六話 暇を持て余した豪傑の暇潰し
前田の城下にある屋敷を貸し出された私達は、交渉がまとまるまでの間そこで過ごす事になった。
そして、使節にはそれぞれ護衛兼お目付け役の侍を一人ずつつけられた。
滞在中、町外へ出る事は控えるように言われたが、城下町へ出る事は自由にしていいとの事だ。
ただし、その際は護衛の侍を必ず同行させるように、との事だった。
私につけられた護衛は斉藤周五郎なる中年のお侍さんだった。
ほっそりとした顔立ちをしており、目つきは鋭かった。
無口であり、私が喋りかけると二、三言葉を返す事はあっても、喋りかけてくるという事は一切なかった。
私の行動を咎める事無く、ただ影のように従っていた。
ただ、そんな自分を出さない斉藤さんであったが、一つだけわかる事がある。
とても腕が立つであろうという事だ。
立ち居振る舞いを見ればわかるが、何より早朝に行なっている稽古を見れば疑いようもない。
この無口な斉藤さんは、事剣術の腕に関しては雄弁である。
それも口ではなく、所作で語るのだ。
他の使節を護衛する侍も同じく稽古しているが、その誰よりも飛び抜けて腕が立つだろう。
そんな彼が私につけられた事は、きっと偶然ではない。
彼は私を見張り、見極める監視役でもあるのだ。
私が何やら怪しい事をすれば、それを止める役目も帯びているはずだ。
そのような配慮をされる心当たりはあった。
私がお殿様に向けて、敵対行為ともとれる事をしたからだ。
私に振り分けられた部屋の前、そこから襖を開けてすぐの庭にて彼は稽古をしている。
その稽古が私を牽制する示威行為であると取るのは、考えすぎだろうか?
ムルシエラ先輩ら使節団の面々はあまり外に出ようとしないが、私はよく外へ出向いていた。
無論、斉藤さんも一緒である。
屋敷での生活を始めて三日ほど経つ。
家族の事が心配で早く帰りたいと思う私だったが、とはいえ交渉もできないならば私にできる事など何もなく、する事もなく……。
ただ漫然と屋敷の中で呆としていると、どうしてもヤタの事を思い出してしまうので外で過ごすようにしていた。
しかし、ブラブラと当て所なく歩く事もまたよくない。
結局は部屋で呆とする事と変わらず、やはりヤタの事が思い浮かぶ。
今でも泣いているのではないか、と気になって仕方がなくなる。
だから何か目的を持って城下町を楽しむべきだろう、と私は思った。
何かしらを楽しんで気を紛らわせ、気付けば帰る日になっていた。
そうなってほしいと思っていた。
そしてその楽しみが何かと言えば……。
私は店の暖簾をくぐり、敷居を跨いだ。
倭国人の身長に合わせた入り口は私にとって低く、頭を下げなければ入れなかった。
私の姿を見て、凍りつく店内の人々。
「ハロー。ワノクニのミナサン、コンニチハ」
私が言葉を発すると、店内の人々が叫びを上げた。
「鬼じゃあ! 鬼が出たぞ!」
「女の鬼じゃ!」
「人とは思えぬほどに乳がでかいぞ!」
「ひょー、たまんねぇ!」
意外と余裕を持った人もいるみたいだね。
ここはお寿司屋さんである。
中には、カウンター席とテーブル席があった。
私はこの三日ほど、城下のめぼしい食べ物屋を巡っていた。
つまり私は、精神安定と暇つぶしのために昼は城下の店を食べ歩きしているのである。
ちなみにお金は心配ない。
角樫家から滞在中の費用として賃金をそれぞれが毎日いただいている。
その額がそこそこ多いので、毎日昼時に食べ歩いているだけだと貯まっていく一方なのだ。
「ダイジョブ。オキャクデース。セキハ、ドコデモイイデスカー?」
「は、はい! どうぞ」
給仕の娘さんが返事をする。
適当なテーブル席に座る。
斉藤さんも同じ席、向かい合わせに座る。
「……常々思っておりましたが、何故初めての店に入る時は片言なのでしょう?」
無口な斉藤さんが珍しく問いを発した。
とはいえ、食べ歩きを始めて三日目の事だから今更ではある。
余程気にかかっていたのだろう。
「特に意味は無いよ」
強いてあげるなら、未知の物を前に驚くみんなの顔が見たいからかな。
異世界モノの主人公がチート能力や発明で驚かれるみたいに。
「そうですか」
斉藤さんは沈黙する。
「大将、おまかせで握ってよ。あと、赤出汁も」
「拙者も同じもので」
「え? へ、へい!」
私と斉藤さんの注文を受けて、カウンターの大将が返事をする。
しばらく待っていると、給仕の娘さんが恐る恐るといった様子で寿司の載った寿司下駄を持ってきた。
久し振りの寿司である。
二十年以上ぶりの寿司である。
なれずしではなく、ちゃんとした握りの寿司。
前世でも見慣れた形だ。
ネタもマグロやハマチ、イカなどだ。
しかし……。
デカァァァァァいッ!
