十四話 壊してやる
夏木家に転がる死体は、どう見ても夏木源八とその妻であるお花さんの物だった。
それでも信じたくなくて、私は死体をじっくりと改める。
けれど、どれだけじっくりと観察した所で、その死体が二人の物である事を強固に認識してしまうばかりで……。
その目に生の光はなくとも、間違いなくその顔は私のよく知る二人のもので……。
「これは……」
斉藤さんが言葉を失う。
二人で、部屋の中へ踏み入った。
夏木さんは正座して上体を前のめりに倒し、お花さんはうつ伏せに倒れた体勢で、それぞれ事切れていた。
夏木さんの喉には小刀が刺さっている。
そして、小刀の柄は夏木さん自身が握っていた。
一見して自殺にしか見えない死に方だ。
対して、お花さんは明らかな斬殺体。
肩に切り傷がある。
私はお花さんのそばにより、体に触る。
万能ソナーで体の状態を探った。
恐らく、背中から袈裟懸けに一閃。
肩口から斬ろうとしたのだろう。
だが……。
切り口を見る。
ああ、切れ味が悪い……。
斬ると言うよりも、叩き付けたかのようだ。
刃がしっかりと入っていない。
その代わり、肩の骨は折れている
これは死因ではない。
直接死に至らしめたものは、別だ。
お花さんの喉には、横一閃に斬られた傷が走っていた。
喉は既に固まった血液で赤黒く染まっている。
喉を斬られたなら、長く苦しまずに死ねただろう。
それは幸いだ。
……幸い?
幸いなものか!
「どういう事でしょう……。無理心中、でしょうか」
斉藤さんは顔を顰めながら呟く。
「違います!」
思わず声を荒らげてしまう。
夏木さんがそんな事をするわけがない。
「……だいたいなら想像がつきますよ」
斉藤さんが驚いて私を見る。
「恐らく夏木さんは、お花さんを人質に取られたのだと思います。そして、自決を強いられた。そしてその後、お花さんも斬られた」
夏木さんの手は、しっかりと小刀の柄を握っている。
死んだ後で無理やり握らされたわけでなく、しっかりと握った形で硬直していた。
けれど、夏木さんは自殺するような人ではない。
それでも自決せねばならなかったとすれば、そうしなければならない理由があったのだ。
その理由で浮かぶとすれば、家族を人質に取られたという事だ。
「そしてその下手人は二人以上」
「二人? 根拠は?」
「まず、背面から斬られたであろう肩の傷。そして、直接命を奪った横一閃の傷。どちらも斬り方の質が違います」
肩の叩くような未熟な斬り方と違い、喉の傷は綺麗な切り口だった。
つまり、少なくとも未熟な人間と熟練の人間の二人がいた事になる。
しかし、誰がそんな事を……。
腕が悪く、夏木さんに恨みを持つ人間なら一人心当たりはあるが……。
それよりも、すずめちゃんはどうしたのだろうか?
