二十話 旅支度
アールネス使節団を見送った後、私は山内へ向かうための旅支度を始めた。
今日一日で支度を終えて、明日の早朝には前田を発つ予定である。
とはいえ、帰る準備を済ませてしまっていたので、する事は旅のために必要な品々を用意するだけである。
しかも、路銀や地図、通行手形などはお殿様が手配してくれて、斉藤さんが持ってきてくれたのであまり自分で何かを用意する必要はなかった。
「ここが山内です」
そう言って斉藤さんは地図の一点を指した。
そこはこの前だから南西に位置する島の上だ。
前世で言う所の土佐である。
前に見せて貰った時にも思った事だが、倭の国の地名はどうやら日本の武将の名前になっているようだ。
この前田は前世で言う所の石川県であり、さらに昔の呼び名では加賀である。
その加賀を治めていたのが前田家であった。
土佐もまた、山内家が治めていたと思うので当てはまっていると思う。
習ったのは十年以上前なので、正直詳しく憶えていないが。
つまり、その地に縁のある武将の名前がこの世界での地名になっているようだった。
名前がつく経緯には由来もあるだろうが、そこの所はどうなっているのだろうか?
前世の世界の影響力があるのかもしれない。
結局この世界は、ゲームから造られた下位の世界なのかな?
でも、シュエットは……。
「前にも言うたが、この世界は貴様の世界の影響を受けているが、そのゲームとやらから作られたわけではない。むしろ、互いに影響を与え合っておるのだ」
と言っていた。
前にも、と言うわりに初耳だったが、彼女の言葉を信じるなら下位の世界という事はないはずなんだけど……。
影響を受け合っている、か。
「斉藤さん。この国に加賀っていう有名な人います?」
「加賀宗重の事でしょうか? かつて角樫家の家臣に名を連ねた猛将ですね。天下分け目の戦いで活躍し、全国的に名の知れた方です」
やっぱりいるのか。
なるほど。
前世の世界の地名も、こちらの武将の名前に影響されている可能性はありそうだ。
「これは房光様がしたためてくださった書状にございます。山内の大名、坂本様にお渡しください。夏木殿の倅について教えてくださるよう書いてあります。それからこれは、侘びを兼ねた贈り物との事です」
そう言って渡されたのは、書状と一振りの刀だった。
「藤木戸道長の一振り。名刀「藤桜」にございます。脇差のみでは格好がつかないだろうとの事で」
基本、お侍さんというのは腰に大小二本の刀を佩いているものだ。
今の私が持っているのは、白狐だけだ。
だから、見栄えを思っての事だろう。
私は侍じゃないんだけどね。
でも、実の所もう一本刀がほしいとは思っていた。
何故なら、白狐は少し切れ味が良すぎる。
あまりにも切れ味が良すぎて、適当に振るだけでも岩が切れる。
私としては、夏木さんに伝授された剣術の腕をさらに磨きたいと思うのでもう少し普通の刀の方が腕を磨けて良いと思ったのだ。
むしろ、切れ味の悪いなまくらの方が鍛錬になるので良いくらいである。
「白狐には見劣りするでしょうが、どうかお納めください」
「いえ、こんな良い物をありがとうございます」
ただ、この刀も大層な名がついているのだから業物に違いない。
これはこれで練習にならない気がする。
明鏡止水を開眼するためにも、むしろボロボロの刀の方がいいかもしれないね。
その後、私はすずめちゃんを連れて夏木さんの家へ向かった。
この家の主がいなくなってから、それほど時間は経っていない。
なのに、こうして足を踏み入れると廃墟の中にいるような虚しい印象を受けた。
まるで、あの時とは別の家にいるようである。
あの時の団欒も、もはや過去のもの。
ここで、あの時の楽しさを味わう事は二度とない。
感傷に浸り、それを振り切るように動く。
すずめちゃんをここに連れてきていいのか迷ったが、彼女にもこの家から持って行きたい大事な思い出があるかもしれないから連れてきた。