説明不要!!
江戸前寿司だ!
私のよく知る現代の寿司と比べて、一つ一つがかなりでかい。
今の私でも一口で食べるのは難しそうだ。
さて、どれから食べよう。
イカかな。
はけで醤油を薄く塗る。
イカの寿司を手で掴み、半ばほどを口に入れて一口。
咀嚼して残りを口に入れた。
このわさびのツンとする感じは久し振りだな。
特に、他のネタと違ってイカとタコはツンとする感覚が強いように思えるのは気のせいだろうか?
イカだからもっと噛み切りにくいかと思ったが、歯切れがいい。
部位の違いかな。
それとも、切込みが入っていたからだろうか。
シャリは甘め。
私好みの味付けだ。
頬張り気味に食べ、口に残ったシャリを流し込むように赤出汁を飲む。
濃厚な貝の風味が口いっぱいに広がる。
シャリによく合うじゃないか……。
マグロは漬けになっているんだな。
なら、このまま。
これもいい味だ。
普通のマグロとは違った歯触りだ。
もっちりというのか、ねっちりというのか、ちょっと変わった感触だ。
それもまた魅力の一つだろう。
私はそうして、一つ一つのネタを吟味しながら寿司を平らげた。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせる。
見ると、斉藤さんも食べ終わっていた。
「おあいそ」
「はい、ただいま!」
給仕の娘さんが来る。
勘定をそれぞれ支払う。
「美味しかったよ。また来るね」
「へ、へい。ありがとうございやす」
大将とそんなやり取りをして店を出た。
それから途中でダンゴ屋を見つけ、先輩達へのおみやげとして買って帰った。
その次の日。
私はまた昼食に適当な店を探した。
今日は蕎麦屋である。
全席座敷の店だ。
例によって片言で入り、店を混乱に陥れてから席に着く。
注文したのは鶏卵海老天そばである。
ダシに解き卵を流してふわふわに固め、その卵の中へ衣を隠してしまうように海老天が漬かっている。
赤々とした尻尾だけが、海老の存在を主張していた。
早々に海老を引き上げて齧る。
さくっとはいかないが、まだ歯ごたえが残っている。
「ふにゃ」と「さくっ」の合間にあるようなこの絶妙なタイミングが私は好きなのだ。
衣に染み込んだダシがふわっと口に広がった。
海老の味をおかずとするように、そばを啜る。
そばの素朴な味が海老天とダシの味を引き立てる。
直接、ダシを啜る。
鶏卵の混じるダシは、何と言えばいいのだろう?
クリーミィというべきなのだろうか。
ただのダシにはない不思議な口当たりだ。
味もマイルドになっているのではないだろうか。
しかしそれでも、後味に残るこの魚介の風味……。
しっかりと出汁を取り、濃厚に仕上げているのだろう。
一度素の味を味わい、次に私は七味をかけて食べた。
味の中に、ぴりりとした辛さと七味特有の風味が加味される。
そばが中盤に差し掛かると、海老天をもう一度齧った。
完全にダシが染み込み、ふわふわになった衣はもはや最初に食べた海老天とは別の食べ物に変化している。
その衣を全て剥ぎ、ダシに解かす。
海老の身はそのまま尻尾ごと全て食べてしまう。
強い海老の風味が鼻を抜ける。
後は夢中に食べた。
そばを啜り、ダシを啜る。
そばを全て食べ終えると、卵かも衣かもわからないふわふわをダシごと飲み干す。
後に残るのは七味のガラ。
そうして最後に飲み干した一口は、七味の辛さを喉へ強く残した。
しばし、辛さによる熱を楽しむと水を飲む。
辛さが過ぎ去ると、爽やかな清涼感が喉を撫でた。
この店は当たりである。
明日ももう一度ここに来たいと思えるくらいだ。
この店のそばはとてつもなく美味い。
「クソ不味いんだよ! この店のそばはよぉ!」
何……だと……?
