八話 影閃平塚流道場
翌日の昼頃。
新しい料理屋の開拓がてら、入った事のない小料理屋で食事をした後。
私は斉藤さんに案内され、影閃平塚流道場という剣術道場へ訪れる事になった。
道中、その剣術道場について斉藤さんへ訊ねる。
「影閃平塚流とはどのような流派なのでしょう?」
「前にも言いましたように、前田藩一の剣術道場。という事になっております」
斉藤さんの言葉には含みがあった。
彼に珍しく、言葉の端に嫌悪感が滲んでいるようにも思える。
「道場主の平塚一刀斎は家老の一人である下田様の覚えめでたく、懇意の間柄との話。いろいろと便宜を図っていなさるようだ」
名ばかりである。
そういう事だろうか?
道場に着く。
道場は大きく、門構えは立派だった。
見栄えがとても良い。
門の前には、門下生らしき稽古着姿の若者が立っていた。
私を見て少し驚きながら、声をかけてくる。
「話はうかがっております。どうぞ、こちらへ」
その門下生に案内されて、私達は道場へ入る。
道場内は手入れが行き届いている。
床は質のいい木で出来ており、よく磨かれてぴかぴかと輝いている。
床だけでなく、道場内の作りは全体的に見栄えが良い。
剣術道場というには少し上品過ぎる気がした。
そんな道場で、三十名を越えるだろう門下生達が木刀で素振り稽古を行なっていた。
それだけの人数が稽古に励めるほどに、道場は広かった。
視線を感じてそちらを見ると、窓からはその様を見学する人々の目があった。
恐らくは見物に興じる町民の類だろう。
「斉藤様でありますな?」
白髪の白髭を蓄えた老人が声をかけてくる。
「はい。この度は見学をお許しいただき、かたじけなく」
「いえ。こちらこそ、武の巧者と名高い斉藤様に興味を持っていただけるとなれば、我が道場にとっても誉れにございます」
老人は斉藤さんに挨拶すると、私へ向き直る。
「あなたがあるねすから来た渡来人の方でございますな? 私は平塚一刀斎と申す者です」
この人がさっき斉藤さんの言っていた道場主か。
ふぅん。
この人がねぇ……。
「話によれば、武家の出身であるとか……」
老人は私を無遠慮に眺める。
「はい。異国の武術に興味がありまして見学をさせていただこうかと」
「そうでございますか。心ゆくまで堪能くださいませ」
私と斉藤さんは入り口付近の壁に寄って座り、稽古を見学する事にした。
平塚老人は道場の奥で座って、門下生達の稽古を眺めている。
彼の座る場所の後ろには、二振りの刀が飾られている。
拵えは見事で、それが質の良い物である事がうかがえた。
斉藤さんの話を聞いて、私は少し疑っていたが……。
思ったよりもまともな道場のようだ。
真っ当に腕の立つ門下生もちゃんといる。
素振りを見ているだけでわかる。
しかしながら、御世辞にも強いとは言い難いお粗末な腕の者もいる。
そんな中、見学している私達に一人の男が近付いてきた。
垂れ目で、妙に睫毛の長い男だ。
「そなたが異国から来た女か?」
無遠慮に問われる。
「そうですが。……あなたは?」
「拙者は下田隆道。この道場の師範代をしておる」
下田?
「どうやらそなた、武家の人間らしいな?」
「如何にも、その通りです」
じろじろと品定めするように見られる。
そして、ふんと鼻を鳴らした。
「所詮は女のお遊びであろう」
と、聞こえるか聞こえないかという声で言い、そのまま去って行った。
「斉藤さん。下田という事は……」
「家老下田様の次男坊、隆道様です」
斉藤さんが教えてくれる。
やっぱりか。
素振り稽古が終わる。
「では、これより試合稽古を行なう」
平塚老人が言うと、門下生達がそれぞれ左右に分かれた。
それぞれ向かい合う形で一列に並ぶ。
どうやら、当たる相手は予め決まっているようだ。
門下生一人一人の腕を見て、どの相手と試合させると良い影響を与えられるか、そういった事を吟味しての采配かもしれない。
「一番手、前へ」
互いの列から一人ずつが道場の中央へ行く。
私達から見て、左手側の門下生は私が目をつけていた若者だ。
門下生の中でも、目を見張る実力者である。
対して、相手は別の意味で私が目を見張った相手。
びっくりするぐらいに剣の腕が悪い門下生だ。
これは相手にならないな。
この組み合わせは本当に正しいんだろうか?
そう思いながら見ていると……。
「え?」
しばらく打ち合った後、腕の良い門下生があっさりと負けた。
木刀を打ち払われ、手から飛ばしたのだ。
「参りました」
「ふん。他愛無い」
腕の立つ門下生が頭を下げ、絶望的に腕の悪い門下生が鼻を鳴らした。
「あ……? あ……?」
「……そんな面白い顔でこっちを見ないでください。言いたい事はわかります」
そんな面白い顔をしていたのか? 私。
次の試合が始まる。
すると、やっぱり腕の良い門下生が負ける。
その次も同じだ。
よく見ると、左側の列の門下生は全員腕の立つ者ばかりだ。
右側の列にも何人か腕の立つ門下生はいるが、それでも腕の劣る者達ばかりが集められている。
なのに、勝つのは右側の腕の悪い門下生達ばかりだ。
何これ?
トリックルームでもされてるの?
トリパなの?
「右側の列は、我が藩でも有力な役職に就く家の子息ばかり。対して、左側は藩士でも地位が低い家の者や、町民出身の門下生です」
ああ、そういう事か。
私は、斉藤さんの言いたい事がわかった。
これは接待みたいなものだ。
両家の子息に勝たせるよう、予め左側の門下生達は言い含められているのだろう。
接待剣術である。
なるほど。
この道場は技を磨く場所戸言うよりも、両家の子息たちが箔と自尊心を満足させるための道場だという事か……。
いや、道場なんて言えない。
お客さんをすごいすごいと褒めて、気分よくお金を落としていってもらう接待業。
道場全体に漂う妙な高級感といい……。
キャバクラかっ!
いや、キャストは男だからホストか?
でも客も男だからむしろゲイバー?
知らず、溜息が出た。
これはつまらない。
「斉藤さん。せっかく連れてきていただいて申し訳ないのですが、そろそろ帰ろうかと思います」
「……こちらこそ、申し訳ありません」
そんなやり取りを交わして、道場を出ようとした時だった。
「遅れて申し訳ありませぬ」
そう言って、道場へ入って来た人物があった。
その声に聞き覚えがあり、私は声の主を見る。
声の主は、夏木源八だった。
「遅いではないか、源八。「客人」もおるのだぞ」
「「客人」にございますか?」
下田に言われ、夏木さんはこちらを見る。
「あなたは……」
夏木さんは驚いた。
「どうも」
頭を下げる。
「お客人」
平塚老人が声をかけてくる。
「見るだけの事に退屈しているご様子。ここで少し、我が流派に直接触れてみるのはいかがでしょう。見た所、腕も立つご様子。他の門下生では腕の合う者もおらぬと思い黙っておりましたが、夏木が相手ならば丁度よいでしょう」
「試合をしてみないか、という事でしょうか?」
平塚老人は「ほっほっほ」と笑いながら頷く。
「そういう事でしたら、是非」
私は答える。
相手が夏木さんであるのなら、やる価値はあるだろう。
「相手もこう申している。
「わかり申した」
「夏木。決して「客人」に恥をかかせるでないぞ?」
平塚老人は念を押すように言う。
夏木さんは黙って頷いた。
こうして私は夏木さんと試合をする事になった。