三十一話 二人の鬼
般若が退いてすぐに、私は椿を抱えて宿へ走った。
その間も白色はかけていたが、魔力を持った人間には白色が通じにくい。
それは魔力を持った人間は、他人の魔力へ抗力を持っているからだ。
宿の店主へ医者を呼ぶよう言って、割り当てられた部屋へ向かう。
すずめちゃんが椿を見て驚いていた。
雪風もわんわんと吠える。
店の人に布団を敷いてもらい、椿を横たえた。
道中で白色をかけ続けていたが、椿の傷の治りは遅い。
彼女自身の魔力が私の魔力に反発しているせいだ。
それでも何とか傷がくっついた頃、お医者さんが宿に到着した。
お医者さんに治療を受け、椿はなんとか一命を取り留めた。
「迷惑をかけたな」
椿が目を覚ましたのは、二日ほど経った朝だった。
起き上がってすぐ、布団の横に座る私を見つけてそう声をかけた。
「生きてて良かったよ」
「ああ。そうだな」
布団から抜け出そうとする椿。
私はそんな彼女の肩に手を当てて制する。
「まだダメだよ。傷が開くかもしれない」
毎日白色をかけて、斬られた場所は傷口が目立たないまでに治っている。
でも、内臓の方はわからない。
念のために、様子を見るべきだと思った。
椿は素直に従い、布団の上に体を落とした。
「体も萎えているな。血も足りないようだ。ふらふらする」
「そりゃそうだ」
溜息を吐く椿。
「賊は?」
「逃した。あれから、まだ一度も出ていないらしいよ」
連絡係の忍からの情報だ。
定期的に、ここへ報告しにくる。
「そうか……」
「また出た時は、私が行くよ。だから、安心して寝てて」
「……お前には、あれを倒す算段があるのか?」
「今はない。でも、対抗するための鍛錬はしている」
白狐を今までよりも自在に扱うための鍛錬だ。
あの晩に見た般若の剣を思い出しながら、イメージトレーニングしている。
般若と渡り合うには、あの速さに対応して白狐で受ける必要があった。
魔力を込めた手刀で対応する事も考えた。
しかし、それは不可能だ。
確かに、白狐を相手にした時は拳で打ち勝った。
でもあれは使い手がいなかったからだ。
使い手がいない時点でも私は手に怪我を負った。
それほどに妖刀の切れ味は鋭い。
その上、しっかりと斬る技術を収めた人物が扱ったとしたら、恐らく私の拳では対処できない。
手刀で打ち合っても、あっさりと斬られてしまう事だろう。
ガントレットだって簡単に斬り裂かれた。
だから、般若と戦うためには白狐を相手の斬撃に合わせて扱えるようにならなければならない。
妖刀には妖刀で対抗するほかない。
「悔しいが、私ではどう足掻いても勝てない。だから、お前に託すぞ」
「うん。わかった」
私は立ち上がる。
「御飯とって来るよ。多分、胃が弱ってるからお粥だけどね」
「ああ……」
部屋を出て行こうとする。
そんな時。
「ありがとう。……くろえ」
背中に声をかけられた。
盗賊団は、夜に行動する。
それもいつどこを狙って入り込むかわからない。
だから、私は盗賊団が次の行動を起こすまで待たなければならなかった。
今しばらく、橘に滞在しなければならないようだった。
夜はともかく、持て余すのは昼の時間である。
私は昼の間、すずめちゃんと一緒に町の繰り出すようになった。
「あ、くろえはん」
そのため、最近はこの界隈の人間とも顔見知りになってしまった。
声をかけてきたのは、質屋の娘さんだ。
質屋を利用する事はないけれど、甘味処でよく一緒になる。
「すずめちゃんとおでかけ?」
「そうだよ」
「たまには私とも遊んでぇや」
ちなみに、女性が好きである。
私に身を寄せて、腹筋を指で撫でてくる。
のの字だ。
あ、シャツの間に指入れないで。
ヘソを突かれると力が出なくなるから。
「ごめん。私には夫と妻がいるから」
「ちょっとくらいええやないの。いけずぅ」
と、やり取りを交わして早々に離れた。
最初こそ私の容姿に警戒していた橘の人々だが、前田に比べて打ち解けるのが早かった。
様々な客が来る、橘という町の特性だろうか。
いろいろな物を内包してしまう懐の深さがある。
不思議な町だ。
そんな時だ。
雪風が何かに気をとられ、走り出す。
次は何に気をとられた?