声のした方を見ると、奥の座敷席で男が声を張り上げていた。
「こんな不味いもん我慢して食ってやってんだ! ちょっとぐらい酌してくれてもいいだろうが」
着流し姿の若い男が、給仕の娘さんにちょっかいをかけていた。
「お客さん、やめてください!」
男は給仕の手を掴んでいる。
座敷の席には、男のほかにも三人ほど同じく着流しの若い男達がいる。
多分、全員二十代ぐらいだろう。
この時代のヤンキーって所かな?
「いいから、さっさと言う通りにしろや!」
男は、給仕の頬を張った。
「キャッ」
ちょっと、見過ごせないなぁ……。
立ち上がろうとする。
「……相手がどうであれ、領内の町民を殺す事適いません」
斉藤さんが告げる。
私は頷いて立ち上がった。
靴を履いて、男達の方へ向かう。
「「やめろ!」」
私の声が、別の声と重なった。
声は隣から聞こえた。
見ると、私と同じようにこちらを見る髭面のおじさんと目が合った。
誰だろう?
この人。
「何だてめぇらよ?」
男とその仲間達がこちらを見る。
私を見てちょっとだけ怯んでいたが、プライドからかすぐに私を睨みつける。
「おっさんと女(?) が何の用だ? 何か文句あるのかよ」
「目に余るんだよ。あんた。……あのお侍さんだって怒ってる」
斉藤さんを指す。
「誰だよ、あのおっさん」
「斉藤さんだぞ」
「誰だよ」
そりゃ知らんわな。
「だから何だよ。何が言いてぇんだよ」
「さっさと出て行ってくれないかな?」
男は小さく笑う。
給仕から手を離した。
「いい度胸じゃねぇか。俺らに喧嘩売った事、後悔すんなよ?」
男が言いながら私とおじさんに向かい合う。
すると、他の仲間達が出てきて、男と同じく私達に向いた。
「御託はいい。さっさと来なよ」
私が手招きすると、男達の顔が怒りに染まる。
「やっちまえ、てめぇら!」
数分後。
最後の一人を叩きのめして店の外へ放り出した。
「おぼえてやがれよ!」
少し前に店へ放り出しておいた男達が、捨て台詞を残して去って行った。
私は店へ戻り、勘定を席に置く。
「すみません。ご迷惑をおかけしました」
店内の物を壊さないように気を付けたが、それでも他のお客さんの迷惑になってしまったはずだ。
「それがしも店を騒がせて申し訳なかった。代金はここに置いておく」
私とおじさんは給仕の娘さんに謝る。
「いえ、そんな……助けていただいたのに」
私とおじさん、そして斉藤さんが店を出ようとする。
「お待ちくだせぇ」
呼び止められて振り返ると、店の奥、暖簾の前に店主らしき男の人が立っていた。
店主は、私達に深く頭を下げる。
「またのお越しをお待ちしておりやす」
そう言うと、頭を深く下げた。
「もちろんです」
私はそう言い残すと、三人で店を出た。
それはいいとして。
「私はビッテンフェルト・クロエと申します。あなたはどなたでしょう?」
一緒に男達と戦ったおじさんに訊ねる。
「それがしは、夏木源八と申します」
おじさんはそう名乗った。
よく見れば、腰には刀を佩いている。
恐らく、浪人といった所だろう。
そうして私は、夏木源八という剣客と知り合った。
推測ではあるが、この年アールネスより倭の国へ渡来した毘天増斗なる人物は恐らくビッテンフェルト家であろうと思われる。
何故、推測なのかというと、アールネスにも詳しい資料は残っておらず、ただ倭の国へ施設を派遣したという事しかわからないからである。
誰が使節として向かったのか、詳しい事はわからないのである。
そして当時、ビッテンフェルト姓を持ちながら武芸に秀でた人間は多く、渡来した人間が誰なのか特定する事は難しい。
渡来人は男女。
辺留弟戸なる人物はヴェルデイド家の人間であろうが、当時派遣される可能性のあったヴェルデイド家の人間はムルシエラとコンチュエリの兄妹二人がおり、どちらが渡来したのかはわからない。
ムルシエラであるならば、同行した人物は女性になるだろうが定かでは無い。
しかし、後述する伝承を見る限り、この時渡来したビッテンフェルトはクロエだったのではないか、と推測できる。
「クロエ・ビッテンフェルトの伝説」よりの抜粋。




