二十六話 怨讐の彼方
「何を怒る事がある? これは、お前にとっても都合の良い話であるはずだ」
何を怒っている、か……。
確かに、怒っているのかもしれない。
「幸い、生きているな。だが、どうする? お前はどちらを選ぶ? アールネスの恒久的な平和か、敵国の次期王か……」
そして私は、その感情を選ぶべきではないのだろう。
アーリアを見捨てて、国へ帰る。
それでカルダニアという脅威がなくなるというのなら、私が選ぶべきはそちらだ。
国が平和になるという事は、ヤタが何の憂いもなく暮らしていけるという事でもある。
だから、迷う必要もない事だ。
でも……。
私はバーニを見据えた。
「迷うまでも無い事なんだろうね、これは」
「少し考えれば、わかる事だろう」
バーニは答える。
「でもね――」
私は右足の裏に、さりげなく氷の足場を作る。
陸上の選手が、走り出す時に使うようなとっかかりとなる氷塊だ。
そして、バーニが瞬きするタイミングでそれを蹴ってバーニへ突撃した。
一息と経たず、距離を詰める。
急激な動きで、ダメージを負った体がズキリと痛むが無視する。
勢いのまま、拳でバーニを攻撃する。
それに反応して、バーニが一歩退く。
拳を避けた。
やはり、素人の動きではない。
その動作は、武術の心得がある者のそれだ。
アーリアとバーニの間へ割って入る形で立つ。
その状態でバーニを睨む。
「見捨てるには、少し仲良くなり過ぎた。アーリアは、殺させない!」
言って、私は構えを取った。
「何より、私が命じられたのはこの国の王族を保護する事だ。何も、間違った事はしていない」
ニヤリと笑って続ける。
「愚かな」
バーニもまた、構えを取る。
驚く事にそれは、この国の闘技ではなくビッテンフェルト流の構えだった。
さて、どうしたものか……。
できるなら、すぐにでもアーリアへ白色をかけたいが。
その暇を与えてくれそうにない。
アードラーは白色を使えない。
アーリアを治療するには、まずバーニを打倒するしかないだろう。
その時である。
入り口の方から、剣戟の音が響いてきた。
見ると、アードラーとバルダンが剣を打ち合わせているのが見えた。
バルダン。
いないと思ったら、隠れて襲撃の機会をうかがっていたらしい。
「アードラー!」
「こっちは大丈夫! クロエはそっちに集中して!」
アードラーは言うと刀で切り払った。
それを跳び退いて避けたバルダンへ、刀の切っ先を向ける。
「私はクロエほど強くないから、手加減はできないわよ」
言い放ち、刀を下段に構え直した。
その直後、私に向けられた拳を防御する。
バーニによるものだ。
余所見の隙を衝かれた。
続いて放たれたミドルキックを防ぎ、空いている右手で反撃する。
バーニはさらに距離を詰めながら私の攻撃を避け、ライトアッパーで顎を狙い打とうとする。
スウェーで回避。
同時に左フックの迎撃。
バーニ、ダッキングによる回避、同時に放たれた左拳が私の右脇腹を穿つ。
けれど、不安定な体勢から放たれたその一撃だけでは、強化装甲と私の腹筋を射抜く事はできない。
バーニはさらに、右のショベルフックで反対側の脇腹を狙ってくる。
私はその一撃を受けて相打ちとなる覚悟で、真下にあるバーニの背へ肘打ちを落とした。
腰を据え、十分に威力の乗った技だろうが、一撃なら耐えてみせる。
が、バーニは攻撃を中断し、後ろへ退いた。
相打ちを嫌い、避ける事を選んだようだ。
私はそれを逃さずに、ローブの襟首を掴んだ。
そのまま空いた手で顔を殴りつける。
バーニは直撃を避けながら拳を受けると、強引に体を退いた。
びりびりと私に掴まれた襟から、ローブが破れる。
「一の砦では頼もしい援軍だと思ったが、こんな形で障害となるとはな……。さっさと帰ればいいものを」
言いながら、前の布地が完全に破れて無くなってしまったローブをバーニは脱ぎ捨てた。
袴のような下穿きだけの姿になる。
そうして現れたのは、細身ながらも鍛え抜かれた体。
一目で相当の鍛錬を積んだ事のわかる体だった。
そしてそれは、上辺だけではない。
彼のビッテンフェルト流は形だけでなく、中身が伴っていた。
付け焼刃の物でなく、技にはキレと威力が乗っていた。
長い鍛錬を経て、技をしっかりと自分の物としている証だ。
「私だって、さっさと帰りたいと思ってたよ」
まさか、こんな複雑な状況になるなんて思ってなかった。
「ふっ……!」
牽制の直突きが私の顔面を狙う。
私は顔を引いて避けるが、突き出された拳が突如として開かれる。
その瞬間、バーニの手の平から電撃が放たれた。
恐らく追尾されると判断し、魔力のデコイを用いて回避。
思いがけない魔力リソースの活用によって絶え間なく使っていた白色が途切れ、無理な回避動作に体が悲鳴を上げた。
