十九話 もう少しだけ
角樫家の意見調整が終わり、交渉に移ってから三日。
その交渉はとてもスムーズに進み、今日無事に話し合いは終わった。
終わった以上もうこの地に留まる理由もなく、アールネスの使節団は明日城下町を出て国へ帰る事になった。
帰るのだ。
アールネスに。
我が家に。
順調に行けば、十数日で私はヤタと再会する事ができるのである。
城から屋敷へ帰りつくと、すずめちゃんが走り寄ってくる。
そんなすずめちゃんの手を引いて、自室へ戻る。
自室の前の縁側で、斉藤さんが座っていた。
さっきまで、すずめちゃんもここで一緒に待っていたのだろう。
私は畳の上に胡坐をかいて座る。
すずめちゃんも私の胡坐の上へ座った。
シートベルトをするように、体を腕に抱える。
ここはもはや、すずめちゃんの定位置である。
「斉藤さん。話があります」
言うと、斉藤さんは頷いて部屋へ上がる。
「失礼する」
胡坐で私の前に座った。
「いかがしました?」
「今日で交渉が無事終了しました」
「そうですか。では……」
「はい。私は明日……」
一度言葉を切る。
すずめちゃんを見下ろした。
少し躊躇いつつ、口を開く。
「自分の国へ帰る事になっています」
口にした途端、腕の中のすずめちゃんの体が強張るのを感じた。
すずめちゃんは首を巡らせ、顔をこちらへ向けた。
愕然と……というよりも呆然した表情である。
「いなくなるの?」
一言訊ねてくる。
「……うん。明日、この町を出るんだ」
「やだっ!」
すずめちゃんは叫び、私の胸元へ蹲る。
両手で力いっぱいに服を掴んだ。
「行っちゃやだ!」
そうなるだろうな。
と、私は思っていた。
帰る事を告げてから、すずめちゃんは今まで以上に私から離れなくなった。
ずっと抱っこをせがみ続け、下ろそうとすると必死で抵抗する。
まるで、私が国を出る時のヤタのようだった。
ヤタも私を行かせまいとして、離れなくなった。
「ねぇ、斉藤さん」
「何でしょう」
「この子は、私が帰った後どうなるのでしょう?」
「……山内にいるという兄の元へ送られる手筈となっております」
「それは、斉藤さんが送り届けてくれるのですか?」
「いえ、私は所要があり、この藩から出る事ができません。信の置ける者に話を通してあります」
じゃあ、すずめちゃんは見ず知らずの人に送り届けられるのか……。
それまでの間、不安は拭えないだろう。
今のすずめちゃんは、私と斉藤さん以外を無条件で恐がっているようにも見える。
「そうですか……」
夜になり、眠る時間になってもすずめちゃんはずっと私にしがみついたままだ。
そして、体を震わせるのだ。
この子はまだ、恐怖の中にいる。
あらゆる物を恐れている。
私がそばにいれば、その恐怖を紛らわせる事ができる。
けれど夜の闇の中では、私が一緒にいても恐れが勝るようだ。
私がいなくなればこの子は、昼夜問わず恐怖の中に取り残される事となるだろう。
でもそれだって、一時の事だ。
人間は忘れる生き物だから。
どんなに辛かった記憶も、時間が経つと薄れていく。
きっと家族と一緒にいれば、いつかこの恐怖も消えるはずだ……。
一時の、事だ……。
翌日になり……。
私は私物をまとめて、変身セットの鞄の中へ入れた。
元々そんなに多くの物を持ってきていないので、それはすぐに済んだ。
その間も、すずめちゃんは私にしがみついたままだ。
そんな時だ。
斉藤さんがすずめちゃんに声をかけた。
「すずめよ。びてんふえると殿は、国に家族を残してここへ来ておる。家族と会えぬ事の辛さ、お前にもわかるであろう? 引き止めれば、その辛さをびてんふえると殿に強いる事となるのだぞ」
すずめちゃんはその言葉に目を見開いた。
そして、表情をくしゃりと崩した。
ボロボロと目から涙を流し、名残惜しそうに……本当に名残惜しそうに、ゆっくりと私の服を掴む指を解いていった。
すんすんと鼻を慣らし、俯くすずめちゃん。
黙ったまま、斉藤さんの方へ向かう。
物わかりのいい子だな……。
正直に言うなら、このまま連れ帰りたい気もした。
でも、そんな事をすればそれこそ家族と離してしまう事になる。
それはすずめちゃんにとっても良くないと思うし、すずめちゃんの兄も勝手に妹を連れて行かれる事で悲しむかもしれない。
だから、連れて行けない。
「おねぃぢゃん……。げんぎ、でね……」
斉藤さんの方を向いたまま、すずめちゃんは言葉を搾り出した。
泣き声を含んだ、震える声だ。
私は一つ、溜息を吐いた。
私はムルシエラ先輩の所へ向かった。
先輩は荷支度をしている最中だった。
「先輩」
鞄へ荷物を詰める先輩の背中に声をかける。
「どうしました?」
「私はもうしばらくこの国に残ります」
先輩が振り返った。
「良いのですか?」
それだけでだいたいの事情を察したのだろう。
先輩は理由を聞かず、短く訊ね返した。
「はい。もう決めました。私はこれから、あの子を山内藩へ連れて行きます。それまでの間くらいは、一緒にいてあげたいと思います」
確かに、私はすぐにでも帰ってヤタに会いたい。
でも、そんな私の感情を無視してしまえば、これが一番良い事だと思えた。
私がいなくても、ヤタには他に拠り所となる家族がいる。
私の代わりに悲しさを慰めてくれ、愛してくれる人はいくらでもいる。
でも、すずめちゃんには私しかいない。
だから私は、せめて彼女の拠り所が見つかるまで……。
お兄さんの所へ行くまでは、私が拠り所になってあげたいと思った。
だから……。
「そうなるのではないか、と私は思っていました。あなたは、そういう方ですからね」
言って、先輩は小さく微笑んだ。
「なら、先に帰っていますよ。気をつけて」
「はい。家族に、よろしく言っておいてください」
「わかりました」
私が山内まで送り届けると言うと、すずめちゃんは文字通り泣いて喜んだ。
私にしがみつきながらわんわんと泣いた。
そんな彼女が落ち着くまで、頭を撫でてあげる。
彼女が落ち着くと、私は手を引いてアールネスへ帰る先輩達を見送った。
もう少しだけ……。
もう少しだけは、一緒にいてあげるよ。
あの女ニンジャを話に絡めたいけれど、何も思い浮かびません。
なんとか絞り出せないか考えているのですが芳しくありません。
果たして彼女は、このままバストうんぬんのしょうもない一発ネタのためだけに生み出された存在になってしまうのでしょうか……。




