十一話 敵地侵入
高呂との話し合いから間もなくして、私は正式に漢麗様から勅をいただいた。
案内として、前の時と同じく高呂の部下が付けられる事になった。
確か、名前はトウレンだっただろうか。
あの時はまだ言葉が達者ではなかったので字まではわからなかった。
ちなみに、雪風を介して漢麗様は私の字を「コッケイ」と読んでいたが、直に訊いてみると別の発音になっていた。
どうやら私の日本語知識の影響で、雪風を介して聞くと日本語の音に変換されるようだった。
このトウレンという名前も、音は違うのだが。
発音の仕方で字がわかるのがこの国の言葉である。
彼の名は、董錬と書くようだ。
そして出立の日、高呂が見送りに来てくれた。
が、馬を借りるために訪れた厩が、どうにも騒がしい様子だった。
何が起こっているのか予想しつつ中に入れば、案の定私の思う通りに黒旋風が大暴れしていた。
同じ事が今までも何度かあったので、同じようにとりあえず落ち着かせた。
出発前から妙に体力を使ってしまった。
そうして馬を借りて出かけようとしたのだが、馬を連れて外に出ようとすると一度落ち着いたはずの黒旋風が突撃してきた。
その標的は私ではなく、私が連れ出そうとしていた馬である。
なんでや?
と思っていたら、ついでに私も頭突かれた。
なんでや?
「何で怒ってるの?」
「外に連れて行けと言っているのかもな」
誰にとも無く呟いた言葉に、高呂が答えた。
「少し待て。これは私の独断で決められん。天子様に許可を取る」
「こいつに乗ってけって話?」
「正直に言って、天子様をこの馬に乗せたくない。危険すぎる」
それはもっともだ。
振り落とされる未来しか見えない。
「だから、お前がそいつを乗りこなす事で満足してもらう」
私、そんなに馬術は上手じゃないけど大丈夫かな?
少なくとも裸の馬には乗れない。
高呂が許可を得るために天子様の所へ行き、しばらくして戻ってくる。
「許可は得られた」
「はい」
さて……。
「外に出たいなら、流石に鞍と轡を着けてくれるかな?」
実物を示しながら問いかけ、実際に黒旋風へ鞍と轡を装着する。
不機嫌そうに嘶いてはいたが、比較的大人しくそれを受け入れた。
こうして、なかなかスムーズに事が運ばないながらも、私は出立する事になった。
そこからさらに、私を乗せた黒旋風が全力で駆け出して同行してくれた董錬を置いてきぼりにして迷子になったり……。
ソナーを使って董錬を探し、その気色悪さで不機嫌になった黒旋風に喧嘩を売られたり……。
と、諸々あって、私はどうにか目的地へと辿り着いた。
行き着くまでに見た村々は、寂れたものが多かったが……。
東へ向かうにつれ……目的地へ近づくにつれ、土地が豊かになっているように思えた。
いや、豊かになっているのは土地だけではない。
人々もまた豊かになっている。
豊作となった田畑。
働く若者の腕には肉が付き、子供達も元気に遊びまわっている。
その光景を見れば、人に活気がある事は明確にわかる。
この国に、こんな場所があったか……。
まるで別の国へ来たようだ、と私は思った。
私が人々を見るように、そこに住む人々も私達へ視線を向けていた。
その表情は、どこか警戒しているようにも見える。
一応、私は鎧の類を着けず、普段の衣服の上からこの国の着物を羽織って帯でぎゅっと締めていた。
ちなみに色は黒である。
顔の作りは違うが、黒髪黒目なので遠目にはただの黒くてでかい女と馬にしか見えないだろう。
怪しまれる要素はないと思うが……。
黒尽くめのでかい女と馬の取り合わせが既に怪しいという可能性も微レ存。
馬の蹄からは絶えず青い炎が出てるし……。
……いや本当の所、怪しさしかない事は理解しているんだけど。
とはいえ、私達ほどじゃないにしろ、董錬も目立つだろう。
彼も着物姿だが、鍛え上げられた体は隠せていない。
「……」
しかしながら、この董錬という男。
あまりにも寡黙な男である。
何度か声をかけたが、最低限の事しか話さない。
真面目に任務へ取り組む結果、このように無駄な話をしないのかとも思ったが……。
数日経て、ただただそういう性格なのだとわかった。
言葉が解かるようになったにも関わらず、まったく意味がなかったような気にさせられる。
それでも沈黙に耐えられず、私は度々話しかけていた。
そして……。
「董錬殿。高呂殿は、あなたから見てどのような人物ですか」
と何気なく訊いてみた。
「美しい方だと思います」
一言、ぽつりとした言葉だけが返された。
しかし、私は少しだけ驚いた。
今までの董錬は任務に関する事は別として、私から振った雑談に「そうですか」「はぁ」「わかりかねます」ぐらいの言葉しか返さなかった。
それが、初めてそんな具体的な感想を返したのだ。
私としては上司としてどんな人間なのか、という意図を持って訊いていた。
だから、そんな返答がなされるとは思いもしなかったのである。
「もしかして、高呂殿の事が好きなのですか?」
答えは返ってこなかった。
その頑なな表情も変わらない。
が、瞬く間にその顔は朱に染まった。
答えなど必要がないほどに、その反応は如実であった。
乙女かな?
