十四話 必殺・クロエ口車
形が無いものを攻撃する事はできない。
と、私は思う。
劉という名を持つ事で、あの民達の理想郷は国という形を持つ事になった。
つまり、形を持つ事で攻撃の的を作ってしまったという事だ。
それは国力の小さな現状においてデメリットだ。
なら、メリットが何かといえば、民が安心して暮らせる場所を作れるという事だろうか。
正直に言えばデメリットの方が大きい。
だが、漢宝はデメリットを承知でそのメリットを取っている。
彼女の民を救いたいという気持ちはそれだけ強いのだろう。
苦しむ人間を助けたいと思い、その思いを実行に移せる胆力には感心する。
人としての尊敬すら抱く。
そんな事を考えながら、宮殿への門を潜った。
その後、すぐに高呂の所へ呼び出される。
「董錬から話は聞いた。国内に新たな勢力が形成されつつあるらしいな」
董錬は無事に帰りつけたらしい。
よかった。
「はい」
「それで、残って何か掴めた物はあるか?」
「いえ、董錬殿に持ち帰ってもらった以上の事は何も掴めませんでした。新たな統治者が民間から立ち、新たな自治を行っている。それだけです」
「そうか。武力のようなものも持っていると聞いたが?」
「確かに、軍隊紛いの組織はありました。しかし、私と董錬殿の二人で蹴散らせるような勢力を武力とは申せませんよ」
私はしれっと嘘を吐く。
本当の所、首魁とも会談したし、あそこの兵士は親衛隊よりも質が上だ。
だが、約束を果たす上で脅威として見られるわけにはいかない。
極力、過小評価してもらった方がいい。
「脅威にはならない、とそう言うのだな?」
「なりませんね。どれだけ奮起しようと、朝廷に仇成せるほどの力はありません」
高呂の視線が私を見極めるように、じっと据えられる。
「……よくわかった。お前の帰還を待って、評議を行う事が決まっている。明日、その場で直接報告してもらおう」
「わかりました」
明日、か。
すぐにでも呼び出されると思っていたけれど、そこまで焦っていないという事なんだろうか?
侮ってくれるならば、こちらも都合がいい。
高呂への報告が終わると、私はすぐに後宮へ向かった。
丁度、廊下を歩いているアードラーを見つけて、後ろから忍び寄る。
そして、抱きしめた。
「きゃっ! クロエ?」
「私にこうされる事で喜ばぬ女はいなかった」
「……他の人にもこんな事をしているの?」
「してないけど」
なんともじっとりとした目で見られた。
やがて息を吐き、抱きしめる私の手にアードラーは自分の手をやった。
「おかえりなさい。無事でよかった」
「大丈夫だよ。私はちゃんと帰ってくるから」
「そうだと思うけれど、だからと言って不安が消えるわけじゃないのよ?」
そういうものか。
翌日。
私は漢麗様の前で話をする事になった。
玉座の間には、圭杏を始めとした宦官達や武官らしき者達が集っていた。
事態を重く見ていないけれど、相手と戦う意欲はあるという事か。
「では聞こうか。あの地において、お前が何を掴んだか」
静寂の中、圭杏の声が問いかける。
さて、それじゃあ大嘘を吐く事にしましょうかね。
「私は確かに、新たな情報を求めてあの地へ留まりました。しかし恥ずかしながら、董錬殿に持ち帰らせた以上の事はわからずじまいです」
「ふむ。決死の行動も無駄に終わったわけだな」
「そうですね。とはいえ一度の襲撃の後、相手が姿を消してしまったので危険らしい危険はありませんでした。逃げたのでしょうね」
本当はかなりしつこく襲われたが。
「ではこの数日、何をしていた?」
「周辺を探しておりました。相手の動きが早く、どこへ消えたのか手がかりなど掴めませんでしたが……。今、あそこへ行っても農民がいるだけでしょう」
討伐するべき相手はもういないのですよ、と強調しておく。
「ふむ。では、その農民を討伐するとしよう」
なんでやねん。
「農民相手に、兵を出すおつもりなのですか?」
「実態などどうでもいい。見せしめは必要だろう」
圭杏は目を細め、私を見下ろしながら答える。
「朝廷の威光を示すためだ」
まぁ、確かに……。
統治者として、民の畏敬を損なう状況は看過できない。
まして、明らかな不穏分子の存在が発覚した今となっては特に。
見せしめが必要というのはもっともだ。
とはいえ、あそこへ派兵されるのは困る。
「それが朝廷の威光に繋がるでしょうか?」
そう、反論する。
特に理由は考えていない。
むしゃくしゃしてやったわけじゃないが、とりあえず適当に答えた。
反省はしていない。
「クロエよ。何か言いたい事がありそうじゃな」
すると、漢麗様が興味を示した。
特に言いたい事はないが、こっちとしては都合がいい。
「天子様。臣ですらない者の言など捨て置きください」
「よいではないか。朕は、クロエの考えを聞いてみたい」
