二十五話 忍者マスターからのお願い
女ニンジャに勝利した私の前に、謎の老人が現れた。
その老人は、伊賀弘蔵という服部の忍の頭領だと名乗った。
伊賀弘蔵か……。
長く苦しい戦いの後に出てきそうな名前だ。
デレデレデェェェン。
名前からして前世の伊賀に影響を与えた人物だろうか。
今いる服部という地名は、伊賀忍軍の頭領である服部半蔵から来ているだろうから、こっちはその逆なのだろう。
「その伊賀さんが何の御用でしょう?」
「いえ、この度の非礼を詫びたいと思いまして」
「非礼への侘び、ですか?」
「うむ。あなたは、明らかに里を探ってきた人間ではない。にも関わらず、命を獲ろうというのはこちらの失態だ。これは非礼でしょう」
言って、伊賀老人は女ニンジャを見た。
女ニンジャは、悔しげに歪んだ顔をそらした。
「そこの椿は、どうやら前の任務であなたから返り討ちにあったそうですな。こやつは今まで、任務を仕損じた事がない。それが初めて仕損じ、誇りを傷付けられたのでしょう。こやつにも、然るべき罰を与えます」
罰、か……。
悪代官に囚われて、緊縛された上で「くっ、殺せ」と言っている姿が真っ先に思い浮かんでしまった。
「その上で、あなたを我らが里へ招待したいのです」
どうしようかな。
伊賀老人は本気で申し訳なく思っているように見える。
でも、ニンジャで老人とか、老獪の塊みたいな存在だ。
私のような小娘(?)一人を欺く事なんて簡単にしてのけそうである。
大丈夫大丈夫。
十九歳で魔法少女と言い張る人もいるから、永遠の十七歳である私は十分小娘で通用するはずだ。
「殺すつもりなら、今ここで一斉にかかれば事足ります」
私の心を見透かすように、伊賀老人は言った。
周囲には、数十人のニンジャがいる。
さっきまで私と女ニンジャを囲っていた人数より多くなっている。
気付かない内に、さりげなく増員されていたようだ。
確かに、この人数で一斉にかかられたら勝ち目がない。
まともにやらなくても、すずめちゃんを人質に取られたらもう何もできないし……。
「招きに応じていただけるでしょうか?」
どういうわけか、伊賀老人の声には有無を言わせぬ響きがある。
どうあっても、里へ連れて行きたいわけでもあるかのようだ。
もし断って、襲われるような事があると怖いな……。
私だけなら何とか逃げられるだろうけど、すずめちゃんと白色毛玉を連れてとなると難しい。
もし毛玉の方が捕まって、ニンジャが小刀を子犬の首筋に突きつけるなんていう光景を見たら、私は悔しい顔をすればいいのかほっこりすればいいのかわからない。
「わかりました」
そして、少し迷ったが私は伊賀老人の誘いを受ける事にした。
伊賀老人が合図をすると、その場にいた忍者達が一斉にどこかへと姿を消した。
女ニンジャ……椿も他の忍び達に連れられて一緒に消えた。
残された伊賀老人に案内される形で、私達は森の中を進む。
すずめちゃんとは手を繋ぎ、雪風もコロコロと落ち着きない動きに気が散るので抱き上げた状態だ。
そして、歩く事数十分。
森が開けた場所に、村があった。
森林に囲まれて身を隠す、隠れ里といった感じである。
村の中を歩いていると、そこかしこで訓練をしている忍者達がいた。
中にはすずめちゃんぐらいの幼い子供達もいて、それぞれ手裏剣や体術の訓練などをしている。
伊賀老人に先導され、私達が案内されたのは里の中でも比較的大きな家屋。
屋敷と言ってもいいくらいの建物だった。
そのまま、畳敷きの広い部屋へ通される。
「ここでお待ちください」
そう言い残すと、伊賀老人は部屋から出て行った。
広い部屋の真ん中で、私とすずめちゃんはじっと座って待つ。
雪風はふわふわしている。
自分の尻尾にじゃれて遊んでいた。
すずめちゃんが指を出すと、そっちに興味を示して指先をくんくんし始める。
その指が上についっと上げられるとそれを追って頭を上げ、そのまま後ろ向きにコロッと転がった。
もしもの時に備えていた私の緊張感が台無しである。
そんなやりとりを見ていると、しばらくして伊賀老人が戻ってきた。
「改めて、この度は申し訳ない事を致しました」
伊賀老人が頭を下げる。
「お詫びとして、今日はこの家にお泊りください。ご馳走を振舞わせていただく。少しではありますが、迷惑料もお渡しします」
「それは、ありがとうございます。でも、そこまでしてくださるなんて、良いのですか?」
「椿めは、里が近くにある事を明かしましたでしょう?」
言っていたね。
「聞かれた以上、むしろ引き入れて口止めした方が良いと思いましてな」
そう言う事か。
じゃあ、その迷惑料は口止め料という事でもあるわけだ。
「それだったら、殺してしまった方が良いと思わなかったのですか?」
そっちの方が手っ取り早いのではないだろうか?
