十七話 束の間の平穏
「アーリア様」
戦いが終わり、占領した砦の中で私はアーリアに声をかけた。
「コルヴォ先生。お疲れ様です」
「うん。ありがとう。それより、新兵達は?」
「戦いの場には出ませんでしたから、全員無事です。……他の部隊で犠牲になった者がいるので、あまり喜ぶべき事ではないのかもしれませんが」
アーリアは複雑な表情で苦笑する。
「素直に喜べばいいと思いますよ」
「そうでしょうか?」
そう問いかけるアーリアは、しかし先ほどよりも和らいだ笑みを作っていた。
「思った以上に、被害が抑えられました。ありがとうございます」
戦闘直後、マティアス将軍を捕らえて戻るとバーニに感謝された。
手間取りはしたが、それでも役には立てたらしい。
それは良い事だ。
その後は一の砦の時と同じ。
捕虜になった兵士達を前にジェスタは演説し、選択を与えた。
それによって反乱軍へ加入した兵士の数が前より多いのは、反乱軍が勝利を重ねている結果だろう。
反乱軍の活躍が、王国の変革成功を予感させる物として受け入れられつつあるのかもしれなかった。
そうして兵士達の自主性に任せた勧誘を行ったが、ジェスタが一番欲していたのはマティアス将軍らしかった。
ジェスタ、バーニ、バルダンの三人でもって将軍と直に面談し、説得を試みる所からもその本気度の高さがうかがえる。
私はそこに立ち会う事になった。
砦の一室で、二人は将軍に反乱軍への協力を要請した。
そして将軍は……。
「お断りだ」
一考する素振りも見せずに答えた。
「何故ですか? あなたは戦う機会を欲していると聞きましたが」
訊ね返すバーニ。
「戦う事はとても楽しい。でも、同胞と戦うのは楽しかぁないね。楽しい事ってのは、一抹でも楽しくない事が混じると途端に楽しい部分が消えて楽しい事じゃあなくなるのさ」
「そうですか」
「……」
マティアス将軍はジェスタを見やり、言葉を投げかける。
「なぁ殿下。あんたは、その楽しくねぇ事を多くの人間に強いているんだぜ」
そう言って、将軍はスッと目を細めた。
「わかっている。だが私は、この国のあらゆる部分を見て歪んだ現状を変えねばならないと思ったんだ。だから強いた犠牲に見合う分だけ、ここを良い国にするつもりだ」
ジェスタは将軍の視線から目をそらさず、堂々と答えた。
「そうかい。あんたの我が儘で動いているって自覚はあるんだな。民の求めに応じて、とか人のせいにするような事を抜かしやがったら殴ってやる所だった」
マティアス将軍はニヤッと笑った。
「まぁとにかく、俺はもうこの戦いに関わらねぇ。同胞と戦うのは一度で十分だ。俺は、牙を向ける相手を選ばない狂犬じゃあねぇからな。そこに楽しみを見出せねぇ……」
ちなみに、マティアス将軍が率いていた騎兵部隊の中には「誰が相手でも戦うのたーのしー!」という狂犬が多かった模様。
生き残った兵士の半数以上が反乱軍に加わっている。
マティアス将軍が言うと、バルダンが口を開く。
「私の頼みであっても、聞き入れてくれないというのか?」
そのように接するという事は、二人は知り合いなのかもしれない。
マティアス将軍の視線が、チラリと一瞬だけバーニへ向けられた。
けれどすぐに、その視線はバルダンへ向けられる。
「これは俺の責任でもある、か。後悔はしてねぇけどな。それでも、話は別さ」
「そうか……。残念だ」
それ以上、バルダンは何も言わなかった。
「もう、これ以外に戦う機会がないだろうって事は惜しいと思うがねぇ」
深いため息を吐き、マティアス将軍は言う。
「なら、武闘大会でも開いたらどう?」
私は将軍にそう提案した。
「武闘大会?」
「もちろん、全部終わってからになるけれど。戦いたいなら、機会を待つんじゃなくて戦う機会を作ればいい。優勝者に賞金が出るという事になれば、みんな意欲的に戦うと思う」
戦争するより安全ではある。
「……あーそういうのもありか。いいじゃあないか! しようしよう、そうしよう」
楽しげに笑う将軍。
そんな彼に、ジェスタが口を挟む。
「なら、他国の武人も呼べばいい。私は、アールネスとの同盟を考えている。ビッテンフェルト候でも招待しよう」
ピンポイントで名前を出されてびっくりした。
その直後にマティアス将軍がこちらを向いたのでさらにびっくりした。
余計な事を言われそうな気がしたが、将軍は特に何も言わなかった。
「それは俄然楽しみになってきたなぁ。殿下、多少は期待してるぜ」
「ああ、頑張るよ」
「あと、あんたが勝ってもできるなら陛下を生かしてやってくれると嬉しいねぇ」
「私もそれを望んでいる」
ジェスタは苦笑して答えた。
そしてマティアス将軍を砦に残し、反乱軍は再び王都目指しての行軍を開始した。