圭杏の言葉をかわし、漢麗様は私に続きを促す。
さて、何を言おう……。
少し考えて、筋の通りそうな理屈を思いつく。
「私は兵を差し向ける事に反対です」
私の言葉に、周囲がざわめいた。
「何故じゃ?」
「行動を起こす事だけが、朝廷の威光に繋がるとは限らないからです」
答えると、漢麗様は首を傾げた。
「朝廷に反旗を翻した者を誅さずして、威光を守る事などできまい!」
圭杏が強い口調で言い、私を睨む。
「あれを反旗と呼んでいいのか、私はそれが疑問なのです」
「どういう事だ?」
「あの勢力……いえ、正直勢力と呼ぶ事すらはばかられるものですが。その程度の相手に、兵を動かす方がみっともないと思うのです。劉を名乗り、国を称しておりますが国と呼べるものではありません」
実際はこれから大きくなりそうだけど。
「劉を名乗る事が最大の侮辱なのだ」
「その考えが私には理解できません。劉の名を過剰に恐れ過ぎているように思えます」
「この名を名乗る意味は、異邦人のお前にはわからない」
「大層な意味を持つ名であろうと実体は形骸。そのような連中に何ができます?」
「できるできないの問題ではないのだ。これを看過すれば、それだけで朝廷の威信に関わると言っている!」
圭杏は怒鳴るように答えた。
「威信とは何か? 要は、民が朝廷をどのように思っているかという事でしょう。違いますか?」
「そのような見方もできる。だが、それに何の関係がある?」
「朝廷がその名前だけの形骸を恐れているという風に、民が思えば威信を傷つけられた事になりませんか?」
私が問うと、圭杏は黙り込んだ。
一理ある、と彼も思ったのだろう。
そこに私は言葉を重ねる。
「兵を動かし、そのように流言があれば逆に威信は傷つけられるでしょう。無論、その流言は意図して流されるものとお考えください」
「敵がそのように風評を操作するというのか? だが、そうさせぬように潰さねばならんという話だ」
「とはいえ、出兵したとして相手を潰す事はできないのではないか、と私には思えます」
「何故そう思う?」
「相手の組織は小さく弱い。ですが、だからこそその身も軽い。私達を襲った後にすぐさま姿を晦ませたように、何かあればすぐさま国のどこへでもその身を移せる事でしょう。そして残るのは、傷つけられた朝廷の威信だけです」
圭杏は再び思案するように黙った。
「圭杏よ」
不意に、漢麗様が圭杏を呼ぶ。
「そなたは朕に世の泰平を思えば、犠牲は必要であると申したな?」
「はい」
「だが、クロエはその犠牲こそがその泰平を阻むと言っているように思うが、間違いないか?」
「はい。その通りです。ですが、それはどちらであっても朝廷の威信は落ちるという事でもあります。敵が流言飛語を武器とするならば、兵を出しても出さずとも朝廷の権威は貶められるでしょう」
む、まぁそうなるか。
「なら、どうすれば良い? クロエよ。何か考えがあるから出兵に異を唱えたのではないのか? 誰も死なぬ手段があるなら、朕はそれが良いぞ」
「恐れながら」
そう前置いて、私は考えを述べる。
「言葉には言葉で対抗するのがよろしいと思います。要は、漢麗様の寛大さ。朝廷の強大さを民が実感すれば良いのです」
「具体的にどうすれば良いのじゃ?」
「劉などという名ばかりのものを恐れる必要もなく、だからこそ漢麗様は捨て置いているのだと全土に言葉をお放ちください」
そんな小物は相手にしない、という意思を明確に民へ示すのだ。
「漢麗様は、そのようなものなど存在しないかのように泰然と構えておられればよろしいのです。それだけで、威光は示されるでしょう」
「そう上手くいくものか?」
圭杏が問いかける。
「それは喧伝する内容、方法にかかっています。私はそれについて門外漢。熟知した者の能力に任せるしかありません」
「肝心な所は人任せか」
「そう言われると何も言えませんね。ただ、費用効果を考えると兵を出すより格段に安上がりになるかと思いますが」
圭杏は笑った。
「なるほど。確かにそれはいい」
しかし、漢麗様はまだ何か懸念がある様子だった。
「だが、劉に支配される民は安心して暮らしているのだろうか? 朕はそれが心配じゃ」
「劉の下における治世は、民に平穏を与えておりました。餓える者もなく、皆笑みを浮かべておりました。だからこそ、味方する者もいるのです」
「ふむ。では、この国と同じわけじゃな」
漢麗様には、この国の現状がそう報告されているんだろうな。
漢麗様は歳のわりに聡明であられる。
しかし、同じ統治であるならば人の流れる道理がないという事に気付いておられない……。
気付かれない方が、いいのだろうけど。
「では、クロエの案を採用する事としましょう」
圭杏の言葉で、評議は終わった。
これでいい。
これで、劉が攻められる事はないだろう。
漢宝との約束は守れた。




