五十話 別れの日
その日は、乃島家で泊まる事になった。
椿も宿で待っているので、本当はすずめちゃんと雪風を置いて一人宿に戻ろうと思っていたのだが、秋太郎に引き止められた。
椿を呼びに行き、彼女も乃島家に来る。
夜には、夕食をご馳走になった。
夕食の席。
秋太郎は「皿鉢料理」なる物を振舞ってくれた。
大きな皿に、様々な料理が盛られている。
主に魚介類だ。
寿司もある。
私はお皿から貝を取った。
これは、ホタテ?
……えぐれろ!
私はホタテの身を一口で食べた。
サザエにマグロ、イカ、タコ、エビとブリ、羊羹と……。
「お酒は飲まんがですか?」
料理ばかりを食べていたら、おみよさんが声をかけてくる。
おみよさんはお酒が好きなのか、さっきからお酒の器を手から放さない。
というより、その器は底が独楽のように尖っている。
中身が入っていると、台に置けないのだ。
「飲むと暴れるんですよ。昔、それで飲み屋を破壊せしめた事がありまして」
「おうのよぉ」
楽しげな声で言う。
それ、どういう意味の言葉です?
しばらくして……。
「ほら、おいで。雪風ちゃん」
秋太郎の妻であるおみよさんは、先ほどからしきりに雪風へ餌をあげようとしていた。
餌は食卓にも並んでいる鰹のタタキである。
小皿に乗せて、おいでおいでと手招きしていた。
しかし、今の雪風は人間を少し恐れている。
そう簡単には……。
と思っていたら、意外とすぐおみよさんに懐いた。
最初こそ警戒の色を見せていた雪風だったが、恐々と餌を食べ、横腹を撫でられたら恐れが消えていた。
何だかんだで、雪風はちょろいな……。
もうお腹を撫でる権利をおみよさんに許可してしまっている。
根本的に人懐っこいんだよね。
すずめちゃんの方は、よくわからない。
黙ったまま、秋太郎の隣で御飯を食べてる。
秋太郎との話から、すずめちゃんは一言も私と口を聞いていなかった。
彼女は父親の死が私のせいであると知って、許す事ができなかったのだろう。
私はそう思う。
そう思われる事が、私は恐かったのかもしれない。
だから、今まで言えなかった。
でも、今はそれがいいとも思える。
彼女はこれから、兄と暮らすのだ。
私から離れられる、いいきっかけになる。
すずめちゃんに嫌われる事は、辛くはあるが……。
これで、よかったはずだ。
夜。
私は一人で布団の中にいた。
すずめちゃんはいない。
雪風もいない。
一人で眠るのは、思えば久し振りの事だ。
落ち着かない気分だった。
いつもなら側らにある温もりがない。
あると思ってやった先で、手が空を切る。
寂しいと思った。
苦笑する。
私自身が、そんな事を思ってどうするんだ。
どうあっても、私はあの子と別れなくちゃならかった。
別れて、帰らなくちゃならなかった。
待たせている人もいっぱいいるんだから。
なのに、私が名残惜しく思っていちゃいけないじゃないか。
私は布団の中で、蹲るように体を小さくした。
翌日になり、私達は乃島家の人々に見送られる事になった。
そのまま、山内の城下町を発つつもりである。
見送る乃島家の面々には、すずめちゃんと雪風の姿がある。
もう、すずめちゃんも雪風もあちら側なのだ。
「色々と、ありがとうございました」
秋太郎が頭を下げる。
「したいと思ったから、しただけの事です」
「そうですか。……すずめ。何か、言いたい事はないか? これで別れとなるのだぞ」
秋太郎はすずめちゃんに言う。
その言葉に、すずめちゃんは私の方へ来た。
恨み言かもしれないな。
それでもちゃんと受け止めてあげないとね。
そんな覚悟を持って、私は跪いた。
すずめちゃんと目線を合わせる。
けれど、すずめちゃんは顔を俯けて視線をそらした。
「お姉ちゃん……」
か細い声。
「何?」
訊ね返すと、すずめちゃんは顔を上げた。
「行かないで……」
「え?」
すずめちゃんは、私に抱きついてきた。
「行かないで……。お姉ちゃんと、離れたくないよ」
涙交じりの声だった。
思いがけない言葉に面を食らったが、すぐに気を取り直してすずめちゃんを抱き締め返す。
「私は、夏木さんを……。すずめちゃんのお父さんとお母さんを死なせてしまったんだよ?」
「聞いた……。でも、でも、姉ちゃんが殺したわけじゃねぇ。やったのはあのお侍だ! 姉ちゃんはおれを守ってくれたじゃねぇか。おれは、そんな姉ちゃんとまだ別れたくねぇ。だから、くろえ姉ちゃん……」
次第に、すずめちゃんの声が崩れていく。
すんすんと、鼻の鳴る音がする。
「行゛っ゛ぢゃ゛や゛だぁ゛ーっ!」
そして、すずめちゃんは喚くように言った。
またか……。
まいったな。
知らず、息が漏れた。
その言葉は、ヤタとの別れを思い出した。
あの時の辛さを思い出す。
あの時は……。
もう二度と、同じ気持ちを味わいたくないと思ったものだ。
私はその願いを、二度も振り払えるほど強い人間じゃないから。
泣いているすずめちゃんを抱き上げる。
「秋太郎殿」
「はい」
私の言わんとする事に、秋太郎は気付いているようだった。
「今しばらくこの子を預かりたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「はい。お頼み申します」
あっさりと、秋太郎は了承する。
「良いのですか?」
あまりにもあっさりとしていたので聞き返す。
「昨夜、共に過ごしてわかりました。すずめの心はあなたにあるのだろうと。一人でいよう、あなたと離れよう、と一人耐えている姿を見れば不憫でして」
そっか……。
すずめちゃんは私を嫌っていたんじゃなくて、私の迷いを絶とうとしてくれていたのかもしれない。
私が憂いなくここを去れるように、じっと私の所へ来る事を我慢してくれていたんだ。
何か言う事がないか、と言われ、閉じ込めていた気持ちが出てしまったんだろう。
「むしろ、迷惑を被るのではと心配です」
「いえ、私もそうしたいと思いましたから」
「ならば、すずめをお願いしたい」
雪風も走り寄ってくる。
「雪風も」
「はい」
私は頷いた。
すずめちゃんの頭を撫でる。
彼女は涙で濡れた顔を笑顔に変えた。
すずめちゃん。
あなたがもういいって言うまで、一緒にいる事にするよ。