その痛みを無視しつつ、避けながらのローキックを放つ。
前に出た足を刈り取ろうとする。
しかし、バーニは足を上げてそれを避けると、足を下げるのと同時に踏み込み迫ってくる。
重心の移動を利用し、威力を乗せた拳。
鳩尾を狙ったそれを腕で防ぐ。
防いだ腕が痺れるほどの威力に、体勢を崩しかける。
父上の使うビッテンフェルト流にこんな技は無い。
しかし私やアードラーの例があるように、ビッテンフェルト流は使い手によって多くの差異が生まれる。
彼のそれも独自に進化した新たなビッテンフェルト流という事だろう。
ゆったりとしたローブで体型を隠せるだけあって、体格に恵まれているわけではない。
それを補うために、培われた技なのだろう。
破壊力よりも、鋭さが際立つ。
アードラー……。
いや、私に近い戦い方か。
「怪我でもしたようだな。痛みが顔に出ているぞ!」
私が見せたわずかな隙を見逃さず、バーニは攻勢をかけてくる。
それを防ぎ、反撃を試みる。
そうして攻防を続けて、見えてきたのは技巧の高さである。
拳主体の技……と思いきや蹴り技も見せる。
バーニの攻撃は多彩だ。
守りを主体に置いているかと思えば、たまに博打のように胴回し蹴りなどを放ってくる。
それも私が攻めに回ろうとした時、カウンターのように放ってくるのだからやりにくい。
ふと、不用意に打ってしまった一撃に、カウンターを合わされる。
顎を打たれ、よろめきながら退く。
「どうした? その程度か?」
バーニは私に近づき、髪を掴んだ。
掴まれて固定された顔面に、膝蹴りが迫ってくる。
腕をクロスさせて防御。
衝撃で体中に痛みが走る。
防御しても、攻撃しても、体が痛い……!
次の蹴りが来る前に、バーニの胸を殴る。
至近距離のため、あまり威力が出ないががむしゃらに数を打つとバーニは髪から手を放した。
そうして出来た距離を活かし、上段回し蹴りを放つ。
バーニは退いて避けるが……。
右目の瞼に、一筋の赤い傷が出来た。
傷から、血が流れ出る。
バーニは一瞬、顔を顰めてから目を拭う。
傷は治っていない。
治る気配もなかった。
もしかして、白色が使えない?
魔術が使えても、白色の使えない人間はいる。
アードラーもその一人だ。
彼もまた、そうなのかもしれない。
なら、今までの戦い方も、傷を受けないようにするためか……。
防御に徹しつつ、時折予想外の攻勢に出るのも私に手の内を悟らせないためだ。
私がカウンター主体で戦う事は、今までの戦いで見られていた。
見切られれば不利と思い、動きに慣れさせないよう戦術を組み立てていた。
不利な状況でも、自分の手札で勝ち筋を探そうとする。
実に軍師らしい戦い方、というわけだ。
でも……。
白色が使えないなら、私にもやりようはある。
ビッテンフェルト流の戦いは、魔術師との戦いを想定して頭部への打撃を想定したものである。
速やかに昏倒、もしくは脳震盪による魔術行使の妨害を成すための物だ。
当然、今も私はそれを念頭に戦ってきた。
バーニに右ストレートを放つ。
バーニはそれに反応し、クロスカウンターを狙ってきた。
そして、そのカウンターに合わせて、私は頭突きで応戦した。
「うう……!」
「ぐくっ……!」
お互い、痛みに呻いて距離を空ける。
一瞬意識が飛びかけ、ぐらりと体が傾いだ。
額に触れると、手に血が付いていた。
バーニも拳を庇っている。
相打ち覚悟の攻撃。
しかし、イーブンではない。
私は白色の魔力で額の傷を治した。
バーニは忌々しげに私を睨むと、そのまま構える。
その拳は指が折れ、握りが歪になっていた。
「面白く、なってきたね」
言いながら私は強化装甲を脱ぎ捨て、上半身をサラシだけにする。
今まで、装甲の維持に使っていた魔力を抜き取り、魔力を補給する。
元が私の魔力であるからこそ、できる芸当だ。
私が笑いかけるのと対照的に、バーニの表情が一層に険しくなった。
すかさず、私はバーニへ迫る。
渾身の右ストレート。
体を捻ってそれを避け、バーニは私の脇腹を殴り穿つ。
回避の捻りを利用したショベルフックは、私の臓腑を抉る。
しかし、私は構わず上から叩くように頭部を殴りつけた。
「ぶへっ!」
退いて距離を取ろうとするバーニへ肉薄する。
私を突き放そうと拳を突き出すが、それを顔面に受けながらも私は迫る。
お返しに腹部へボディブローを見舞った。
くの字に曲がる体、下りてきた顔をフックで殴り抜く。
バーニの吹き出した血が、床を赤く汚した。
次の瞬間、顎に衝撃が走って私は天井を見上げていた。
アッパーを打ち返されたのだ。
バーニはそれ以上、後ろへ退く事を止めた。
その代わりに、拳を振るう。
私達は互いに防御を捨てて、打ち合った。
そうせざるを得ない状況を私が作ったからだ。
どれだけ上手く守っても、攻撃する瞬間には隙が出来る。
