二十話 泣き虫姫
ユリウス将軍を倒した事で、幸いにも敵兵士達はあっさりと降伏してくれた。
その後、すぐに当初の計画を完遂すべくアーリアの部隊は行軍を再開。
放置するわけにもいかないので、捕縛したユリウス将軍も同行させた。
結果、背後からの奇襲は成功し、三の砦を速やかに落とす事ができた。
こうして指揮官が討ち取られ、戦は反乱軍の勝利に終わった。
士気が高ければ、指揮官が討ち取られても兵士が戦いを止めない場合だってある。
抵抗も無く降伏を受け入れたのは、元々全体的に士気が高くなかったからなのかもしれない。
速やかな勝利によって反乱軍の被害は軽微。
それは喜ばしい事だった。
しかしながら軽微である以上、皆無とはいかないのである。
少なかったとしても、命を落とした者は確実にいた……。
戦いが終わってすぐに、反乱軍は砦の中へと入った。
アーリアの部隊は本隊と合流する。
「終わりましたね」
「……そうですね」
アーリアに声をかけると、素っ気無く返された。
その表情からは緊張が抜け切っておらず、血の気が引いているようにも見えた。
「少し、本隊の方に行ってきます」
「……わかりました」
アーリアの事が心配で、一瞬追いかけようと思った。
けれど、本隊にいたアードラー達の事も気になっていた。
アーリアを見送って、私はアードラーの様子を見に行く。
ほどなくして、私はアードラーを見つけた。
部隊の中にあっても、彼女の赤い服は良く目立つ。
幸いにして無傷に見える。
「アリョール」
呼びながら駆け寄ると、彼女はニコリと笑みを返した。
「無事だったようね」
「まぁ、どうにか無傷だよ。そっちは?」
「私もよ。すずめさんとユキカゼも同じ」
「よかった」
それを聞いて安心し、自然と息が漏れる。
「この剣も無事」
そう言うと、アードラーは刀の唾を親指で弾き上げ、スッと鯉口を切って刀身を半ばまで抜いて見せる。
手馴れていて、何だか所作が本職の侍じみてきたな。
「本当に良い剣よね。叩きつければ折れそうなほど薄いけれど、その分切れ味は他に類を見ないほど鋭い。斬る事を念頭に置いて使えば、それにしっかりと応えてくれる」
どこかうっとりとした様子で、アードラーは饒舌に言った。
「まるで、手の延長のようだわ」
彼女は手で物が斬れるので、比喩でなく本当に延長みたいなものだろうな。
「気に入ってくれたならよかったよ」
「あなたの使っているそれも、少し使ってみたいわね」
そう言いつつ、アードラーは私の腰にある白狐を見た。
「こっちはダメ」
「呪われているという話よね。でも、少しだけなら……」
「ダメ」
ただでさえ刀に魅せられ始めているのに、こっちを使ったらアードラーが暗黒面に堕ちてしまいそうだ。
しかし、こうして明るく話せるなら本当に無事なのだろう。
むしろ無事じゃないのは……。
私は、アードラーから視線を外す。
向いた先には、硬い表情を崩せないままジェスタと会話するアーリアの姿があった。
「お断りします」
砦の一室にて。
椅子に座らされたユリウス将軍は、反乱軍参加の誘いにそう答えた。
室内には、マティアス将軍と話をした時の面子が集まっていた。
ユリウス将軍の前には机が置かれ、それを挟んだ対面にバーニが座っている。
他の面々は二人のやりとりを立ったまま見守っていた。
「……この戦いで、カール殿下は亡くなられた。たとえ反乱軍が敗れ、王国側の勝利に終わったとしても、あなたは殿下を守れなかった咎で処刑を免れないでしょう」
ユリウス将軍に、バーニはそう告げる。
砦の攻略戦で、敵の指揮官だったカールは戦死している。
バルダンによって首級をあげられたらしい。
バーニがカールの死を口にした時、ジェスタは小さく息を吐いた。
その表情も心なしか曇っているように見える。
敵とはいえ、カールは彼の弟である。
それが死んだとなれば、思う所があるのだろう。
「えー……。それは確かに嫌ですね」
ユリウス将軍は、心底嫌そうに答えた。
