十六話 二年後
後宮の庭。
走りこみ、型を復習し、実際に打ち合う。
終わると、実戦に関する知識の講義を行う。
それが私とすずめちゃんの日課である。
「背中の筋肉が発達した人間は、殴る力に秀でているらしい」
「そうなのか?」
「背中の筋肉は、何かを引く時に使うものだ。だから、おかしな話なんだがな」
「ならどうして?」
「一説によれば、殴った時の引き戻しに使う筋肉だからという話だ」
パンチの威力が高ければ高いほど、それを引き戻す時にはそれに比例する力が必要となってくる。
結果、背筋が発達するという理屈だ。
「でも、違うんじゃないかと最近は思っている」
私は正拳突きをして見せた。
「左の肩を引いた時、右肩は自然と前に出る。つまり、肩を引く事でもう一方の肩に前へ出る力を付与できるという事だ」
「両方の力を使えるから、強い突きが出せる?」
すずめちゃんの質問に、私は頷いた。
それが私の言いたい事であったからだ。
「強い突きを出せる人間は、本能的にそういう殴り方をしているのかもしれない。だから、背中の筋肉も発達する。……のかもしれない」
正直、最近では教える事が無くなってきて、若干講義とは言えない内容になりつつある。
こういう憶測を交えた話になってしまっている。
「なるほど」
それでも、すずめちゃんは感心した様子で講義を受け入れてくれた。
素直でよい。
今のすずめちゃんは、大きく背が伸びていた。
鍛錬しやすいように髪は短く、まだ性別の差異が現れない体も相まって男の子のようである。
腹掛けにズボンを履いただけの格好である事も、その印象に拍車をかけているかもしれなかった。
「クロエママ〜」
声を上げ、しっかりとした足取りでタッタッタッと走り寄ってきたのはイェラだった。
イェラは、私の足にしがみつく。
そんなイェラを抱き上げると、彼女は次にすずめちゃんへ手を伸ばした。
「すずめお姉ちゃ〜ん」
イェラが呼ぶと、すずめちゃんはイェラをハグする。
これもいつもの事なので、自然な流れである。
イェラはどうやらスキンシップが大好きらしく、一人でいる事がない。
止まり木に止まるかのようにいつも人に触れている。
「クロエママ、下ろしてほしいよー」
「あいよ」
いつもの儀式を終わらせると、すぐにイェラはそう言う。
遅れて近づいてきていたアードラーの元へ帰っていった。
「お疲れ様」
水の入った器を私とすずめちゃんに渡す。
「ありがとう」
水を飲み干し、一息吐く。
それからは、縁側で座ってくつろいだ。
漢麗様達がこちらに渡ってきたのはそんな時分である。
「遊びに来たぞ!」
という声に顔を上げる。
見上げた先には、雪風の顔がある。
もはや柴犬とも言えず、狼っぽいシャープな顔つきになっていた。
かつてあった可愛らしさが欠片も残っていなかった。
などと思っていると、べろりと顔を舐められた。
獣臭い。
なお、中身は変わっていない模様。
雪風の腹に顔を埋めてよだれを拭っていると、雪風が魔法で操る水によって漢麗様が下りてきた。
最近の漢麗様は移動の際に雪風の背へ騎乗しているのである。
当の漢麗様は身長こそ伸びはしたが、天真爛漫な様子は変わらない。
私の可愛い陛下である。
まぁ、雪風の方がもっとでかいし。
いつも一緒に行動しているのであんまり大きくなっている印象がない。
漢麗様がすずめちゃんと遊び始めると、この時ばかりはイェラもアードラーから離れる。
どうやら、母親に甘えたい気持ちよりも遊びたいという気持ちの方が勝つらしい。
まぁ無論の事、その間にアードラーが見える範囲にいる事は絶対条件だが。
アードラーがいなくなるとそれどころではなくなる。
おままごとやらあやとりなどで遊ぶ事もあるが、どうやら今日は玉蹴りをして遊ぶようだ。
こうして体を動かす遊びも珍しくなく、むしろ漢麗様はそういった遊びの方を楽しんでいる節もある。
自由奔放な子供達の遊戯を見守っていると、高呂がさりげなく私に近づいてきた。
「何か?」
視線を子供達に向けたまま私は問いかけた。
「劉に武力蜂起の兆しがあるようだ」
「あの集団の動向を掴めたのですか?」
情報収集が行われていた事は聞いている。
それでもたいした成果はなかったはずだ。
漢宝の情報秘匿が巧みなのか、それとも王朝の情報収集能力が劣っているのかはわからないが……。
私が必死に誤魔化す意味はあったのか、というくらいに朱雀王朝は劉の情報を得られないでいたのだ。
ここまで具体的に劉の動向を掴んだ事は初めてだ。
「各地で人が集まっている。それも武装した状態ならば、嫌でも気付く」
当然である。
「クロエ。場合によっては、お前にも出てもらうぞ」
私は溜息を吐いた。
こんな事になったか。
平穏に暮らせると思ったんだが、それも叶わないらしい。
しかし武力蜂起、か……。
彼女はそれを厭っているようだったんだけどな……。
何があったのやら。
「武人としての力、存分に発揮してもらうぞ」
「わかりました」
あれから二年が経つ。
平穏だったその時間が、ついに崩れた。
すずめ、約六歳。