野営地。
あてがわれたテントの中にて。
私は、二の砦で行われた戦いについて手帳に書き記していた。
私もいずれ軍人になるかもしれないので、こういう事も覚えておこうと思っての試みだ。
敵騎兵は本陣正面の歩兵を狙って突撃したが、目的はその奥に守られる魔術師部隊だった。
敵騎兵はただの騎兵ではなく、魔術を使って攻撃を試みたという。
バーニの魔術騎兵と違い、接近戦も想定した騎兵達だったらしい。
言わば、重装魔術騎兵と言えるものである。
この戦いは歩兵を挟んだ形で魔術師部隊と重装魔術騎兵による至近距離での魔術戦に発展した。
至近距離の撃ち合いであるため、バーニの魔術騎兵は同士討ちを恐れて攻撃できなかった。
歩兵に対する攻撃は魔力持ち兵士達の魔力を込めた盾によって阻まれたが、同時に行われた武器による物理的な突撃によって歩兵部隊の陣形は崩れつつあった。
あわや攻め込まれそうになった所で、前もってバーニに指示されていたジェスタが左翼騎兵を敵騎兵へと当てた。
これは絶妙のタイミングで間に合い、もう少し遅ければ歩兵部隊内部へ攻め入り混戦となっていただろう。
そうなれば、さらに被害を増やしていた事は想像に難くない。
その奇襲じみた増援に大打撃を受けた重装魔術騎兵は、指揮官のマティアス将軍が捕らえられた事にも気付き降伏した。
同時に砦前で防御陣形を取っていた部隊も降伏し、反乱軍はこの戦いに勝利した。
重装魔術騎兵は半数近くの人員が死傷したが、幸いにして反乱軍の被害はそれを遥かに下回っていた。
この戦いで注目すべき所は、陣形ではないだろうかと私自身は思う。
敵騎兵を受け止めた歩兵の厚さに、そこへ速やかな援護を向かわせられる騎兵の配置。
臨機応変な対応を念頭に置いた陣形であり、それが被害の少なさに繋がっているのだろう。
そこまで書くと、私は手帳を上着のポケットへしまい込んだ。
同じくテント内にいるアードラーとすずめちゃんに目を向けた。
「ごきげんにょん」
「発音が少し怪しいわね。正しくは『ごきげんよう』よ」
すずめちゃんの言った言葉を訂正し、アードラーが単語を繰り返す。
アードラーはすずめちゃんに、言葉を教えていた。
今は普段からよく使う単語を中心に教えているようだ。
「嫌いじゃないわ」
「意味はあっているけど、一般的ではないわね。そこは『好き』が正解よ」
やっぱり、言葉を教えさせるのは間違いではなった。
アードラーは教師としての領分を逸脱せずにすずめちゃんと接している。
けれど、普通にコミュニケーションを取るよりも積極的だ。
迷う事無く、お互いに言葉を交し合っている。
教え方も上手いので、すずめちゃんの言葉遣いもだいぶ流暢になってきた気がする。
「貴公の好意に当方は万感の想いを覚え、その恩に報い応える事を誓います」
「言葉の組み合わせが少し拙いけれど、それは概ね正しいわ。相手に感謝する時、その大きさと比例するように言葉を尽くすのよ」
いい子ね、とアードラーはすずめちゃんの頭を撫でた。
「そこは『ありがとう』でいいと思うよ」
私は二人の会話に訂正を入れた。
アードラーが教えたのは、貴族間で取り交わされる面倒臭い方の挨拶の仕方だ。
多分、すずめちゃんが使う機会はない。
私もほぼほぼ使わない。
「そう?」
「うん」
訊ねられ、私は頷き返した。
「……すずめさん。じゃあ、訂正するわ。相手に感謝を伝える時は、『ありがとう』が正解よ」
「わかった」
すずめちゃんは答えると、アードラーをじっと見詰めた。
少しもじもじしてから、再度口を開く。
「アードラーさん、ありがとう……」
言うと、すずめちゃんははにかみがちに笑顔を作った。
アードラーも小さく微笑むと、黙ってすずめちゃんの頭を撫でた。
「えい! えい!」
すずめちゃんの小さな拳を手で受ける。
私は毎日、暇を見つけてはすずめちゃんに闘技の稽古をつけていた。
その間、同じように雪風もデュクシッ! デュクシッ! と私の足を前足で叩いてくる。
多分、この子は遊びだと思ってるんだろう。
「あれ?」
そんな時、後ろからそんな声が聞こえた。
振り返るとアーリアがいた。
「スズメに闘技を教えているんですか?」
「護身術程度ですけど」
「一子相伝なのでは?」
「……この子が次の伝承者です」
「はぁ……」
釈然としない様子でアーリアは言った。
最近、フェル斗神拳の存在を疑われている気がする。
「それで、どうしました」
「昼食にしようと思いまして」
もうそんな時間か。
「そろそろ終わろうか」
「わかった」
稽古を中断して、昼食の準備をする。
火をおこして、フライパンをかける。
虹鳥の皮から抽出した油を引き、そこに虹鳥の干し肉を入れて炒める。
