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17.戦終わりて

お待たせいたしました。

第六部もようやく終りが見えてきました。

もう少し頑張ります。



 1580年12月10日 遠江国浜松城-


 御殿の庭先に臨時に設けられた陣幕で、織田信忠はようやく一息ついた。徳川家康とその一党は(ことごと)く討死した。穴山梅雪と孕石元泰は駿河北部へと逃亡し、依田家は一族郎党討ち取られた。織田側の勝利を確認した甲斐南部と駿河南部の国人達が信忠への恭順の意を示しに次々とやって来ておりその対応に追われて一ヵ月も浜松に滞在していた。おかげで駿河南部は大きな混乱もなくまとめられそうであった。


 信忠は早々に三河の松平信益を呼びつけ、前田利久、堀秀政と共に奉行をさせていた。敵方とは言え、父が討死したことをうまく整理できずにいた信益は縁側でぼうっと夕暮れを眺めていた。


「…疲れたか?」


 声を掛けられた信益はゆっくりと振り返って土色にまで変わった顔を信忠に向けた。


「断ち切っていたつもりでおりましたが…やはり胸中は複雑に御座ります。」


「…お前は私の弟で、織田家の一員として三河を支えねばならぬ身だ。余計な感傷に浸っている暇はないぞ?」


「お気遣い、有難う御座います。」


 信忠の言葉に信益は頭を下げる。信忠はふっと笑って信益の肩を叩いた。


「今日は休め。酒も用意させる。」


 そう言うと小姓に目で合図をして信益を退出させた。何か吹っ切れずに肩を落として出て行く信益を見送ると部屋の中央に腰を下ろした。小姓が伝令から受け取った書状を持って入って来たのでもう一度ため息をつく。


「全く心を落ち着かせる間も無しか…。何処からだ?」


「安土からに御座います。」


「無吉の件かな?」


 内容に予想を付けて信忠は小姓から文を受け取った。紙を広げて文章に目を這わせていき、表情を変えた。


「ふむ…五郎右衛門と徳川旧臣はまだ留め置かれるのか。」


 信忠の言葉に待っていた小姓が反応した。


「五郎右衛門は処罰されるのですか?」


 信忠は顔を上げる。若い小姓は心配そうな表情をしていた。


「大丈夫だ。疑いは晴れている。ただ詳細を聞き出すために引き留められているだけだ。」


 小姓の顔が安堵で崩れた。


「あと、馬揃えが中止となった。これで暫く浜松に滞在できる。」


「中止?」


 小姓は小首をかしげた。


「うむ。京で公家が反対し、父上が逆上してしまったようだ。」


「…なんと。」


「あと、お前たちの大好きな久保田吉十郎が淀城主に復帰したぞ。」


 小姓は今度はむっとした表情で顔を赤らめた。


「そんな事は一言も申しておりませぬ!確かに吉十郎様には“恩”も御座いますが、それと同等に“怨”も御座ります!」


 信忠は笑った。今信忠を支えている小姓衆は皆大和出身で“大和仕置き”での生き残り達だった。あの戦を謀ったのは久保田吉十郎忠輝という男で、小姓たちからすれば親と領地を奪った憎き相手なのだが、同時に剣術、作法、知識を教え込まれ主君の小姓にまで推薦してくれた恩人でもあるのだ。その男が安土城に侵入して信長を斬ろうとした同じ大和衆の男を斬ったことを聞き、複雑な心境であったのだ。


「ははは!とにかく、これで急ぐ必要はなくなった。既に半兵衛も帯刀の兄上も次の戦に備え引き上げてしまったが、我らはゆるゆると引き上げようぞ!」


 やや陽気な信忠の声に、重臣たちは笑顔を見せつつ平伏した。


 今川家は織田家が無断で自領に侵入したとして、駿河からの即時撤退と人質返還を要求する使者を出したが、信忠はこれを一蹴して追い返した。使者は京に向かおうとしたが、途中で拘束され追い返されてしまった。嘗ては三か国の太守として足利家に連なる家格として強大な権威を誇っていた今川家は武田家に続いて織田家にまで領地を奪われて駿河北部のみを領する小大名になり下がり、完全に衰退した。