私達は雪風を追って、路地の中を進んでいく。
すると、路地の奥で木箱に座るすてちゃんが見えた。
彼女を見つけたから、走っていったのか。
「雪風!」
飛びついてくる雪風に驚いて、すてちゃんが驚きの声をあげる。
路地を出てすてちゃんのいる場所へ着く。
そこは空き地になっていた。
そして、驚いた。
木箱に座っていたのは彼女だけじゃなかった。
もう一人、背中合わせに座っていたのは……。
「般若……」
着物も白い着流しで般若面もつけてはいないが、間違いなく彼女だ。
初めて会った時と同じく顔を布で隠し、目を閉じている。
右手には杖を持っていた。
私の声を聞きつけたのか、閉じた瞳を薄っすらと開いた。
澄み渡る空のような青い瞳だ。
私は、体を強張らせた。
すずめちゃんを庇うように立つ。
そんな様子に、すずめちゃんが不思議そうな顔をする。
顔を隠しているから、般若がどんな表情をしているのかわからない。
けれど、然して驚いている風ではなかった。
いつもの、斬られるような殺気も感じられない。
戦う気はないという事だろうか?
私が見つめていると、般若は興味がないと言わんばかりに目を閉じて顔をそらした。
「すてちゃん、その人誰?」
「おらに良くしてくれる人だ。名前は……」
すてちゃんは言おうとして、言葉に詰まる。
「私に名前は無い」
「それ、本当なんけ?」
すてちゃんは訊ねるが、般若は答えなかった。
「いつも、おらに蜜柑飴くれるだ」
すてちゃんは手に紙袋を持っていた。
ああ、あの時の……。
雑貨屋で買っていたのは、この子にあげるためか。
般若を見ると、完全に後ろ頭をこちらへ向けられた。
照れてるのかな?
「なぁ、姉ちゃん。すずめちゃんにも飴やっていいだか?」
「……前にも言っただろう。お前にやった物だ。好きにしろ」
「あんがとな」
すてちゃんは袋から取り出した飴をすずめちゃんに渡す。
すずめちゃんはお礼を言って、飴を口に入れた。
表情が綻ぶ。
すてちゃんは木箱から下り立った。
「何して遊ぶだ?」
「何でもいい」
「それが一番困るだ」
二人はそんなやり取りを交わして、空き地で遊び始めた。
とりあえず、雪風を指先一つで転ばせる遊びをするようだ。
指の匂いを嗅がせて、そのまま上に持っていくと雪風はごろんと転がるのだ。
雪風も好きな遊びである。
二人と一匹が遊んでいる間、私は般若の隣に座った。
近くに寄ると斬られるのじゃないか、と少し警戒したが何事もなく木箱に座れた。
しかし、どうしたもんだろう。
賊の活動を待たずして、賊を見つけてしまった。
本当はここで捕まえるべきなのだろうけれど……。
すずめちゃんもすてちゃんもいる。
般若も戦うつもりがないようなので、なんとなく戦いにくい雰囲気でもある。
「私を殺しに来たのではないのか?」
逆に、訊ねられる。
「子供達もいる。あなただって、すてちゃんに怪我はさせたくないでしょう?」
「私は一向に構わん」
どこのツンデレ三つ編みっ漢だ。
自分の頚椎を外した相手を満面の笑みで祝福したりするのか。
「剣法の達人でも蜜柑飴を買うんだね」
言うと、般若はまたそっぽを向いた。
思ったよりも、憎めない人だな。
あんな非道な盗賊団の人間だというのに。
不思議と、どうあっても倒すべきだという気持ちにならない。
「ねぇ、どうしてあんな事をするの?」
「あんな事?」
「あなたの夜の仕事だよ。店の人をあんなに殺して……」
納得したのか「ああ」と言葉を返す。
「私は殺していない。殺したのは連中だ。私は忍避けに雇われているだけだ。仕事に含まれていない殺しはしない」
