幕間 豚を狩る
アーリア率いる別働隊と別れ、本隊は砦へと行軍を続けた。
こちらの兵力は一万七千。
対して相手は七千程度だ。
この圧倒的な兵力差で当たればまず間違いなく勝てるが……。
あとに控える王都攻めを想定すれば、兵士はできるかぎり温存したい所だ。
カール殿下が相手となればこのままでも被害は想定内に抑えられるだろうが、ユリウス将軍がそばにいればそうもいかない。
その場合も想定して、できるならクロエにはこちらで戦ってもらいたかったが……。
いない以上、今の戦力で戦うほかない。
しかし彼女は、何を考えているのだろうか?
私の想定とは違う動きをする……。
とはいえ、考えようによってはこれも良い手か。
彼女の優秀さを考えれば……。
ユリウス将軍が砦に居たとしても、最終的に上手く事は運ぶ。
「難しい顔をして、何かございましたか?」
隣を行っていたバルダンが声をかけてくる。
見れば、同じく隣にいたジェスタもこちらの様子をうかがっていた。
「いえ、問題はありません。ただ、少し予定が変わるだけです」
「そうですか」
そう……。
少し予定が変わるだけだ。
軍が砦へと辿り着く。
眼前には、砦の前に布陣するカールの部隊があった。
カールの部隊は防御陣形を敷き、こちらを目視していながらも動く気配はなかった。
望遠の魔術で確認するが、ユリウス将軍の姿はない。
さて、ユリウス将軍はどこにいるのか……。
こちらが攻めるために陣形を整えていても、敵部隊が攻撃を仕掛けてくる様子はなかった。
ただ、見るからに陣の防御が固い。
兵の配置だけで、指示を出さずとも機能するようにしている。
そして、騎兵の姿もない。
下手に動かぬよう攻撃手段を削いだ、と思うのは邪推し過ぎだろうか?
しかしそこまでお膳立てしているという事は、ユリウス将軍はいない、か。
指揮を必要としない陣を組むとい事はそういう事だ。
「バーニ。どうすればいい?」
ジェスタが訊ねてくる。
「向こうも防衛に専念してくれるなら、こちらとしても時間が稼げるので好都合です。しかし、攻め手である私達が露骨に時間稼ぎをすれば敵に目的を察知される可能性があります」
あの愚鈍な第二王子がそれに気付けるかはわからないが。
「なので魔術による攻勢をかけつつ、こちらの意図を隠します」
「わかった」
魔術部隊に命じ、敵部隊に対しての攻撃を開始する。
人にはそれぞれ、得意な分野の魔術がある。
炎、電撃、氷、と攻撃に向く魔術は主にそれくらいだ。
正規の軍ならば、それらの属性を統一して用途による運営をする。
火計が有効であるなら炎、野外なら電撃、攻城ならば氷の塊をぶつけるという具合に。
しかしながら人材不足の我が軍ではその余裕もなく、魔術師部隊はそれぞれが得意とする魔術を無秩序に放っている。
その攻撃に対して、敵部隊は魔術攻撃を各々が装備した盾で防ぐ。
しばらくそうしていた敵部隊だが、やがて反撃に移った。
電撃に統一された魔術攻撃である。
こちらも魔力で強化した盾を使い、それを防いだ。
青白い無数の電流が、兵士達の構えた盾の上をなぞるように走る。
指揮官の質によるものか動きの遅さは目立つが、その攻撃の激しさはこちらの比ではない。
魔術師の質の差か……。
いや、それだけではないな。
損耗を考えず、魔術攻撃を全力で行っているからだ。
ずっと縮こまっているかと思ったが、反撃に移ったか……。
どういう意図で反撃したのだろうか。
こちらと同じ理由だろうか?
