四十二話 人それを……
お妙さんと本音で殴り合った、その翌日。
私達が船で山内へと渡る当日だ。
早朝の事だった。
お妙さんの元に文が届いた。
届けた人の顔には見覚えがあった。
反物屋で、働いていた男の人だ。
その文を見たお妙さんは、顔を強張らせ宿から出て行った。
そんな様子を、私は布団の中から見ていた。
お妙さんが向かったのは、町外れにある林の中だった。
木々が辺りを囲い、人の目が入らない。
そんな場所だった。
そこでお妙さんを待ちうけていたのは、六人の男だった。
六人とも、背中に龍の字を背負った上着を羽織っていた。
他の四人を背に、一歩前へ出た男は恰幅が良かった。
「あんたかい……。甚五郎」
「へへへ、文を読んでくれたようですね。姐さん」
男は笑う。
「あの子は? どこにいるんだい? 無事なんだろうね」
「もちろん。姐さんの大事なお子さんですからねぇ。丁重に扱ってまさぁ」
そう言って甚五郎が横に寄ると、後ろから男の子を抱えた男がお妙さんの視界に入る。
男の子は、反物屋に預けられているお妙さんの子供だ。
子供は気を失っており、首筋には刃物がつきつけられていた。
その姿を見て、お妙さんは顔を歪めた。
「しかし、姐さんもお人が悪ぃや。こんな立派な跡継ぎがいたってのにあっしらには何も言っちゃくれねぇんだから」
お妙さんは甚五郎を睨みつける。
「そんなにあっしらが信用できなかったんですかい?」
「こんな事しておいて、言えた事かい!」
「ええ。姐さんの慧眼には恐れ入りやす。知ってりゃあ、もっと早くにこうしてたんですがねぇ。でもま、女ってのはやっぱ甘ぇもんですなぁ。子供可愛さに何度も会いに行って、こうして弱味探られっちまうんだから」
「くっ……」
お妙さんは悔しそうに呻く。
「……何が望みだい」
「まぁ、跡目の座を譲ってもらうのは当然として。……さし当たってあんたの身体、一度味見させてもらいましょうかねぇ」
甚五郎はいやらしく笑う。
「昔から……前の親分の時分から思ってたんでさぁ。
壊れっちまうくらい激しく味わってみてぇって。
前の親分があんたの色っぽい身体を毎晩貪ってたんだと思やぁ羨ましいったらなかったぜ。
あの野郎が死んで、あんたが親分になってからもずっとどうにか物にできねぇかと思ってたもんだ」
「そんな目で見てたのかい……」
「そんな目でしか見てなかったぜ。その夢が叶うとあっちゃあ、さっきからすこぶる息子が疼きやがるぜ。へへ」
言いながら、甚五郎は子供に刃を突きつける男を見た。
その男が、刃を首筋へさらに近づけた。
「お止め!」
「だったら、大人しく従いな。ほら、自分で脱いで股開きな。そしたら、とびっきりいやらしく腰でも振ってもらおうかねぇ」
「くっ、この……」
悔しげに呻きながら、お妙さんは自分の着物に手をかけた。
男達が期待に満ちた目で、お妙さんへ熱い視線を送った。
今だ!
