十八話 ファーストコンタクト
暗殺者を退けた翌日。
私は交渉のために使節団と共に城へ向かった。
すずめちゃんは例によって斉藤さんが預かってくれている。
私の通訳を介して、使節団と角樫家の交渉役が話をまとめていく。
お殿様もその場にいた。
交渉の進行速度は速く、角樫家が配慮してくれているのがよくわかった。
その日の交渉が終わった頃。
部屋の襖を開けて、一人の子供が部屋へ入り込んできた。
上質な白い着物を着た三歳くらいの女の子だ。
私はその子の顔立ちに見覚えがあった。
「おお、千鶴。どうした?」
やっぱりそうだ。
彼女はチヅルちゃんだ。
チヅルちゃんは、将来アールネスに留学してヤタの親友になる女の子である。
彼女は昔、ある理由で未来から私に会いに来た事がある。
そして、その正体は私と同じく、前世の記憶を持つ転生者なのだ。
未来の私の姉妹分候補である。
再び会った時には、杯を受けてもらう予定だ。
しかし初めて会った時は、私が転生者だという確証を持っていないようだったと記憶している。
だからここで会う事はないと思っていた。
でもここで出会うという事は、あの時はわざと会った事がないフリでもしていたのかな?
チヅルちゃんはお殿様の所へ駆け寄り、お殿様はそんな彼女を抱き上げた。
「父上、お仕事終わらない?」
「もう少しだな。良い子で待っていなさい。そうだ。紹介しておこうか」
お殿様はチヅルちゃんを私達へ見せる。
チヅルちゃんはアールネスの人間を見て、ちょっと恐がっているようだった。
あれ?
「ワシの娘。千鶴だ」
「房光様のご息女ですか。お可愛らしい娘さんですね」
ムルシエラ先輩が言う。
私はそれを通訳した。
「房光様の娘さんは、食べちゃいたいくらいに可愛いですね」
すると、チヅルちゃんが泣きそうな顔になった。
「千鶴、あれはものの喩えだ。本当に食べるわけではない。体は大きく、顔つきも少し違うがこの方々は人間だ。異国からきた者達だ」
うーん、ちょっと言葉を盛ったら恐がられた。
でも、やっぱりそうなのか。
今のチヅルちゃんはまだ、前世の記憶を思い出していないんだ。
そんなチヅルちゃんに私は両手を合わせてオジギする。
「ドーモ、チヅル・カカシ=サン。クロエ・ビッテンフェルトデス」
念のためにそう挨拶する。
どう反応していいのかわからないような顔をされた。
「何故急に片言になる?」
代わりにお殿様が反応した。
「いやぁ、利発そうなお子さんですね。将来は傾き者になりそうです」
「何故利発そうだと傾き者になる? 喧嘩を売っておるのか?」
「いえ、そんな事は、決して……」
でも、前世の記憶を取り戻したチヅルちゃんがまともなわけはない。
きっと、いろいろやらかすはずだ。
私みたいに。
そして将来、異国の地で元悪役令嬢とボケしかいないしょうもない漫才を繰り広げるのである。
「私とは気が合いそうです」
「それは自身が傾き者であるという自覚があるという事か?」
いやですよぅ、お殿様。
私は普通の人妻ですってば。
ただ違う所があるとすれば、ちょっと闘技に自信があるって事くらいかな。
私を見るチヅルちゃんの目には、警戒の色がある。
見詰め返すと、目をそらしてお殿様の肩にしがみついた。
恐がられちゃったか。
でも、次に会った時は楽しい話をしようね。
チヅルちゃん。
あの時みたいな……。
そこで、ふと思い出す。
そういえば、私がヤタを置いて行方不明になった時、アードラーも一緒だったという話をチヅルちゃんはしていた。
結構前の話だから忘れていたけれど、確かにそう言っていたはずだ。
でも、今の私は所在も知れていれば、アードラーもそばにいない。
アードラーが後でこっちに来る?
いや、それはないと思う。
なら、歴史が変わった?
そう思いたい所だが、恐らくそれもない。
人間には一度確定した歴史を変えられないらしいから。
それに、未来から来たヤタは私の変身セットを着ていた。
変身セットは今、私が所持している。
だったら、今私が行方不明になると未来がおかしくなってしまう。
という事は、私はまだヤタと別れる時期にないという事じゃないか?
