十三話 劉の首魁
金髪の男を打ち倒すと、私は何度か執拗に殴打を繰り返した。
一応、魔力持ちのようだったが……。
脳震盪に加え、念入りに痛めつけておけばしばらくは動けないだろう。
金髪の男が倒れると、周囲の兵士達に動揺が走った。
それでも戦意を失わず、槍の穂先は依然としてこちらを狙う。
向かってくる兵士を打ち倒す。
そうだ、兵士だ。
金髪の男が言ったように、彼らは兵士だ。
戦闘訓練を受けた動きをしているし、職務を遂行するという責任感のようなものも見受けられる。
金髪の男は恐らく指揮官だったのだろう。
だからこそ彼らは動揺を見せた。
しかし、それでも戦いをやめようとしない。
そして、その力量は現朱雀朝の兵士よりも上だ。
漢麗様と出会った時に戦った兵士達と比べて、断然に戦い難い。
とはいえ、どうにか切り抜けられそうではある。
適当に棒を振り回してけん制しつつ、囲みに隙ができたら逃げようと思っていたのだが……。
気付いたら、最初の半数ぐらいを打倒せしめている。
多分、布の棒が思った以上に強力な武器だったからだ。
元が布だからバカみたいにしな《・》る《・》し、魔力で布内の水分を移動させると重心が変わって威力を乗せやすくなる。
あの金髪はそこそこの腕だったが、兵士への指揮が疎かだった。
一軍を率いる将としては微妙だ。
総じて、兵士の水準は高いが将の質が悪い。
などと考えながら残敵掃討していると、いつの間にか周囲に動く兵士はいなくなっていた。
「行きますよ」
董錬に声をかけると、彼は頷いた。
高呂が信頼しているというだけあって、彼も強い。
今回は武器無しで苦戦していたが、あれば一人でもこの状況を切り抜けられたかもしれない。
入り口まで戻ると、その付近の厩舎は大変な事になっていた。
敵がいたわけではない。
一応、居たには居たのだろうが……。
なんというのか……。
ツキジめいていたし、ネギトロめいてもいた。
お目付け役の居ない黒旋風が好き勝手に暴れた結果だろう。
しかも……。
戦いに興奮した黒旋風が私の方に向かってきたし、その口にはがっちりと固定して荷物にしまいこんでいたはずの白狐の柄が咥え込まれていた。
「うわあ、なんだか凄い事になっちゃったぞ……」
そう呟いて、私は構えを取った。
とりあえず、黒旋風を大人しくさせた。
いやぁ、大変な戦いだった。
もしかしたら、さっき囲まれた時より厳しかったかもしれない。
私の全身は傷だらけで、口からは血が出ている。
「大丈夫ですか?」
と、董錬が気遣ってくれる。
「大丈夫だよ」
私は答えながら、黒旋風の口を開けさせて診る。
さっき、鉄拳で白狐を弾き飛ばした時に口内を傷つけたかもしれない。
そう思っての事だったが、ガパッと黒旋風に腕を噛まれた。
「そういうのいいから」
と、無理やり口を開けさせた。
怪我してても自力で治しそうな気もするが、念のため白色をかけておいた。
殴り飛ばした白狐も回収し、鞘に納めて後腰に佩いておく。
さて……。
「董錬殿。劉とは?」
あの金髪が言った事だ。
それに董錬が反応していたので、問いかける。
「現朝廷の始祖となった国の名前です」
ふぅん。
つまり、ここは国なのか……。
そういえば「俺達の国」と言っていた。
この国の領内に、朱雀朝とは別の国と呼べる勢力が誕生したという事か。
そしてその国は、今の朝廷に見切りをつけた者達を取り込み、少しずつ大きくなっている。
高呂が言っていた人の流れはそれだ。
ただ、まだそれは小さい勢力なのだろう。
だから、その存在が漏れないように情報を統制している。
バレてしまえば、簡単に滅ぼされてしまうからだ。
簡単に潰されてしまわないように、力をつけるまで存在を秘匿する必要があった。
……この国のあり方を見る限り、現政権よりもこちらの方が民に求められているのは明白だ。
正直、このまま大きくなるのを見守った方がこの国のためになるかもしれない。
だが、私は漢麗様のものだ。