死体は二つだけだ。
すずめちゃんの物は無い。
私はお花さんの死体を見る。
そして、ふと気付いた。
お花さんの体から、畳に血の擦れた跡が続いていた。
まるで、這ったような跡である。
これは、お花さんが斬られた後に動いたという事だ。
お花さんは喉を斬られ、それでもすぐには死ななかった。
最後の力を振り絞って、どこかへ行こうとしていた。
血の跡から、どこへ向かおうとしていたかはわかる。
彼女の向かおうとした先は、恐らく押入れ。
私は押入れに駆け寄り、襖を開けた。
そこには、蹲って震え続けるすずめちゃんがいた。
「すずめちゃん!」
よかった……。
この子だけでも、生きていて……。
生きている事がわかって、思わず泣きそうになった。
けれど、すずめちゃんは私の言葉に反応しなかった。
声をかけたのに、一向にこちらを見ようともしない。
肩を掴む。
「ああああぁぁぁぁっ!」
すると、ビクリと震えて声にならない叫びを上げた。
私の手を振り払おうと必死に腕を振り回す。
そんな姿に、私は愕然とする。
彼女は見ていたのかもしれない。
父親と母親が殺される一部始終を……。
きっと今の彼女はまだ、その悪夢の中にいるのだ。
私を押し退けようとする手に構わず、私はすずめちゃんを抱き上げた。
それでも抵抗を止めないすずめちゃん。
胸を押し、顔を叩き、体を蹴りつけてくる。
構わずに、その体を抱き締める。
そして、彼女の耳元に囁く。
「もう大丈夫だよ。私がそばにいる。もう、安心だから。恐がらなくていいから」
宥めるように優しく言う。
落ち着かせるように、その背中を叩く。
次第に、すずめちゃんの抵抗が弱くなっていった。
やがて、完全に私へ身を預けた。
叫びは消えて、代わりにすすり泣く声が耳元に聞こえ始める。
「大丈夫。私がいるから。私がそばにいる限りはもう安全だ。何も怖い事なんてない」
すすり泣く声も消え、気付けばすずめちゃんは眠っていた。
「ごめんね、すずめちゃん。もっと早く、来れたらよかったのに……」
その後、斉藤さんが同心を呼んでくれた。
二人の死体は調べられ、しかし二人の死は無理心中として処理された。
それを知ったのは、斉藤さんがその報せを屋敷へ持ってきた時だ。
「何故ですか!」
「どう見てもあれは無理心中です。少なくとも、普通に見れば……」
「私の意見は伝えてくれたのですか?」
「はい。ですが、聞く耳を持ってもらえませんでした。何かしらの圧力があったのかもしれません」
「圧力……。それではやっぱり……」
それが犯人の手によるものであるならば……。
そんな手段を行使できる人間は限られる。
そして、私が夏木さんを殺した人間として疑っている相手なら、それはできた。
その相手は、下田隆道。
影閃平塚道場の師範代。
家老の次男坊だ。
彼は先日、夏木さんに試合で負けた。
その時の屈辱を晴らすためにこのような事をしたのではないか、と私は思っていた。
無論、そんな事で人を殺そうとするのか、という気持ちもある。
けれど、彼以外に思い浮かぶ相手はいなかった。
私は、部屋の隅でだらしなく座るすずめちゃんへ目を向けた。
視線は外へ向けられている。
その目は、焦点が合っていない。
前の元気な姿が嘘のように、今は喋りも笑いもしない子になってしまった。
両親が無残に殺される様を見て、じっと一人で恐ろしさに耐え続けたのだ。
それも仕方のない事かもしれない。
あれから私は、すずめちゃんを屋敷に連れてきて面倒を見ていた。
一人残されてしまった彼女の事を放っておけなかったというのもあるが、何より彼女はあれから私のそばを離れたがらなかった。
普段はじっと今のように呆としているが、私が離れようとすると慌ててそばによってくる。
自分から離れたがらない子供を無理に離す事は、今の私にできなかった。
私は、すずめちゃんを連れて外へ出た。
少しでも元気になってほしいと、思っての事だ。
時間はかかるかもしれないが、町へ出る事で前の明るさを取り戻してほしいと思ったのだ。
もちろん、斉藤さんも一緒だ。
手を繋いで町を歩き、綺麗な物を見て、美味しい物を食べて、楽しい事をすれば、心も慰められる。