「あなたが処罰を免れるには、反乱軍の勝利が不可欠です。なら、我々に助力した方が良いと思いませんか?」
「嫌ですよ」
ユリウス将軍は一考する素振りも見せずに即答した。
「処刑は嫌ですけど、同じ国の人間同士で戦うのも同じくらい嫌なんです。それでもどちらかを選ぶしかないのが辛い所ですね。……嫌だ嫌だ、本当に嫌だ」
彼女にとって、自己保身よりも仲間と戦わない方が重要なのだろう。
こういう部分は、マティアス将軍と同じだ。
マティアス将軍のように戦いを好む性格ではなさそうだが、やはり根底にある気性は似通っていると見るべきだろうか。
「陛下が勝ったとしても逃げれば済む事ですし」
いや、自己保身も十分に考えているらしい。
「それでは、家が処罰を受けるかと思いますが?」
「それは心配ないと思います。おじいちゃんは生きているのでしょう? 何とかしますよ」
ユリウス将軍が答えると、バーニは私を睨むように見た。
そういえば、生きている事を伝えたな。
言ってはいけない事だったらしい。
ユリウス将軍を口説き落とす手札に使いたかったのだろう。
今の視線は「何故知っている? お前が言ったのか?」という意図があったのだろう。
しかし彼女は、マティアス将軍の事を普段はおじいちゃんと呼んでいるのか。
そこでユリウス将軍は正していた姿勢を崩した。
机に頬杖を付く。
「でも正直に言えば……。そもそも、あなたの算段が気に入らないんですよね」
「私の算段、とは?」
「兵数を揃え、それを最小の被害で抑えて王都まで最短で攻め上がる……。その手腕は見事です。今の戦力ならば、まともにやり合っても王都の防備を崩す事ができるかもしれない」
「ならば、非難される謂れはないように思いますが?」
「何故、防備を崩せると断言しなかったかわかりますか?」
一言問い返すと、ユリウス将軍はバーニを睨み付けた。
その視線の意味をどう受け止めたのか……。
バーニは小さく息を吐き、椅子に深く座り直した。
「王城を固めた王の軍勢を相手とするには、正攻法を用いるしかない。けれど、反乱軍の兵士は質が悪い。たとえ王軍に勝利したとしても、その時には反乱軍の殆どの兵士が犠牲になっているでしょう。あなたは今まで温存した戦力を全て、王都の攻略で使い潰す算段です。違いますか?」
質を量で補い、犠牲を考えずに力押しをするという事か。
そんな彼女の指摘に、バーニは表情を変えないまま口を閉ざした。
「そうなのか?」
ジェスタはバーニを見て問いかける。
「そうなる事も視野には入れています。ですが、絶対ではない」
黙りこんでいたバーニが口を開く。
それは肯定と否定の言葉だ。
相反する意図の言葉は、そのどちらが真実なのだろうか。
「戦となれば犠牲を皆無にする事はできない。大なり小なりの被害は出るものです。将ならばわかるでしょう」
「もちろん。けれど、それが内輪揉めだとするなら馬鹿馬鹿しい事でしょう。気に入らないんですよ。心底……」
ユリウス将軍はバーニを嫌悪にも似た表情で眺め、吐き捨てるように答えた。
「わかりました。あなたの勧誘は諦めましょう」
「はい。そうしてください」
答えると、ユリウス将軍はにっこりと笑顔を取り繕った。
「それから、あなたは何者です?」
次いで、私に問いかける。
「コルヴォ。傭兵です」
「ふぅん」
値踏みするように、彼女は私を眺める。
やがて、口を開いた。
「気をつける事ですね」
「何を?」
「おじいちゃんの血縁者は私だけではないという事を……。私など所詮、おじいちゃんに一番似ていない孫。おじいちゃんが敗れたと知れば、これからはプチおじいちゃんと呼ぶべき私の親戚達があなたの前へ次々に立塞がる事となるでしょう」
ふふん、と得意げな表情でユリウス将軍は言う。
ごくり……っ。
それは大変だ……!
マティアス将軍一人でも大変だったのに、量産型マティアス将軍がこれから次々に現れるなんて……。
反乱軍は勝てるのだろうか?
