二十三話 より良い選択
今年の漢字一字は、きっと「狸」。
戦いが決着し、私は崖の上へ登った。
魔力縄で厳重に縛った漢宝を引き上げる。
意識はあるようだが、抵抗の意思はないようだ。
さて……どうしようか。
実はあのまま放っておいてもよかったのだが、咄嗟に助けてしまった。
取れる手段の中で一番真っ当なのは、生け捕りのまま朝廷に渡してしまう事だろうが……。
せっかく捕まえ、話も落ち着いてできる状態だ。
他に選択肢はないものか……。
私としては、漢麗様の安全を確保したい。
この政情の不安定な国を思えば、もしもの時のために手段は多い方がいいのだ。
その手段に、漢宝はなりえないだろうか?
「何を考えている?」
私の様子を怪訝そうに見ながら、漢宝は問いかける。
「前にも言ったけれど、私の目的は漢麗様を守る事だ。この国の事はどうでもいいけれど、彼女が不幸になる事は望まない。だから、今回の反乱鎮圧にも参加した」
「だから?」
「あなたが捕らえられた事で乱は終息に向かうだろうけれど、その後はどうなると思う?」
「……」
漢宝は難しい顔で黙り込む。
「今回の事で、多くの官吏が劉へ走った」
まぁ、それを漢宝は許さなかったようだが。
「この事実は王朝の権威が失墜している事を意味している。それはいい。迅速な鎮圧である程度は挽回できただろうから。一番の問題は、文官の不祥事と武官の活躍だ」
武官も文官も劉に走った。
けれど、その原因を作ったのは備蓄物資の横領をしていた文官。
そして、その尻拭いをする形で乱の鎮圧は武官が行っている。
鎮圧に赴いて三ヶ月ほど経っているが、それで事態が終息するならばそれは迅速と言えるだろう。
つまり武力的には、王朝の威信が健在であると示した事になる。
文官の失態を武官が補ったという事だ。
結果として、今後は武官の擁する軍部が権勢を増す事が容易に想像できる。
文官主体だった権力の構図が、武官に逆転される。
それの何が問題かと言えば、新しい権力者が漢麗様を尊ぶとは限らないという点だ。
文官達は漢麗様を尊んでいるわけではなかったろうが、天子の威を借るように権勢を振るっていた。
しかし、武官達が同じく漢麗様を遇するとは限らない。
武官達が得意とするのは、文仕事ではなく剣を振る事だ。
武力というものは、相手に無理やり言う事を聞かせる事のできる力だ。
力を頼りに、漢麗様の立場を簒奪しようとする可能性もなくはない。
あくまでも可能性に過ぎない。
しかし無視はできない。
そうなってしまった時のために、漢麗様を守るための力が必要だ。
というのが、私の本音である。
「これからは武官が権勢を振るい、それは統治にも及ぶでしょう。今まで統治に携わってこなかった者達が人を管理するようになる。下手をすれば、今まで以上に過酷な生活が民に課せられるかもしれない」
「……そうだな」
漢宝は悔しげに表情を歪めた。
「あなたは失敗した。このままでは、犠牲を出しただけで何も得ずに乱は終わる。でも、それは嫌でしょう?」
「何が言いたい?」
「世の中を変えたいというのがあなたの目的でしょうよ。革命を起こす戦力がなくなった状態で、その目的を果たすにはどうすればいいと思うの?」
「……手はないだろう」
「あくまでも武力で解決するつもりなら、そうでしょうね。事実、武力がなければこの国の惨状を変える事はできない。私もそう思う。でも、最大戦力を揃えた今回の戦いでも、戦況は芳しくない。ここで私に捕らえられていなかったとして、このまま戦い続けても負けは目に見えている」
「わかっている。だが、私には戦う以外の方法がなかった。民の怨嗟。未だに虐げられる民の境遇を思えば……」
苦しげに吐き出すと、漢宝は俯いた。
そうなんだろうけどね。
戦争はやりたくて始めるものだけじゃない。
やりたくなくとも、それ以外の手段がなくて始める場合の方が多い。
今回の乱がどういういきさつで起こされたのか、それは私の知る所ではないが。
彼女の言い分を信じれば、虐げられた民が抱く意趣返しをしたいという気持ちと他の苦しむ民を救いたいという彼女の気持ちが原因と言った所か。
