなんとなく納得して茜を眺めていた。そして留の視線に気づいてフォローを入れた。
「毛利と決着がつき、九州への足掛かりができれば久保田家の再興も夢ではなくなる。私も九州への戦は参加できるよう働きかけるつもりだ。」
俺の言葉に留は頭を下げた。…なんにしても嫁同士が互いに尊重しあってくれているようだから、ここに全員連れてくるのもありか。そんなことを考えながら屋敷の様子を眺めていた。
1581年6月2日 美濃国岐阜城-
勘九郎様の家臣一同が麓にある御殿の大広間に集められた。
ご親族は斎藤尾張守利治様を筆頭に、中根勝十郎信照様、長野上野介信包様。
譜代衆として、毛利新左衛門良勝様、服部小平太一忠様、水野藤七郎信元様、前田遠江守利久様、河尻肥前守秀隆様、
奉行衆として、竹中中務丞重治様、塩川伯耆守長満様、平手監物汎秀様、林佐渡守一吉様、増田仁右衛門長盛様、酒井将監忠尚様、前田玄以様。
旗本衆として、 丹羽源六郎氏次、大橋与三衛門重賢、団平八郎忠正、稲葉彦六郎直政、佐久間甚九郎信栄、荒尾平左衛門成房、蜂須賀彦右衛門家政、河尻与四郎秀長、森勝三長可、池田庄九郎元助と俺。
与力として、池田紀伊守恒興様、松平三河守信益様、仁科甲斐守盛信様、木曾伊予守義昌様、そして滝川様の代理として真田安房守昌幸様が集まっている。
周囲の廊下には大和親衛隊と呼ばれる若い小姓衆が配され、更に庭先には多くの槍兵が警備する一見すると物々しい雰囲気である。
一同は無言で主を待つ姿勢で座っており、静寂が部屋中を包み込んでいたが、やがて足音が聞こえ、下座の入り口から二人の若武者が一礼して入ってきた。二人は下座の一番奥で座ると皆に向かって深く頭を下げた。
「皆様方、遅くなりまして申し訳ございませぬ。…某、先日叔父の織田内大臣様より烏帽子を賜りし……浅井市之助信政にございます。以後お見知りおきを…。」
そう口上すると小さな体をさらに折り曲げて頭を下げた。同時に後ろに控える黒田吉兵衛も頭を下げた。このあどけなさが残る若武者は清州の市姫様の下で育てられた浅井長政のお子、万寿丸様の元服なされたお姿であった。浅井家当主の通称“新九郎”の名乗りは許されなかったようだが、通字の“政”と信長様の“信”の字を与えられ、勘九郎様の連枝衆に列席されるのだ。…破格の待遇と言ってもよい。勘九郎様の働きかけもあったようだが信長様も思い切ったことをされる…。仏門に入れるかと思いきや、市姫様の手で育てることを許され、自ら烏帽子親として元服もさせ、勘九郎様の連枝に加える…。
「ご苦労に御座る。まだ元服したてとは言え立派な口上。ささ、ここへ座られよ。」
斎藤様の声に元気よく返事をした信政様は親族一同が座る中座の末席に移動した。吉兵衛は一礼して下座より部屋を一度出ると廊下を回って信政様の後ろに片膝を立てて控えた。
再び足音がして今度は上座の戸が開き、勘九郎様と真田源次郎が入ってきた。皆が一斉に平伏する。勘九郎様は上座に座りパチンとセンスを鳴らすと一同がゆっくりと顔を上げた。一通り皆の顔を眺めて若武者のところで目をとめてにこりと微笑んだ。
「市之助、そう硬くならずともよい。お前はまだ幼い。万事は後ろに控える吉兵衛に聞くがよい。」
市之助様と吉兵衛が再び平伏する。その様子に頷くと表情を改めて皆に顔を向けた。
「…皆も知っての通り、我らは父上より三つの命を受けておったが、それらはほぼ達成した。」
勘九郎様の言葉に何人か頷く。
「中山道、大和街道は完全に織田家の支配下となり、残る東海道も今川を残すのみ。…だが今川については父上の策で北条にやらせる故、手出しは不要。…そこで我らに新たな命が下された。」
一同は思いもいの表情で勘九郎様に視線を向けた。
「これを実行する為にここにいる者を三つに分ける!」
下された命の内容を聞かされずにいきなりの組織改編。一同は驚く。…まあ俺は事前に勘九郎様からお聞きしているから驚かないけど。
「1つは儂の直属となり、直接兵を率いて儂の支配国防衛を任務とする。対象の国は美濃、尾張、信濃、甲斐、三河、遠江、上野だ。これには叔父上(斎藤利治のこと)、上野介殿、新左衛門、小平太、平八郎、彦六郎、市之助を当てる。与力として紀伊守と滝川も加われ。」
さっと池田の親父殿と真田様が頭を下げる。
「次に国内の統治だ。先ほどの7か国を統治してもらう。これには伯耆守、水野、木曾、仁科、松平、前田、河尻を当てる。事実上の守護として国の内治の権限を与える。…但し!己が持つ兵力は最大二千までとし、国内の各城主からの徴兵の権限はないものとする!」