 1580年12月13日 山城国河島城-


 京から引き揚げてきた羽柴秀吉は部隊の大半を引き連れて播磨へと出発した。残されたのは黒田官兵衛と仙石権兵衛で、拵えた砦だけ打ち壊すよう指示を出しているところであった。


「……官兵衛殿。うちの殿様は機嫌が宜しくありませんなぁ。」


 権兵衛は真剣な面持ちで片づけを行う官兵衛の様子を伺いながら話かけた。官兵衛はちらっと権兵衛を見て軽く笑みを浮かべると首を振った。


「我らが不甲斐ない故のこと。今まで以上に気張るしかあるまい。」


 官兵衛の返事に納得できずに権兵衛は話を続けた。


「殿様は時折公家、周辺の国人、寺社の者と何やら密談をされておる。一体何を話しているやらわかりませぬが、密談をした次の日は決まってご機嫌がよろしくない。…此度も誰かとの密談で気分悪くされておるのでござろうか?」


 権兵衛の言葉を聞いた官兵衛は周囲を確認しつつ権兵衛に近寄り小声で答えた。


「…我が殿は最前線を任されておる。それ故殿に近づく敵方も多い。中には露骨に寝返る算段を付けようと来るのだ。そんな奴らを相手にするのはさぞかし疲れるのでござろう?」


 権兵衛は食い下がった。


「お疲れなのはよくわかる!…しかし我らに何も言うてくれぬのは…不安だけが増していくわい!」


 最後は寂し気な目で権兵衛は官兵衛に訴えた。官兵衛も権兵衛の気持ちがよく分かった。最近特に秀吉はこの二人を遠ざけているのだ。出張る際もこの二人で留守居の場合が多い。


 官兵衛は考える。


 仙石秀久は駆け引きとは無縁の男で、隠し事なんかがあるとすぐに表情に出てしまう。故に重要なことは直前まで教えられぬと考えられる。…では自分はどうか。黒田官兵衛は安土への使いやら周辺の武将との伝令役など重要機密を持って走り回ることも多い。それを容易に他人に漏らすことも、知られることにもないよう細心の注意を払って行動している。



 だが、思うのだ。



 某が手にする情報は、果たして羽柴家にとって重要機密なのかと。


 官兵衛も権兵衛と同様に不安に思っているのだ。口に出さないだけでここ一年特に感じていたのだ。だからこそ、食い下がってきた権兵衛の言葉に返事ができず黙ってうつむいてしまった。



