三十四話 全てを失い……
今回は途中で視点が変わります。
○般若
腕も刀も失った。
私には、もう何もない。
私が人に認められるただ一つの術が、消えたのだ。
もう、私は生きてはいけない。
すがるものは消え、頼るものも初めからない。
それでも、何もなくなった私の脳裏に浮かんだのは一人の少女の顔だった。
すてだ。
何故か彼女の顔が浮かぶ。
思えば、あの子のそばにいる時は安らぎがあった。
気配を探れる私にとって後ろを警戒しなくても済むなどと、そんな物は方便でしかなかった。
でも、確かにあの子といると安心できた。
心が休まった。
全てを失った恐怖も、あの子のそばへ行けば癒せる気がした。
けれど……。
今まで頼るな、と言ってきてそんな様を見せたいとも思わなかった。
これは、見栄かな?
今まで、そんな事思った事もないのに。
生きるためなら、どんな手段だって選ばなかったのに……。
今更になって……。
一人で生きる強さを養えと、私はすてに言った。
それは私がそう生きてきたからだ。
頼る人間のない私には、一人で生きる事しかできなかった。
だから……。
私には、人を頼る事なんてできない。
足が向いたのは、橘の外にある廃寺だった。
寺の境内には、荷車に小判の入った箱を積む二人の男達。
盗賊の手下達だ。
その様子を頭目が見ている。
どうやら、逃げ延びたらしい。
頭目が私に気付いてこちらを見る。
「先生?」
「無事だったようだな」
「ええ。何とか逃げられやした」
「これからどうするんだ?」
「もうここではやっていけねぇでしょうから、裏の川から舟で逃げるつもりでさぁ。それより、大丈夫ですかい? その腕」
私は左腕を脇で挟んでいた。
出血を抑えるためだ。
「斬られた」
「そうですかい。大変でやしたね。肩をお貸ししやしょうか」
頭目が近寄ってくる。
「いらん」
「まぁ、そう言わず……」
構わず寄ってくる頭目。
そして、腹に痛みが走る。
見ると、腹に匕首が突き刺さっていた。
じんわりと着物が血で濡れていく。
視線を外し、頭目を見る。
頭目は表情一つ変えず、口を開く。
「人を斬れないあんたに、用はねぇからな。死んでくれた方が、取り分も増えていい」
匕首を引き抜かれる。
足がよろけた。
尻餅をつき、立ち上がろうとしても立ち上がれない。
そのまま、仰向けに倒れた。
「親分。積み終りました」
「わかった。行くぜ」
「へい」
頭目が手下へ言い、私の視界から離れていく。
荷車の音とわらじの足音。
耳に入るそれらの音が、次第に消えていく。
残るのは、虫の声。
風が木々を揺らす声。
あとは何も聞こえない。
体は動かない。
動かそうとすれば痛みが走る。
殴られ蹴られしたせいだ。
きっと体の骨を幾本かやっている。
でも、それ以上に痛いのは腹だ。
腹がとても痛いから、体中の痛みが気にならない。
痛みが痛みを紛らわせている。
ボロボロだ。
これが、私の終わり方か……。
やっぱり人なんて、頼るもんじゃない。
私には、一人で生きる道しかなかったんだな……。
瞼を開けるのが億劫になってきた。
自然と視界が狭まっていく。
そんな時だった。
足音が聞こえた。
誰かが走り寄ってくる。
そして……。
「般若!」
そう言って、黒い鬼が私の顔を見下ろした。
般若って、私の事かい?
そういえば、私がそう呼べって言ったんだったか……。
●クロエ
白色で傷を治し、薬で少し回復した私は般若を追った。
途中で彼女を追った忍から話を聞き、般若が向かった廃寺へたどり着いた。
その寺の境内で、彼女は仰向けに倒れていた。
「般若!」
私は駆け寄り、彼女を呼ぶ。
そしてその顔を見下ろした。
血の気が失せている。
死人のようだ。
見れば、腹部の着物に穴が空いていた。
触ると、手の平に赤い物がべったりとついた。
「今、治してあげるから」
白色をかける。
けれど、彼女も魔力持ちだ。
効きは弱い。
「大丈夫だよ。これくらいなら、すぐに治るから」
それは嘘だ。
正直、もう助からない気がした。
それでも……。
そう言った方がきっと安心してくれる。
生きようと思ってくれれば、回復するかもしれない。
そう思って咄嗟にそう言った。
「どうでもいいさ」
しかし、般若はそんな言葉を返す。
「よくない!」
「いいさ。ろくでもない人生だった。未練すら残らない。……未練があるとすれば、折角稼いだ金を使えなかったって所だ。……なぁ、こいつをあいつに……すてに渡してくれるか?」
言いながら、般若は自分の懐を探る。
そして、小判の束を取り出した。
私の手に握らせる。
「これは?」
「代金だよ。そう言えば、あいつは受け取ってくれる。どこの誰とも知れない奴に渡るくらいなら、知っている奴に渡った方がいい……」
「自分で渡せばいいでしょうよ」
「……ふ」
ふ、じゃないよ!
「頼んだ……。信用できるのは、お前ぐらいなんだ……」
もっとほかにいないの?
さっきまで殺そうとしていた相手しか信用できないなんて、おかしな話じゃないか!
私は答えない。
黙ったまま、白色を流し続ける。
般若の手首を水の魔法で洗い、持ってきた左手もくっつける。
そうしてまた、その患部にも白色を直接流した。
魔法で出した氷水で覆っていたから多分、くっつくはずだ。
それでも、少しずつ般若は弱っていっているように見えた。
目が閉じられていく。
「……今までたくさん斬ってきた。次は、私の番……。それだけの事、だな……」
そんな言葉が般若の口からかすかに漏れ、完全に目を閉ざした。




