11.超高速清州同盟
…タイトルは意味があるのですが、今は伏せさせて頂きます。(真実が語られるのはまだまだ先とだけご説明します)
三河方面の諜報活動から外された生駒家は、美濃方面の諜報を命じられた。木曽川流域を活動拠点とする川並衆と主に西美濃を監視せよとの仰せであった。俺も生駒衆の一人として活動すべく洲股へと向かったが、早速そこで他の生駒衆からハブられた。
寝床はかろうじてあったが、食事はなく、活動指示もない。独力で話を見聞きするしかないのだが、俺にはチート能力なんか備わっていないので、何をすればいいかちんぷんかんぷん。…仕方がないので、柴田様の陣屋の掃除、飯炊きを手伝わさせて頂くことにした。
柴田権六様。
後に織田家筆頭家老として、北陸方面軍を指揮する軍団長にまで登る人物だが、この時点では、家老衆の1人で、信長様からは少し距離を置く位置で仕えておられた。…まあ、弟信勝様の謀反に加担していた経緯もあるからだろうが、とにかく寡黙すぎるお人で、会話はほとんどない。あと髭の生え方が汚すぎて見るに堪えない。
だが、家臣にはお優しいようで、俺も握り飯を貰ったりした。
で、そこで得た情報がいくつか。
西美濃は主に“四人衆”と呼ばれる御方の合議で一色家に仕えている。稲葉伊予守良通、安藤伊賀守守就、氏家貫心斎卜全、不破河内守光治の四人で、俺も名前は知ってる。そして斎藤家を見限り織田家に臣従することも知っている。現時点では、一色家に臣従しているようで、柴田様が投降するよう使者を出したそうだが、一蹴されている。
それから、東美濃の旧土岐派の国人がまとまりつつあるということ。これは、犬山周辺の諜報を行っている伊藤衆(清州の商人衆)からの情報だが、織田信清を通じて国人同士の書状のやり取りが行われているらしい。手紙の内容はまだ不明だが、柴田様は一色が犬山の支援を受けて国人衆を懐柔していると見ているそうだ。…間違いではないような気がするが、支援しているのは犬山ではなく、その背後にいる武田家のような気がする。
あとは、信長様に「犬め」と言われていた前田又左衛門利家様が正式に勘当が解け、手勢を率いて柴田様に与力されていた。元々は信長様の親衛隊である母衣衆に属していたが、一度追い出されている身のため、居心地が悪かったようで、柴田様の与力として活動するように命じられたらしい。俺のコトは知っていたようで、「餓鬼の癖に賢しい」と嫌っているそうだ。
で、川並衆は柴田様に西美濃の様子を報告されているが、暫くは動きが無さそうだった。と言うのも、一色家は東美濃に注力していることと、西美濃は元々国人同士で結束が固いようで、下手に城を突くよりも洲股に篭もって守りを固め、商人衆などを使って味方に引き込むよう説得する方が得策と献策されており、柴田様はそれに従うようだった。
尾張の南の国境では大きな転機が訪れていた。
俺は三河方面から引き剥がされていたが、今年に入って内々に織田家と松平家が和平交渉を進めていた。3月になってようやく両者の合意がなされ、松平の当主が自ら清州城を訪れ、同盟締結を行ったそうだ。世に言う“清州同盟”である。…残念ながら今の俺ではこれ以上のことは知り得なかった。
くそう…。このイベントは間近で見たかった。
とにかく、三河との国境問題は決着がつき、信長様は、四方面作戦から、三方面に切り替わられた。…一色、犬山、そして伊勢である。
伊勢国司である北畠家に不満を持つ北伊勢の国人達と滝川様、岡本様を通じて織田家に臣従するよう勧められていたが、今年になって徐々に織田方に付き始めたそうだ。更に、志摩の海賊、九鬼氏とコンタクトを取り始めたようで、九鬼氏が織田方に付けば、伊勢湾全域を確保したことになるそうだ。ただ、北伊勢の関氏は北畠家と縁戚であるため、調略では傾きそうはなく、ここをどう攻略するかを古渡様と滝川様とで思案中らしい。
…北伊勢の調略も見て見たかった。なんせ、ここは作業が地味だ。おまけにハブられてるから家事手伝い程度の事しかできない。…う~ん清州に戻りたい!
