二十七話 先生お願いします
急に走り出した雪風を追って行くと、額に角を生やした大きな犬がいた。
私よりも顔が上にあるこの大きな犬が、恐らく椿の言っていた犬鬼という奴なのだろう。
と、直感する。
私は思わず、すずめちゃんを庇って構えを取った。
そして恐らく、この犬鬼は……。
「わんわん」
私の横を通って、雪風がふわふわコロコロと犬鬼の方へ走り寄った。
足元でぴょんぴょんと跳びながら吠え続ける。
すると犬鬼は、雪風へそっと顔を寄せた。
雪風はその顔をぺろぺろと舐める。
やっぱり、親子か。
思えば、雪風が唐突に森へ入ろうとしたのも親に会いに行くつもりがあったからなのだろう。
しかし、これが……。
私は雪風を見る。
これになるのか……。
続いて犬鬼を見る。
なんというビフォーアフターだ。
なんという事でしょう。
だらしなく舌を垂らした口はしっかりと閉じられ、純真無垢に輝くまん丸な瞳はキリッと野性味を帯びた鋭いものに、ふわふわと無防備に柔らかい毛並みは無数の鋼糸が撫で付けられているかのよう。
そして何より、その体は二メートルを超える大きさではありませんか。
もはや、別の生き物みたいだ。
怒ったら、「黙れ小僧!」とスピリチュアルな声で怒鳴られそうだ。
きっと、持ち物によってタイプが変わるに違いない。
最高威力のでんこうせっかを放つ事ができるのだ。
犬鬼が、再びこちらへ向く。
私は警戒する。
「「そなた」」
頭に直接声が響いた。
厳かな女性の声だ。
声の主は、目の前の犬鬼だろう。
「この子は人間だ!」
オッコトヌシ様の目にはさせないぞ!
「「何の話をしておる?」」
つい言葉を返していた。
困惑した様子の声が返される。
「「慌てるな。そなたらの事はこの子に聞いた」」
そう言って、犬鬼が雪風を見る。
「「可愛がってくれたようだな」」
やっぱり、雪風の親。
声の感じからして母親か。
私は構えを解いた。
「「ここまでこの子を連れて来てくれた事、礼を言う」」
「連れてきた、というより私達が連れてこられたんだけどね」
「「で、あろうな。どうやらこの子は、そなたと我を引き合わせたかったようだ」」
そうなの?
雪風。
見ると、雪風は母親の足へ夢中になってじゃれついている。
本当にそうなの?
「「曰く、そこな人の子を主人と仰ぎたいとの事」」
言って、犬鬼は少し上を見た。
目で追うと、そこにはすずめちゃんを抱えた椿が木の上に張り付いていた。
いつの間に……。
きっと、緊急時に備えて避難させてくれていたのだろう。
でも……一声欲しかったな……。
「「その挨拶のため、ここへそなたらを導いたようだ」」
そんな事を思っていたのか、雪風。
……いや、そんな大層な話じゃなくて「楽しいから一緒に行く」的なニュアンスじゃないかな?
普段の様子からして、そんな気がしてならない。
「えーと、じゃあ……。雪風は、このまま連れて行っても良いって事?」
「「雪風……か」」
「本当の名前は違うの?」
「「いや、我らには名前などない。名を得る時は、人を主人と仰いだ時だけであろう。そして、主人を得るという事は、独り立ちできた者の証でもある……」」
犬鬼の表情は読めない。
けれど、なんとなく微笑んだ気がした。
「「よもや、兄弟達の中でも一番不出来なこの子が一番に独り立ちする事になろうとは……」」
手のかかる子が就職したり、結婚したりした時のような心境かな。
犬鬼にも、そんな気持ちがあるんだな。
きっと、感慨深いのだろう。
「「その子は確かに、不出来な子。しかし、だからこそ愛いというもの。見るにそなたは、そこな人の子の親代わりであろう? 匂いでわかる。そして、その子を慈しんでいる事もな。まだその二人は幼い主従。どうかそなたが導いてやってほしい」」
馬鹿な子ほど可愛いから、どうかよろしくお願いします。
という所かな。
「それは勿論。私にできる限り、この子達を守るつもりだよ」
「「頼むぞ」」
何故だろう?
娘を頼みます、なんて言われると幼稚園の先生になった気分だ。
雪風は特にやんちゃだし。
会話が終わると、犬鬼は雪風をぺろりと一舐めして踵を返した。
するとさっきまで犬鬼にべったりだった雪風は、それ以上じゃれつく事を止めて私の方へ歩み寄ってきた。
椿がすずめちゃんと一緒に下りてくる。
「何があったんだ?」
「あれ? 聞こえてなかった?」
「会話してたのか?」
あの直接頭に語りかけるやつは、一人に対してだけなのかもしれない。
「娘をよろしくってさ。ね、雪風」
言うと、雪風は「わん」と返事をした。
雪風も、いつかあんな感じで頭に直接語りかけてくるようになるのかな?
でも今でも、なんとなく考えている事がわかるからな。
遊んで欲しい時とか、ごはんが欲しい時とか、撫でて欲しい時とか、仕草で分かる。
雪風が私に伝えてくる気持ちはその三つくらいだ。
喋るようになっても――
「遊んで!」
「ごはん!」
「撫でて!」
としか言わない気がしてならなかった。