「……なら、その方法は私が提示する」
申し出ると、漢宝は顔を上げて私を見た。
「漢宝。私と友達になろう。そして私を手伝ってほしい。そうしてくれるなら、今よりもマシな未来は約束しよう」
「なんとも頼りない口説き文句だな」
「少なくとも、事後に殺される民の数は減らせる。そうなるように尽力する」
「……まぁ、確かにマシか。負けた私には、他に選択もない」
私は魔力縄の戒めを解いた。
それは賭けであり、漢宝という人間を見極めるための行動でもあった。
私の言葉に従うか、これを機として反撃に出るか。
結果、漢宝は私の前に跪いた。
「お前に賭けよう。民の未来と私の命を」
「よろしく」
私が手を差し出すと、漢宝はその手を握った。
さて、大変な事を約束しちゃったぞ。
これから頑張らないとな。
……とりあえず、今も大暴れしている黒旋風を止めようか。
私の部隊が崖を下り、塔へ辿り着くまでに一日がかかった。
私がいなくなってから董錬が指揮して地道に崖を下り、筏を作ってどうにか渡河したらしい。
その頃になると、もう塔に劉の兵士はいなかった。
漢宝が説得したからである。
自分が負けた事。
蜂起を中止し、各自が身を隠す事。
それらを各地の責任者に伝える事。
それらを集まる仲間へと告げていた。
「姉貴はどうするつもりだ?」
泰義がそう訊ねていた。
「私は当分の間、人質だ。そうだろう」
漢宝は私を見て確認する。
まぁ、身柄はこちらにあった方が都合いい。
「私は敗者だ。もう何もできない。しかし皆、それぞれに信念があるだろう。私が言ったから、として納得できない者もいるはずだ。だが、それでもできるなら私の言葉に従ってもらいたい。以上を以って、解散とする」
漢宝の言葉に戸惑う者、明らかな失望を見せる者もいた。
何人かは、漢宝の下を去るかもしれない。
けれど、そればかりではないだろう。
納得しなさそうだと思っていた泰義が、大人しく従っていた。
よっぽど漢宝を信頼しているのだろう。
同じように大人しく従う者も少なくなかった。
「ご無事でしたか」
塔へ辿り着き、私に駆け寄った董錬がそう口にする。
「なんとかな」
董錬は、半分が炭となってぽっきりと折れた塔へ目を向ける。
「お一人で落とされたのですね……」
生真面目な彼の声色に、呆れが混じっていた。
「なんとかなったな」
「それで、そちらの方は?」
と、董錬は私の隣に立つ漢宝へ目を向けた。
「賊に囚われていた所を助け出した。恐らく、近くの村からさらわれてきたのだろう」
「さらわれてきた、ですか?」
今まで、劉の兵士達は村々で略奪などをしていなかった。
情報が共有されていたので、董錬がそれに不信を抱いたとしても仕方がない。
「規模が大きくなれば、目の届かぬ場所も出てくるものだ」
「確かに、そうでしょうね」
本心はわからないが、董錬は納得してみせた。
「それで、ここに首魁は居たのでしょうか?」
「う、む……」
私は黒旋風の鞍に引っ掛けられた皮袋を示す。
「討ち取って首をいただいた」
「それは手柄ですね」
あの皮袋の中にあるのは、当然別人のものである。
塔に転がっていたものと思しき首だ。
塔の外に転がり落ちていたので、一度黒旋風に踏ませて顔を潰してから袋に詰めた。
元は王朝の関係者だ。
潰さなければ、身元がバレたかもしれなかった。
罰当たりだとは思うが、必要な事だ。
「これから、どうしましょう?」
「報せを董苞殿の使いに持たせ、情報を全部隊へ周知してもらおう」
士気が上がるだろうし、相手側にも話が伝われば瓦解する部隊も出てくるだろう。
その後、董苞が退路の確保をしていてくれていたため、速やかに敵の勢力圏内から撤退する事ができた。
漢宝の言葉が行渡ったからか、瓦解した敵部隊も多く。
とはいえ、最後まで戦って玉砕した敵部隊もあった。
それが目晦ましになったのか。
そのどさくさに紛れ、いずこかへ消えた敵兵力に関して国軍は殊更に興味を抱いていないようだった。
抵抗こそあったが、緩やかに乱は鎮圧されて終息に向かい始めた。




