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幕間 バーニ

 私の中には、怒りがあった。

 きっとその感情が、私の持ちえる中で最も強いものであろう。


 それは常に消えず、私を突き動かすものはいつもその感情だった。

 幼かったあの日から、ずっと……。


 物心ついた頃、私は母と二人暮らしていた。

 二人で暮らす屋敷は広く、そして当時の私にとってその中だけが世界の全てだった。


 屋敷へ訪れる者は一人の男だけであり、母は彼が私の父なのだと言った。

 その男は唯一、外から訪れる者であり……。

 その気配に私は好奇心をいつも掻き立てられ、好ましい人物だと思っていた。

 母は私を可愛がってくれ、その男もまた私を可愛がってくれた。


 幸せだった。

 何の恐れも無く、ただただ幸せな日々だった。


 けれど、私の人生の中で幸せを感じたのはそのわずかな時間だけだろう……。


 幸せの終わりは、唐突だった。

 男が、もう一人の男を伴って屋敷へと現れたその日の事だ。


 同伴者に戸惑いつつも、愛する人へと笑顔を向ける母。

 そんな母に、男は剣を突き立てた。


 溢れる血を留めるように手をやり、視線を目前の男へと向ける母の表情は苦痛と困惑に満ちていた。

 私は叫び、母へ走り寄ろうとした。

 しかし、それはもう一人の男によって止められる。


 腕を掴まれ、近づく事もできない間に、母は倒れ伏す。

 母の顔からは血の気が失せ、そしてまもなく感情すら抜け去った。


「そいつを殺せ、マティアス」


 男は、私の腕を掴む男へ告げた。


「本当にいいのかぁ?」


 マティアスは訊ね返す。


「俺が王になるためには、力が必要なのだ。そして、俺に力を与えてくれるという女は、俺の愛情を欲している。愛情を引き換えにそれが手に入るなら、俺は愛情を捨てる」


 後に、王となるその男はそう答えた。


「わかったよ」


 答えると、マティアスは私の腕を放す。

 と同時に、私の背へ熱が走った。


 斬られたのだ。

 そうわかったのは、私が倒れた時にマティアスが剣を手にしている所を見たからだ。

 その剣は、刃先に血の赤を滴らせていた。


「大人しく寝てなよ」


 マティアスはそう、私に言った。

 その言葉で、私は目を閉じた。


「ほら、殺したぜ。望み通りだろぉ?」

「……まぁいいだろう」


 じくじくとした痛みと熱に苛まれ、目を閉じたままその会話を耳にする。

 二人の男の足音が去っていく。


 そのまま私の意識が消える事はなかった。

 その気配も無い。

 私は生きていた。


 ……生かされたのだろう。


 けれどまだ二人が近くにいるかもしれないと思えば、動く事も目を開ける事すらもできなかった。

 恐怖に支配される暗黒の世界。

 その中で一人、私はただ怯え、じっと耐える事しかできなかった。


 数分前まであった幸せを想い、それがもう潰えてしまった事に涙が溢れる。


 それからどれだけ時間が経っただろうか。

 私の体に触れる者があった。

 その手は首筋に触れられた。


「生きていた……」


 心から安心した声。

 その声を聞き、私はようやく目を開ける事ができた。


 視界には、禿頭とくとうの男がいた。

 男は私の背中の傷を見る。


「血は派手に出ていますが、それだけですな」


 彼は小さく息を吐いてから答えた。


「おじさんは?」

「私はバルダン。あなたの母上の友人です。助けに来ました」


 そう言って差し出されたバルダンの手に、懐疑を抱きつつも手を伸ばす。

 手を掴むと、強い力で引かれて立ち上がらされた。


 バルダンは、倒れた母を一瞥する。

 一瞬だけ、その表情が曇る。


「……行きましょう」


 絞り出すように言葉を発すると、バルダンは私の手を引いた。

 そうして私はそれまで育った屋敷を出た。

 母の死を惜しむ事も悼む事もできないまま……。


 それから私は、バルダンの家に匿われて育った。


 一年ほど経った頃、私の父であるあの男が王位に着いた。


 それまで、バルダンはあの男の事を何も話さなかった。

 私もまた、何も聞こうと思わなかった。

 あの時の事は恐ろしく、思い出したくもなかった。

 あの日感じた全ての事を全て心の内へ封じ込めてしまっていたのである。


 それをその時になって訊こうと思ったのは、あの男が王になった事を知ったからだ。

 私はバルダンに、何故母が殺されたのかを訊ねた。


「あなたの父には王の器がある。しかし、王の縁戚という以外に器を満たす物は何もなかった。王となるには、その器に入れる力が必要だった。そのためにこの国の有力者、その娘との婚姻を結んだ」


 あの男は、多くの有力者と縁戚を結ぶ事で権力と財力を得て王に登り詰めたらしい。


 全てはある豪商の娘があの男に惚れ込んだ事がきっかけだったという。

 豪商の娘は自分の家の財力をダシにあの男へ婚姻を求めた。

 その条件として母を殺せと迫った。


 そしてあの男はその条件を満たし、大きな財力を手に入れた。


 あの男は母と私を捨て、そして王になったのだ。

 王位と母を天秤にかけ、母を捨てたのだ。


 それを知った時私は、言い知れぬ怒りを覚えた。

 許しがたかった。


 恐怖に押し留められ、くすぶり続けていた怒りがその時に燃え上がったのだ。


 しかし許されないのは、手段ではない。


 あの男の取った手段は、まっとうな物であろう。

 王を目指すなら、それは必要な事だった。

 それは理解できた。


 許されないのは手段ではなく、裏切った事だ。


 母の愛情を裏切った事だ!


 この報いは受けさせる。

 己の捨て去ったものが、全てを奪い去る様を見せてやる!