そう思った。
そんな時である。
前方から、見知った顔が来た。
下田である。
いつもの道場着ではなく、立派な着物に身を包んでいる。
二人の侍を従えて、堂々と道を歩いていた。
そんな彼を見て、すずめちゃんが震えだした。
繋いだ手から、震えが伝わってくる。
「これはこれは……びてんふえると殿ではないですか」
「……こんにちは。これからどちらへ?」
「少し、気分の良い事がありましてな。景気づけに、供と一緒に呑もうと思いましてな」
「ほう……。良い事ですか。何があったのです?」
「何と申しましょうなぁ? 少し前までは、気分が優れなかったのですが。その原因が、先日消え去りましてな。胸のつかえが取れたと申しましょうか。今はとても気分が良いのです」
「そうですか」
すずめちゃんは、じっと下田の顔を見ている。
目を見開き、息も次第に荒くなる。
「ところでその子供は? どこぞの集落からでもさらって来ましたか?」
「夏木殿のご息女ですよ。ご存知ないのですか?」
私が言うと、下田は目を細めた。
「ほう。あいつには娘がいたのか。そういえば、あの男は死んだそうですな。自害だったとか……。きっと身の程を弁えたのでしょうなぁ……。大それた事をしたと悔いていたのでしょう」
「そのような事、何か致しましたかねぇ?」
「……異国の人間にはわかりますまい。だからこそ、知らず奴を死に追いやった事をお気づきでないのでしょうな」
夏木さんが死んだのは、私のせい。
そう言いたいのか。
「聞く所によれば、夏木は腹を召すでもなく首を突いて自害したとか。武士ではない者として、その身の程を弁えての事でしょうな。それがこの国の道理なのですよ」
「……お耳が早い。よく、そんな事を知っておられましたね」
言うと、下田は小さく笑った。
「どうでも良い話でしょう? では、これにて失礼する。時間がもったいないのでな」
答え、下田は侍二人を伴ってその場を去って行った。
私はすずめちゃんを見る。
表情は恐怖で引き攣り、私の手は力を込めすぎて赤くなっている。
「……お父とお母を殺した奴だ」
そして呟いた。
やはり、間違いないようだ。
夏木さんを殺したのは、下田で間違いない。
しかし……。
「斉藤さん。今回の事は私が悪いのでしょうか? この国の流儀に反していたからこそ、このような事が起こったのでしょうか? そんな事がまかり通るような国なのですか? ここは」
「いえ、そのような事はありません」
「なら、私のこの気持ちは正当なものですね。この気持ちをぶつけてしまっても構いませんよね」
「うかつな事は考えめされるな。
如何な相手であっても、我が国の人間を殺す事は許されません。
それは、相手がどのような人間であろうと、です。
子供の証言だけでは難しい事でありましょうが、必ず罪を暴いてみせます。
だから、ここは抑えてください」
「……わかっています」
私はすずめちゃんを見る。
下田がすでに去っているというのに、かわいそうなくらいに怯えた様子で震えている。
私と夏木一家の関係は、一月に満たない短いものだ。
けれども、夏木家の人間を害した相手を殺してやりたいと思う程度には親しい間柄になっていた。
その感情を押し殺すには、あまりにもその絆は深かった。
「それでも、この鬱憤の幾ばくかは晴らさせていただく。殺さなければ、良いのでしょう?」
気持ちは抑えられそうにない。
何もかもが許せなかった。
夏木さんを殺した下田も、夏木さんを縛り続けた平塚道場も、何もかも許せなかった。
それにこのままではずっと、彼女の心の中に恐怖が巣食い続けてしまうだろう。
翌日、私は平塚道場へ訪れた。
斉藤さんとすずめちゃんも一緒である。
そして、下田の所へまっすぐに向かった。
「これはびてんふえると殿。如何した?」
「下田隆道殿。あなたに、真剣による他流試合を申し込む」
「何だと? 急に何を言い出す?」
私は下田に答えず、道場の奥で戸惑っている平塚老人に目を向けた。
「平塚殿。この道場で一番強いのは、あなたですか? それとも下田殿ですか?」
