二話 バイリンガル・クロエ
夕刻。
我が家に王城からの使いが訪れた。
「クロエ・ビッテンフェルト様。至急、王城に参上されたしとの事にございます」
使いの人はそう言った。
「アードラー。ヤタの面倒見ててくれる?」
アードラーが家に帰って来ていたので、私はヤタを頼む事にした。
「わかったわ」
アードラーは了承してくれる。
「ママ、どこか行っちゃうの?」
「お城にね」
「私も行く」
「それはダメだよ」
陛下なら許してくれそうな気もするが、公私はきっちりとしておかないといけない。
王様という物が偉い立場の人間である、とヤタにも理解してもらわなければならないし。
「だから、アードラーママとお留守番してて」
「うん……」
返事をする声に元気がない。
「早く帰れるようにするからさ」
「うん……。早く帰ってきてね」
ちょっと離れるだけでも、こんなに落ち込むんだよね……。
「大丈夫よ。クロエママはすぐに帰ってくるわ。それまで、私と遊びましょう。ね?」
「うん……」
アードラーが笑顔を向けて、ヤタを慰める。
「お願いね」
「ええ。任せて」
私はアードラーに言い、使いの人と共に王城へ向かった。
王城に着くと、私は謁見の間へ通された。
「クロエ・ビッテンフェルト。参上致しました」
そこには玉座に座る陛下とヴェルデイド公、ムルシエラ先輩、そしてフェルディウス公がいた。
他にも多くの文官達が集っている。
そして……。
着物姿の男が三人。
全員、見るからに侍然とした風貌であり、表情は硬かった。
その中には昼間に声をかけた侍の姿もあった
昼間の侍が私を見て、笑顔になる。
他の侍たちへ日本語で言葉を発する。
「おお、紛う事無くこの御仁にございます」
「真か?」
「相違ございません」
昼間の侍に言われ、一番歳かさの高そうな侍が陛下へ向く。
「コノオンナ、マチガイナイ」
流暢とは言い難いが、意味の通じる言葉で侍が言った。
「やはりそうか……」
陛下は頷く。
「これは何なのでしょう? いったい、何故私をお呼びになったのですか?」
だいたいの事情はなんとなくわかっているが、ちゃんと確認しておこうと思った。
「うむ。説明しよう。実はそこの異邦人達は、倭の国という海を渡った先の国から遥々《はるばる》訪れた者達だ」
「そのようですね」
「彼らはサハスラータ王からの免状を持参しておってな。
彼らが我が国と直接物品のやり取りをしたいと願って来た事まではわかったのだが、如何せん彼らの言葉は難解でな……。
解する事のできる者もおらず、この者達の話す言葉も要領を得ない。
サハスラータ王の紹介ゆえ、無碍にもできぬので困っておった」
物品のやり取りというのは、交易したいという事だろうか。
しかし、確かに単語も発音も怪しくてわかりにくい。
これでは意思疎通も苦労してしまうだろう。
「そんな時だ。町ではぐれてしまっていたその者らの仲間が、ここへ来た。そして、倭の国の言葉を流暢に話す女性に案内してもらったという。その特徴を聞き、そなたであろうと気付いて呼び立てたわけだ」
「よく私だとわかりましたね」
「それを聞き出すまでに苦労したがな。子供連れで、その子を「ヤタ」と呼んでいた事で特定できた」
「なるほど。それで通訳を頼みたいというわけですか」
「そうだな。頼みたい」
「わかりました」
私は侍達に話しかけた。
「クロエ・ビッテンフェルトデース。ヨロシクネ」
「何故片言なのでございますか?」
わざと片言で話したら、昼間の侍にツッコミを入れられた。
それから、私は日本語で彼らの話を聞いた。
発音もちゃんとしたものだ。
私が倭の国の言葉を流暢に話す事に陛下を初めとした、その場にいるアールネス勢が驚いていた。
そして侍達も私が倭の国の事情をある程度察している事に驚いていた。
どうやら詳しい話を聞いてみると、文化やしきたりなどは日本と変わらないようだ。
まるきり同じとは限らないが、陸地が日本列島とだいたい似たようなものである事もわかった。
そして肝心の交易についてだが。
彼らは前田という藩の藩士らしく、前田藩を統治する大名家である角樫家の当主がサハスラータ経由で渡来したアールネスの焼き物を気に入り、直接の買い付けをしたい旨をアールネスへ伝えるために派遣されたとの事だった。
サハスラータを経由では、確実に出物があるとは限らないため直接取引したいそうだ。
代わりに、前田藩からは倭の国の美術品などを出すとの事である。
美術品だけに留まらず、食品や日用品などそれぞれの国独特の品々も流通させたいとの事だった。
恐らく、この取引は成されるのだろうな、と私は予感していた。
何故なら、角樫家はチヅルちゃんの家だからだ。
チヅルちゃん。
角樫千鶴は、私と同じ転生者である。
私は前に、未来から来た彼女と知り合いになった。
そんな彼女が言うには、後に彼女は倭の国からの留学生としてアールネスに来るのだという。
それはきっと、角樫家がアールネスと交流を持つからなのだろう。
「うむ。これはいい……」
現に、陛下は倭の国の焼き物を見てうっとりしている。
茶器だろう。
そのどべぇっ、とした感じがいいんですか?
実は陛下。
美術品を集めるのが好きなのである。
何年か前に私の父上が美術品を破壊して回った事件があり、城の美術品が大量に減っている。
その補填が未だに為されていないので、これを機に欲しいとか思っていそうである。
私の通訳と互いに両想いだった事もあって、両者のやり取りはとてもすんなりと進んだ。
そして、取引の詳細な内容を決めるため、倭の国にアールネスの使節団が派遣される事に決まった。
さぁ、これで私の役目は終わりである。
さっさと帰ろう。
帰ったら私、ヤタに「ママ、だーい好きっ!」って言ってもらうんだぁ。
「それにしてもクロエ嬢」
陛下に呼び止められる。
「君はすごいな。多才な人間だとは思っていたが、倭の国の言葉と文化にも精通しているとは」
「たまたま知っておりました」
「うむ。だが、ヴェルデイド家の人間ですらどうにもならなかった事ではある。その才知を見込んで頼みがある」
「何でしょう?」
「そなた、倭の国に行ってもらえないだろうか?」
「ホワイ?」
「本当に多才だな。それはどこの国の言葉だ?」
こうして、私は倭の国へ派遣される事となった。