二十六話 こいつ犬じゃないぞ
賊が出る場所というのは、足利。
前世でいう所の山城、京都のあたりである。
そこの橘なる町で、賊は狼藉を働いているとの事だ。
橘では大金を扱う店が多いため盗賊にとっては格好の標的となっており、だから服部への依頼も多いのだと言う。
場所としては北西へ上らなければならず、旅の遅れが懸念される。
ただ、地理に詳しい者に橘と山内までの案内をしてもらえる事になり、橘へ行く事で生じるタイムラグを軽減する事はできそうだった。
服部の里で持て成された翌日。
私達は早速、橘へ向けて出発する事にした。
案内の人を頼りに、街道ではなく山道を突っ切って橘まで向かう予定である。
そして、伊賀老人の屋敷前で紹介された案内の人だが……。
しっとりツヤツヤした黒髪の美人さんだった。
ほっそりとした整った顔立ちだ。
私を見る目は険しく細められている。
というより、完全に睨みつけていた。
案内人は、椿だった。
これも罰の一環なのかもしれない。
「ドーモ、ツバキ=サン。クロエ・ビッテンフェルトです」
挨拶する。
無視された。
「椿」
伊賀老人が嗜めるように名を呼ぶと、椿は仕方なくという様子を隠さず私に向き直った。
「椿だ」
「うん。私はクロエ」
そして、ようやく挨拶を交わす事ができた。
「すずめ」
「よろしくな。すずめ」
すずめちゃんが名乗ると、少しだけ表情を綻ばせて応えた。
「こっちは雪風」
すずめちゃんが雪風を抱き上げて言う。
「わん!」
「そうか。よろしくな、雪風」
なんで私にはよろしくって言ってくれなかったの?
「では、行きます。ご馳走、美味しかったです。ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
伊賀老人と短く言葉を交わし、私達は橘を目指して歩き出した。
橘までの道程は、椿の案内で山を突っ切る事になっている。
どこを目印にしているのか、椿は道なき道を黙々と進む。
その迷いの無さは、本当に道がわかっているのか疑わしくなるほどである。
私達はそんな椿の先導で、後を続いていく事になった。
気にせずにただ歩いているように見える椿。
しかし、実際は少し歩調を緩めているようだった。
できるだけ、急な坂や岩場などは極力避けて道を選んでいる。
休憩だって小まめだ。
山歩きに慣れていない私達への配慮をしてくれているようだ。
……いや、多分すずめちゃんへの配慮だろう。
案内する相手が私だけだったら、容赦なく断崖絶壁の谷間とかをルートに組み込みそうだ。
そして谷間を飛び越えて「早く来い」とか言うのだ。
そうして順調に山道を進んでいた私達だが、出発した日の昼頃。
休憩中の事だ。
椿は私に対する当たりこそ強いが、すずめちゃんと雪風への当たりが柔らかい。
世紀末救世主ばりに子供と子犬に優しい。
その時も、彼女はほっこりとした笑顔で雪風を撫でていた。
不意にその手が止まる。
そして、私に声をかけた。
「おい。お前」
ぶっきらぼうな呼び方だが、里を出て始めて向こうから声をかけてきたのでちょっと嬉しかった。
「私はクロエ……お前じゃない」
「そんな事はどうでもいい。お前などお前で十分だ」
椿さん、どんだけ私の事嫌いなんです?
そこはもっとヤクザみたいな声で名前を呼んでくれてもいいでしょうに。
せっかくツンデレっぽい声で言ったのに。
「で、何?」
「こいつ、犬じゃないぞ」
「え?」
思いがけない言葉に、思わず驚きの声をあげた。
私は雪風を見た。
はっはっ、とだらしなく舌を出してこっちを見ている。
「どう見てもちょっとお馬鹿な犬だけど?」
「……いいから触れ」
椿に手を掴まれる。
やん、何触らせる気よ?
椿は私の手を雪風の頭に持って行った。
額の辺りを触らされる。
まったく、この子は何で額までふわふわしてるし。
ん?
「どうだ?」
「ちょっとチクッとする」
それは、前々から気付いていた事だ。
頭を撫でると、何かチクッと尖った物に指が触れる。
毛の硬い所でも撫でたのか、といつも思っていたけれど……。
「見てみろ」
椿が雪風の額の毛を掻き分けて見せた。
すると、そこには小さな突起があった。
明らかに、皮膚から伸びている。
「これは……角?」
「ああ。信じられん事だが、こいつは犬鬼だ」
「けんき? 細いお芋のお菓子?」
「それはけんぴだ。馬鹿な事を言っているんじゃない。犬鬼は霊獣の一種だ」
「霊獣って?」
「陰陽師のように、不思議な力を駆使する獣の総称だ」
魔力持ちの動物って事か。
天虎みたいなもんかな。
「古くから森に住み、森を守護しているという存在だ。力のある犬鬼は人語を解する事もできると聞く。賢く偉大な霊獣だ」
賢く偉大?
この、さっきから一心不乱に椿の手をぺろぺろ舐め続けているわんこが?
一見しても注視しても「賢い」「偉大」という要素が見つからないんだけど?
「人を主と仰ぐと聞いた事もあるが……。だいたいは独り立ちした後の話だな。……お前は、こいつをどこで捕まえた?」
椿はじろりと私を睨みつける。
「宿場町に居た所を見かけて、すずめちゃんが可愛がったらついてきた」
「本当だろうな?」
「嘘じゃないよ」
「ならいいが……。もし、無理やりだとすれば親犬が黙っていないぞ」
「親犬?」
「犬鬼は、子供が独り立ちできるまではそばで育てるそうだ。こいつは明らかに独り立ちできるほど大きくない」
まぁ、確かに。
「子犬をさらって、売り払おうとした村が親犬に壊滅させられたという話も聞く。怒らせるような事はしない事だな」
結構物騒な話だな。
でも、別にさらったわけじゃないから大丈夫だ。
大丈夫なはずだ……。
さらに翌日の事。
唐突に雪風が吠え出した。
かと思えば、椿の案内する道からそれてふわふわわふわふと森の奥へ走って行った。
またか。
今度は何?
幸運の女神のキスでも感じたの?
「あっ」
すずめちゃんが驚きの声を上げ、雪風を追いかける。
私と椿も同時に走り出し、すずめちゃんと雪風を追った。
けれど、追いかけてしばらくすると雪風が立ち止まっていた。
すずめちゃんが追いついて、そしてその場で尻餅をついた。
木でよく見えないが、左側を向いて何かに驚いているようである。
何かいる?
私はさらに加速して、すずめちゃんを庇うようにその前へ躍り出た。
そして、その目の前には……。
縦の大きさだけで二メートル以上ある、白い犬がいた。
その眉間には、鋭い角が一本生えていた。
「ワーオ……」
思わず、欧米風のリアクションを取ってしまう程には驚いてしまった。




