四十八話 フラグブレイカー
方言を修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。
それがしの名前は、乃島秋太郎。
山内藩で与力をしている。
それがしは元々夏木秋太郎という名で剣術ができるだけの町民であったが、この山内で縁があり乃島の姓と侍の身分を得るに到った者である。
そもそも家を出て遠く山内まで出てきたのは、父への反発が原因だった。
強い剣客だった。
しかし、父はその剣の腕と誇りを売り払いながら糧としていた。
腐った生き方だ。
当時は、そう思っていた。
父への反発から家を出てからは、剣の腕を磨きつつ方々を点々としていた。
転機が訪れたのは、山内へ来た時だ。
それがしは、暴漢から襲われそうになった女性を助けた。
その女性は、前任の与力であった乃島家のご当主様の一人娘であった。
その出会いが縁となってそれがしはその女性と婚姻を結ぶ事となった。
乃島家の婿養子となったのだ。
武士の身分を得た時、それがしは父の事を思い出した。
そして父上へ手紙を書いた。
嫌っていた父へ、どうしてそんな手紙を書いたのか。
それは、結婚してしばらくしての事だった。
思えば結婚して、それがしには守りたい人間というものが初めてできた。
その時に、それがしは父の気持ちがわかった気がした。
父の望んでいた武士という地位を得て、誇らしかったという部分もあるだろう。
それを伝えたかったという気持ちがあったのだろう。
返信が届くと、それがしは今まで父に懐いていたわだかまりが解けるのを感じた。
あれほどに侮蔑していた父ではあるが、そんな父に認められた事がとても嬉しく感じられたのである。
近頃、山内の城下では盗賊団が活動していた。
率いるのは、鬼の熊虎と呼ばれる者。
熊虎は、押し入った家の者は例外なく皆殺しにする冷酷な男だった。
しかし所在が知れ、その日は奉行所の人員総出で鬼の熊虎を捕らえる事になっていた。
「秋太郎様。今日は大掛かりな捕物になるという話。どうか、無事に戻んてきてくださいまし」
朝食の際、妻のおみよが心配そうに言う。
「わかっている。必ず帰ってくる。その子を生まれながらに父のいない子にはせぬ」
妻の腹には、それがしの子が宿っていた。
おみよは、にこりと笑う。
「お茶のおかわりは?」
「頼む」
言われ、自分の湯飲みを差し出す。
おみよは湯飲みに茶を注いでくれた。
途端に、自分の湯飲みが割れた。
茶が流れ出し、膳を浸す。
「まぁどうしましょう」
「大丈夫だ。服は濡れていない」
おみよが片付け始める。
「ひびでも入っとったがでしょうか?」
「そのようには見受けられなかったが……」
このような事もあろう。
朝食を終え、家を出る。
「では、参る」
「はい。どうぞ、ご無事で」
「ああ」
草履を履く。
すると、鼻緒が千切れた。
「ああ、鼻緒が!」
「古くなっておったのだろう。問題ない」
鼻緒を修繕する。
昔から、新しい履物を買う金がなかったため、鼻緒が千切れた際は自分で直していた。
手馴れたもので、すぐに直る。
「では、今度こそ参る」
「本当にお気をつけください」
「ああ。無論だ」
奉行所へ向かうと、普段通りに仕事を始める。
盗賊団の根城へ踏み込むのは、夜だ。
昼間は連中も、次に襲う場所の下見などで根城を出ている事が多い。
下見が終わり、連中が揃う夜まで待ち、一網打尽とする腹なのである。
役人も盗賊も、寝屋に戻るは夜になってからという事だ。
「乃島」
上役から声をかけられた。
「何でございましょう」
「おんしの生国は前田で相違ないがか?」
「はい。相違ありませんが。いかがしましたか?」
「これを預かった。改めや」
渡されたのは書状である。
「失礼いたします」
それがしは書状を読み始めた。
「どいた? 顔色悪うなっちゅうぞ」
「いえ、両親が身罷ったという報せにございます」
「なんと……。それは気の毒やにゃ。お悔やみを申し上げる」
「痛み入ります。それだけでなく、それがしの妹がこちらへ来ているとの事にございます」
妹がいる事は、前の頼りの返信で知り得ていたが……。
一度も会った事がない。
「一緒に住む事となりましょう」
「うむ。そうか。子を二人養う事になるがやな。……少し思っちょったが、おんしは今宵の捕物からは外れた方が良いがやないか?」
