三十七話 宿場町の出会い
私達が泊まる事にしたのは、宿場でも中級より少し下くらいの宿だ。
狭い畳の部屋に人数分の布団だけで、食事も風呂もなし。
ただ寝るだけの宿だ。
それでも、板間に雑魚寝をするだけの宿とも呼べない宿泊施設よりマシである。
素性の知れない汗臭い男集が密集して眠っているような場所だ。
私だけならそっちでもいいのだが、すずめちゃんを連れてそんな所に泊まるわけにはいかない。
宿をとり、私達はくつろいでいたのだが……。
「あれ? すずめちゃんは?」
気付くとすずめちゃんが部屋から消えていた。
「さっき出て行ったぞ。雪風を追って」
最近、たまにこういう事がある。
気付くとすずめちゃんの姿が消えている。
だいたいは、雪風が何かに気を引かれてどこかへ行き、それを追っていくというパターンだ。
まったく、あの戦闘妖精め。
でも、すずめちゃんが私から離れられるようになったという事は、少しずつ心も癒えてきているという事なのかもしれない。
そう思うと少し複雑だ。
きっとそれも雪風のおかげだろうから。
「心配だからちょっと見てくる」
「そうだな」
私達はすずめちゃんを探しに部屋を出た。
そして、すずめちゃんはすぐに見つかった。
廊下を出た所で、声が聞こえて来た。
「あんた、どこの子だい? 親御さんが心配してるんじゃないのかい?」
「親はいねぇ」
声は、隣の部屋から聞こえて来た。
部屋を覗くと、すずめちゃんと一人の女性がいた。
その人は若い女性で、着物の上に上着を羽織っていた。
髪は後ろでアップに纏めている。
座る彼女の前には、すずめちゃんがいる。
雪風を膝に抱いて座っていた。
「失礼します」
声をかけて部屋に入る。
すると、女性が私を見上げる。
少し驚いていた。
私が倭国人じゃなかったからだろう。
「あんた達は?」
「その子の保護者です」
「本当なのかい?」
少し怪訝な顔で私を見て、すずめちゃんに聞く。
まぁ、外国人がちっちゃい子供を連れていたら怪しいだろうね。
すずめちゃんは頷く。
「そうかい……。悪かったね。少し疑っちまったよ」
そう言って、勝気な笑みを向ける女性。
「無理もないですよ」
私も笑い返した。
「行こう。すずめちゃん」
すずめちゃんが頷き、雪風を抱えて戻ってきた。
「お嬢ちゃん」
そんなすずめちゃんの背中に、女性は声をかけた。
すずめちゃんが振り返る。
「またおいで」
すずめちゃんは頷いてから、私達と一緒に部屋を出た。
「くろえお姉ちゃん」
「何?」
「さっきの人に貰った」
そう言って、すずめちゃんは一つの袋を開いて見せた。
中には、干し芋が入っていた。
あれま。
あとでお礼を言いに行かなくっちゃ。
どんな人かはわからないが、お隣さんは優しい人らしい。
子供好きでもあるのかもしれない。
私達は食事を取るために、町へ出る事にした。
部屋を出た時、偶然隣の部屋の襖も開く。
出てきたのは、さっきの女の人だ。
向こうも気付いて、互いに顔を見合わせる。
「あんたらも飯かい?」
「そうですね。あなたも?」
「そうだよ。折角だから、一緒しないかい?」
椿を見る。
「好きにすればいいだろう」
という事で、お隣さんと一緒する事になった。
そうして町で入ったのは、一件の居酒屋だ。
もう日は沈んで辺りは暗くなっていたため。いくつかの飯屋は閉まり、開いているのは居酒屋ぐらいのものだった。
店の中は賑やかで、酒の入った客達が楽しげに騒いでいた。
が、私に気付いた途端、客達は一瞬にして静かになった。
「ミナサン、コンバンハ」
と片言で挨拶して店の中へ少しの混乱をもたらすと、店員さんに座敷の席へ案内してもらった。
思い思いに食べたいものを注文する。
私はお酒が飲めないので、食べ物だけだ。
雪風のために味付けしてないそぼろをお願いしたら、快く引き受けてくれた。
良い店である。
「酒は呑まんのかい?」
「呑めないんですよ」
「そうなのかい? 意外だねぇ、そんなでかい形して」
本当はそこそこ強いんだけどね。
酔うまでが大変だし、酔った後も大変なのだ。
椿は少しだけ飲んでいる。
料理を口に入れ、軽く胃が膨れた頃に一度箸が止まる。
「そういや、名乗ってなかったね。あたしは、お妙。龍道寺お妙っていうんだ」
「私は、ビッテンフェルト・クロエと言います。で、こっちは椿。私の相方です」
名乗ろうとしなかったので、椿の分の自己紹介もしておく。
「何の相方だ?」
漫才かなー?
