9.出奔
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尾張犬山の城主、織田十郎左衛門信清。
桃巌様の弟、信康様の子で、信長様の従弟にあたる。
若い頃は、共に勝幡城で悪さをする悪餓鬼だったが、長じてからは尾張北東の要である犬山にて、木曽川の守護にあたっていた。
だが、犬山の地は東に信濃の武田家、北に一色家に囲まれており、信長様の気づかぬところで調略を受けていたのだった。
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俺は岩室様の前に座り姿勢を正した。ここからは五歳の餓鬼ではなく、岩室様に仕える者として全力でぶち当たってやる。
「この戦、利がございません。」
俺の言葉に岩室様も座り直した。俺の表情を見て自らも真面目に対して頂けるようだ。
「…なぜそう思う?」
「まずは、使者を遣わし撤退の理由を問うべきです。。」
俺の言葉に岩室様は肯かれた。
「そうだな。…使者は既に出しておる。だが、返答は得られておらぬ。」
なるほど。使者は信清様から何の言質も得られなかったということか。…と言うことは、突然の撤退は、織田家との決別も意味しているということか。
「申し開きが無いと言うことは、十郎左衛門様は織田家から離反したことを意味すると思います。…犬山だけで離反はありえません。周囲にある十郎左衛門様のご家来衆が守る城も離反したと見て良いでしょう。」
岩室様は肯かれた。これも想定されていると言うことか。
「それでも今の織田家には対抗できませぬ。…恐らく犬山を援助する勢力が後ろに控えていると考えるべきです。」
岩室様は目を細められた。じっと俺を見つめ、様子を覗っている。
「…とても餓鬼とは思えぬ才だな。……で、誰が後ろ盾だと考えた?」
「武田家。」
「であろうな。」
岩室様はわかっておられたようだ。であれば、武田家と通じた犬山に下手に手を出すのは益々危うい。
「わかっておられるのであれば、何故兵を差し向けられるのですか。」
「織田家は尾張を統べし家となったのだ。殿の御親族が叛意を示したまま放っておいては、国内はもとより隣国からも舐められるのだ。」
わかる。わかるが、今すぐ兵を出さなくても良いはず。諜報を行い、周囲を固め、万全の体勢を整えて立ち向かっても問題ないはず。
それをせずにいきなり兵を出そうとしている行為は、単にその怒りを吐き出したいがため。そんなの無意味だ。だがそれを口にすれば、信長様への不忠になる。
「…信長様をお鎮めする手立てはないのですか?」
「この二日、我ら小姓衆でやるだけやった。…だが、お怒りは収まらず、古渡様、森様、前田様、坂井様、中川様に出陣を命じられた。」
この時、織田軍の主力である、柴田様は洲股砦を守っており、佐久間様、丹羽様はその後詰として美濃国境に駐留している。それなりの兵力を抱えている親族、国人には出陣命令が出されているようだが…果してどれほどの兵が集まることか…。
「岩室様。恐らくそれほど兵は集まらぬと存じます。幾らご当主の命令とはいえ、此度の戦は」
「無吉…お前は良く周りを見ておるな。お主、軍才もなかなかだと思うぞ。」
「はぐらかさないでくださりませ。兵が揃わなければ…必ずや信長様は小姓衆に先鋒を命じられます。」
だめだ、だめだ、これでは史実の通りになってしまう。
「更には先の戦で兵糧を消費しております。森様、坂井様の兵は疲労もしております。」
「そうだ。我ら小姓衆が先鋒を務める。」
「敵が城に籠れば勝てませぬ。」
「…であろうな。」
「ならば何故!?」
俺は思わず大声になった。岩室様は大きく息を吐きゆっくりとした動作で俺の両肩に手を添えた。
「無吉。お前も奇妙丸様に仕えようとしているのなら覚えておくが良い。これが“忠義”なのだ。」
俺は言葉を返せなかった。