「それは……。もはや、下田殿の腕は私の及ぶ所ではございません」
「なら、下田殿がこの道場の顔と見てよろしいのですね? 言わば、代表だ」
「何が言いたい?」
不機嫌そうに、下田が訊ね返す。
「わからない? 私は道場破りに来たんだよ。だったらさぁ、この道場で一番強い相手と戦うのが筋でしょう? そして、一番強い相手はあんただ」
「なるほど……」
下田は納得する。
「下田様。お相手にされますな……」
平塚老人が遠慮がちに言う。
「断るなら、看板を貰っていく。町の真ん中で派手に割って燃やし、平塚道場がたいした事のない道場だと喧伝してやる!」
平塚老人は苦い表情で言葉を失った。
「良いではないですか。平塚師範。夏木はおろか、門人達にも及ばぬような相手。それも所詮は女です。無礼を働いたこの女、斬って捨ててやる方がよろしいでしょう。何せ、異国の武家であるらしい。その方が道場の良い宣伝となりましょう」
「しかし……」
「大丈夫ですよ。その試合、受けましょう」
乗り気ではない平塚老人に代わり、下田が勝手に了承する。
「ありがとうございます」
私は礼を言い、にんまりと笑った。
試合の準備に取り掛かる間。
私は道場の隅で座るすずめちゃんの所にいた。
すずめちゃんは下田を見て怯えている。
「ごめんね、すずめちゃん。また怖い思いをさせてしまって。でも、これで最後だから。あいつには、もう二度とすずめちゃんを恐がらせる事ができないようにしてあげるから」
そう言ってすずめちゃんの頭を撫でると、その小さな体の震えが少しだけ治まった。
これからずっと、あの男の恐怖がこの子の心を蝕み続ける事が私には許せなかった。
だから、私はここでその恐怖も、何もかもを打ち壊すつもりだった。
「斉藤さん。この子の事、お願いします」
「わかりました」
立ち上がり、道場の中央へ向かう。
その途中、道場の窓から外を見た。
野次馬の町民達が覗いている。
今日、他流試合がある事を行きつけの料理屋で話してきたからだ。
店の馴染みが、その話を喧伝してくれたのだろう。
いつもより、人が多い。
下田も抜き身の真剣を手に持ち、中央へ来た。
その刀は道場の奥に置かれていた物だ。
白狐と比べれば劣ってしまうが、それでも良い刀に見えた。
「真剣の勝負だったはずでは?」
下田が訊ねてくる。
今の私は、手に何も持っていなかった。
白狐もわざわざ外し、置いてきた。
完全な丸腰である。
「我が家の流派は、剣よりも拳を得意とする。だから、これでいい。これが私の真剣だ」
私は拳を握り、下田へ向けた。
「ほう……。そちらがいいと言うのなら、遠慮はせんぞ」
「どうぞ」
言って、私は服に手をかけた。
引き剥がすと、一瞬にして私の服が脱げた。
上半身は、胸にサラシを巻いただけの姿になる。
「これは真剣勝負。どちらかが死ぬか、もしくは参ったと口にするまで決着はつかない事とする。いいね?」
「異存は無い」
「では、始めようか」
平塚老人が「始め!」と合図する。
「はあああぁ!」
開始早々、下田は声を張り上げながら上段から刀を振り下ろした。
肩口から袈裟懸けに、斬りつけるようにして。
私はその刀をまともに受けた。
肩に刃が叩きつけられる。
「ふっ」
下田が笑う。
しかし、その笑みは一瞬にして強張った。
振り下ろされた刃は、私の体を一切傷付けなかった。
刃は通らず、力を込めているのはわかるが、それ以上進まなかった。
「あなたのそれは、叩きつけているだけだ。そんなんじゃあ、斬れるはずがない」
言って、私は下田の喉を右手で掴んだ。
「ぐがっ……」
下田の口から、くぐもった声が出る。
そして、私はそのまま下田の喉を握り潰した。
「今から何もかも、ぶち壊してやる」
夏木さんを縛り続けたこの道場も、殺した下田も、すずめちゃんの心に巣食う恐怖も……。
何もかも全部、私が壊してやる!
ちなみに、普段のクロエはノーブラです。
ヤタによく授乳をせがまれていたため、そういう習慣になってしまいました。
今回は無糸服を脱いだ際、シャツの布地でサラシを作って巻きつけています。
クロ「壊してやる! うがーっ! 私は悪役、それでいい……」




