三十五話 頼らずに生きていく
早朝。
滞在する宿の部屋。
私は窓辺に寄りかかり、人の少ない通りを眺めていた。
少し早く目が覚めてしまい、やる事もなくなんとなくの事だ。
「わふわふ」
すずめちゃんはまだ寝ている。
先に起きた雪風が、退屈なのか私の所に寄って来たのだ。
膝の上に抱いて撫でてやる。
撫でていない方の手を容赦なく舐めてくる。
そんな時に、部屋の襖が開かれる。
目を向けると、足を踏み入れたのは椿だった。
「終わったの?」
私は訊ねる。
「ああ。全員、始末はつけてきた」
「そう……」
盗賊団の話だ。
般若を倒した事で私が出る必要もなくなり、椿はあの日からずっと忍達を指揮して逃げた盗賊を追っていた。
そのカタがついたのだ。
「じゃあ、これで頼まれごとは終わりなんだね」
「そうだな」
もう一度、通りに目を向ける。
「良かったのか? 報酬をあんな風に使って」
「良いよ。山内までは節約していくから」
私の受け取るはずだった報酬は丁度三十両だったらしい。
一両を約16万円として、それが三十枚。
現在の価値にして、480万である。
その数字に思い至ってびっくりしたのだが、それくらい払ってもいいと思えるくらいに般若という存在は厄介だったようだ。
被害も大きかったのだろう。
そんな厄介な相手を倒した私には、それだけの額を支払われるだけの価値がある。
そういう事だ。
「あげたわけじゃないしね」
私はその三十両をある人物に貸与した。
その人物とは……。
「わかっているさ」
そう言って、部屋の布団で寝ていた彼女が起き上がった。
「もう起きていいの? 般若」
そこにいたのは般若だった。
「少し痛みは残るが、十分動ける」
雪風の涎でベタベタになった指。
私は雪風を撫でるフリをしてその毛で手を拭う。
ふわふわの毛並みがそこだけべったりと撫で付けられた。
ついでに、頭をソフトモヒカンにした。
あの日死にかけていた般若は、白色の治療に加え、椿が持っていた丸薬によって奇跡的に回復した。
それから持ち直した彼女を宿で療養させる運びとなった。
そして今、私達と同じ部屋にいる。
椿が服部の頭領に連絡を取った結果、彼女は今までの事を許された。
ただ、無条件というわけでなく、般若には今後服部の仕事を請け負ってもらうとの事だ。
とはいえ、今しばらくは無理だろうが。
彼女の左手はくっついているが、まだ刀を握れる状態じゃなかった。
治っても、前のように自在に刀を振るえるとも限らない。
それに、振るうための刀もなかった。
彼女の刀は、あの夜に白狐が斬り折ったのだから。
白狐が何故あんな事をしたのか。
私にはわからなかったが、椿はこんな事を言っていた。
「豊口一伝斎は、究極の切れ味を求めて刀を打っていた。その執念は刀に宿り、互いに刃を交える事になった際は負けた方を勝った方が折ってしまうそうだ。そうして残った物が、究極の切れ味を体現した物となる。そんな考えからだ」
「蠱毒みたいだね」
「よく知っているな。そんなものを」
ライトノベルとか読んでいたらわりかし出てくる。
と、そういう事らしい。
今後はどうなるかわからないが、とにかく今の彼女の身の安全は約束されている。
そして、私が貰ったお金の使い道だが、般若に貸与する事になった。
何故かと言うと。
私は般若から渡された三十両を彼女に返した。
「生きていたんだから、自分で渡しなよ?」
「そうだな……」
と、そんな時に椿が三十両を取り上げた。
「これは盗みで得た物だろう? もとはうちの依頼主達の物だ。返してもらうぞ」
との事である。
確かにその通りだった。
盗賊達から押収した金品は、全て契約者への補償に当てるそうだ。
ちなみに、契約していない店の事は返さず、詫びとして契約者へ補償に全て使うそうだ。
「だが、頭領の話ではお前への報酬は三十両。賊から応酬した中から払うよう言われている。だから、これはお前に渡しておこう。面倒がなくていいな」
そして……。
「頼みがある。その金を貸してくれないか」
般若は私にそう申し出た。
なので私は、貰った報酬を彼女に貸したわけだ。
「借り受けても、本当によかったのか? すぐには返せないぞ」
「いいよ。少しずつ返してくれれば。あ、でも払わなかったら、お前を天狗の国へ連れて行く」
「天狗の国? お前の国か。……それもいいかもな」
般若が笑う。
「……一つ頼みがある」
「何?」
「あとですての所に、連れて行ってくれないか? 左手の利かない今、大金を持ち歩くのは不安でな」
「わかった」
昼頃になり、すずめちゃんと雪風も連れていつもの空き地へ向かった。
そこでは、すてちゃんが顔を俯けて木箱に座っていた。
「おい」
般若が声をかけると、すてちゃんは顔を上げた。
般若の顔を見て、笑顔を作る。
「姉ちゃん! 今まで、どこ行ってただ?」
「少し、怪我をしてな」
「怪我?」
すてちゃんが心配そうな表情になる。
般若の包帯に包まれた左手を見て息を呑む。
ごめん、それやったの私なんだ……。
「それよりも、お前に渡したいものがある」
「何だ?」
「今までの代金だ」
般若は、小判を包んだ布をすてちゃんに渡す。
すてちゃんは中を改め、それが小判だとわかると驚いた。