俺は一日の大半を柴田様の陣屋、もしくは川並衆と過ごすようになった。
他の生駒衆からハブられているからでもあるが、柴田様に私を付け、後詰の丹羽様のところに木下藤吉郎を付けて、家長様が得た情報を取りまとめられており、効率が良かったそうだ。気になるのは木下様がいつの間にか家長様の配下で活動していること。聞けば木下様が自ら自分を売り込んで来たそうで、しぶしぶ使わせると、中々都合の良い男と評され、後詰の部隊の中で自分の居場所を上手く作ったそうだ。俺はまだ身体が子供なので、木下様ほど活動ができず、地道に飯炊き掃除水汲みをやって評価を得るしかなかった。
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あの頃の私は、身分に関係なく接して頂ける方が多くおり、最も充実した日々を送られたと考える、翌年完成される小牧山の城に拠点が移ってからは、またひもじい生活が続いたせいか、当時の柴田様、丹羽様、木下様には何度もお礼を言ったものだ。
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長い間一緒に生活していると、嫌でも親しくなる。俺は案の定というか、計画的にというか、木下様と親しくなった。やはり、木下様が俺を子供扱いせずに接してくれるというのが嬉しくて、つい色々と喋っていると、打ち解けてもくる。しかし、あのお方の信長様愛は相当なもので、どこでどうして信長様に心酔されたのかよくわからないが、事あるごとに信長様の話になった。まあ、聞かされる方の身にもなってくれよと言いたいこともあるが、悪いお方ではない。
それから池田勝三郎様とも親しくなった。池田様は森様の旗下で伝令として、よく柴田様の陣屋に来られる。その度に握り飯をお出ししていれば、自然と仲が良くなる。
その池田様から話を聞いたのだが、母衣衆の間では、俺の評判はすこぶる悪いらしい。原因は佐脇藤八様で、俺のことを「魔物に憑かれた餓鬼」と触れ回っているそうだ。お蔭で河尻様や佐々様が俺を「気持ち悪し」と言って避けておられた。
だが、問題ない。母衣衆の方々と直接お会いする機会など俺にはないのだ。そのうち俺も大人になり、ちゃんとした実績をもって奇妙丸様にお仕えすれば今何を言われようが大丈夫だ。
…そう思っていた俺は浅はかでした。
5月に入り、信長様が小姓衆を引き連れ、視察に来られたのだ。俺がちょうど所用で洲股から丹羽様がおられる陣屋に来ていた時で、河尻与兵衛様、佐々内蔵助様、毛利新助様、生駒勝介様(分家筋の方)、蜂屋兵庫助様、塙九郎左衛門様を連れておられた。
俺は慌てて、人数分の湯漬けを用意し配っていったが、河尻様、佐々様、生駒様は、俺が出した食事には一切手を付けずに帰られた。丹羽様もこれを見て苦笑されたそうだ。
「信長様はどのようなご用で来られたのですか?」
信長様が帰られたあと、俺は丹羽様に聞いてみた。
「うむ、殿が「いちいち清州からここまで来るのが鬱陶しい」と申されてな。」
…知ってる。史実では小牧山に城を築くんだ。俺は小牧山の方角を見た。しかしその仕草を丹羽様は見逃さなかった。
「無吉、今何を見た?」
はい、やらかした。史実を知っているために、ついやっちゃうんだよ。どう言おう?
