十話 自分の価値
気絶したアーリアはそれまでと同じように私が治療を施した後、兵士達によって自分のテントへと運ばれていった。
その後、私とアードラーで新兵の訓練を行った。
訓練は恙無く終了し……。
アーリアが再び、私の前へ姿を見せたのは日が落ちてからの事である。
私とアードラーは、隠れ処の外で鍛錬のための組み手を行っていた。
気配がしたのでそちらを見ると、アーリア王女が私達の組み手を見ていた。
私達が気付いて組み手を止めると、彼女は声をかけてくる。
「コルヴォ、少しいいか?」
彼女は今までとは違う、落ち着いた様子で静かに言った。
「もう一度、私と勝負してほしい」
ただ、結局は勝負したいという事のようだったが。
「安心しろ。これで最後だ」
「……わかりました」
「始めよう」
アーリアが構えを取り、私もそれに合わせて構えを取る。
戦いが始まった。
彼女の動きは、それまでと違っていた。
余計な力みが取れて、動きも鋭い。
これが彼女本来の動きなのかもしれない。
私の動きにもある程度対応している。
これまでの戦いで、私の動きを知ったためだろう。
今までなら容易く当たったであろう攻撃にも、対処する。
打ち合い、防ぎ合いの攻防をしばし続け、やがて決着がつく。
彼女の顎を狙ったアッパー。
それを寸止めすると、彼女も動きを止めた。
今の彼女に、一撃を加える必要はないと思ったのだ。
彼女は構えを解き、私もそれに倣った。
「結局、私が至らないという事か……。それだけの事、か……。お前の言う事は正しかった」
そう、呟いた。
彼女の顔が歪み、閉じられた目から涙が頬を伝う。
泣き出すとは思わなかったので、私は若干の戸惑いを覚えた。
今までのような、激しい戦いではなかった。
けれど、この勝負は彼女の何かを打ち砕いたのだろう。
体ではなく、心の中にある何かを……。
彼女の手を引いて、手近な岩の上に座らせる。
その隣に、私も座った。
無言で嗚咽を漏らす彼女の背をさすった。
「先に戻っているわ」
そんなアーリアの姿から目をそらし、アードラーは言う。
「うん」
返事をすると、隠れ処へと戻っていった。
しばしの時間を経て、彼女はぽつぽつと語りだす。
「私は、兄上の役に立ちたくて、ここまでついて来たんだ……」
「そうなんですか」
「私は兄上のように優れていない。頭もよくないし、人徳に恵まれる人間でもない。取り柄があるとすれば闘技だけ。これだけは、私にとって唯一兄上にも負けない事だったんだ。それ以外の価値なんて、私にはない……」
言いながら、アーリアは表情を曇らせる。
「父上からは出来損ないだと言われ、もう一人の兄からも事あるごとに罵られてきた。そんな私を兄上はずっと庇ってくれていた。だから私は、そんな兄上にいつか報いたいと思っていた」
「それで、今回の戦いに参加したのですね?」
アーリアは肯く。
「兄上は、虐げられた民を救いたいと願って父上に反旗を翻した。私にはそれがよくわからなかった。けれどそんな事は私にとってどうでもよくて、ただ兄上のため役に立てるいい機会だと思った。……そう思って、嬉しかったんだ」
アーリアにとって、ジェスタはとても大事な存在なのだろう。
でなければ、今までの地位を捨て、命を賭してまで反乱に加担する事などできない。
ジェスタもそうだが、それは生半可な覚悟でできる事ではない。
「でも、私では兄上の力になれないのかもしれない。私の力なんて、結局は兄上にとって価値のないものなのかもしれない」
「価値がないなんて、とんでもない」
言うと、アーリアは私の顔をじっと見た。
「人のために自分の全てを賭す事は、誰にでもできる事ではないでしょう」
アーリアの動機は、ジェスタのような大義を持っているわけではない。
それでも、誰かのために自分を投げ打てるならその気持ちは本物だ。
誰もがそんな気持ちを持ちえるわけじゃない。
「貴い素養です。それを持っているだけで、あなたには価値がある」
そう告げると、アーリアの目にじんわりと涙が滲み始めた。
えぇ、また泣くの?
私、何か泣かせるような事言った?