「負けるとわかっていても…無駄だとわかっていても…それでも主君の為に義を貫かねばならぬのだ。…既に主君をお諫めることはやったのだ。それでも駄目ならば…後は忠義を尽くすのみ。」
俺は…涙を流していた。
出陣は避けられない。負け確定の戦だ。…でも、生きて帰って来られるかもしれない。そうあってほしいと願う。
でも、俺は涙を流した。
今生の別れになると肌で感じたからだ。
岩室様は死ぬ気である。
止めなければならない。
でも、俺は何も言えなかった。
「これが“忠義”なのだ。」
言葉が重くのしかかった。
主君の為に逃げることなくその身を挺する。
俺にはその覚悟はまだないと思う。
俺は底辺の生活を続けているが、
それは必ず報われることがわかっているからできることだ。
この戦は報われない。なのに……。
俺は岩室様に何を言えば良いのかわからなくなった。
翌朝、俺は握り飯を作り、岩室様にお渡しした。岩室様は無言で俺の頭をひと撫でし、家来衆も付けずに出立された。
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1561年6月15日-
信長様は国内の兵をかき集め、十郎左衛門信清の討伐に向われた。先鋒は小姓衆。森可成隊、前田利久隊、中川重政隊、坂井政尚隊の足取りは遅く、苛立った信長様は、先着した小姓衆のみで、犬山の支城、小口城を力攻めした。
小口城に籠る兵は少なかったが、籠城に備えた板衾に阻まれ、多くの死者を出して4日後撤退した。
万全の体制で戦に挑まれる信長様の、数少ない無計画すぎる戦であった。
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岩室様が出陣されたあと、俺は屋敷を出た。もうここに戻ることは無いため、身の回りを綺麗にし、溜め込んでいた小銭も全て置いて来た。
清州を離れ、とある場所へ向かった。
生駒家長様の屋敷。
清州の北、小折に居を構える生駒家は出身は大和国と言われている。
先代の宗家は桃巌様の弟、信康様に仕えていたが、信長様と吉乃様の誼により、信長様に臣従された。以来土田一族に変わる尾張の商家として仕えている。現在の当主は先日お会いした家長様。此度の戦には参加していない。
俺は門番に家長様への面会を求めた。暫くして身なりの良い少女がやって来て、屋敷の中へ案内された。
部屋に通されそこで待っていると、先ほどの少女と家長様がやって来られた。家長様は俺を見て何かを察したように大きくため息を吐いた。
「…岩室殿の館を出奔したのか?」
「もう…あそこに私が居る意味がありませぬ。」
俺の答えは、岩室様が戻って来られぬことだと家長様も理解された。家長様も此度の戦は反対だったようだ。
「どうするつもりだ?」
「…厚かましいとは思いましたが、此処に置いては貰えませぬか。」
家長様はまたため息を吐かれた。
「…仕方がない。だが、働いてはもらうぞ。」
「あい。」
俺はゆっくりと手を付き家長様に頭を下げた。それから、膝の上に座る少女に目をやった。
「儂の娘だ。姫という。」
「初めまして。無吉と申します。」
俺は少女にも頭を下げた。少女は可愛らしく小首を傾げ「むきち」と俺の名前を反芻した。
戦は、小姓衆に多くの犠牲者を出して小口城から撤退し、犬山周辺は織田家から独立した形となった。信長様は清州に戻られた後、女房衆の館に引き込まれ、政務は暫く、林様、村井様、古渡様に取り仕切られたそうだ。後で聞いた話によると、御台所様に泣きつかれておられたらしい。
岩室様の死が、よほど堪えたご様子で、吉乃様も奇妙丸様もお声を掛けられなかったそうだ。
信長様を退けた信清様…いや、犬山織田家は美濃の土田一族を通じて、一色との不戦を締結し、正式に清州織田家からの独立を表明した。
信長様は半月ほど引き篭もっておられたが、政務に復帰し一色と犬山織田家と二方面の敵への対策を講じ始められた。