大広間がどよめく。皆の表情が変わる。当然だ。勘九郎様が言われた内容は、軍権と政権の分離。統治者には政務を行うための権限を最大限に与えるが、軍事力については自己防衛の為の最低限度のみ。また軍の指揮者には組織維持の為の兵、武具、兵糧、銭が与えられるが、領地の経営権は剥奪。…この時代においては画期的なシステムになる。だが有効なのかどうかがわからない。その為まずはお試し期間として軍営側には自領を保持したままで軍権を。政営側にはある程度の軍を保有することを認めた状態でスタートさせる。あとは状況に応じて両営の組織体制を変更していく。言わばトライアンドエラーだ。
この組織体制をうまく機能させるには組織間での連携・信頼が不可欠になる。その間を埋めるのが3つ目の組織。
「3つ目は…防衛組と統治組の連携を受け持つ役だ。その役割は千差万別で急を要し更にその場での判断も必要だろう。…故にこの役目、無吉に任せる。」
俺は勢いよく返事して頭を下げた。
「源六郎以下旗本衆、大和親衛隊が入れ。そして半兵衛が総奉行として監督せよ。」
半兵衛が恭しく返事した。
「これに玄以、監物を加えて関東の調略も行え。」
玄以様がすっと頭を下げたが俺はうろたえた。この話は事前にお聞きしてない。唯でさえ組織内の間を受け持つ繊細な役割と考えていたのに、これに加えて外交もしろと!?…俺は勘九郎様を見上げた。勘九郎様はすでに次の話を進めており、俺のことは見ていなかった。
「関東諸将の調略は我らに与するよう仕向けることではない。彼らの敵意を北條に向けるようにけしかけよ。」
玄以様と平手様が頭を下げる。俺も慌てて頭を下げた。今の話からすると目的は北條の動きを抑えるための活動をしろってことか。…関東諸将の調略しながら防衛組と統治組の間を取り持って、更に淀城増築の監修もしなくちゃいけなくって…俺、小折に帰る暇あるかな?
1581年6月2日 山城国京 羽柴邸-
秀吉自ら点てた茶を石田三成が頬のこけた商人に差し出す。商人は一礼して椀を受け取り、二、三度傾けた後一気に飲み干した。軽く息を吐いて椀を静かに置くとゆっくりと深く頭を下げた。
「…拙僧には勿体ない御点前に御座ります。」
「言葉使い気を付られよ。今は堺の商人衆の一人、大村仁左衛門ぞ。」
三成が氷を突き刺したような冷たい口調で商人装束の男を窘めた。男は慌てて平伏しなおす。
「これはこれは…気を付けまする。」
「仁左衛門殿、構わぬぞ。お主にそのような恰好をさせるのもあと少しだ。…して、安芸の商人どもからは色よい返事はもらえたか?」
秀吉がにこやかな表情で尋ねると、男は大きく頷いた。
「会合衆と取引のできる手形に大喜びしておりまする。これで吉川様も首を縦に振らざるを得ませぬ。」
男の答えに秀吉は満足そうに頷いた。
「…ですが、本当に織田様から所領安堵を頂けるので御座いますか?巷では毛利は根絶やしされると噂されておりまするが?」
「心配ない。大殿様は儂の言うことを何でも聞いて下さる。最初は怒鳴られるが儂が大げさにひれ伏してお頼み申し上げれば最後には笑って許して下さるお方じゃ。」
そういうと秀吉は豪快に笑った。そしてひとしきり笑うとすっと表情を変えて男の側ににじり寄った。
「……それよりも恵瓊、明智殿の件…宜しく頼むぞ。」
男は臆することなく頷く。
「すでにあの者は家臣たちの讒言に心を惑わし、公家衆の訴えに耳を貸し始めております。かなり疑心に駆られているでしょう。」
「…殿、この者の名はここではお慎み下され。」
三成が秀吉を窘めるが、上機嫌な秀吉は一蹴して笑った。
「ここには其方と恵瓊しかおらぬ。あまり眉間に皺を寄せるでないぞ!」
そう言って機嫌よく茶を点て始めた。恵瓊と呼ばれた男はそんな秀吉をやや引いた眼で見つめていた。
生駒吉十郎:本物語の主人公。赤子の頃に奇妙丸と生駒吉乃に拾われ育つが様々な苦難の乗り越えて主君、信忠の側近として仕える。信長から淀を、信忠からは小折を与えられ四人の妻と暮らしている。
織田左近衛大将信忠:織田信長の調子で、形式上は織田家の当主。織田家支配域の東半分の統治を任されており、石高換算で三百万石以上を有する大大名。
浅井市之助信政:浅井長政と織田市の間に生まれた子。浅井家滅亡の折に信忠によって助けられ清州城で生活していたが、元服して「信政」と名乗り、織田信忠の譜代衆に加わった。
黒田吉兵衛:播磨の国人、黒田官兵衛の子。清州に人質として奉公し、浅井信政の小姓として仕えている。
羽柴秀吉:この時期は山陽方面の軍事司令官として毛利家と対峙。堺の会合衆とのつながりが強く金銭面において充実した組織を形成している。
恵瓊:史実では毛利氏に仕える僧。本物語では一度毛利家を追い出されている。




