一話 きっかけは侍
昼間。
私が愛娘のヤタと一緒に町へ買い物に出かけている時だった。
私はヤタと手を繋ぎ、石畳の道を歩いていた。
ヤタは、すくすくと育っている。
まだまだ小さいが、それでもその成長は目覚しい。
二歳の頃から始めた朝のランニングも最初の頃はすぐに疲れてしまったが、今では私の鍛錬メニューと同じだけをこなせるようになっていた。
無色の魔力の扱いも上手になって、今では片手の人差し指だけで懸垂できる。
壁歩きも今や自在に使いこなし、たまに屋根の上に登って遊んでいる時があった。
うちの子は天才かもしれない。
でもまだまだ甘えん坊だ。
乳離れもできていない。
少しの時間でも離れると、再会した時に「ママ大好きっ!」と跳びついて来る。
聞いてください!
うちの子、可愛いんですよーっ!
と、私はたまに叫びたい衝動に駆られる時がある。
「ママ! ママ! 今日はオムライス食べたい! それでね、プリンも食べたいの!」
「わかったよ。とびきり美味しいの作ってあげるからね」
「やったーっ!」
ヤタカワイイ、ヤッター。
ヤタは今、三歳である。
言葉も達者になり、今はお喋りする事が彼女のマイブームである。
達者になったといってもまだ舌足らずな声で一生懸命に言葉を紡ぐ彼女が、私には可愛くて仕方なかった。
ちなみにプリンは、この世界にないデザートだった。
だから、この世界でプリンの生みの親は私である。
不意に食べたくなって作ったら母上に見つかり、驚かれた。
今ではビッテンフェルト家の事業、そのスイーツ部門における主力商品である。
「オムライスを作る材料は何かな〜?」
「たまご~とりにく~トマト~……えーと」
「たまねぎだよー」
「たまねぎ~」
と、そんな時だ。
アールネスの町に似つかわしくない物を見つけてしまった。
物というよりも者かもしれないが。
着物姿の男性が、道端に蹲っていた。
それも頭はちょんまげである。
見るからにその男性は、時代劇で見るような侍といった風貌だった。
王都にいる事そのものが物珍しいため、衆人の目を惹きつけまくっている。
「ママ、何あれ?」
「サムライかなぁ?」
お侍は、三角座りの体勢で両足の間に顔を埋めていた。
きっと、無残に斬り殺された弟弟子の事を想って……。
いや、違うな。
普通にうな垂れているだけだろう。
多分、あれは倭の国の人間だ。
で、ここまで来たけれど言葉が通じなくて困っているとかだろうか。
サハスラータは交易が盛んで、各国の人間が来るため言葉の通じる人間も多い。
けれど、アールネスはほとんど内陸。
ほとんどと言ったのは、北方の断崖地帯から海に出られるからだ。
私がかつてヴァール王子に拉致された時の逃走経路である。
そこから海へ下りる事はできるだろうが、上陸は難しい場所だ。
そういう理由もあって、アールネスは海外と接触する機会が乏しい。
だから、倭の国の言葉なんてわかる人間は皆無と言っていいだろう。
侍が顔をあげる。
顔が平たい。
まだ子供と言ってもいいような、若い子だった。
元服して間もない、月代もまだ青いといった感じの子だ。
言葉も解からない遠い異国の地に来て、心細いのだろうな。
そう思い、私は侍に近付いた。
顔に影が差し、私が前に立った事に気付いたのだろう。
侍は顔を上げた。
侍は少し驚くと、立ち上がってゆっくりと言葉を紡ぐ。
必死になってこの大陸の言葉を紡ごうとしている。
なんとなく単語は聞き取れるが、全部ひらがなに聞こえる。
英語をうろ覚えした典型的な日本人といった感じだ。
あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ、である。
ここは英語圏じゃないけれどね。
「この言葉は通じますか?」
私は日本語で訊ねた。
侍が驚き、次いでその顔が喜びに変わる。
「通じます! あなた様は、倭の国の言葉がお解かりになるのでしょうか?」
「一応わかりますね」
私が話しているのは日本語なのだけれどね。
よかった。
倭の国の言葉は日本語と同じみたいだ。
「あの、では王城はどちらにありましょうか?」
そして、侍はそう訊ねた。
「お城ですか? あそこですけれど」
私は少し上の方を指差す。
侍がその先を追って見る。
そこには、王城の一部とそこから伸びる塔が見えた。
「あ、あそこですか? あんなにわかりやすい所にあったと言うのに、何たる不覚っ!」
ちょっと上を見ればすぐわかるのだが、このお侍さんは落ち込みすぎて視線が上に向かなかったのだろう。
お侍は私に向き直ると、深く頭を下げた。
「かたじけない! このご恩には報いたい所でございますれば、しかしながらそれがしには時間がなく……。よろしければ、お名前と住まいを教えていただきたいのでございますが」
「いいよ。そんなの」
「しかし」
「袖擦り合うも多少の縁だよ」
私は笑顔で答えた。
再び驚かれる。
このことわざも倭の国にはあるのかもしれないね。
「行こうか、ヤタ」
「うん!」
私は侍を残して、買い物を再開した。
「本当にかたじけなく」
そんな私の背中に、侍は今一度礼の言葉を述べた。
見ると、頭を下げていた。
その日の夕刻、私は王城へ呼び出された。