「これ、お金でねぇか。どうしてこんなに?」
「特別に、多く出す事があってもいいだろう」
「だども……」
「三十両ある。これだけあれば、人間一人を買う事もできる」
椿に聞いた話だが、売った子供を買い戻すための相場はだいたい二十両から三十両なのだという。
これだけあれば、すてちゃんは店から自分を買い戻す事ができる。
晴れて自由の身になれるのだ。
般若は、それがただの代金だと言った。
他人に渡すくらいなら知っている人間に渡したい、とも言っていた。
でも、こうしてわざわざ私からお金を借りてまで渡そうとするなら、きっと初めからこうしたかったんだろう。
「……なぁ、姉ちゃん」
「なんだ?」
「その手、この金を稼ぐためにそうなっちまったんか?」
本当にごめん。
でも、察しのいい子だ。
もしかしたら、般若はそのためにあんな仕事をしていたのかもしれない。
一人で生きるためならば、もう少し割のいい仕事はあったはずだ。
「関係ない」
「本当け?」
「本当だ」
すてちゃんがじっと般若の顔を見る。
「目、開けてくんろ」
「目は見えない」
「嘘じゃろ? おら、姉ちゃんの目の色知ってるだ。前にちらっと見た。見られたくないから、閉じとるだけなんじゃろ?」
般若は小さく息を吐いた。
私は彼女の背後に居たから見えなかったが、その後すぐに目を開けたようだ。
すてちゃんはじっとその目を見ていたようだ。
そして、俯いた。
「いいから受け取れ」
「これ、好きに使っていいだか?」
「ああ。もう、やった物だ。好きに使え」
すてちゃんは般若の顔を見上げた。
「じゃあ……」
すてちゃんは、受け取ったばかりの小判を般若に差し出した。
「……受け取ると言ったじゃないか」
「受け取っただ。でも、おらこの金で姉ちゃんを買うだ」
「私を……買う?」
般若の声は困惑を含んでいた。
かく言う私も、少し驚いた。
「そうだ。姉ちゃんをこの金で買って、一緒に居てもらうだ」
「馬鹿な……何故そんな事のために使う? それがあれば、お前は自分を買い戻せるんだぞ」
すてちゃんは、にこりと笑い返した。
「おら、わかっただよ。どうして人に頼っちゃならねぇか。
頼ったら、頼った相手が自分のために酷い目に合うかもしれねぇだ。
おら、どこかで姉ちゃんを頼ってただ。
多分、姉ちゃんはそれだから左手怪我してまで、こんな金工面してくれたんだと思うだ」
「そんな事は無い」
「でもおらは、そう思っちまっただ。だから、姉ちゃんが傷ついたんだって思っちまってるだ。
だから、おらはちゃんとしっかり一人で生きていこうと思うんじゃ。
自分だけの力で、誰も頼らずに行きていくだ。
そうすりゃあ、姉ちゃんがこれ以上傷つく事はないと思うだ。
けれども、おらは弱いから途中でくじけるかもしれねぇ。
寂しくて泣いちまうかもしれねぇ。
だども、姉ちゃんがそばにいてくれれば何とかなる気がするだ」
「一人で生きていくんじゃないのか?」
「代金払ってしてもらう事は頼る事にならんのじゃろ? だけぇ、姉ちゃんが一緒にいてくれるように、姉ちゃんを買いたいだよ」
なるほど、理屈は……合ってるか?
「だからって、頼るわけでねぇ。ちゃんと自分の力で生きられるようにするだ。そばで見ていてほしい、それだけの事だ。おらが姉ちゃんの背中見張るみてぇに、姉ちゃんにもおらの背中を見張って、安心して休める場所を作ってほしい。それだけなんだ」
すてちゃんは強い意思を言葉に含ませて言った。
般若はその言葉を受け、黙り込む。
「ダメけ?」
不安そうにすてちゃんが訊ねる。
それを受け、般若は口を開いた。
「……わかった」
差し出されたすてちゃんの手の平の上で、小判の包みを開く。
そこから、半分。
十五枚だけ小判を受け取る。
「だが、これだけでいい。これだけもらえるなら、私はお前とずっと一緒にいてやる。お前が、いいと言うまで……」
「だったら、一生だな」
すてちゃんが笑う。
背中越しでわからないが、多分般若も笑っているだろう。
私には、そう思えた。
翌日。
私達は、橘を出る事になった。
橘の門の前で、般若とすてちゃんに見送られる。
すずめちゃんと雪風がすてちゃんとの別れを惜しんでいる間、私は般若と言葉を交わした。
「いずれになるかはわからないが、私はすてが自由の身になるまでここにいる事にした」
「買われちゃったもんね」
「服部から仕事を回してもらえる事にもなった。その代金も足しにすれば、それほど時間もかからないだろう」
「そう……。ねぇ、すてちゃんが自由になったらその時はどうするの?」
「そうだなぁ……。天狗の国……。お前の国へ行くのもいいかもな。どんなものか、一度見てみたい」
「その時は歓迎するよ」
「その後は、一度この国を旅してみるのもいいな。二人で一緒に……」
「早くその日が来るといいね」
二人、かすかに笑い合った。
「行くぞ」
椿が言う。
「うん。じゃあ、またね」
般若は頷いた。
そして、私達は二人に見送られて橘の門を出た。
さぁ、今度こそ山内だ。
死のフラグ 立ったら折れば いいのです。
8D
当初の予定では、般若は死んでいました。
悩んだ結果、ちょっと都合が良すぎますが生存していただきました。