私は防御を捨てる事で、その隙を確実に打つようにした。
捨て身の戦法。
ゴリ押しだ。
そしてそれを相手にも強いたのだ。
しかし、条件は同じじゃない。
私は白色で回復ができるが、バーニは使えない。
それでも、逃げられない状況であるからこそ、バーニはその戦いに応じなければならなかった。
美しくない戦い方だ。
けれど、戦いは勝てなきゃお話にならない。
勝つために最善を尽くす、それが戦いというものだ。
そして私には、これ以外勝つための方法がなかった。
とはいえ、断じて有利な状況ではない。
カルダモン将軍との戦いで蓄積されたダメージが、私にも残っている。
もう、バーニに打つ手は無いだろう。
しかし、私もまた諸刃の剣を用いている。
バーニが耐え切るか、私の体力が先に尽きるか……。
それが勝負の分かれ目となるだろう。
そう思いつつ、私はバーニへと飛び掛った。
バーニは何度も私の体を打ち、そして打たれた。
強かに打たれ、何度もよろけながら……。
それでも、退かずに打ち返した。
その目には闘志が宿り、覚悟を決めた者の顔をしていた。
体中が打ち身で鬱血し、顔は驚くほど腫れている。
血反吐を何度も吐き、振るう拳からも力が失われ始めている。
太い物から細やかな物まで、あらゆる骨が折れているはずだ。
痛みの無い場所はないほどだろう。
私も、似たような状態ではある。
白色がある分、少しマシだが……。
次第に白色を使うだけの魔力も尽きつつあった。
ただそれでも今、優勢なのは私に違いなかった。
この勝負は私の勝ちであり、それは揺るがぬものであろう。
そう、確信できる……状況だ……。
しかしそんな状態でありながら、バーニは諦めなかった。
拳を振るい続けた。
殴られて、がくりと落ちそうになった体を立て直し、反撃してくる。
もう、彼は限界のはずだ。
白色も使えず、体を癒す事もできず……。
それでも彼は戦う意志を失っていない。
何が彼を突き動かすのだろう?
何が彼を駆り立てたのだろう?
何を思い、彼はこの国を壊そうとした?
何が彼の体を支えている?
私には、何もわからない。
解るとすれば、彼が強い気持ちを原動力に戦っているという事だけだ。
彼の放った拳を手の平で受け止める。
重い一撃に、一歩退いてしまう。
どんな気持ちがあれば、こんな死に体でこれだけの攻撃を繰り出せる?
きっと、彼にも譲れない何かがあったのだろう。
信念があったのだ。
強く求め、願った何かが彼を動かしている。
彼に力を与えている。
しかしそれが何であれ、勝負に勝つという事はその気持ちを潰すという事だ。
へし折って、踏み躙る事だ。
「終わりだよ」
私はバーニの首へ手を回す。
フロントネックチョークの形だ。
しかし、バーニは腕と首の間に手を差し込んで抵抗する。
それに構わず、私は腕を締め上げた。
「まだだ……まだ、……わた、し、は……奪い、尽くして……」
言いながら、バーニは空いた手をアーリアへ伸ばそうとする。
けれど、その手がアーリアへ届く事はない。
私がさせない。
バーニは最後の最後まで抵抗を止めなかった。
巻き付く腕に挟まれた、バーニの手の骨が砕ける感触があった。
それでも抵抗する力だけは途絶えなくて……。
その抵抗が完全になくなるまで、私は力を込め続けた。
やがて、バーニの体から力が抜ける。
ぐったりとして、膝を折った。
「はぁ……」
私は一息吐き、アードラーの方を見る。
すると、そちらも丁度終わったようだった。
アードラーは刀を振って血のりを散らすと、鞘へ戻していた。
彼女の前には、血まみれのバルダンが倒れている。
「怪我は?」
「少し……。でも、アーリアの方が重症よ」
アードラーの服の袖が切れ、肌とその上を走る切り傷が見える。
彼女も白色は使えない。
自分が傷ついていても他人を優先できる。
そんなアードラーが私は好きだ。
「わかった」
私は血の気の失せたアーリアを白色で治療した。
明日の更新分で、南部編は終わりです。
また、しばらく休憩します。
前ほど長く間が空く事はないと思います。
逃げに徹すれば無傷で済みましたが。
決着を焦ったため、アードラーは手傷を負いました。
少年は力を求めていた。
彼には目的があった。
しかしそのための力を持っていなかった。
そんな彼が力を求めたのは、戦場である。
自分には何が必要なのか、彼はそれを模索していた。
兵士として戦に参加した彼だったが、しかしそこで自分に戦略を考える力がある事に気付いた。
そしてもう一つ、災害の如き一つの力を目にする。
その男は一人、理不尽なまでの力で戦場の生死を決する死神の如き男だった。
少年はそれが自分に必要だと思った。
どうしてもそれが必要だと。
だから、敵であるその男の下へ単身赴き、教えを乞うた。