「…いえ特に」
「嘘だな。」
むむ、丹羽様相手にはぐらかすことは無理か。
「実は…洲股と加納口と犬山を睨み付けるのに丁度良い場所は無いかと考えておりまして…。」
丹羽様の目が光った…気がした。
「で!?いい場所はあるのか!?」
「は、はあ…。南にある小牧山は山を上手く削れば城が建てられると思いましたが…さすがに大がかりと思いまして…。」
丹羽様は俺の答えに何かを感じたようで、猛ダッシュで陣屋を出て行ってしまわれた。恐らく信長様を追いかけたんだろうなと、取り返しのつかないことをした気分で何か悲しくなった。
案の定、信長様は小牧山に城を築くことを決め、丹羽様に縄張りを命じられた。丹羽様は生駒家に戻ろうとした俺を呼び止め、家長様の了承を得て、小牧山へと連行した。そして、小牧山に城を築くよう献策したのが俺であることをどこからか聞きつけた小姓衆がまた俺を「気持ち悪し!」と非難し、これに生駒衆が同調して大騒ぎする問題が起きた。
後で知ったのだが、信長様はこう言って佐脇様や生駒衆を黙らせたらしい。
「無吉が儂の覇業を邪魔する魔物であるならば、騒ぐ前に貴様が無吉を殺せばいい。…だが、貴様が無吉に並ぶくらいの貢献をして見せてからじゃ。簡単じゃろ?無吉より働けばいい。されば儂は何も言わん。」
俺を気持ち悪がる小姓衆は何も言えず、生駒の商人達も、すごすごと立ち去っていったそうだ。
「要するに、あ奴らは、自分より成果を上げている者に対して文句を言っているにすぎん。そんな奴らを殿様は重用することは無い。」
丹羽様も俺を認めておられる様で、ちゃんと一個の人間として扱って頂いている。柴田様もそうであったし、家長様も、亡き岩室様もそうであった。
俺は丹羽様に心の中で深く礼をした。
俺は川並衆の本拠に来ていた。俺に応対したのは柴田様の陣屋で知り合った蜂須賀小六様。小牧山の縄張りを行うに当たり、川並衆の力を借りようと提案したら、
「当主の居城を作るのに、家臣ではない者を使うことは普通行わない。川並衆を利用したいのであれば、奴らを織田家に臣従させろ。」
と帰属の交渉を命じられたのだ。小六様もこんな小僧から織田家に臣従するように言われて、きょとんとしていた。…まあ、そうだろう。
「洲股で見かけた時は只ならぬ餓鬼と思うておったが、まさか帰属の使者としてやってくるとはなぁ…。」
小六様はどうしたものかと思案されているようだ。俺は、史実でいつから蜂須賀正勝という男が臣従したか知らない。美濃を平定する頃には木下様の与力として登場していることから、この時期にはもう直臣化していたと考えている。
「美濃の殿様は頼りなさそうだし、甲斐の殿様は怖くて近寄れないし、近江は儂らに興味なさそうだし、三河の地はあまりにも旨味がないし…。」
どうやら、誰の下に付くのが得か思案している様であった。
「尾張の殿様は、人使いは荒くとも、面白きことこの上なし!」
俺は声を張り上げ、小六様の様子を覗った。
「…違えねぇ。」
そう言うとくくくと笑われた。それからしばらく互いにどんなことをやらされたか話をして笑い合った。
不意に小六様が姿勢を改め、両手をついて俺に向かった。
「蜂須賀小六正勝と申す。木曽の川運を生業とし、尾張、美濃、近江、伊勢に顔も聞き申す。長年誰の臣にもならず、独立独歩で進んでまいったが…ここらが潮時に御座る。我ら川並衆一同、織田上総介様の御為に働きまする。」
口上のように申し立てると、頭を床に付けた。
「蜂須賀様の御英断、しかと丹羽様に申し伝えまする。」
そう答えて俺も頭を下げた。
そして同時に頭を上げて大笑いした。
蜂須賀様は織田家に仕えようと以前から考えていたそうで、しかしきっかけが無くずるずるとしていたところに俺が来たことで、俺を歓迎してくれたそうだった。
こうして、川並衆が織田に属し、小牧山に城を築くための作業が始まった。様々な奉行が申し付けられ、熱田、津島の宮大工も総動員されることになった。そうして翌年、当主の城として申し分ないほどの山城が小牧山に完成する。(完成はもう少し先になります)
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1562年
私はこの年のほとんどを陣屋で過ごしていたため、清州で起こった出来事は殆ど聞き伝えの内容である。しかも清州同盟については、当時を知る者と私は懇意ではなかった(特に徳川様とは)ため、ほとんど知らない。
故に書き記そうにもニ、三行で終ってしまう。…ここは、こう付け加えておこう。
「超高速清州同盟」
これならば、読み手にも伝わりやすいじゃろう。
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丹羽長秀:尾張斯波氏の家臣から信長様に鞍替えされた豪族で、早くから自前の軍を保持してたそうです。しかし、本人は信長様の小姓から始め、実力を経て丹羽隊として一軍を任される様になったそうです。美濃統一の一番の功労者とされています。
蜂須賀正勝:蜂須賀郷を領する国人で川並衆に属していましたが、いつしか川並衆の代表となっており、美濃攻略時に織田家に臣従しています。秀吉とは信長様の命で与力として仕えたのがきっかけで、播磨平定時に直臣化したようです。
超高速清州同盟:申し訳ありません、今は言えませんがこのようにした理由がございます。