 そう、誓った。


 だから……。


「バーニ……! な、ぜ……!」


 私に胸を貫かれた男。

 私の異母弟に当たるその男は、困惑と痛みに表情を私に向けていた。


「良い事を教えてやる」


 私はその耳元へ口を寄せ、ささやいた。


「私はお前の兄なんだよ、ジェスタ」


 そう言って剣を抜き、突き放すとジェスタの表情は驚愕に染まっていた。

 そんな異母弟へ、炎の魔術を放つ。


 その表情が、炎によって隠された。

 瞬く間に全身が燃え上がり、倒れた。

 そのまま炎は燃え続け、体は炭化していく。


 愚かな男……愚かな弟だった。

 私のもくろみも気付かず、ただ自分の意思だと信じて私の思い通りに動き続けた男。


「これで一人……いや、二人目か」


 報いは受けてもらう。

 そのために私は……全てを奪い去る。

 あの男が得た全てを。

 子供も、国も、何もかもを奪ってやる。


 何も残してはやらないのだ。

 そのために、この愚かな弟をたきつけたのだから。


 そしてその願いは、今叶おうとしていた。




 カルダニアの王城。

 私は部隊を率い、玉座の間に踏み入った。

 彼らは、私が軍にいた時より誼のあった者達である。

 私の目的を知り、ついてきてくれた者達だ。


 玉座の間には、この状況の中でなお悠然と座す男がいる。

 カルダニア王だ。

 彼の隣には怯えた様子の側近、イムカが控えていた。

 私は王を睨み付けた。


 そんな私の隣を通り、アーリアが前へ出た。

 剣の切っ先で王を差し、声を上げる。


「カルダニア王! もう勝敗は決している! 降伏しろ!」


 王は肘掛に頬杖をついたまま、アーリアの降伏勧告を聞いた。


「……正直、お前達がここまでやれるとは思わなかった。お前の変化には、特に驚いている」


 王はアーリアに答えず、そんな感想を述べる。


「下るつもりはない、という事ですか?」


 アーリアは強い口調で問うた。


 怒りを押し殺した声だ。

 彼女は兄を殺したのが王だと思っている。

 だからこその怒りだろう。


 いや、押し殺しているのは怒りだけではないか。

 きっと父親への情もまた、押し殺している。


 確かに、彼女も変わった。

 何の目的も無く、ただジェスタについて来ていただけの少女が今は反乱軍を導く存在になっている。

 そして今は、王として自分の感情を押し殺せるようになっている。

 前の彼女ならば、王に対してこのような言葉を吐く事もできなかっただろう。


 王の感想には、私も同感だ。

 不愉快な事であるが。


「……いや、お前に下ろう」


 長い沈黙を経て、王は答えた。

 初めから、そのつもりだったのかもしれない。


 だから、この部屋には護衛の兵士もいなかった。


 老いたな。

 この男も……。


 王は立ち上がり、アーリアはそちらへ近づいていく。


「外を守れ、誰も通すな」


 ここまで付き従ってくれた兵士にそう命じる。

 兵士達はそれに従い、玉座の間を出て行く。


「ご武運を……」


 最後の兵が、そう言って出て行った。


 私はアーリアの後ろに続き、王へと近づいていく。


「降伏を受けてくれた事、感謝します」

「まだ死にたくないのでな」


 ほんの少しだけ表情を緩ませて言うアーリアに、王は苦笑を返した。


「そうはいきません」


 私は、アーリアの脇腹に短剣を突き立てた。