「待ていっ!」
私は彼らの背後にある木の上から声を張り上げた。
私の脳内で、ギターとトランペットのBGMが再生される。
「己の欲望を果たすため、子を想う母の気持を利用し、親子の絆を踏み躙らんとする卑劣な悪行。それを平然と成す者。人それを外道と呼ぶ」
男達が私を見上げる。
「何者だ!」
「お前達に名乗る名前はない!」
私は強い口調で言い放った。
この日のために、口元が閉じるマスクを作っておくんだった。
ちょっと後悔する。
「誰だか知らねぇが、邪魔するってのか! こっちには人質がいるんだぞ!」
「どこにいるって?」
私が言うと、甚五郎はハッとなって男の子を人質に取っていた男を見る。
が、そこに子供の姿はなく、先ほどまで男の子を人質にとっていた男が気絶しているだけだった。
子供の身柄を確保したのは、忍装束に着替えた椿である。
今の口上も、相手の目をひきつけて油断を誘うためだ。
その間に、椿がお妙さんの息子を救出したのだ。
お妙さんの様子がただ事では無いと思った私は、椿と一緒にお妙さんの後をつける事にしたのだ。
そして、相手の様子をうかがい、お妙さんの子供を救出する事に成功したのである。
椿はお妙さんのそばに移動していた。
「覚悟は、できてんだろうね?」
子供の無事を確認したお妙さんが、ドスの利いた声で言う。
甚五郎を始めとした男達が、震え上がった。
それでも意地を奮い立たせ、甚五郎が叫ぶ。
「所詮女三人だ。やっちまえ!」
躊躇いながらも、男達はお妙さんに向かっていった。
「とうっ!」
私も参戦すべく、高く跳ぶ。
「サンライズ・ボンバー!」
叫びながら跳び蹴りを放つ。
男の一人に蹴りが命中する。
そのまま頭を地面へ踏みつけた。
もう一人、別の男が着地した私に殴りかかってくる。
「クロエハンドスマッシュ!」
腹部を思い切り掌底で殴りつける。
男は胃の内容物を吐き出して倒れた。
「成敗!」
叫ぶと、お妙さんの殴りつけた男がこちらへ飛んできた。
私はそれを見て取ると、飛び上がって両足を掴んだ。
男の両腕を自分の両足で押さえつけ、そのまま地面へ真っ逆さまに落とす。
「クロエドライバー!」
そしてさらに、別の男が私へ迫る。
私は拳を構え、迎撃に殴りつける。
いなずまを食らえ!
「なのです!」
男が殴り飛ばされた。
これで、五人の男が再起不能になった。
残るは甚五郎だけだ。
見ると、お妙さんが甚五郎の襟首を持ち、片方の右腕で顔を殴りつけている所だった。
甚五郎はぐるりと一回転し、よろけて倒れた。
お妙さんがそんな彼に近寄る。
「破門で済むたぁ、思ってねぇよな?」
指の骨を鳴らしながら、お妙さんは凄む。
「ひぃ、ひぃぃ、す、すいやせん! で、出来心で……」
「そうだろうとね……。人には一つ二つ、絶対に許せない事があるもんなんだよぉ!」
お妙さんは思い切り、甚五郎の頭を蹴りつけた。
甚五郎は気を失い……。
あれ? もしかして死んだ?
近付かないとよくわからないけど、そうなってもおかしくない一撃だった。
「クロエ……」
「はい」
「すまないね」
「いえ……」
「……その子連れて、先に帰りな」
「お妙さんは?」
「あたしは、こいつらにケジメをつけさせる」
わ、本格的ケジメ案件だ。
「何するんです?」
「あんたらが気にする事がないよ」
まな板と包丁からなる、簡単ケジメセットの出番だろうか。
「あたしゃねぇ。その子のためなら、外道にだって落ちる覚悟があるけれど。あんたらにまで、そいつは求められねぇや」
そんな感じじゃなさそうだった……。
「行くぞ」
椿に言われ、私はお妙さんを残してその場を離れた。
そして宿へ戻る。
宿では、すずめちゃんと雪風がすやすやと眠っていた。
子供のためなら、外道にも落ちる、か。
それからしばらくして、お妙さんは宿に帰ってきた。
程なくして船の出る時間になり、お妙さんが見送ってくれる。
「いろいろと世話になっちまったね」
「それは構いませんよ。……えーと、友達って思っていいですか?」
「あたしがかい? あんたがそれでいいってんならそう思ってくれると嬉しいけどねぇ」
「じゃあ、友達の好ですよ。ママ友って所です」
「まま友? なんだいそりゃあ」
お妙さんは笑う。
「やっぱり、もうお子さんには会わないんですか?」
「ああ……。
あたしの甘さで、危険に晒しちまう事が痛いほどよくわかっちまったからねぇ。
本当はもっと早くに、やめちまってた方がよかったのさ。
ある意味、甚五郎のおかげで踏ん切りがついたよ。
今回の事がなけりゃ、あたしは何だかんだ理由つけて会いに来てたかもしれねぇ。
でももう二度と、あたしはあの子と会わない……。
その覚悟がついたよ」
「そうですか……」
強い人だな。
「湿っぽいのはなしだよ。達者でね、あんたら……」
「はい。お妙さんこそ」
「あたしゃ、浅井の宿場に組み構えてるからさ。また、いつか遊びに来な」
浅井か。
帰り道だ。
寄るのもいいかもしれない。
「じゃあね」
「はい。また」
私達は短く言葉を交し合い、別れた。
船に乗り、港から離れて見えなくなるまで間もお妙さんは私達をずっと見送ってくれた。