董錬は馬の歩みを速めさせ、私の前へ出た。
どうやら彼は、私が思っていた以上に可愛らしい人物らしかった。
少女マンガの主人公以上にピュアかもしれない。
その後、前に出られた事にムッとしたらしき黒旋風が勝手に駆け出し、それを宥めるのに苦労した。
官吏の殺された土地。
ここはそういう場所のはずである。
そんな血生臭さを一切感じさせない平穏さが、ここにはあった。
「ねぇ、おじちゃん」
私は一人の農夫に声をかけた。
「なんだい、おっきな姉ちゃん?」
農夫は気さくに返答する。
「ここいらの土地はおじちゃんのもの?」
「いんや。借りてるだけだよ。ここを治めてくれている方が無償で貸してくれてるのさ」
「税は?」
「収穫の四割」
「わ、安いね」
アールネスでも税収を四割以下にしている領地はそんなに多くない。
ましてこの国では嘘か真か、六割七割を平然と徴収すると小耳に挟んだ事がある。
農民が流れるのも当然だ。
「だろ?」
「ここの官吏は優しいんだねぇ。でも、殺されたって聞いたよ」
私がそう口にすると、今まで笑みを浮かべていた農夫の顔が強張った。
「姉ちゃん、今ここを誰が仕切ってるか知らずに来たのかい?」
「そうだけど。何かよくない?」
「じゃあ、これ以上何も話す事は無ぇよ。悪い事は言わねぇ。物見遊山なら、ここから離れた方がいいぜ」
そう言って、農夫は話を切り上げた。
「何だかよくわからないけれど、ありがとう」
私はとぼけた風を装ってお礼を言った。
まずい事を訊いたかもしれない。
知っていて当然、という反応だった。
まるで、知らない人間がここを訪れる事の方がおかしいような反応だった。
ここについての情報が統制されている。
それこそ、さっきの農夫のような末端に至るまで。
思った以上に、組織的だ。
下手に動けば今の農夫のような人間から、相手側に情報が行くかもしれない。
相手側、か。
姿も名前もわからない、ただ朝廷への反意だけがわかる正体不明の相手。
逆に考えて、私達の存在が知れ渡る方が好都合かもしれない。
諜報の人間が戻ってこないという事は、その過程で消されたか、取り込まれたか、いずれかである可能性が高い。
つまり、それらを担う何者かが接触を図ってくるという事だ。
そしてその何者かは、朝廷の間諜よりも優秀だ。
だからこそ従来のやり方では情報を得る事ができない。
そのために高呂は、私を送り込んだ。
私も昔いろいろとやっていたので、間諜の真似事もできるのだが……。
役割通りに動き、向こうから来てもらう方が断然に楽かもしれない。
さっきの農夫には、咄嗟に誤魔化すような態度をとってしまったが、むしろ朝廷の人間として大々的に振舞うべきか。
「董錬殿。これからは、あえて朝廷の者だと名乗ります。相手からの接触があるかもしれません。出てきたら捕らえ、情報を引き出そうと思うので警戒を」
「了解しました」
その後、私は目に付いた人物に朝廷の人間として片っ端から声をかけていった。
その日が暮れる頃、私達は官吏の殺された町へ辿り着いた。
日は落ちて、辺りは暗くなっていた。
明かりの類もなく、完全な夜の闇が町の小道を染めていた。
人通りはない。
不意に、私は気付く。
直感としかいいようのない、何かに。
同時か……もしくは私以上に早く気付いていたのか、私が制するまでもなく黒旋風はその歩みを止めた。
董錬もまた馬を止め、私を見やる。
「いかがしました?」
「よくわからない。ただ、このまま進まない方がいい気がした」
私がそう思ったように、黒旋風も止まるべきだと思ったから止まっている。
この意見の一致に、それが正解であると私は確信めいたものを感じた。
そう……。
止まるしかない。
戻る事も、多分できない。
私は、黒旋風から降りた。
ならどうするか?