「で、この子はすずめちゃん。このわんこは雪風」
すずめちゃんが小さく頭を下げた。
雪風は舌を垂らしてハァハァしている。
「ふぅん。よろしくね。仲良くしておくれ」
お妙さんは手を差し出し、すずめちゃんと握手した。
「そういや、あんたのその名前、どう書くんだい?」
「色の黒でクロ、恵みっていう字でエですね。で、苗字は――」
と自分の名前の漢字を言うと、椿が驚いた。
「普通に倭国語じゃないか? しかもその苗字、当て字にもなっていないぞ」
生前の名前だからね。
「なんだい? 元の名前は劉字じゃないのかい?」
お妙さんが訊ね返す。
りゅうじ?
龍司?
腕がガトリングガンになるのかな?
と、間違いなく違うね。
多分、龍字が正しいのだろう。
だって、チヅルちゃんの話では黄龍国という中国らしき国があるらしいからね。
漢字は元々、中国の漢王朝から来た言葉らしいから、こっちでいうとその黄龍国から来た字で龍字なのだろう。
「元はもっと違う字ですよ。別の国の人間ですから」
「やっぱりそうなのかい。どう見ても、あんたはここいらの人間と顔つきも大きさも何から何まで違うからねぇ。はっはっは」
お妙さんは酒も入っているからか、とても大きな声で笑った。
どうやらお妙さんは酒が好きらしく、とっくりが空になると次々に酒を注文した。
次第に卓の上が徳利で埋まっていく。
なんだかすごい事になっちゃったぞ。
それからしばらくして、料理もあらかた食べ終わった頃。
お妙さんはまだ、酒を飲んでいる。
徳利が空くたびに注文していた。
卓の上には、料理の皿よりも空の徳利の数の方が多く置かれていた。
いろいろと話をしながら飲み食いしている内に、ずいぶんと時間が経っていた。
旅の疲れもあってか、すずめちゃんは私の膝を枕にして眠っている。
腕には同じく眠る雪風を抱いていた。
雪風はひょこひょことたまに前足を動かす。
夢でも見ているのかもしれない。
「そういや……その子は親がいないと言っていたけれど。差し支えなけりゃあ、事情を聞いていいかい?」
「そうですねぇ……」
私はすずめちゃんの身の上を話した。
「親をねぇ……。とんだ外道がいたもんだ」
「私が焚きつけたせいもあるんですけどね……」
「気に病んでんのかい?」
「そうですね」
「……男ってのは、魂が死ぬ事を何より嫌うもんだからね。あんたが焚きつけなくても、いずれは同じ事をしたんじゃないかねぇ」
「そう、でしょうか?」
「あたしはそう思うね」
言って、お妙さんはお猪口の酒を飲み干した。
徳利の中身を再度お猪口へ注ぐ。
私にとって、その言葉は心地がよかった。
自分の責任ではないかもしれない。
そう思えば、慰められる。
けれど……。
私が原因の一つになってしまった事実は変えられない。
私は、後悔しなくてはいけないんだ。
何せ、人の命が潰えたのだから。
開き直っちゃいけない。
すずめちゃんに申し訳なくて、そんな事はできやしない。
「男っていうのはねぇ、そんなもんなんだよ。意地だのなんだのと、自分だけの世界を持っててさ。その小せぇ世界守るためなら、命だって張る生き物なのさ」
お妙さんは、そこまで言うと「けっ」と不快そうに言葉を吐いた。
「そうなっちまえば、女房も子供も考え無しに置いていっちまうもんさ。
結局の所、男の世界なんてもんは自分が主役晴れる、自分だけの世界。
よっぽどそこの居心地がいいんだろうね。
男の世界だとか言って、女を容れようとしやがらない。
こちとら女の世界には、しっかり男も容れているっているのにさ。
不公平なもんだよ。まったく。
器が小さいったらありゃしない。
最初から器の大きさが違うんだよな。
女と男じゃ。
女の方が、器は大きいんだよ」
何か、愚痴っぽいですよ。
お妙さん。
でも、そんなものなのかな?
私にはわからないや。
アルディリアには、そんな素振りなんてない気がする。
……というか、彼はむしろ心に女の世界を持っていそうな気がしてならない。
「そんなもんですか」
「あんただって、所帯を持てばわかるよ」
「私、結婚してますよ」
「本当かい!?」
お妙さんは驚いて机を叩く。
空の皿が宙を舞った。
驚き過ぎである。
「本当ですよ。子供もいます」
落ちてきた皿をキャッチしながら答える。
「へぇ……見えないねぇ」
どういう意味で?