何も考えずに反撃した可能性もあるが……。
それが正解かもしれないな。
無能であるが、攻撃的。
その性質が、こんな形で現れるか。
その状態が三十分ほど続いた頃だ。
「アーリア達の到着が遅くないか?」
ジェスタが声をかけてくる。
彼の馬には、クロエの連れである幼女と白い犬が乗っていた。
多分、ジェスタのそばが一番安全だから預かってほしいと頼まれたのである。
ジェスタはそれを快諾し、同じ馬に乗せていた。
「……そうですね。何かあったかもしれません」
「何か?」
「ユリウス将軍の姿が見えません。敵もまた、我々と同じ策をとった可能性があります」
答えると、目に見えてジェスタの表情が強張った。
「では……!」
私は頷いた。
抜け道で両者がかち合った可能性が高い。
「助けに行かねば!」
「無理はなさらないように。ここであなたに死んでもらっては困ります」
そう、ここで死んでもらっては困る。
「コルヴォ殿がいます。彼女ならば、みすみすとアーリア様を殺させるような事はしないでしょう」
「そうか……。そうだな。マティアス将軍を破ったあの方なら、何とかするかもしれん」
その言葉で、ジェスタは少しだけ安心したようだった。
「それに、彼女がアーリア様を任されたように、あなたもその子達を任されているのです。その責任を果たしなさいませ」
言うと、ジェスタは自分の前に座る幼女と馬首に寝そべった白い犬を見やった。
表情がさらに綻ぶ。
「その信頼には応えねばならんな」
少し余裕が戻ってきたようだ。
それを見越し、私は口を開く。
「とはいえ、策が失敗したとなれば別の策を使う必要がありますね」
私は敵の攻勢を観察する。
先ほどより、魔術の勢いが衰え始めていた。
できるなら、このような小手先の技を使いたくないのだが……。
「魔術部隊に攻撃を止め、防御に徹するよう通達。少しずつ後退します」
「どうするつもりだ?」
私の命令に、ジェスタが訊ね返す。
「アーリア様の奇襲無しで勝ちにいきます」
敵を倒すのは本隊だ。
どちらにしろ最後には正攻法の戦いになる。
そうなれば数の多いこちらが勝つだろう。
しかし、攻めるにしても相応しい時という物がある。
その相応しい時を作り出すための奇襲だった。
奇襲によって得られるのは、敵の混乱。
それが隙を生む。
その隙を衝いて戦えば、こちらの有利に事が運ぶ。
相手に与える被害が増え、こちらの損耗を抑えられる。
とりわけ、我が軍において兵士の損耗は重視すべき事だ。
だから無策で勝てるとしても、できるだけ兵の損耗を抑えるための策を用いる必要がある。
私の命令に従い、部隊は少しずつ後退する。
そして、魔術攻撃の射程外まで出る。
「突撃陣形へ移行せよ」
同時にそう命令を発する。
相手に動きを悟られぬよう緩やかに、しかし着実にこちらの陣形は突撃に適した物へと変わっていく。
すると、遅れながらもそれに伴って敵の部隊が動きを見せた。
防御陣形を解き、こちらと同じく突撃陣形に移る。
足止めの失敗を案じたか、それとも敵を侮って手柄を優先したか……。
恐らく後者だろうな、と思い私はほくそ笑んだ。
「釣れましたね。全部隊、突撃!」
相手の陣形が形となる前に、私は突撃命令を出した。
突撃陣形の完成していた全部隊が敵部隊へ向けて突撃を仕掛ける。
それに気付いて、敵が再び陣形を変えようとする。
しかし、その動きには混乱があった。
防御陣形に戻るでもなく、突撃陣形になるでもなく、兵士の動きはちぐはぐで混沌としている。
思いがけない事態に、混乱しているのだろう。
敵部隊の全てが混乱している。
その中でも、もっとも混乱の大きな者は指揮官であろう。
満足に統率の執れない人間が安易に陣形の変更などをするからそうなる。
不足の事態に何をしていいのかわからなくなる。
せっかくお膳立てしてくれたユリウス将軍の陣形も、崩れてしまえば意味がない。
その優位をあの無能は自ら捨てたのだ。
ダメ押しに、もう少し揺さぶりをかけようか。
「魔術騎兵部隊、魔術での攻撃を仕掛けてかく乱せよ!」
温存していた魔術騎兵部隊を動かす。
攻撃の手を加えて、相手をさらに混乱させるためだ。