「え?」

「何っ!」


 アーリアは呆気に取られ、王は強張った表情で、私の行動へ驚きを示す。

 その動揺が覚めやらぬ間に、私は短剣をアーリアの体から抜いて王の胸へ刺した。


「あなた方には、ここで死んでもらう」

「ぐ、ぅ……! 何、をする……? 何者、だ……?」


 私の両肩を強く掴み、訊ねる。


「憶えていないだろうな。なら、わからぬまま死ね。何故殺されるのかもわからぬまま、無意味に」


 さらに深く、短剣を胸へと捻り入れる。

 刃が胸骨を強引に開き、心臓へと深く抉り込まれる感触が手に伝わる。


「あ……が、が……」


 刃を抜くと、血が吹き出した。

 大量の血飛沫が散らし、王は倒れた。

 まだ動き続ける鼓動と共に、傷口からは滾々《こんこん》と緩急をつけて血が湧き出し続ける。


 それが次第に弱くなり、やがてただ血が流れるだけとなった。

 その様を私は、何の感慨もなく眺め続けた。


「よかったのか?」


 私は、バルダンに訊ねた。


「アーリアを殺す事……。快くは思っていなかったはずだ」


 バルダンは、古式闘技を修めていた事で彼女の指南役を務めていた。

 それなりに、愛着もあったはずだ。


「……はい、確かに。しかし、これもまた我が責任であれば……」


 責任、か。

 マティアスも、そう言っていたな。


 彼が私を生かしたから、今の私がいる。

 その結果が現在の状況に繋がっている。

 それを悔いての言葉だろう。


「私を助けた事、お前も過ちだと思うか?」

「思いません。あの時あなた様を助けた事に、私は微塵も後悔を覚えておりません」


 即答された言葉に、私は安心した。

 私は思っていた以上に、この男を拠り所としていたらしい。


「私はあの時、陛下ではなくあなたを選んだのです。選んだ以上、行く末を共にする覚悟はできておりました」

「頼もしいな、バルダン。ならば、突破された時の対処を頼みたい」

「突破、ですか?」


 バルダンは不可解そうに訊ねた。


「ああ」


 念のためだ。

 邪魔が入る。

 そんな気がするのだ。


 クロエの顔が脳裏に浮かぶ。


「一人は私が対処しよう。だから、もう一人はお前に頼む」

「わかりました。早々に片付け、お助けに参ります」


 答えると、バルダンは入り口の横へ身を潜めた。


 ……部屋の外から、喧騒が聞こえる。

 誰かが戦っているのだ。


 存外に早かった。

 少しでも遅ければ、私は本懐をげる事ができなかったな……。


 ほどなくして、部屋の扉が開かれる。

 そちらに向くと、クロエがいた。

 彼女だけでなく、アードラー……そして幼女と犬もいる。


 来たか。


 あの幼女を人質に取れれば、牽制できたかもしれないのだがな……。

 クロエはそれをさせなかった。

 私の目論見に、うすうす気付いていたのだろう。

 そう思える節はいくつもあった。


 玉座の間の様子を見て、クロエの表情が一層の険しさを増した。


「これはどういう状況ですか?」

「王は死んだ。それだけだ」

「アーリア様が倒れているのは?」

「彼女もまた、次の王だ。平穏のためには討たねばな」


 私は皮肉っぽく笑いかける。

 平静を保とうとしているが、クロエの顔に抑えきれない怒りが滲み出る。


 息苦しさを覚えるのは、共に放たれる殺気のためか……。


 こいつは王になれないな。

 そうなるには、あまりにも感情的過ぎる。