俺が岩室家を出奔したことはすぐに吉乃様に伝わり、やがて信長様の耳にも入ったようで、家長様を通じてお呼び出しを受けた。家長様と清州へ向かうが、登城を許されたのは家長様だけで、俺は女中に案内されて別の屋敷の庭に通された。縁側の前で待っていると、奇妙丸様と信長様が奥から出てこられたので、慌てて跪いた。お二人は縁側に座って暫く俺を眺められていた。
「無吉よ……すまぬ。」
俺は驚いた。
声を出したのは信長様。俺のような下賤の者に「すまぬ」とは…?俺はどう返事して良いのかわからず黙っていた。
「無吉、お父上は…お前に申し訳ない事をしたとお思いだ。」
奇妙丸様の声を聞いて、俺は顔を上げた。
そこには、悲しげな表情で俺を見つめる信長様があった。
「と…殿様…。」
「無吉、お前は長門に此度の戦の無益さについて話をしたそうじゃな。」
あの時の話を知っているのは岩室様しかいない。と言うことは、岩室様からお聞きになったということか。
「あい。」
信長様は「そうか」とい言うとまた暫く黙られた。そこから沈黙が続く。奇妙丸様はじっとお父上の姿を見やっていた。
「……岩室家は弥三郎に面倒見させる。長門の息子が大きくなったら、家督を継がせ俺に仕えさせる。…これで許してくれ、無吉。」
何を言うか。あの戦で死んだのは岩室様だけではない。他にも多くの小姓衆が無駄に命を落としているのだ。岩室様の家だけどうにかして片付く話ではないだろう。
俺は大声を張り上げるのを抑え、心を落ち着かせた。
「信長様、岩室様のお命を無駄にはしないことを、お誓いくださいませ。」
「…誓おう。」
「私は…最後に岩室様から“忠義”について学びました。この言葉の重み、誰よりも信長様が感じられていると存じます。これを忘れず、再び尾張を統一し、美濃を平らげ…天下にその名を轟かせましょう。」
俺の言葉に信長様は驚かれた。何を驚いているのだろうかと俺はすぐにはわからなかった。やがて信長様はいつも見る不敵な顔に変わられた。
「…ふ…ふふふ…“天下”か。良い響きだな…。儂は道三の後を継ぎ、美濃奪還のことしか頭になかったが…お前はもっと先を見据えておるようじゃな。」
口が滑った気がする。
織田信長が天下を意識するのは、美濃を平定してからだったような…。まあ、少し早まっただけだ。お蔭でいつもの信長様のお顔だ。
俺は無言で頭を下げた。
「無吉はこのまま家長の下におるのか?」
「あい。」
「わかった。だがこれまでと同様、月に一度は奇妙のところに顔を出せ。」
「あい。」
俺の返事を聞いて、信長様は立ち上がり部屋の奥へと消えて行った。奇妙丸様が俺に向かって無言で肯くと信長様の後を追った。
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岩室長門守の死は、信長様にとって大きな転機となられた。あの時私が“天下”という言葉を口にしなければ、このまま尾張の一領主に留まっておったかもしれぬ…。生きておられればもっと違った形で「本能寺の変」を回避したやもしれぬが、それは言っても栓無きこと。
私は、再び事変を回避する為の悪戦苦闘に暮れる日々を…今度は生駒家にて過ごすこととなった。
岩室重休。
1561年6月19日
小口城への城攻めにて、敵の槍をこめかみに受け討死。
享年29歳。
私の師匠であったことを…此処に記す。
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加藤弥三郎:熱田の豪商、加藤順盛の子と言われています。岩室重休の死後、娘を娶り岩室家を継いだと言われていますが、年齢差に無理がある様な気がして…本物語では「面倒を見る」という表現にしました。
生駒家長:生駒家の当主で、吉乃様の実兄です。宗家はこちらなのですが、有名なのは分家筋の生駒親正のほうですね。




