二十五話 疑念
「確かに、我々はジェスタ殿下と和睦のための会談の場を用意した。しかし、殿下が会談の場へ現れる事はなかった。それを殺すなどという事はできない」
「そう……」
答えると、カルダモン将軍は空を仰いだ。
釣られて見上げた空は青く広がり、雲が緩やかに流れていた。
「だまし討ちをするという案は確かに出た。……しかし陛下はそれを却下し、本気で和睦を申し出ようとした」
カルダモン将軍は苦笑する。
「かつての陛下からは、考えられぬ事だ。陛下も子は可愛かったのか、それとも老いがそうさせたのか……。良い変化だと、私は思うが……」
彼の視線が私に向く。
「信じるか、この話を」
「信じるよ」
私はその場を離れた。
訊きたい事は訊いた。
そして訊いた限りでは、やはり急がなくてはならないようだ。
私は馬に乗る。
「すずめちゃん、怪我はない?」
強化装甲を一部解いて、背中のすずめちゃんに声をかける。
「大丈夫」
返事を受けて安心すると、馬に騎乗する。
その拍子に、ずきりと体が痛む。
顔を顰めた。
最後の一撃……。
思った以上にダメージが残っている。
白色を使っているのに、痛みが消えない。
筋肉繊維を極限まで酷使し、それを魔術で強化しつつ、白色で回復させながら打った一撃。
まさに、私が使える全てをつぎ込んだ一撃だ。
私の魔力もあまり残っていないのかもしれない。
「さぁ、行こう。休んでいる時間はない」
そう自分に言い聞かせるようにして呟き、兵士達と共に王城への道を急いだ。
幸いにして、王城へ至るまでに敵と出会う事はなかった。
しかし……。
そこには敵の姿も味方の姿もなかった。
その区別もなく戦い果てた兵士達の骸ばかりが転がり、ここで戦いがあった事だけを物語っていた。
その中で息絶え、光のない目で空を見上げる一人の兵士。
見覚えのある顔。
私が鍛えた新兵の一人だ。
きゅっと、胸が締め付けられる感覚があった。
遅かったか。
もう、本隊は王城へ攻め入った後だろう。
そんな中、一人の紅い女性が一匹の白い犬を抱え佇んでいた。
「アードラー。待った?」
「今来たところよ」
待ち合わせ中のカップルみたいな問答を経て、笑みを交わす。
少し、心が和らいだ。
「怪我は無い?」
「無傷よ」
『むきずよ!』
私の質問に、アードラーと雪風が答える。
「私が来た時にはもう、すでにこの状態だったわ」
周囲の惨状を目にしつつ、アードラーは語る。
思っていた以上に早い。
カルダモン将軍の不在とバーニの手腕があっての事だろう。
「本隊を追おう」
「わかったわ」
頷き合い、互いの部隊を率いて城内へと足を踏み入れる。
すると、味方の部隊がそこに留まっていた。
「コルヴォ先生!」
一人の兵士が私に気付いて声をかけてくる。
彼もまた、私が訓練した新兵だ。
「どうしてここに?」
「外の敵が侵入してこないよう、守れと言われました」
増援を防ぐための守備部隊としてここに置かれたようだ。
それだけが目的ではないかもしれないけれど。
「アーリア様は?」
「バーニ様、バルダン様と共に玉座の間へ向かいました」
「わかった。ありがとう。私達もそれを追う……」
率いてきた兵士もその守備部隊に組み込み、私とアードラーは玉座の間へと向かった。
城内にも、戦いの痕跡は多く見られた。
その痕跡を追う。
「そろそろ、訊いてもいいかしら? あなたが何を懸念しているのか……」
廊下を走っていると、アードラーが訊ねてくる。
確かに、私はある懸念を抱いていた。
いや、疑念と言ってもいい。
けれど私の勘違いかもしれないから、今までアードラーにはそれを伝えていなかった。
でも、それは今や強い現実味を帯び始めている。
答えるべきだろう。
「一の砦で、私はバーニに助け起こされた。その時に思ったんだよ。バーニはあまり信用できない人間なんじゃないか、って」
私の言葉に、アードラーは怪訝な表情を向ける。
「どういう事?」
「彼は、武術の心得がないと言っていたよね」
「……言ったかもしれないわね」
「それが嘘だったんだよ。手を握ってわかった。あれは、武術を修めた人間の手だ」
手の平の感触、握る力の入り方、引き上げられる時の重心移動、体幹……。
そこから私は、彼の体が逞しく鍛え上げられ、武術を修めた人間特有の所作を感じ取った。
しかし、彼自身はそれを否定した。
何故否定したのか?