「黒田様、“無吉”と申す百姓が黒田様にお目通りを願っております。如何いたしましょうか?」


 伝令が丁度よくやって来て客人の来訪を伝えた。そして二人ともが“無吉”という名に反応した。


「直ぐにお通しし…いや通せ!いや待て!我らが会いに行く!権兵衛、ついて参れ。」


「承知!」


 二人は言葉使いのおかしい返答に呆気に取られていた伝令を放って一目散に正門へと駆けだした。






 解体中の河島城の正門に立って、俺はじっと中の様子を伺う。門番の兵に胡散臭そうに見られながら、百姓に扮した俺は官兵衛殿に会うことができないか待っていた。

 暫く待っていると官兵衛殿が息を切らして走ってきた。何故か仙石殿が一緒になって走って来ている。俺は百姓っぽく地面に両膝をついて挨拶をした。


「おおおおおおおお!」


 俺の姿を見た官兵衛殿が奇声を発して猛ダッシュしてきた。


「おおおお立ち下され!」


 いや、俺は百姓だって。武士が百姓に「お立ち下され」はおかしいって。俺は慌てて走ってくる二人を見ないように頭を下げた。

 正門に到着した黒田官兵衛と仙石権兵衛は、何事かと集まりだした雑兵を蹴散らして俺を立たせて門から距離を取ろうとした。


「ささ、ささ、こちらへ!」


 官兵衛殿が俺の手を引いて門兵から離れたところまで連れ出した。


「黒田様!どうされたのですか?」


 俺は百姓を演じて官兵衛殿に話しかけたが、違和感に気づいた。俺の背がデカすぎてお武家様を見下ろしてしまっていた。門兵は益々怪しげにこちらの様子を見ている。


「官兵衛殿…もう少し落ち着いて下され。怪しまれます。」


 俺は小声で官兵衛殿を窘める。官兵衛殿がはっとなって、じっと見つめる門兵を手ぶりで追いやって一息ついた。


「…淀に籠り、何人(なんぴと)とも会うべからず、と聞いております。一体如何いたしましたか?」


 官兵衛殿の問いにすぐには返事せず、俺は周囲を確認してから土塁に座り込んで、隣に座るようにポンポンと叩いた。二人は顔を見合わせたあと、俺を挟み込むように座り込んだ。


「何があったのか知らぬが、あまり大騒ぎせぬよう頼む。……こちらは危険を押して会いに来ているのだ。」


 俺は強めに釘をさす。官兵衛殿と権兵衛殿はバツが悪そうにうつむいた。


「申し訳ござらぬ。此処の所気が滅入っておったので九郎殿…いえ吉十郎殿に会えると思ったらつい…。」


「某もつい…。」


 二人は謝罪した。それを受け取って俺はまず此処に来た理由を説明した。そして二人とも思い当たることがありすぎて、先ほどもその話をして二人で滅入っていることを聞いた。俺は二人に端的に説明した。


「羽柴様は何かしらの野望をお持ちの様だ。そしてそれは一部の家臣にしか伝えていないと思われる。…なんとなく筆頭家老になることを目論んでおられるのかも…。」


 俺は言葉を濁しつつ二人に言うと、二人は腕を組んで考え込んだ。


「…考えるべきことは天下の統一。その後自分の地位のことを考えれば良い。だが現実は皆が統一までの道筋が見えてきたところで、織田政権の中での地位を考えるようになってきたのだ。だが皆が自分の地位を気にしだせばどうなる?……おそらく織田家の結束が大きく緩むであろう。」


 権兵衛殿が大きく頷く。


「だからこそ、最前線を任せらるる方々には天下統一を第一に考えてもらわねばならぬ。」


「…我が殿は家中での地位向上を目指して画策している…と?」


 官兵衛の質問に俺は小さく頷いた。


「現状、一軍を率いて諸侯に戦を仕掛けられるお方は5人。越前の前田様、越後の上杉様、甲斐の河尻様、遠江の前田様、堀様、伊勢の滝川様、大和の三好様、河内の原田様、土佐の長曾我部様に…明智様、羽柴様。」


 権兵衛殿が指を折って数えていたが俺が挙げた名前が五人以上いたので首を傾げた。


「この中で、今すぐにでも兵を安土に向けられる軍が…前田利家様、長曾我部様、三好様、明智様、羽柴様だ。」


 権兵衛殿が数え直しておおっと納得する。…いや、納得するところはそこじゃないでしょう。


「兵を安土に向ける…とは?」


 官兵衛殿は声を震わせながら俺に聞いてきた。こっちを気にして欲しいのよ、権兵衛君。


「更に地理的な条件で長曾我部様と前田様は直接兵を向けることは難しい故、残るはお三方。」


 俺の言葉で官兵衛殿が考え込んだ。権兵衛殿はそれを心配そうに見ている。…あなたも考えなさいよ。


「九郎殿、既に明智様、三好様のところへは誰かを遣わしているのでは?」


「…うむ、名は明かせぬが、俺の意を汲んで動いてもらっている。」


「我らにも同様に九郎殿の意を汲んで…?」


「俺との連絡手段は後程人を遣わす。引き受けてほしい。」


 俺の頼みに二人が目を見合わせた。そして無言で頷く。


「宜しくお頼み申す。我らも殿の不審が気掛かりで御座る。我らの協力は惜しみませぬ。」


 俺は立ち上がって一礼した。引き留めようとする二人に丁寧にお断りしてそそくさと立ち去る。…危険を承知でここまで来てよかった。官兵衛殿であれば、羽柴様について何らかの情報を得られるだろう。


 あとは…三好様か。


 左近殿に使者を出してみるか。




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