伊賀老人は真剣な表情で私を見て、口を開く。
「……椿は、あれでも里一番の腕を持つ忍びでしてな。真正面から命を取り合えば、わしでもあやつには勝てぬでしょう」
暗に、真正面でなければ命を取れるという言い回しだ。
「見ておりましたが、あなたはそんな椿を容易く御した。しかもあれで、本気ではありますまい?」
この人は、あの戦いを見ていたのか。
「そうですね。余力はありました」
「やはり……。失礼ながら、もしやあなたはどこぞかの名のある忍なのでしょうか?
「違いますよ。私は、異国から来たただの武家です」
「そうでしたか……」
言うと、伊賀老人は黙り込む。
何やら、考え込む素振りを見せた。
「実の所、この度あなたを里へ引き入れたのは何も非礼を詫びるためだけではありません」
やっぱり、何か意図があったか。
「なら、どうして?」
「その実力を見込み、折りいって頼みたい事がございます」
「頼み、ですか?」
「はい。この服部の忍はどこの勢力にも属さず、金払いの次第によってはどこにでも雇われるという体裁を持っております。ゆえに大名家に限らず、民間の商家などからも広く依頼を請けておるわけです。その内容も暗殺だけでなく、屋敷の警備など多岐に渡ります」
暗殺組織と警備会社が一緒になっているわけだな。
「その得意先で、失態を犯しましてな」
「失態?」
「はい。警備を頼まれていた商家が賊に襲われ、金品を奪われました」
「はぁ……」
「無論の事、それによってその商家からは信頼を失いました。
しかし、それだけならばまだよかったのです。
失態はそれだけに留まりませんでした。
その商家だけに限らず、その辺り一帯で依頼を請けていた商家が次々と被害に合い、その度に派遣した忍は尽くが失態を演じたのです。
そしてその賊は今もなお、商家を襲い続けている」
もしかして、服部の忍ってたいした事ないのかな?
「お言葉ながら、我らが里の忍は他の忍に比べても数段優れていると自負しております」
心を読まれた……。
これが忍法か。
「あなたは思った事が顔に出やすいですな」
そうなのか。
気をつけよう。
「それで、私に頼みたい事と言うのは?」
「賊を殺していただきたいのです」
「殺す?」
「人を手にかける事を厭われますか?」
「いえ……」
心の部分では抵抗がある。
けれど、やろうと思えば、私は多分平然と人を殺せるだろう。
私の体は、初めからその覚悟を持って生まれてきているのだろうから。
ただ、それでも……。
「戦いの上でなら私は人を殺せるでしょう。が、無抵抗の人間を殺す事はできません」
勝負の上での死傷ならできるが、暗殺は絶対に嫌だ。
「そうですか……。なら、大丈夫でしょう。その賊は、我が里の忍を何人も手にかけるほどの手練。諍いとなるは必定。ならば、あなたは殺せるはずです」
そこまで言って、伊賀老人は頭を下げた。
「どうかお願いします。
わしの見立てによれば、その賊は椿以上の手練ではないかと思っております。
あなたに断られると、我々は成す術なく得意先を一挙に失う事となってしまう。
同時に信頼は失われ、里が立ち行かなくなるかもしれませぬ。
無論、報酬もお支払いする。
だから、どうかお願い致します」
泣き落としと利益の話を一挙にされてしまった。
どうしたもんだろうねぇ。
強い相手には興味がある。
でも私は、早くすずめちゃんを山内まで届けないといけない。
けれど、今の状況で報酬は魅力的だ。
路銀は多ければ多いほどいい。
それに……。
「わかりました。じゃあ、お受けします」
「受けてくださいますか。ありがとうございます」
伊賀老人は笑顔になった。
同時に、すずめちゃんのお腹が鳴った。
「丁度良い時間ですな。では、これから食事に致しましょう。接待もおつけ致しますゆえ」
そう言って伊賀老人が手を叩く。
すると、障子を開けて着物姿の女性達が料理の乗ったお膳を運んできた。
伊賀老人と私達の前にお膳が並べられていく。
雪風の前には木製の皿が置かれ、何かの肉のそぼろが盛られていた。
そして、接待役らしき煌びやかな着物姿の女性が私の隣に着き、徳利を持って険しい眼差しで睨みつけてきた。
よく見たら、椿だった。
誇りを傷付けられた相手に接待する。
これが罰?
「お酒をどうぞ」
「いやぁ、私お酒呑めないんですよ」
「……」
終始不機嫌な椿に接待され、私はご馳走をいただいた。
最近の私は、少しだけアンビバレンツである。
すずめちゃんを早く送り届けてヤタに会いたいと思いながら、少しでもすずめちゃんのそばにいる時間を長くして心を慰めてあげたいとも思っている。
私は二人の子供の悲しみを天秤にかけていた。
天秤はどちらに振り切る事もなく、均衡を保ち……。
だから私は、今を辛いと思いながら精神的に安定しているのかもしれない。
そういう気持ちもあって、私は仕事を請けてもいいかもしれないと思ってしまった。
ヤタに申し訳ないな……。
そんな事を考えながら、私は屋敷の縁側に座って月を眺めていた。
膝の上にはすずめちゃんがいる。
その頭を梳くように撫でた。
……ヤタの代わりというわけじゃないけれど。
こうしていると、少しだけ心が安らいだ。
多分、色んな忍者がごっちゃになってます。