彼女を第一に考えて行動したい。
この国が力をつけて朱雀朝を超えた時、きっと彼女の命脈は尽きてしまう。
それだけは阻止せねばならない。
少し考え、私は董錬に向き直る。
「この地に国が興ろうとしている事、それを都に戻って伝えてください」
「あなたは?」
「私はもう少し残って情報を集めます」
「大丈夫なのですか?」
「情報は多い方がいいでしょう。けれど、今まで手に入れられなかった「劉」の存在についての情報はすぐにでも都へ持ち帰る必要があります」
自分の考えを伝えると、董錬は難しい顔で思案し、やがて納得したのか頷いた。
「わかりました。どうかご無事で」
「もちろん。無事に帰るつもりですよ」
董錬を見送ると、私も黒旋風と共にその場を離れた。
官庁での襲撃があってから五日。
私は今も、その町で情報収集に努めていた。
とりあえず、国興しの首謀者でもわかればとどうにか探りを入れようとした。
特に新しい情報が入り込んでくる事はなかったが、その五日間はとても慌しいものだった。
劉の刺客と思しき者達から、連日襲撃を受けたからだ。
姿を隠していた当初と違って町には公然と歩哨が立ち、見つかれば襲ってきた。
酒家に入れば……。
「あちらのお客様からあなたへ」
と酒を勧められ……。
「残念ながらお酒が飲めないんだ。代わりに店主が飲んでよ」
と返せば、客全員が立ち上がって襲ってきた。
どうやら、酒には毒が入っていたらしい。
腕に覚えがありそうな刺客が、何人か一対一で勝負を挑んでくる事もあった。
死闘を切り抜け、強者を退ける。
……ぶっちゃけ、それは楽しかった。
潜伏していた森にも部隊が差し向けられ、黒旋風と共にそれらを蹴散らした。
だいたい、アクションゲーム一本分くらいのボリュームある戦いの日々を経た頃である。
事態に動きがあった。
その日は、町の歩哨がいなくなっていた。
とはいえ、視線は感じる。
道の端々にはこちらをうかがう鋭い視線があり、私はそこを避けるように道を歩んだ。
さながら、誘導されているようだ。
そう感じながら、私はその誘いに乗ってやろうと進んだ。
行く手には一件の酒家があった。
中へ入ると、客が一人だけいた。
一番奥の席に座っている。
髪の長い女だった。
手入れのされていないぼさぼさの黒髪。
表情に険しさはないが、相には隠しきれない鋭さがあった。
体格は私に近い。
身長が少しだけ小さいくらいだ。
羽織る上着、肌蹴た胸元にはサラシが巻かれていた。
女の着く席には、瓶と器が置かれている。
「どうぞ」
そう、対面の席を勧められる。
私は女と相対するように席へ掛けた。
「あなたは?」
「漢宝」
漢姓か……。
「朱雀朝皇祖の落胤。その子孫だ。……と祭り上げられている女だ。実際は、ただ現皇帝と姓が同じだけなのだがな」
続く言葉で、漢宝はぺろりと内情を話した。
「名を訊かせてもらいたい」
「クロエ」
「どう書くんだ?」
「この国の言葉じゃない。好きに字を当てればいいさ」
「そうさせてもらおう」
「で、そのご落胤の子孫様が、私に何か用?」
「話がしたかっただけさ」
言いながら、漢宝は瓶から琥珀色の液体を器へ注ぐ。
それをぐっと飲み干した。
「うしゅくという酒だ。西方より渡ってきたものだ」
もう一度器へうしゅくを注ぐと、私の方へ向けた。
「毒見の配慮を頂いて申し訳ないけれど、お酒は飲めないんだ」
「儀式のようなものだ。今までの手打ちのための。できれば、無理にでも飲んでもらいたい。でなければ、仲間の抑えが利かない」
店の奥や、入り口からは人の気配を感じられる。
私の行動が見られているのがわかる。
「わかった。一杯だけなら」
一杯なら酔わない。
頭が痛くなるだろうけれど。
私は器を乾した。
「くぅ……」
強い酒だ。
喉が焼けて、思わず声が漏れる。
意外と心地はいい。
それに、頭が痛くなる様子がなかった。
軽い酔いが残る。
初めて飲んだけど、ウイスキーかな?
