閑話 漆黒の将
劉との初戦。
その戦場でもっとも人の目を惹きつけたのは、漆黒を纏う後宮の武人だった。
全身を黒で固め、そして騎乗する馬の黒。
さながら闇を具現したかのような存在は、戦場でその暴威を遺憾なく振るった。
激戦の最中で踊る一点の黒は人の波を削り、地を赤で染め上げた。
主に殺して回っているのは馬の方に見えるが、あの馬だけが優れているわけではない。
あれの背に乗れる人間というだけで優れている事はわかる。
御し切れているとは言えないが、振り落とされずにいるだけでもたいしたものだ。
なおかつ、周囲に気を配って死角からの攻撃を得物で防いでいる。
人馬共に規格外だ。
この戦、数の上では有利であっても容易く勝つ事はない。
どうにか勝てるかどうか、という見通しだったが……。
そうならないかもしれないな。
最終的に勝っていれば良いと思っていたが、考えを切り替えるとしましょう。
「動きますよ」
「はい」
兵を動かす。
浮き足立った敵兵に向かい、私の部隊は突撃した。
初戦を勝利で飾ってから数日。
私の軍は順調に敵兵の掃討をこなしながら行軍していた。
何度か戦ってみたが、劉を名乗る勢力は私が普段戦っている賊の類と比べても格段に強いようだった。
賊ならば少しでも不利だと悟れば瓦解するものだが、劉の兵は違う。
状況が不利だろうが、陣形が崩れようが、指揮官が退却を命じない限り攻める手を止めようとしないのだ。
これは兵士一人ひとりの戦意が高い事を示していた。
個人が戦いに意義を見出している。
誰かに命じられての戦いではなく、各々がこの戦いを我が物としているのだ。
そういう兵士は強い。
しかし、それもこの国の腐敗があれば致し方ない事だろう。
豊かさは都が重税によってその大半を吸い上げ、不作が重なり、飢饉が起こり、それに伴う治安の悪化があれば人心も荒れる。
劉の兵士が求めるのは、失われた豊かさ……。
自分達が生き残る道と言っても過言ではあるまい。
待っているだけでも飢えて死ぬ。
ならば、戦いに挑んで死ぬ事を選んでも不自然ではない。
戦いに勝利した先にしか、生きる道がない。
そのように考えているのだから。
「董将軍」
副官の華彩が私に話しかけてくる。
頷きを返すと、彼女は口頭で報告する。
内容は戦況について。
私は戦況を把握するために、各地へ散った部隊の武将の下へ部下を放っていた。
それで得た情報をまとめ、花彩は報告してきたのだ。
内容は、朱雀王朝の武官としては喜ばしくない事ばかりだ。
ただ、私という個人からすれば面白い。
「殆どが勝ちきれずに足止めされ、敗退する将までいますか……。良い状況とは言えませんね」
戦端を開く前、文官の不正による不備が発覚した。
装備も糧食も不足しており、その不足を圭杏が私財を投じてまで補った。
それだけ、切羽詰っているという事なのだろう。
しかし、そうしても武官の質の悪さは無視できない。
「まともに勝ち進んでいるのは、私達と後宮の武人の部隊。あとは北方の最強ちゃんがいる部隊だけでしょう」
彼女達か……。
それも当然でしょうね。
殊更に強く思い描くのは、初戦で敵に恐怖を振りまいていた漆黒の将だ。
今もまた、どこかでその暴威を発揮している事だろう。
劉の怨嗟にも似た戦意を恐怖で塗りつぶす程にあの武人は強かった。
劉に放った細作によれば、彼女へ対する畏怖は全軍に伝播しているようだ。
本来ならば国軍の弱さに喜んでいた所だろうが、彼女の存在一つがその喜びを消し飛ばしてしまっている。
しかし、全軍がその威容を知るという事は、相手もまた情報のやり取りを密にしているという事だろう。
賊と侮っていい相手ではないな。
相手の動きもそれを裏付けている。
当初は分散していた戦力を初戦の後に合流して動き始めた。
こちらの戦力の脆弱さを見て、強引に攻めても大丈夫だと判断したのだろう。
しかし、その後は戦力を三方に分けるように動き出した。
恐らく、後宮の武人が原因だろう。
いくら強いとはいえ、一つの戦場にしか現れないならば戦場を増やせばよい。
三つの部隊が並行すれば、一つで遭遇しても他の二つの部隊が勝ち進める。
「ふぅん……」
「どうか致しましたか?」
「……黒の旗を用意し、お前には黒衣を着てもらいましょうか」
私が答えると、華彩は笑顔を作った。
意図を察してくれたのだろう。
相手が部隊を増やすならば、こちらもそれに合わせて脅威を増やしてやればいい。
中身が伴わなくとも、存在だけで相手は萎縮するだろう。
「それはまた、面白いいたずらを思いつきましたね。ついでに噂も流しましょうか」
「どんな?」
「漆黒の将は一瞬にして千里を移動し、死してなお幾度も蘇る」
「それはそれは……各地の将に伝えて部隊に一人黒衣を着させれば面白い事になりそうですね。ついでに、黒旗も敵の血で染めていると噂を流してみましょうか?」
「いいですね! じゃあ――」
副官と共に、いろいろと冗談交じりに作戦を出し合い、それを元にいくつか実行へ移した。
結果。
常に血に飢えて人を喰らい、流れ出た血で旗を黒く染め、本来十尺の体格を自在に伸縮させ、妖術によってどこにでも瞬時に移動する不死身の武将が国軍にいるという事になった。
「あの噂を流して以来、戦況が安定しているようですね。こんなに効果が出るとは、正直思いませんでした」
野営の天幕の中、寝具に裸体を預けて私はそう口にする。
正直、安定ではなく好転してもらいたかったが、中身が伴わなければこんなものだろう。
それでも相手の足が鈍っている事実は覆らない。
「黒衣を着た何人かは死んでいるようですけれどね」
同じく、裸で隣に寝そべる華彩が答えた。
「不死身だから問題ないでしょう」
言いながら、華彩のふくよかな乳房に触る。
「あん」
「ふふふ」
そんな事をしていると、外から天幕に声がかけられた。
「董将軍! 報告よろしいでしょうか!」
「言いなさい」
「クロエ殿の部隊が他の部隊と別れ、単独で進軍を開始したそうです!」
単独で進軍?
「どこへ向かったかわかりますか?」
「はい!」
「少し待ってください」
急いで服を着る。
「入って」
「はっ」
兵士が天幕へ入ってくる。
中に置かれた卓へ誘い、その上の地図に進路を示させる。
「どうしたんですか?」
華彩も卓へ近づく。
報告の兵士に戸惑いが生じた。
「華彩、服を着なさい」
「あ、はい」
それで?
と気を取り直して兵士へ問いかける。
「クロエ殿は、この方向へ向かっているそうです」
兵士は地図上の駒を動かして説明する。
クロエの隊は一見して何をしようとしているのかわからなかった。
部隊を突出させている所から、どこかへ向かっているのはわかる。
ただ、その進路に則って地図に直線をなぞって見ても行きつく先には何もなかった。
意図を量ろうと地図を眺める。
点在する敵の配置を見て、さらに全体を見る。
「……なるほど。当然と言えば当然……。私もまだ、所詮農民の蜂起と侮っていたようですね」
意図はわかった。
ならば、こちらもそれに呼応した動きが必要となろう。
「私達も部隊を動かしますよ」