私にはそれを選ぶ事はできないから。
この家も、しばらくすれば処分される。
斉藤さんがそのように手配してくれた。
その前に、すずめちゃんの私物も回収しておきたいと思った。
すずめちゃんは思ったよりも平然としていて、時折動きを止めて辺りを見回す事はあっても、しっかりと持って行きたい物を選別していた。
とはいえ、それほど多くはなかったようだ。
彼女が「もういい」と言って、持ってきた品々は思った以上に少なかった。
いくつかの玩具と小さな枕。
おもちゃは夏木さんの手作りのものもあるかもしれない。
木を削っただけの人形のようなもの。
あと、お手玉もある。
お花さんが作ったものかもしれない。
統一感のない色々な柄の布で作られている。
そして後は、一振りの刀。
「お父の……。あげる」
夏木さんの刀、か。
そういえば、真剣を使っている所はあまり見た事がないな。
斬り方を教わった時ぐらいか。
「いいの?」
すずめちゃんは頷く。
「じゃあ、ありがたく」
大事に使おう。
それから私も夏木さん宅をいろいろと探していたら、一通の手紙が出てきた。
手紙はその一通きり。
木の箱の中に、その一通だけが入っていた。
大事に保管されながら、傷んでいる所を見ると何度も読み返したのかもしれない。
その手紙の送り主は、夏木秋太郎。
恐らく、夏木さんの息子からの物だ。
達筆すぎて私には名前しか読めないが、恐らく前に夏木さんが言っていた仕官したという便りだろう。
それも持っていく事にした。
しかし、刀三本か……。
つまり、一本は口に噛んで使えと?
もしくは、全部指の間に挟み持って「レッツパーリィ!」と叫ぶのか。
なんて事を考えながら屋敷に帰りつくと、とんでもない事が起こっていた。
私は夏木さんの家へ行く際、白狐を置いてきたのだが……。
帰ってみると白狐が抜き身になっており、近くに置いていた藤桜が鞘ごと真っ二つに折れていた。
いや、正確には斬られていると言った方がいいだろう。
折れたにしては、鞘の断面が滑らか過ぎる。
藤桜は何かとても切れ味のよい物で真っ二つに斬られてしまったのだ。
刃傷沙汰である。
殿中でござる。
いったい、何が?
いや、犯人は明白であるが。
恐らく、藤桜を斬ったのは白狐だろう。
理由は……嫉妬?
そんな刀を使うくらいなら、私を使いなさいよね! って感じかな?
何か強気なヤンデレっぽいな、こいつ。
私は白狐を手にとって向かい合う。
「いい? 白狐。あなたの気持ちはわかった。でも、夏木さんの刀に同じ事をしたらその時は打ち直し不可能なくらいに叩き折るからね? いいね? わかった?」
正直、白狐が人間と同じぐらいの意思を持っているかわからないけれど、今後こんな事が起こると困るので言って聞かせた。
刀に言い聞かせるなんて、なんとも奇妙な光景だ。
傍から見れば刀と会話する変な人である。
これでわかってくれるといいのだが、さてどうなるだろう……?
斉藤さんにも謝らなきゃなぁ……。
準備を整え、その翌日。
私とすずめちゃんは、斉藤さんに見送られて屋敷を発つ事になった。
すずめちゃんは小さなリュックサックを背負い、私は後腰のホルダーに夏木さんの刀と白狐を入れていた。
白狐は私の言葉をちゃんと聞き入れてくれたらしく、私が寝ている間に夏木さんの刀が斬り折られるという事はなかった。
すずめちゃんのリュックサックは、前に余ったイノシシの皮で作った物だ。
中にはすずめちゃんの私物が入っている。
「どうか、お気をつけて」
「はい。では、行ってきます」
斉藤さんに言われ、私は頭を下げて返した。
すずめちゃんも頭を下げる。
踵を返し、すずめちゃんと手を繋ぐ。
こうして私達は、山内へ向けて最初の一歩を踏み出した。
明日は更新できないと思われますので、今日はもう一話更新致します。