「何を怒る事がある? これは、お前にとっても都合の良い話であるはずだ」

「どういう意味?」

「私はこの混乱を利用し、できうる限りこの国を壊す。お前が王の訃報を国へ持ち帰り、アールネスの軍勢で攻め寄せればこの国を滅ぼす事も不可能ではない」


 考えていなかったのか、クロエは動揺を見せた。


「や、約束が違うではないか!」


 声を張り上げたのはクロエではなかった。

 玉座の隣に立ち続けた、イムカである。


「王が倒れれば、私に王位を譲るという約束だったはず。そのために、私は協力したのに!」

「ああ。そうだったな」


 そう言って、いろいろと協力させていたのだった。

 情報と物資を供させ、カールを焚き付けさせた。


「ならくれてやる。好きにすればいい」


 あっさりと言う私に、イムカは意外そうな顔をした。


「外にいる反乱軍を退け、その後にアールネスをどうにかできる手勢があるのなら……。念願の王となれる」


 言ってやると、イムカの顔が蒼白になる。


「そんな……それでは王となっても意味が無いではないか! そんな物はいらない!」


 言うと、イムカはそのまま玉座の間より去っていく。

 玉座の奥にある入り口から出て行った。


「あなたの目的は何? 王を殺し、アーリア様を殺し……いや、それだけじゃない。ジェスタ様も殺した」

「気付いていたか」

「ええ。私はずっと、あなたを警戒していたから」


 確かに、彼女が合流してから程なくして彼女は私を警戒していたように思える。

 私は純粋なアールネスの協力者として行動し、怪しまれるような事はなかったと思うが……。


「あなたは自分に武術の心得はないと言った。けれど、それは嘘だ。一の砦で私に差し出された手……。それを握り返した時、それが嘘だと気付いた。自分を欺こうとする人間は警戒するものだよ」


 そんな些細な嘘が見抜かれ、私の絵図は狂わされたわけか。

 三の砦で、アーリアに同行すると言い出したのもその警戒心からだろう。


 それが失敗して、ここまで殺せずにいた。

 そして……。


 それすらも失敗した、か。

 この女のために。


「うう……」


 アーリアが呻きを上げた。

 私はそちらを見る。


 確実に命を奪う事ができなかった。

 王を殺せる状況に、意識がおろそかになったか……?


 私はクロエの方をちらりと見る。

 彼女はアーリアを見ていた。

 今の呻き声も聞いただろう。


 ……確かに、この女がいなければ砦攻めは容易くいかなかっただろう。

 私の想定を超えた事態は多々あり、彼女がいなければ志半ばで倒れていたとしてもおかしくなかった。

 そう思えるだけの活躍をしている。

 しかし思えば、私が張り巡らせたアーリアを殺すための策《手》は全てこの女が潰したのだ。


 なんとも、扱いに困る女だ。


 おまけに感情的……。

 ここでアーリアを殺そうとすれば、この女は間違いなく敵に回るな。

 ならば……。


 頭を蹴り飛ばし、アーリアの意識を絶つ。

 白色で回復されても面倒だ。


「アーリア様!」


 クロエが声を上げる。


「幸い、生きている。だが、どうする? お前はどちらを選ぶ? 自国の恒久的な平和か、敵国の次期王か……」


 私はそう、クロエに選択を迫った。

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