二十八話 橘での出会い
山中。
橘へ向かう道程。
私たちは休憩を取っていた。
すずめちゃんと雪風は遊んでいる。
すずめちゃんに両前足を持たれ、後ろ足で立った状態で雪風は尻尾を振っている。
何が楽しいのかよくわからんが、二人(?)とも楽しそうである。
特に雪風が楽しそうだ。
そんな二人から少し離れ、私は夏木さんの刀で剣術の鍛錬を行なっていた。
教えを思い出しながら素振りをする。
そして最後に適当な木を斬りつけた。
刀は木の半ばまで到達し、そこで止まった。
多分、白狐なら簡単に両断できるんだろけど……。
私の腕では、両断できないか……。
「剣は未熟だな」
そんな様を見て、椿が言う。
「うん。そうなんだ」
答えると椿は黙り込んだが、少しして口を開く。
仕方ないな、という感じで。
「……力が入り過ぎだ。お前は膂力があるんだから、もう少し力を抜け。途中から力で押し切ろうとするから刃が止まるんだ」
「あ、ありがとう」
椿がデレた!
私は一度刀を鞘へ納める。
「何だ? 何をするつもりだ」
「抱き締めてあげようと思って」
「……それ以上私に寄ってくるな!」
私なりの友愛を形にしようと思ったのに……。
「それに、どうしてその刀を使う? 小刀の方が物はいいだろう」
「そうだけど……。こっちを使っていたら、私は上達できないと思うんだ」
「ふぅん……」
できるなら、私は道具を選ばずに戦える人間になりたい。
道具の良し悪しではなく、腕の良し悪しで勝てるようにしたいのだ。
言わば、拳や剣は勿論、武器に限らずどんな物も使いこなして戦える感じ?
椅子とかビンとか、最終的に食卓塩で相手を倒せるようにもなりたい。
この武器を選ばず、マルチに戦うという戦法には多くの流派が存在する。
多彩な使い方をするジャッキー流、殺傷力の高いスティーブン流、破壊力のある一馬流など様々である。
そのどれもが場所や道具を選ばない総合戦闘術だ。
私もそんな使い手になりたいのだ。
いや、違うな。
そうじゃない。
物を選ばずに戦えるようになりたいという気持ちは確かにあるが、それとは別に夏木さんの刀を使いたいという気持ちもあった。
だが、今の私では十分に刀を使いこなす事ができない。
だから、練習している。
夏木さんから教わった事だ。
このまま腐らせずに、しっかりと物にしておきたいのだ。
でも、使えるようになったらなったで白狐にも気をつけなければならない。
白狐は自分以外の刀を私が使う事を嫌がる。
一応言い含めているが、夏木さんの刀を使い過ぎれば朝起きた時に白狐が夏木さんの刀を叩き折っている、なんて事にもなりかねない。
そうならないためにはどうすればいいだろう?
と、考えていると一つ妙案を思いついた。
何も、一本だけを使う事はない。
私は右手に白狐を持ち、左手に夏木さんの刀を持った。
かの有名なメル先生の構え……じゃなくて二天一流である。
宮本武蔵が開眼したと言われる構えだ。
「何のつもりだ?」
「両方使いたくて」
「一本使いだけでも未熟なのに、二本も使えば斬る事はできないだろう。強引に振って折ってしまうのがオチだ」
それは困る。
仕方ない、今は諦めよう。
少なくとも、ちゃんと刀で斬れるようになるまでは封印だ。
橘へ向かって三日目。
起きて少しすると、私達は森を抜けて街道へ出た。
そこから程なくして、橘へ辿り着いた。
「ここが、橘……」
私達は、橘へ入る門の前に立っていた。
橘は、周囲四方を長大な壁に囲まれている。
その門は唯一、橘の中へ入る事のできる場所だった。
門の前にいる門番と話をつけていた椿が戻ってきた。
「入るぞ」
門が開かれると、そこへ到るまでの街並みとは一線を画した煌びやかな建物の数々が見えた。
赤や黄の派手な色合いの建物が建ち並び、行き交う人々も派手な柄の着物を着ている者が多い。
所々でさまざまな声が上がり、活気のある騒がしさが門を通って体を打った。
「ついてこい」
椿が言って、中へ歩いていく。
中の雰囲気に気圧されたのか、すずめちゃんが私の手を握る。
そうして私は、門の内側へ踏み出した。
椿について歩きながら見る建物。
その窓には、木の格子がつけられていた。
そして窓には、多くの男達が群がっている。
格子窓から覗き見ると、そこには綺麗に着飾った女達の姿がある。
「ちょいと大きなお姉さん!」
途中、格子窓から女の人に声をかけられる。
「わっちと遊んでいきなんし」
答えずに歩いていくと、声をかけた女の人は妖艶に笑って私を見送った。
橘が門の中だと言われた時に、そうじゃないかと思っていたが……。
どうやらこの橘という場所は、遊郭が建ち並ぶ歓楽街のようだった。
京都の大きな歓楽街と言えば、祇園。
橘は恐らく、この世界における祇園なのだろう。
橘の街並を観察しながら歩いていくと、椿がある店へ入っていく。
どうやら店は、雑貨屋のようだ。
いろいろな小物が置いてあり、簪などが飾られている。
「しばらく待ってろ。話をつけてくる」
そう言うと、椿は店番に声をかける。
二、三言葉を交わすと、店の奥へと入っていった。
視線に気付いた店番が、私に会釈した。
ここが依頼主の店なのだろうか?
それとも、服部の忍の隠れ蓑か。
椿が待っている間、二人と一匹で店の品を見る事にした。
しかし、遊女への贈り物用らしき高級品ばかりなので、高い物ばかりだ。
買えなくはないが、買えば間違いなく山内まで路銀は持たないだろう。
だからひやかしだ。
そんな時。
一人の老婆が店に入って来た。
長い髪は白く、腰が曲がり、右手で杖を突いている。
口元には布が巻かれ、俯いている事もありその顔はよく見えない。
だけど、固く閉じられた目は見えた。
目が見えない人なのかもしれない。
私はその老婆を見て違和感を覚えた。
ただ、その違和感の正体はわからなかった。
老婆が、私の前を通り過ぎようとする。
その瞬間。
喉を斬られた。
そう思った。
思わず一歩後退する。
喉に触れて確かめる。
斬られてなどいない。
驚きを隠せずに老婆を凝視していると、老婆はゆっくりとこちらへ向いた。
目が開かれる。
老婆の目は、空のような澄み渡る青色だった。
そして、よく見ると老婆ではない事に気付く。
腰を折って杖を突いているが、老婆ではなく若い女だ。
わずかに見える顔にも、杖を持つ手にも皺は見られなかった。
膝も折り、極力小さく見えるようにしているが、実際は身長が高いとわかる。
髪もよく見れば真っ白ではなく、金色だ。
色素の薄い金髪なのだ。
若い女だ。
若い女が老人のフリをしている。
それが違和感の正体らしかった。
しかし、今の斬られたという錯覚はいったい……。
女性は再び目を閉じ、店番の人に声をかける。
「蜜柑飴をおくれ」
しわがれた声で注文する。
「はい。いつもご贔屓に」
蜜柑飴が入っているらしき紙袋を受け取って代金を支払うと、女性は店を出て行った。
何だったのだろう?
あの女性は……。
その疑問だけが、私の中に残った。
それから少しして、椿が戻ってきた。