彼女は、忍以外を斬っていないのか。
「一味じゃないって事?」
「用心棒だ。私の腕を高く買ってくれる」
「金のために、あんな連中と?」
「生きるためだ」
「あなたほどの腕なら、他にも雇ってくれる人はいるはずだ。賊に雇われる必要もないでしょう」
言うと、般若は私を見た。
真っ青な目が私をまっすぐに見据える。
「お前は、私と同じ。この国の人間では無いだろう?」
「うん」
「この国で育ったのか?」
「いや、外国から来た」
「だろうな」
顔は隠されているが、笑ったのがわかった。
それも好意的な物じゃなく、むしろ嫌悪を懐いているようだった。
今までにない、強い感情のように思えた。
「目の色も髪の色も……自分達と違う。そんな人間を誰が受け入れてくれると言うんだ? 日の当たる世界に、私を受け入れる場所などない。辛うじて許されるのは暗い裏の世界の中だけだ」
私はそれ以上、何も言えなくなった。
もしかしたら彼女は、その自分の姿で迫害を受けてきたのかもしれない。
金の髪も青い目も、この国では彼女だけだ。
だからこそ彼女はその目も髪も目立たぬように、盲目の老婆のフリをしているのだろう。
黒髪黒目の私ですら、顔つきと体格で恐れられてきたのだ。
何もかもが倭国人とは違う彼女への当たりは、もっと強かっただろう。
そして、こう呼ぶのだ。
「鬼だ」
般若は言った。
「私は、そう呼ばれて育ってきた。そして、今も……」
そこまで言うと、般若は立ち上がった。
「もう、帰るんけ?」
それに気付いたすてちゃんが訊ねる。
そんな彼女に答えず、般若はどこかへと去って行った。
翌日。
私はまた、般若と出会った空き地へと向かった。
すずめちゃんと雪風も一緒だ。
椿にはまだ、言っていない。
でも、きっとこれはずっと黙っているわけにはいかない事だ。
賊が行動を起こすよりも前に、その動向を掴めた方が断然に被害は少ないのだから。
だからこれはちゃんと、椿に伝えなければいけない事だ。
だけど今日一日だけでも、猶予が欲しかった。
私はもう少し、般若という人間を知りたいと思った。
空き地には、すてちゃんと般若がいた。
昨日と同じように、背中合わせに座っている。
すてちゃんの口が動いている所を見ると、蜜柑飴を舐めているのだろう。
会話らしいものはなく、ただ二人座っているだけだ。
「すてちゃん」
「すずめちゃん」
二人は笑い合う。
「遊んでくる」
「ああ」
木箱から下りてすずめちゃんの所へ向かうすてちゃん。
入れ替わりに、私は般若の隣へ座った。
「こんにちは」
挨拶しても、声は帰ってこない。
私は仕方なく、すずめちゃん達を見守る事にした。
すずめちゃんが雪風を後ろ足で立たせ、両手を掴んで動かすという楽しいのかよくわからない遊びをしている。
よくわからないが、雪風は尻尾をぶんぶん振っているので楽しいのだろう。
「何故、また会いに来た? 今度こそ、殺しに来たか?」
「違うよ。ただ、会いたかったんだ」
「何故?」
「なんとなく、あなたが好きだから」
「……殺し合った相手に何を言う」
似たような事を椿にも言われたな。
「私は、強い人が好きなんだよ」
「おかしな奴め……」
そう言って、般若は黙り込む。
「あなたこそ、どうしてまたここに? 私が忍と繋がっている事は知っているよね。だったら、居場所がバレたと思わない?」
「忍など取るに足らない。寄って来たならば斬ればいい」
寄らば斬る。
単純明快だ。
でも、般若はその単純明快さを実現できる人間だ。
その言葉には説得力があった。