慰めるために言ったはずなのに……。
本格的に啜り泣き始めたので、またその背中をさする。
しばらくして彼女は、まだ涙で滲んだ目を私へ向けた。
同じく、体もこちらへと向き直らせる。
そして口を開いた。
「コルヴォ……いや、コルヴォ先生。私を弟子にしてください」
言うと、深く頭を下げる。
この子は、何だかいつも唐突だ。
「私は、少しでも強くなって兄上の役に立ちたいんです。お願いします」
どうしたもんだろう。
気持ちはわからないでもないのだけれど……。
弟子にすると言っても、私が教えられるのはビッテンフェルト流闘技だけだ。
正体の露呈は避けなければならないので、それを教える事はできない。
「私のフェル斗神拳は一子相伝。教える事は叶いません」
「月謝目当てで分派したのに?」
「ああ……」
そういえばそんな事も言ったな。
「今はそれなりに財産がありまして、始祖の拳にあたるフェル斗神拳はまた一子相伝になっているんです」
「そうなんですか……」
「何より、これから本格的な戦いが始まります。習得する暇はないでしょう?」
私の言葉に納得したのか、がっかりした様子でアーリアはうな垂れる。
ああ、そんな落ち込んだ顔しないで……。
何かしてあげたくなる。
「……なので、私の流派を教える事はできませんが、あなたの闘技を伸ばす方向で鍛えようと思います」
答えると、アーリアはパッと明かりを灯すように表情を綻ばせた。
その無邪気な笑顔に、ヤタを思い出してちょっと複雑な気持ちになる。
「じゃあ、弟子にはしてくれるのですか?」
「それを弟子と呼んでいいのかちょっとわかりませんが、鍛錬のお手伝いぐらいはできると思いますよ」
「ありがとう。よろしくお願いします。先生」
こうして、私に弟子ができた。
新兵の訓練において、アーリアもまた教えられる立場として訓練に勤しむ事になった。
闘技以外に取り柄がないとアーリアは言っていた。
その真偽はともかく、確かに闘技に関してはなかなかの物である。
少なくとも、技のキレは申し分ない。
基礎はしっかりできていて、正直何を教えていいのかわからないくらいだ。
ただ、対多数の戦いにおいてはまだ経験が足りないようだ。
恐らく、今まで一対一での闘技を教わっていたからではないかと思われる。
その経験を積ませる方向で鍛錬する事にした。
新兵達には今までの組み手形式ではなく、二組に分かれての小規模な集団演習を行わせる。
集団戦に慣れてもらおうという考えからだ。
それとは別に、アーリアには新兵から募った二人を相手に二対一の状況で組み手をさせた。
集団演習はアードラーに任せて、私はアーリアを監督していた。
元気になった雪風が新兵達の周囲を走り回る中、アードラーは新兵達を見ている。
とても気が散りそうだが、あれはあれで集中力を養う良い訓練になるかもしれない。
戦場では何が起こるかわからない。
たとえば、ハイテンションな子犬に周囲を走り回られ、なおかつ喋りかけられる事だってないとは限らないのだ。
そして私は、アーリアの戦いぶりを観察する。
棍棒を持った二人の新兵を相手に、アーリアも棍棒で対応する。
二人を正面に戦っているが、それでも有利に立ち回っていた。
被弾はなく、余裕も見受けられる。
やっぱり、闘技の才能はあるみたいだ。
ふむ……。
「ちょっと止めて」
私は訓練を中断する。
「はい。何でしょう?」
アーリアが訊ねてくるが、私は新兵の方に声をかけた。
「一人は、アーリア様の後ろに回って」
「わかりました」
言われた通り、新兵の一人がアーリアの後ろに回った。
「じゃあ、始めて」
訓練を再開させる。
すると、今度はアーリアも余裕とはいかなくなったようだ。
いくつか、攻撃が被弾するようになった。
というより、後ろからの攻撃が全て当たっている。
「ちょっと止めて」
「はい。何でしょう?」
「後ろからの攻撃が防げていません」
「でも先生、後ろに目はついていません」
もっともである。
私でも、無理難題を言っている事はわかっている。
「でも、多人数を相手にする時は、こういう状況を強いられる事だってあります。今は訓練だから構いませんが、これが実戦だと確実に死んでいます」
「それは、そうですけど……。では、どうすればいいんですか?」