うしゅく……ウイスキーはウシュクベーハーと呼ばれていたらしいけど。
何語なのかわかれば、西にどんな国があるかわかるんだけどなぁ……。
「手打ちという言葉の意味を詳しく訊きたいのだけど?」
「君と私達の間にあった事について、だ。私は君と話がしたかったが、納得しない者が多かった。だから、こういう場を設ける必要があった」
私個人と、か。
朝廷に対してのものでもないわけだ。
「私と話してどうなるの?」
「人となりを知り、結果によってはこちらへ引き込みたい」
「その魂胆を話してしまって、素直に応じると思う?」
「私が求めるのは、腹を割って話した上で賛同してくれる人間だ」
私を見る漢宝の眼差しは強い。
じっとその視線は注がれている。
答えに偽りは許さないと、そう告げるような視線だ。
「君は、今の朝廷の治世をどう思う?」
「とても悪い」
私は素直に応じた。
「同感だ。上の立場の者ほど無法を犯し、統治される側の者に苦渋を強いている。そんな今の在りようが正しいはずはない」
まるで、ジェスタのような言い様だ。
「それを正す方法が新しい国を造る事?」
訊ね返すと、漢宝は強く頷いた。
「それが多くの民の望む事だった。痛苦だけの暮らしを捨て、健やかに暮らしたいという望みだ。それを成してくれる者を民は求めていた。求めに適う人間だからこそ、私は今ここにいる」
現朝廷の治世を思えば、民がそれを求めるのも仕方がないか。
私だって、漢麗様がいなければあんな朝廷はどうでもいい。
彼は、ジェスタとは少し違うか。
この言い方だと使命感というよりも、民の声に押されて動いているように思える。
「考えには賛同できる」
「なら――」
私は手を突き出して言葉を止めさせた。
「だけど、こちらに身を置くつもりはない」
私はきっぱりと断りを入れる。
「理由を訊かせてもらおう」
「私は漢麗様個人に恩がある。あなたの組織は存在そのものが彼女の危機へ直結する。味方なんてできるはずがない」
答えると、漢宝は深く息を吐いた。
なるほど、と呟く。
「義理堅い人間のようだ」
「とはいえ、堅苦しい人間じゃないつもりだ」
「というと?」
私の答えに、興味を惹かれた様子で漢宝は問い返す。
「漢麗様を尊び、どのような状況になってもその身の安全を約束してくれるならば、私はあなたの事を黙っておくつもりだし……。なんなら、こちらへ兵が差し向けられないよう助力してもいい」
この新たな国を作るという試みが成功するかはわからない。
だが、可能性はある。
そうなった時の保険くらいには考えていてもいいだろう。
「そうだな。私としては、今の王朝と事を構える気などない。ただ、民が健やかに暮らせる場を造れればそれでいい」
「統治する組織が同じ地に二つあれば、争わなくても力のない方が衰退するものだよ。それは、朱雀朝の宦官達も理解している事でしょうよ」
だから、朱雀朝としては勢力の弱い内に劉を滅ぼそうとするだろう。
それを防ぐために、劉はその存在をひた隠しにしてきた。
「もう、劉の存在は私の仲間によって伝えられている。取り成しは必要なはずだ」
私が言うと、漢宝は眉間に皺を寄せた。
「私だって、苦しむ人間は見たくない。このまま、この国が民の理想郷として大成するならば私はそれに味方してもいい。けれど、その代わりに漢麗様の安全だけは約束してもらう。これは絶対条件だ」
そうなった場合、漢麗様の居場所がなくなってしまうからね。
今やりたい放題している宦官達がどうなっても構わないが、漢麗様だけはどうにか無事でいてほしい。
「ふざけた事、ぬかしてんじゃねぇ!」
店の外から怒鳴り声がかかる。
振り返ると、前に見た金髪の男が居た。
「泰義」
諌めるように、強い口調で漢宝は名を呼ぶ。
金髪の名前だろう。
「てめぇ! 都合の良い事言って、ここを切り抜けたいだけじゃあねぇのか? 姉貴の事を知った以上、仲間にならねぇならここで死んでもらうしかねぇんだよ!」
「私が命惜しさに方便を使っていると?」
私は挑発的に笑ってみせる。
「彼女が首魁だっていうのなら、ここで殺して自力で逃げる事が一番都合のいい選択だ」
「なんだと!」
「方便なんて必要ない。試してみる?」
ハッタリを交え、私はそう問いかけた。
できるかできないかはやってみないとわからないが、ちょっと試してみたい気もする。
「やめないか」
漢宝はそう言って泰義を止めた。
視線がそちらから、私の方へ向けられる。
「あなたの話に乗ろう」
その言葉を受け、私は立ち上がった。
「結構。約束は守る」
私を睨む泰義の横を通ろうとし――
泰義がぐっと足を踏み込もうとした事に気付き、ハイキックを放った。
ハイキックは見事に泰義の左側頭部へ命中する。
泰義はそのまま倒れこんだ。
放った蹴りはけん制のためのものだ。
相手が寄らなければ当たらないようなもの。
それに当たったという事は、本気で攻撃を仕掛けようとしたという事だ。
「すまないな」
慌てた様子もなく、漢宝が謝罪する。
「たいしたことじゃないよ」
「……珍しい腿法だな」
腿法?
蹴りの事だったっけ。
この辺りじゃ、ハイキックは珍しいって事かな。
それに答えず、私は今度こそ酒家を出た。