「その殆どは国境に向かったはずです。今後は、彼らと出会う機会もないでしょう」
ユリウス将軍の言葉を否定するように、バーニがさらっと答えた。
「ちぇっ、知ってましたか。ちょっと脅かそうと思ったのに……」
「何でまたそんな事を?」
ユリウス将軍は、私を指差した。
「どうやら、私も何だかんだでおじいちゃんの負けず嫌いな所は受け継いでいるようです。少し、負けた腹いせをしてやりたかったんですよ。あなたに」
砦で過ごす夜。
私は割り当てられた部屋を見回し、外へ出た。
砦の中を歩き回り、目当ての人物がいない事を確認すると砦から出た。
砦の外周を巡るように歩き、私はその人物を見つける。
近づいていく。
彼女は荒野の只中で、岩に腰掛けていた。
その傍らには、鍛錬用の棍棒が立てかけられている。
「アーリア様」
呼ぶと、彼女はこちらを向いた。
見るからに落ち込んだ様子の彼女は、その目を潤ませていた。
それを隠すように、ぐしぐしと乱暴に目元を拭うアーリア。
「先生……。どうしました?」
アーリアは、平静を装って訊ね返す。
けれど、それが無理をして引き出した物である事は明らかだ。
「部屋に戻らないので、探しに来ました。もう遅い時間ですからね」
「それは、心配をかけてすみません」
立ち上がろうとするアーリアを制して、私は彼女の隣に腰掛けた。
特に何を話すでもなく、時間が過ぎていく。
アーリアはこちらに目を向けていたようだったが、やがて視線を外し、俯いた。
それからややあって、彼女は再び顔を上げて私を見た。
口を開く。
「人の死に度々憂いを見せるなんて、指揮官としてあってはならない事なのでしょうね」
兵士の損害は軽微。
しかしながら、それは全体を見ての話だ。
軽微の中には、彼女の部隊の人間が多く含まれている。
いくら防御に徹していたとはいえ、倍数近い部隊の猛攻を受ければ無傷では済まない。
つまり……。
今日の戦いで、彼女の見知った兵士の何人かが命を落としたのだ。
それは、私にとっても見知った兵士達という事でもある。
だから、彼女の抱く気持ちは私が抱いている物と同じだろう。
勝利はしたが……。
だから、彼女の表情は晴れないのだろう。
そんな彼女には、王都の攻略戦が今まで以上の被害を生むかもしれないという事を教えない方がいいだろう。
彼女はそれを知らない方がいいのだ。
今以上に、気を病んでしまう。
「それも自分の兵士だけでなく、敵の死に対してまで……」
それは、彼女の兄の事だろう。
カール殿下の事だ。
「私はあの人に疎んじられていて、正直良い関係ではなかった。それでも、不思議と悲しみが溢れてくる……」
再び、彼女は俯いてしまう。
「私は、軍の指揮官に向いていないのでしょうね。武芸ならば役に立てると思い、だからこの戦いに参じたというのに……。私は兄上の役には立てていない。なんて、未熟なのだろう……」
彼女は顔を上げられないまま言う。
彼女の言う事はもっともだ。
兵士を大事にし過ぎる事は確かに、指揮官としてよくない。
私もそう父上に教えられた。
指揮官には兵士を尊びながらも、消耗品として運用する非情さを求められるのだ、と。
でも……。
「アーリア様……。確かにあなたは指揮官に向いていないのかもしれない。でも私から見れば、そちらの方が人間として魅力的に思います」
人を悼む気持ちを持てない人間だっている。
そんな人間よりも、私には彼女が上等な人間に思えた。
「先生……」
アーリアは私を見た。
「いいじゃないですか。指揮官に向いていなくても……。それに向いている者は、ろくでもない人間に違いないのですから。私は、そう思います。だから、自分がそうでない事を恥じる必要などありません」
私を見詰める瞳の水分が、少しずつ増していく。
そして、最後には零れ落ちた。
「……ありがとう……ございます」
私は彼女の背に手をやってさする。
アーリアは案外に泣き虫だ。
そして私は、その涙に弱いらしい。
「……大丈夫です。私がついていますから」
少しだけ迷い、私はそう告げた。
私の目的は彼女と違う。
私はこの国や彼女のためでなく、むしろ自分の国と娘のために戦っている。
見ている物がそもそも違うのだ。
必要以上に彼女と心を交わさない方がいいのかもしれない。
いずれ、裏切る形で私は彼女から離れなければならないだろうから……。
だとしても、私は彼女にそう言わざるを得なかった。
そう言って、慰めてあげたかった。
たとえ一時でも、少しでも、彼女の心が楽になるのなら、と。




