閑話 すくすくイェラ
「ままーままー」
最近、イェラがアードラーをそう呼ぶようになった。
まだしっかりと言葉にはならないが、それでも単語らしきものも少しずつ口にするようにもなった。
しかし、色々な国で母親の事を呼ぶ言葉はママが多いらしい。
父親の事もパパと呼ぶ事が多いのだとか。
不思議な話である。
ブーバキキ効果の例もあるし、母親はママっぽくて、父親はパパっぽい雰囲気があるのかもしれない。
そろそろ頃合かな、と思い。
イェラの食べ物を離乳食に変えようと試みた。
「ん〜ううっ!」
しかしながら、イェラは声にならない声で明確な拒絶を見せた。
「ままー!」
私が食べさせようとしても、手を伸ばしながらアードラーを呼ぶ。
そんなにアードラーのおっぱいが好きか。
イェラがおっぱいを吸っている横で、さらにもう一方のおっぱいを私が吸ったらイェラはどんな顔をするだろうか?
……すずめちゃんがどんな顔をするかわからないのでやめておこう。
育て親としてできれば威厳を保っていたい。
「ほら、おいしいよ〜」
となんとか食べさせようとしたが、しまいには泣き出したのでやめた。
「嫌がってる。このままおっぱいじゃダメなのか?」
すずめちゃんがそんな疑問を呈してくる。
「ダメじゃないけど。常にアードラーがついていなくちゃならないのは大変だ」
ただでさえ、旅の途上での子育てである。
負担は大きいだろう。
その負担を私は担いたいのだ。
「クロエさんもおっぱい出るんじゃ?」
「残念ながら出なくなっちゃった」
母乳というものは、赤ん坊が求め続ける限りは出るらしい。
ヤタがなかなか……というよりまったく乳離れする様子がなかったのでカルダニアに向かった時ぐらいまでは私の母乳もまだ出ていた。
が、今は母乳の足りない子がいないので止まってしまった。
イェラの反応を見る限り、アードラーのじゃないと嫌がられる可能性もあったが。
……まぁいいか。
いずれ、自然と乳離れする時が来るでしょ。
一人でも歩けるようになり、後宮内を散歩するイェラの姿を見るようになった。
とはいっても、アードラーが必ず側にいるが。
その日は珍しい事に、漢麗様も一緒だった。
当然、高呂もいる。
「イェラ、こっちじゃ。朕はこっちじゃぞ」
と両手を差し出す漢麗様に向かって、イェラが同じように両手を差し出しながら歩く。
まだ覚束ない足取りで、ぽてぽてと歩いていく。
「ちん〜ちん〜」
イェラは漢麗様の事をそう呼ぶ。
漢麗様の一人称である。
……日本語のわかる私としては、できれば修正したいと思っている。
その周囲で、応援するように雪風がぴょんぴょんと落ち着きなく動き回っていた。
それにしても、雪風も大きくなったな。
一昔前までは、シロに改名してやろうかと思うくらいにわたあめじみていたのに、今はちゃんと犬の形をしている。
今は、柴犬の成犬くらいの大きさになっていた。
まだまだもっとでかくなると思う。
多分、ドン引きするぐらいでかくなるだろう。
最近、イェラを見て思う事がある。
イェラはヤタに顔がそっくりだ。
「イェラ、ちょっとおいで」
「なぁに?」
イェラがまだ危うい足取りで近づいてくる。
こちらまで来ると、イェラは見上げて私と視線を合わせる。
そんなイェラのおめめの両端をちょっとだけ上にずらす。
ああ、やっぱり似てる。
目つきを変えるだけでそっくりになる。
「えへへ」
私が何を思ってそんな事をしているのかわかっていないのだろうが、イェラは楽しげに笑った。
多分、アルディリアに似ているんだろうな。
私もアードラーも可愛い系の顔じゃないからね。
二人の可愛らしさは、ビッテンフェルト家の可愛い担当であるアルディリア由来に違いない。
「えっとね、えっとね、イェラね、マミーがすきなの」
「うん。知ってるよ」
「しってたー」
私が答えるとイェラは嬉しそうに笑う。
「イェラね、マミーみたいにね、なりたいの。じょーずにおどれるようになりたいの」
「マミーみたいにかぁ」
趣は違うが、多分踊りは上手くなるだろう。
千鶴ちゃんの話によれば。
「と、申されておりますが?」
私は近くにいたアードラーに話を振る。
「レッスンはもう少し大きくなってからね」
「よかったね、イェラ。マミーが踊り方を教えてくれるって」
言うと、イェラは目に見えて喜んだ。
ぱたぱたとアードラーの方へ駆けていく。
「いつおしえてくれるの?」
「まだまだ先よ」
「すぐ! すぐ!」
座るアードラーの服の袖にしがみつき、ひっぱりながらイェラは強請る。
「仕方ないわね」
アードラーは胡坐をかいて座りなおし、自分の膝の上にイェラを座らせた。
「足運びだけ、少しずつ覚えていきましょ」
そう言うと、イェラの足を持って動かす。
舞踏の足運び、その順番を教えていく。
「タ……タ……タ……タ、タ。これでワンセット」
「タッタッタ……」
一緒にリズムを刻みながら、二人は舞踏の練習を続けた。
そんな様子を見ていると、無性にヤタと会いたくなった。