「それより、その口ぶりだとお妙さんも結婚しているんですか?」
「……まぁね」
少し言葉を濁しながら答えた。
「じゃあ、あんたもそうなのかい?」
お妙さんは椿に聞いた。
「いや」
そうだよね。
そんな気がしてた。
「そういえば、椿って何歳?」
「二十歳だ」
年下だったんだ……。
年上だと思ってた。
「そんな目で私を見るな」
どんな目で見てたの? 私。
「それで所帯は持ってないのかい?」
「そうだな」
お妙さんの問いに、椿は答える。
「ああ、それは椿の境遇は特殊で。村の掟で、村にいる間は顔を隠しているんですけど。素顔を男に見られたら殺すか愛するかしなくちゃならないんですよ」
「極端すぎる! そんな掟などない!」
「と、そんな事はないんですが、自分より強い男にしか娶られない制度なんです。で、彼女は強すぎるので好きだった人にも勝っちゃって、それで今も独り身で……」
「そんな制度もない! ……が、まぁそんなようなものだな」
肯定されたし……。
椿。
意外と脳筋なのか。
そんな様子を見て、お妙さんは笑った。
「愉快だねぇ、あんたら。で、その子はどうするんだい?」
すずめちゃんを顎で示して言う。
「山内に兄がいるそうなので、その方の元へ送り届けるつもりです」
「へぇ、そうなのかい……。じゃあ、雑賀に行くのかい?」
「ええ。そうなりますね」
「なら、そこまで一緒に行かないかい? あたしの目的は雑賀の港町なんだよ。そこからなら、山内までの船も出てる」
「そうなんですか」
私はいいと思うけれど……。
椿を見る。
案内人の意見を聞かないとね。
「いいと思うぞ。あとは街道を行くだけだ。迷う事もない。むしろ案内すら必要ないから、このまま私は帰ってしまっていい気もする」
「えー、そんな事言わずについてきてよ」
「それは勿論だ。お前は有能だが、一人にするのは何故か不安だ。いろいろとやらかしそうだ」
ついてきてくれるのは嬉しいけれど、ちょっと複雑な気分になる言い方だ。
「じゃあ、決まりだね。改めてよろしく、お二人さん」
「ええ。よろしく」
と、雑賀まで同行する事を決めた時だった。
パリン、と陶器の割れる音が聞こえた。
その音で、すずめちゃんと雪風が起きてしまった。
そちらを見ると、一人の男が席から立ち上がっていた。
その手には、割れた徳利の破片が握られている。
向かいには、頭に陶器の破片をいくつか乗っけた男が座っていた。
多分、徳利で殴られたのだろう。
殴られた男が立ち上がる。
「やりやがったな、てめぇ!」
男は叫び、徳利を握っていた男に掴みかかった。
そして、喧嘩が始まった。
「放しやがれこのやろう!」
取っ組み合いの喧嘩をする二人。
「あの、お客さん、他のお客さんの迷惑になりますから」
女性店員がおずおずと止めに入る。
が、そんな女性店員を男の一人が力任せに叩いた。
「きゃっ」
女性店員が倒れる。
「女のくせに、男のやる事に口出してくるんじゃねぇや!」
男が言い放つ。
カン、と私達のテーブルに高い音が響いた。
見ると、お妙さんが空になったお猪口を卓に置いていた。
叩きつけるように置いたために、カンと高い音が鳴ったのだろう。
お妙さんは、鋭い目つきで男達を睨みつけた。
卓に並んだ徳利二つを手に取り、二人の男へ投げつけた。
二つの徳利は、男二人の頭へ見事に命中する。
「じゃかぁしぃはボケ共!」
そして叫ぶ。
二人の男が、叫んだお妙さんを見る。
「じゃれつくなら、外でやりな」
「何だ、お前? このアマが! 男のやる事に口出すな!」
「あ?」
お妙さんはそう口にして、男達をさらに険しく睨みつける。
男達が若干怯んだ。
座敷から立ち上がり、上着を脱いだ。
「あたしは、飯時に騒がれるのが嫌いでねぇ……。でも、もっと嫌いな事があるんだ。そいつは、男に舐められる事だよ」
言うと、お妙さんは着物の袖から腕を抜き、懐から出した。
腰の帯から上が肌蹴、中に来ていた下着が見える。
時代劇などで、火消しが着るような前掛けだけのもの。
背中の布地がなくて、背中が丸見えになるタイプのものだ。
そして丸見えになったその背中には、赤い龍の刺青が彫られていた。
え、お妙さんってまさか……。
ザッケンナコラー?