これがこの国での一般的な虹鳥の調理法らしい。
家によって味付けの差はあるが、干し肉にしてから食べるのは変わらない。
そのまま煮焼きするとぶよぶよして食感が損なわれるのだが、干し肉にすると丁度良い食感
になるのだ。
特に、干し肉を油で炒めると肉がほどよく油を吸収してジューシーでしっとりとした食感になる。
その美味しさは、この国へ来て初めて食べたぶよぶよの肉と同じだと思えないほどである。
この炒めた段階では塩以外の味付けはせず、取り分けてから各々が好みの調味料をかけて食べるのである。
料理がそれぞれの皿に行渡る。
今日の私はプレーン。
サラダの方が正しいか。
何もかけずに食べる事にした。
「アリョール、最近酢漬け野菜をかけて食べる事が多いね」
酢漬け野菜は、保存食品として兵士に配られる兵糧の一つであるがこうして調味料として使われる事もあった。
「いくつか試してみたけど、これが一番合う気がするのよ」
「シチミも悪くないですよ」
アーリアが口を挟む。
倭の国で調達した七味に興味を持ったので、試しに食べさせてみたら大層お気に召したらしい。
最近、いつも七味をかけて食べている。
元々、アーリアは香りの強い物が好きで、コショウやクミンなどの香辛料をかけて食べる事が多かった。
ちなみに、すずめちゃんはしょうゆをかけて食べる事が多く、雪風には調理していない物を与えている。
普通の犬じゃないから大丈夫だろう、と最初は雪風にも味付けした物を食べさせていたが。
ある日、夢枕に痴女が立ち「雪風に塩分の多い物を食べさせてはいけません」というお告げをしてフェードアウトしたので、それ以来別口で虹鳥を調理している。
食後、いっぱいになったお腹を落ち着けるために、それぞれ思い思いにテント内でくつろぐ。
「そういえば、クロエ」
「何?」
雪風を可愛がっていたアードラーが不意に声をかけてきたので、私は短く返事をした。
「最近、ユキカゼの様子が変なのだけど……」
「そうなの?」
何だろう?
いつも変だから私にはその変化がわからなかった。
「沈みません! とか、幸運の女神のキスを感じちゃいます! とか言うのよ」
ああ、それ私のせいだ。
ついに私が雪風を調教している事に気付かれてしまった。
「ジャムがどうのというのは聞いた」
アーリアも証言する。
「感度3000倍……」
すずめちゃんがぼそりと呟く。
それも私が教えた言葉だ。
「ごめん、それ私が教えた」
「何で?」
「なんとなく」
「あなた、昔からたまに本当によくわからない事するわよね」
アードラーが呆れた表情で言う。
「どんな時でも自分にとって楽しい事を見つけるべきなんだよ。その方が人生は楽しいから」
「その楽しい事が、雪風に変な言葉を教える事なの?」
楽しいでしょ。
楽しくない?
「アリョールだって、すずめちゃんに言葉を教えているじゃない」
「それもそうね。……いや、やっぱりそれとは趣が違うと思うわ」
「ねぇ、雪風」
『なに?』
「この中で誰が一番好き?」
テント内、私は雪風を膝の上に載せて、ほっぺたをムニムニしながら訊ねた。
理由?
なんとなく。
私の言葉が気になったのか、テント内にいたみんなもこちらの会話に注目する。
『つばき!』
迷いなくここにいない人の名前を挙げたな?
この中でって言ったのに。
「誰ですって?」
アーリアが訊ねる。
「椿」
「「誰?」」
アードラーとアーリアの声が重なった。
疑問はもっともです。
「何で好きなの?」
『なんとなく!』
そうか、なんとなくか。
じゃあ仕方がない。
『ほっぺあきた』
唐突に言うと、雪風が私の手から逃れてアードラーの方へ行く。
「わんわん」
「ん? わかったわ」
雪風にテレパシーで話しかけられたのだろう。
アードラーは雪風の頭を撫で始める。
優しい表情で、彼女は雪風に接する。
「アー……リョールは犬が好きなの?」
「好きよ。飼いたいと思った事もあるわ」
「でも飼ってなかったよね」
「犬の寿命は短いわ。飼い主になって、その短い時間を幸せに過ごさせてあげられるのか? そう思うと飼えなかったの」
「そうなんだ」
アードラーは責任感が強いから、そう思ってしまうんだろうな。
私としては、良い飼い主になりそうだと思うんだけど。
「じゃあ、雪風は丁度いいね。多分、人間よりも長生きだ」
「そうなの。この子が一緒にいても良いと言ってくれるなら、それもいいかもしれないわね」
アードラーがそう言うと、雪風はわんわんと返事をした。
「何って?」
「すずめさんと一緒ならいいって」
なら問題はなさそうだ。
この任務が終わって家に帰ったら、みんな一緒に暮らせる。
その時には、ヤタも一緒だ。