「何故でございましょう」
「鬼の熊虎は腕が立つ。それも役人を過分に嫌うちょるとの事。そんな相手とおうて、何かあったら事や。稼ぎ手のおんしがちゃがまってしもうたら、妻と子が路頭に迷うてしまうき」
「一家の支えを担っているのは、それがしだけではございません。他の同僚も同じです。何より、死ぬ事が絶対に許されぬからこそ、そのような危地でも生き残れるやもしれません」
「うむ。そう気構ゆうなら何も言わんとく。死になや?」
「はい」
妹、か。
会えるとすれば明日か。
楽しみだ。
そのためにも、今宵は無事に帰らねば。
夜になり、奉行所での仕事が終わる。
それがしは装備を整え、他の同僚と共に鬼の熊虎率いる盗賊団の根城。
町外れの廃寺へと赴いた。
「鬼の熊虎かぁ。役人と見りゃあ、執拗以上に無残な死なせ方しゆうちゅう話や」
踏み入る直前。
林に身を隠している時、同僚が言う。
「怖いか?」
「そりゃあ、怖いがよ」
その気持ちもわかる。
「なら、この捕物が終わったら飲みにでも行くか」
「お、えいにゃあ。終わった後の楽しみがありゃあ、これからの事にも力が入るき」
「ただ、お前の奢りだぞ」
「おいおい、そりゃないがよ」
「ははは。だから、必ず生きて帰れよ。お前には、奢ってもらわなくちゃならんからな」
「ああ。そうやにゃあ。今まで一度も誘いに乗らなかった堅物のおんしが、珍しゅうそんな事言うたがやき。その記念に奢っちゃらんと」
軽口を交し合い。
ついに、寺の中へ踏み込む事となった。
あとは合図を待つばかり。
その合図を待って、寺の周囲を囲むように隠れていた同僚達が一斉に外へ出る手筈となっている。
その時である。
寺の入り口が弾け飛び、十数人の男達が境内の石畳へ落ちた。
そのまま男達は動かなくなる。
何事だ!
そう思う間に、寺の所々の壁を突き破って男達が飛び出してくる。
寺からは、怒号や何かが激しく動き回る音が聞こえた。
諍いの音だ。
盗賊団を相手に、何かが暴れている……?
そんな気がした。
ならば、その何かとは何であろうか?
次第に、幾つもあった怒号と足音が少なくなっていく。
やがて、その音が一つだけになった。
「ぐあぁっ!」
悲鳴と同時に、回転する真っ黒な棒状の物が寺の入り口から飛び出した。
いや、それは棒ではなく人間だ。
平行に飛ぶ人間が、体ごと回転する拳で大柄の男の腹部を抉り込みながら飛び出してきたのだ。
男は寺の入り口前にある階段で転び、そのまま落ちて境内の石畳で頭を打った。
回転して飛ぶ黒い人間は、そのさらに背後で跪く。
両腕を胸の前で十字に重ねた。
その人物は細身で背が高く、全身を黒い服装に包んでいた。
背には黒の外套があり、顔には同じく真っ黒な仮面をつけている。
「コーホー」
奇妙な呼吸音がその口元から漏れた。
何者だ?
あれは……。
そう思うと同時に、仮面の口元が開く。
まるで、笑みの形のようであった。
そして、その人物の足元から大量の白い煙が溢れ出た。
当たりは白一色に包まれ……。
白煙が晴れ、気付けばそこには誰もいなくなっていた。
黒い人物に倒されたと思しき盗賊団の男達は気絶しており、余す所なく全員を捕らえる事ができた。
最後に寺から飛び出してきた大柄の男は、鬼の熊虎であった。
奇妙ないきさつではあったが、こうして山内を騒がせていた盗賊団は一夜にして壊滅した。
翌日。
妹が、屋敷へやってくる日。
妻の機嫌が妙によかった。
「どうした? 何嬉しい事でもあったか?」
「秋太郎様の妹様が家へ来るがでしょう?」
朝食の席で、おみよが嬉しそうに言う。
「ああ」
「子供も生まれれば、一気にこの家も賑やかなるち思って。嬉しくなっちゅうがです」
「そんなものか?」
「子供は、大人では及びがつかんほど元気なもんやき」
この方は、時折子供のようにはしゃぐ時がある。
その姿が、それがしは好きだった。
妹の事で妻がどう思うか少し不安であったが、この様子なら大丈夫そうだ。
昼前頃、それがしはついに妹と対面した。
妹は、妻が言うような元気さが見られず、大人しい子だった。
そして、その付き添いの女性だが……。
その姿を見て、それがしは昨夜の人物の正体を知った。
クロエが介入しなければ、狙い澄ましたように秋太郎だけ亡くなっていました。