それがひっかかっていた。
協力関係にあるはずの私達に、何故嘘を吐いたのか……。
「それだけでは些細過ぎるわね。だから、それだけじゃないのでしょう」
問われ、私は頷いた。
彼女の言う通り、些細な疑念だ。
私も最初は、さほど気にしていなかった。
軽く警戒する程度に留めていた。
けれど、その疑念はここへ来るまでに大きく育っていった。
「最初にアーリアと出会った時の事を訊いて思ったんだ。もしかしたらバーニは、アーリアを殺そうとしているんじゃないのか、と」
バーニは兵士を逃がすために、アーリアを囮に使った。
あれは間違いなく、アーリアの死を前提とした策だった。
アーリアの力量を正しく把握していながら、それでも行かせたのだから。
「それに、三の砦でもあえてユリウス将軍にぶつけようとした」
「あれもわざとだと?」
「砦を偵察した時、私はユリウス将軍が部隊を編成している所を見た。彼女が何かをしようとしている事は、私にもわかった。なのに、バーニがそれに気付かないとは思えない」
「なるほど」
ユリウス将軍の動向を読んだバーニは、それを利用してアーリアを排除しようとしたんじゃないのか、と私はそう思ったのだ。
だから私はあの作戦を聞いた時、その可能性に思い至って一緒に行動する事を提案した。
そして、実際にユリウス将軍とかち合った事で疑念は確信に変わった。
バーニは、アーリアを殺そうとしている、と。
しかし、不可解な事がその後に起こった。
「反乱軍が勝利した際の事を思えば、アーリアが邪魔になる事はわかってた。王になる候補が二人いるというのは、後々の禍根になりかねない」
「そうね」
「だから、ジェスタを確実に王位へ引き立てるため、アーリアを殺そうとしているんじゃないかと……。でも、それも間違いだった」
アードラーは私の言葉に黙り込み、思案する。
そして、驚きを含んだ声で訊ね返した。
「ジェスタ王子の死が、バーニの仕業だったと言うの?」
「私はそう思っている」
そう、ジェスタ王子が死んだのだ。
あれは予想外だった。
私はバーニが、ジェスタを王にするためにアーリアを殺そうとしたのだと思っていたから。
でももし、あれがカルダニア王の罠ではなく、バーニの企みによって起こされた事だとしたら……。
ジェスタを殺したのが、カルダモン将軍ではなくバーニだったのだとしたら?
「で、そう考えた場合、バーニは何を目的としていると思う?」
「……ジェスタではなく、アーリアを擁立しようとしている?」
「そうだね。そう思う。でも、そうじゃないかもしれない」
「他に何か別の目的があると?」
アードラーの疑問。
それに答える前に、私達は目的の場所へ辿り着いた。
そこは、一つの大きな扉の前。
そこには、三十人程度の兵士達が扉を守るように立っていた。
彼らの顔をじっくりと見ていく。
……みんな、和睦会談の時にバーニが率いていた兵士達だ。
彼の私兵達……。
「アーリア様はここにいる?」
彼らに声をかける。
「はい」
「通してもらうよ」
素通りしようとすると、手で制される。
「何者もここを通すな、と仰せつかっております」
高圧的な声で、兵士は言う。
「それでも通ると言ったら?」
「通しません」
答える兵士の顔をハイキックで打つ。
顎を狙った一撃に、失神した兵士が膝を折って落ちるように倒れた。
私の予想が正しければ、いち早くここを通らなければならない。
アーリアの安否を確認しなければならないはずだ。
だから、問答はしない。
彼らがあの時、会談に向かった兵士達ならなおの事。
「何をなさる!」
兵士の一人が叫び、武器を構えた。
他の兵士達もそれに倣い、私へ槍の穂先を向ける。
それに構わず、私は兵士達へ突っ込む。
迎撃する兵士を二人、速やかに昏倒させる。
背後を狙い、別の兵士が攻撃を仕掛けてきた。
私はそちらを無視して、前の兵士の排除を優先する。
何故なら、背後の兵士に対処する必要はないからだ。
背後の兵士達をアードラーが斬り伏せる。
アードラーが背中を守ってくれる。
そう思えば何も恐れる事無く、私は前だけを見ていられるのだ。
そう思っていると、兵士の一人が巨大な水球によって壁へ打ち付けられる光景が目の端に映った。
「わわん!」
雪風もいる。
頼もしい……かな?
それから特に危なげもなく、兵士達を制圧した。
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
「大丈夫」
『むきずよ!』
みんなの安否を確認すると、私は玉座の間へ入った。
開かれた扉の中、その光景に私は目を見張る。
玉座の間では、バーニだけが佇んでいた。
その足元には見知らぬ壮年の男性……。
そして、アーリアが倒れ伏していた。
倒れる二人。
その下には、血溜まりが広がっていた。
「バーニ……!」
彼を呼ぶ私の声は、思いがけず強い怒気を孕んでいた。
バーニの目的……。
もし別の目的があるとするならば、それは……。
始めから、ジェスタとアーリアを二人とも殺すつもりだったという物だ。