「……なぁ、お前の国には私のような姿の人間がいるのか?」
不意に、般若は訊ねてきた。
「いるよ。むしろ、私みたいな黒髪黒目の人間の方が少ないかな。あなたみたいに、金髪碧眼の人間の方が多いよ」
「そうか……」
「だからといって、そればかりじゃないよ。白い髪や赤い目の人間もいる。それに、ピンク色の髪の人間だっているよ」
「いろんな人間がいるんだな」
「そうだよ」
「そんな場所なら、私も……」
言いかけて、般若は口を閉じた。
何を言おうとしたのかははっきりとわからない。
けれど、その一言があるから私は続く言葉を口にした。
「……ねぇ、私の国に来ない?」
「何?」
「もし罪を償う気があるんだったら、忍の人に許してもらえるよう頼んでみるよ。私だって説得する。だから、それで許されたら、私の国に来ない? そこなら、あなたを受け入れてくれる場所も見つかるはずだよ。人を斬る以外の生き方だって、見つかるかもしれない」
般若は答えなかった。
代わりに、別の言葉を口にする。
「どこで生きようとて、私が孤独である事に変わりは無い。私は、そのように生きてきたのだから」
一人で生きる事になれているから、どこであろうと孤独である事に変わりない。
そういう事か。
確かに、どんな場所で生きようと孤独な人間はいる。
アードラーもそうだったな……。
彼女は公爵令嬢という立場にありながら、いつも孤独だった。
思えば、般若も同じなのかもしれない。
昔はどうだったか知らないけれど、誰にも受け入れられなかった今の彼女は人と関わる術が乏しいように思える。
人と関わる事を苦手としている部分は、アードラーと同じだ。
生き方で、人は孤独になるものなのか。
「だから、お前の誘いは受けない」
「……そう。残念だよ」
「だが、少しだけ……。いいとも思った」
それきり、般若は黙り込んだ。
そしてその日は、日が暮れて私達が帰るまでずっとその場で座っていた。
「椿」
部屋の中、布団の上で療養中の椿に声をかけた。
「何だ?」
「般若を見つけた」
「本当か?」
頷く。
「どこだ?」
「答える前に、お願いがある」
「何だ?」
「般若の処遇は私に任せてくれないかな?」
椿が私を睨みつける。
「どういうつもりだ?」
「殺すには惜しい人だと思うから」
「……それは、強い人間が好きという話か?」
「うん」
「ふざけるな」
「ごめん。椿の気持ちもわかってるんだ。でもね、お願い」
私は両手を合わせてお願いする。
「できると思うのか?」
「その代わり、報酬はいらない。だから、彼女の処遇を任せて欲しいんだ」
椿は、私から顔をそらす。
私はそんな彼女の答えをじっと待った。
「……お前には、命を助けられた恩もある。あの女を捕らえた時は、殺さないでおいてやる」
「ありがとう!」
「だが、それは私個人の話だ。頭領がどういう判断を下すかは知らん。頭領が殺すと判断した時は諦めろ」
「……うん。わかった」
「それで? どこにいるんだ?」
私は、般若の居場所を教えた。
ちょっとした言い訳なのですが……。
聞いた話によると、前に活動報告で般若のモデルと申しましたキャラクターなのですが、北野監督の作品では金髪碧眼らしいですね。
私は見た事がないので知りませんでした。
モデルにしたのは女性主人公の漫画版で、そっちは知らずにクロエとの対比となるキャラクターにしようと白っぽい金髪にし、盲目を演じる理由として碧眼にしたのですが、結果としてとてつもなく似すぎる事になってしまいました。
本当に申し訳ありません。