「こういう場合の方法として、一番良いのは無理に戦わず有利な位置取りをする事です」
正面から戦えば二人を相手でも圧倒できるのだから、アーリアにはこれが合っている。
上手く陣形を組めれば、前の相手だけに集中しても問題ないと言えば問題ない。
でも……。
「ですが、得てして集団戦とは混沌としているもの。そんな暇はないかもしれないし、地理的に逃げられない事や周囲を敵に囲まれる事もあるでしょう。だから、後ろからの攻撃にも対応できるようになりましょう」
戦いは何が起こるかわからない。
できる事が多くて損はない。
他の新兵はまだ基本すら覚束ないが、基本のできているアーリアには教えておくのもいいだろう。
「どうやればできるようになりますか?」
魔力を散布して、周囲の状況を把握する。
というのが、父上から伝授された方法だ。
私は幼少の頃から教えられ、気付けばできるようになっていたが……。
しかし、アードラー曰くかなり難しいものらしい。
すぐに彼女が覚えられるとは思えない。
何より、カルダニアの王女である彼女に、アールネスの技術を教えていいものか……。
そういった逡巡があり――
「……経験ですね」
私はそう答えた。
「とりあえず、これが実戦では死んでいる。という気持ちを念頭にひたすら戦うのが良いでしょう」
「はぁ、そうですか」
釈然としない様子である。
私もそんなあやふやな事を言われたら同じような返事をしてしまうだろう。
でも、集団戦に慣れるとなんとなく察せるようになるのは本当だ。
人間の体が動くと音や風の流れが出る物である。
それらは所謂気配というもので、周囲を把握する標となる。
あとは……。
「それから、見ている限りアーリア様の闘技は集団戦に特化した物に見えます。腕を大きく振る技が多いのは武器を振る事を前提とした技であり、集団戦において周囲を牽制するためでしょう?」
「そうなんですか!?」
「違うのですか?」
「知りません……」
合ってると思うんだけどなぁ。
蹴り技も少なく、腕を使った技が多い。
これは体勢の維持を重視して、体勢を崩す事がないようにするためだと思う。
戦場で転ぶような事があれば、死を意味するのだから。
「その闘技は誰に教わりました?」
「バルダンです」
「集団戦の訓練は?」
「いつも、二人で打ち合ってました」
してないんですね?
納得した。
一対一での訓練ばかりをしていたから、一対一で有効な技を好んで使うようになったのだろう。
王族の嗜みで覚えさせられたという所だろうか。
技の本質的な部分は教えられなかったと見える。
「一度、バルダンに技の事を聞いた方がいいと思います。囲まれた時に有効な物も彼なら的確に教えてくれるのではないでしょうか」
「わかりました」
「それはそれとして、今は実地で二対一の不利をその身で覚えるのが良いと思いますよ」
「はい」
それから数日、同じ訓練を続けた。
一対一なら負けない相手でも、二人以上を相手にすれば打ちのめされる現実にアーリアは悔しさを覚えているようだったが……。
彼女自身は、その悔しさを原動力にできる人間のようだった。
どれだけ叩きのめされても何度も立ち上がり、立ち向かっていった。
アーリアの新兵に対する態度は今も硬さがある。
しかし、前に比べれば軟化していた。
少なくとも、安易に見下すような事はしなくなった。
自分もまた至らないという事を自覚したからだろう。
そしてその至らなさを克服しようとする姿が、新兵達にも良い影響を与えている。
自分達の上に立つ人間が一番に頑張っている光景に、新兵達も奮起したのだ。
彼女の他者へ向ける厳しさが、自身にも向けられているのだという事を明確に示した。
その姿を見て、新兵達はアーリアに敬意を払うようになっている。
多分、彼女には人を惹きつける才覚がある。
寄り添い親しみを以って惹きつけるのではなく、距離を意識させながらもその姿勢を示す事で人を惹きつけているのだ。
時間があれば、いずれ良い部隊になりそうだ。
そう思ったが、その時間は無いようだった。
ある日の事。
訓練の時間に、伝令を介してバーニから呼び出しがあった。
その内容は、これからの活動についてという物だった。
どうやら、必要な情報は集まったらしい。
本格的な戦いが、始まろうとしていた。