そう思うと、少しだけ気分が軽くなった。
そうだ。
アードラーが今私のそばにおらず、変身セットが手元にあるという事は、もう一度アールネスへ帰る事ができるという事だ。
まだ私が行方不明になる時じゃないとすれば、もう少しだけヤタと一緒にいてあげられるという事だ。
早く帰ってあげれば、少しなりとも過ごす時間があるのだ。
「それから、びてんふえると」
これから帰ろうか、という時。
私はお殿様から呼び止められた。
「忍びに襲われたそうだのう?」
「はい」
答えると、お殿様は深く溜息を吐いた。
口元を扇子で隠す。
「確証はないが、まず間違いなくその者達は家老下田の手の者だ。今回は難を逃れたが、今後も襲い掛かってくるかもしれぬ」
「そうでしょうね」
「とはいえ、不確かな罪で下田へ沙汰を下すわけにはいかぬ。下田隆道の一件も、全ては罪と立証できぬ以上、そこから引っ張る事もできない」
下田が夏木さんを殺したという確かな証拠はない。
私がこの国で人を殺してはならないと言い含められているように、この国の人間が他国の使者を害する事も本来なら罪になるだろう。
しかし、あの真剣勝負は私から持ちかけたものであり、相手が了承しているから罪には問われなかった。
「はい」
「しかし、出来ぬ事もない。そちは、どうしたい?」
つまりそれは、適当な罪状をでっち上げてでも下田を失脚させられるという事だろう。
そうなれば、あのニンジャ達はもう襲ってこないはずだ。
そして、その判断を私に任せるつもりらしい。
「その口ぶりだと、お殿様はできればやりたくないようですね」
言うと、お殿様は扇子を閉じた。
口元から離す。
「そうだのう。下田……。あれはな、得がたい優秀さを持つ男だ。この地を治めるにおいて、居なくなればとても困る。そんな男だ。しかし、人よりも子に甘いのよ。悪癖と呼べる程に子を甘やかすのよ。その結果が人の命を奪うという物ならば過ぎたものであるが……」
「できれば沙汰を下したくないという事ですか?」
お殿様の言葉の続きを私は口にする。
「いや、沙汰は下す。それは変わらぬ。異国の使者を危険に晒し、藩の益を著しく損なおうとした行為は許されざる事だ。ただ、そちが奴を殺してしまいたいほど恨んでおるかどうか……。それが聞きたい。それ如何によっては、どのような沙汰を下すか変わるだろう」
「どのように?」
「切腹を命じるか、跡目を倅に譲らせて隠居させるか、という所か」
「じゃあ、隠居の方で」
即決すると、お殿様は小さく笑った。
「良いのか?」
「子供を甘やかしたい気持ちはわかりますからね。もし、可愛がっていた子供があんな目に合わせられたら、私だって同じ事をするかもしれない」
その時は、人を雇わず私自身がカチコミをかける事になるだろうが。
……確かに、発端は下田の甘やかしだ。
そこから起こった事が夏木さんを殺した。
けれど私自身、ヤタにそういった過度な甘やかしをしないとも限らない。
同じような事をして人を不幸にしてしまう事があるかもしれない。
もし、これからヤタと過ごす事ができるなら、そうならないよう導いてやりたいとも思う。
けれど、そのかいもなくヤタが下田隆道のような人間になってしまう事だってある。
そうなった時に、私は厳しく接する事ができるか自信がない。
できるかもしれないし、できないかもしれない。
そういう考えもあって、親の下田まで憎む気にはなれなかった。
「わかった。なら、そのように取り計らおう。暗殺者の方も何とかする。あの連中は依頼主の名を決して明かさぬが、条件次第では依頼を取り消す事もできるであろう。必ず手を引かせるゆえ、安心するが良い」
「ありがとうございます」
屋敷へ帰り、ムルシエラ先輩と話をする。
私の胡坐の上には、すずめちゃんが座っていた。
帰るとすぐに私のそばに寄ってきて、それからずっと一緒にいる。
私の体に身を預けている。
「国へ帰る目処が立ちましたね」
「そうですね」
「二、三日中には、帰れると思いますよ。よかったですね」
「……はい」
アールネスの言葉で話をする。
すずめちゃんに聞かれる事が気になって、少しだけ言葉を返す事に躊躇った。
国へ帰れる事は嬉しい。
けれど、それはすずめちゃんと別れなければならないという事でもある。
この子を一人残していくのは心配だった
「……その子が気になりますか?」
先輩が私の気持ちを見透かして訊ねた。
「はい」
素直に答える。
「そうですか……。あなたがどうするか、私からは何も言えませんね」
「どうするか、ですか?」
選べるような事があるだろうか?
私は、家族は一緒にいるのがいいと思う。
だから、すずめちゃんはお兄さんの所へ行くのがいいと思っている。
今は私しか頼る人間が居なくて、だから私にべったりだ。
でも、きっと血の繋がった人間と接すれば……。
そんな相手に頼る事ができれば、他人の私なんかでは与えられない安らぎを得られると思うのだ。
だから……。
それに、私にはヤタもいる。
アルディリアとアードラー。
父上と母上、レオパルド。
家族だって待ってくれている。
今ヤタが寂しい思いをしているなら、早く帰ってあげたい。
早く帰ってあげれば、少しでも一緒に過ごす時間を作れるかもしれないのだ。
なら、選べるような事は無い。
選択肢など一つとしてない。
すずめちゃんを見る。
私に身を預け、安心した様子の彼女。
その頭を優しく撫でた。
「この子は将来、傾き者となるでしょう。そして、良き友になりそうです」
記録によると、毘天増斗は当時の大名であるフサミツ・カカシの娘、チヅル・カカシをこう評したという。
事実、チヅル=カカシは成長するにつれて奇行が目立つようになり、そしてアールネスに留学した際にクロエ・ビッテンフェルトと深く交友を持つ事になった。
渡来した毘天増斗がクロエであったとすれば、これは彼女の慧眼を示すエピソードであろう。
「クロエ・ビッテンフェルトの伝説」より抜粋。