魔術騎兵による魔術攻撃が敵部隊へ殺到する。
それに気付いた幾人かの敵の兵士達は、魔術の攻撃に備えて盾を構えた。
しかしそれに集中する余り立ち止まり、さらに陣形を乱した。
攻撃に気付かなかった者や、さらに他の兵士達にぶつかられて集中を切らせた者もおり、防御は完璧な物とならなかった。
防ぎきれなかった魔術が敵部隊に直撃し、そのそれぞれの場所で数十人の兵士が命を落とした。
敵部隊は混乱の極地へと陥り、そこへこちらの歩兵部隊の突撃が加わった。
バルダンの率いる歩兵部隊が、敵の陣形へと容易く食い込む。
戦場は魔術師同士の魔術戦から、瞬く間に歩兵同士の乱戦へと移行した。
ぶつかった当初は混乱によって陣形へと食い込めたが、すぐに兵士達は持ち直した。
こちらの兵士に、正規兵が少ない事もあるだろう。
戦況が膠着する。
しかし、攻撃力の衰えていない場所もある。
クロエの連れ……。
赤い服の美女だ。
クロエのおまけ程度に思っていたが、あれも強い。
赤の服は戦場で目立ち、遠目に見てもわかる。
彼女の使う変わった形の剣が振るわれる度、鮮血が周囲に散る。
流された血に染まっていく大地は、さながら彼女の纏う赤が周囲を侵食しているようにも見えた。
その異様な光景からか。
乱戦の中、彼女の周囲には空間が生まれている。
兵士達は彼女を遠巻きにし、攻めあぐねているようだ。
彼女は一人で、その何倍もの人間を圧倒していた。
しかしそれ以外の場所は、そう上手くいっていないようだ。
敵兵士の立ち直りが、予想以上に早い。
指揮官の無能とは裏腹に、兵士達の錬度が高いのだ。
恐らく、ユリウス将軍の兵だ。
手塩にかけて育てた兵を無能に取り上げられ、使い潰されるのはさぞ悔しい事だろうな。
とはいえ、その分強い。
しかし、これ以上はもう策もない。
損耗を覚悟で押し切るほか無い。
我ながら無様な事だ。
最後の最後には、強引な力攻めしかできぬのだから。
そう思った時だった。
敵部隊の背後より、アーリアの部隊が姿を現した。
ユリウス将軍の部隊を突破したか……。
流石はビッテンフェルト。
そう褒めるべきか、な。
アーリアは敵の砦へ入り込み、制圧を開始する。
背後を取られた事で、敵部隊は再び混乱を見せる。
それも先ほど以上の混乱だ。
恐らく、背後から敵が来た事が何を意味するのか気付いている者が多いからだ。
つまり、ユリウス将軍が敗れたという事実だ。
「今が最高の時です。押し切りますよ、殿下」
私はジェスタに声をかけ、馬を走らせた。
「わかった!」
そう答え、ジェスタも馬を走らせる。
「押せ! 力の限りに押せ!」
ジェスタが兵士全体に聞こえるように、大音声を発する。
兵士達もそれに応え、「おおっ!」と声を上げて走り出す。
こちらの全兵力が、敵部隊へと殺到した。
敵の陣形が完全に崩れ、我が部隊の兵士達が敵陣深くまで入り込んでいく。
その戦いの中、私は敵の指揮官を探す。
そして、怯えうろたえる馬の上で、さらに怯えた様子の男を見つける。
カールだ。
彼は周囲をきょろきょろと見回しながら、どうにか馬の制御をしようと試みている。
この場から逃げ出そうと考えている事は明らかだ。
もはや、自分の身を案じるばかりで、指揮を執ろうという姿勢も感じられない。
直衛の兵士達が付き従っているが、無理に移動したためか他の兵士がカールを守るために動いていない。
逃げるために移動したが、自分を守らせるための命令を行渡らせなかったのだろう。
下手に命令を出していてもそれはそれで陣形は崩れただろうが、私達にとってはこの方が好都合だ。
直接の守りが薄いならば、直接当たれる。
あれを討ち取れば終わりだ。
殉じようとする対象がこの場にない以上、兵士達も降伏に応じるはずだ。
そんな彼へ向けて、味方の一騎がカールへ向かう。
騎手はバルダンである。
彼に続き、配下の歩兵達がカールへと迫る。
命じるまでもなく、好機を察したか。
長く武人をしているだけはある。
よく戦場を見ている。
「これで、終わりだな」
バルダンは配下の歩兵達と共に直衛の守りを突破した。
バーニがやった事は、スカ確と一緒です。