じっくりとそれを考える暇もなく、私の体は動いていた。
振り返り様、闇の中を飛来するそれを掴む。
目視した手の中には、クナイに似た武器(多分、ヒョウというものだ)がある。
ちらりと確認すると、それを飛来した方向へと投げ返す。
「うっ……」
見通せぬ闇の中、押し殺した悲鳴が聞こえた。
当たるとは思っていなかったので適当に投げたが、当たったらしい。
今の出来事で、董錬も馬を降りる。
藁で包み隠し、馬に積んでいた剣を手にとって備えた。
凶刃のきらめきや悲鳴が一時の幻であったかのように、静けさが場を占め続ける。
人の気配も感じられず……。
しかし、いるのだろう。
この闇の中に。
万能ソナーを使いたい所だが……。
それを不快に思った黒旋風に攻撃される未来が易々と見える。
私は魔法で、手の平に炎を発生させた。
周囲の闇が、球状に切り取られる。
その明かりの範囲に人の姿はなかったが……。
やがて、明かりの中へ踏み入れられた足が見えた。
数は六人分。
私達を閉じ込めるように、小道の前後から現れる。
真っ黒ないでたち。
衣服はこの国特有のものであるが、さながら忍者のようである。
アイエェ……。
その内の一人の腕には、流血が見られた。
ヒョウを受けたのはあの人だろう。
彼らはそれぞれ、手に剣やヒョウ、匕首などを持っていた。
奇襲を察知され、なおかつ反撃された。
だから数で囲んで強引に討ち取ろうという事にしたようだ。
「董錬殿。情報を得たいので捕らえます。何、合体させなければたいした事はありません」
「わかりました。……合体?」
「あまり意味はないから深く考えないで」
忍者なら合体するかもしれないが……。
まぁ、忍者じゃないし。
戦いの始まる間際、一瞬の緊張感が互いの間に走る。
そして、その緊張感を破ったのは黒旋風だった。
敵に向かって、駆け出した。
先陣を切るのが馬だとは予想できなかったらしく、相手は大きな動揺を見せた。
しかし、これはチャンスだ。
黒旋風が一方を担ってくれるなら、後ろを気にせず戦える。
「董錬殿。黒旋風の方を援護してください」
「もう一方を一人で相手するおつもりですか?」
「戦力は一方を大きく取り、各個に撃破した方がよろしい。その間の時間稼ぎならば、どのような相手でも私は成し遂げてご覧にいれる」
つまり、黒旋風と董錬に一方を殲滅してもらい、もう一方の足止めをする私を援護してもらうプランだ。
何より、黒旋風に捕縛の意図が伝わっていると思えない。
お目付け役は必要だ。
私と黒旋風タッグのプランも考えたが、私は董錬の実力を把握していない。
なら、一番わかっている自分の力をあてにするべきだろう。
「了解した」
さほど悩まず、すぐに董錬は応じた。
私は董錬と反対の方向へ体を向ける。
目の前には、別の三人。
黒旋風と戦う仲間を気にしつつ、すぐさま攻めず事の顛末をうかがい距離を取ったまま。
それは視線を向ける私を警戒しての事か。
董錬が黒旋風の元へ向かうと瞬時にその意図を悟ったか、三人は互いに距離を取った。
私が向かっていっても、包囲できるようにだろう。
が、私は向かっていかない。
むしろこちらに来てもらう。
魔力縄を前方へ放ち、真ん中にいた男へ命中させる。
男はそれを掴んで外そうとしたが、そうさせる前に思い切り引いた。
私の腕力に抗えず倒れ、転がり引きずられるように私の手が届く範囲へと倒れこんだ賊。
その胴体へ、全体重をかけるように膝を落とした。
「ぐうあああっ!」
賊は大きな悲鳴を上げる。
それじゃあ、私が重いみたいじゃないか。
女の子に恥をかかせるなんて、紳士的じゃないな。
私は一度飛び上がり、顔面に拳を叩き落した。
ん、魔力を持ってるな。
殴った顔から伝わってきた。
白色で回復されたら面倒だ。
念のために私は、賊の顎を狙って蹴りつけた。
脳震盪でしばらく白色が使えなくなるだろう。
仲間の一人がやられて、残った二人が見るからに狼狽する。
そうやって散開するから、咄嗟の時助けに入れないんだよ。
時間稼ぎのつもりだったけど、この程度の相手ばかりならやれそうだな。
そういう油断に足元をすくわれる事もあるけれど……。
ここは少し欲張りになってみるか。
狼狽の醒めぬ内に、私は左方の賊へ魔法で作った氷の刃を投げつけた。
と同時に、右方にいた賊へ向けて駆ける。
距離を詰め……。
氷の刃は打ち落とされ、私が向かった賊の方も私の接近に気を取り直した。
賊の得物は匕首。
私へ向けて突き出される。
焦りがあったのか、もしくは牽制する目的があったのか、浅い一撃だ。
それに対し、私はさらに一歩進んで距離を詰めた。
突き出された匕首を交わし、その腕を掴んで一本背負い。
仰向けに倒れた相手の肩口を強く踏みつけながら、掴んだままの腕を捻る。
ぐきっという関節を外した小気味の良い感触が腕に伝わってくる。
「あ゛ぁっ!」
甲高い悲鳴。
この賊は女性のようだ。
ついでに、足を持って膝を踏みつけ、そちらの関節も外しておく。
さらに賊は悲鳴を上げた。
そして駆け寄ってくる最後の一人。
横薙ぎの剣閃をスウェーで避け、上体を戻す勢いを乗せた右ストレートを返す。
右ストレートは顔面へ直撃したが、刃物への警戒と相手が魔力持ちだった事もあって威力が乗らなかった。
打倒はできていない。
すぐさま賊は剣を振り回してくる。
息を吐かせぬような斬撃で、反撃する暇を作らせぬ作戦のようだ。
割れない連携って奴だ。
でも連続で技を見せてくれたおかげで、もう見切った。
「アチャー!」
怪鳥音を発し、剣撃の隙を衝いてすばやい裏拳を顔へ叩き込む。
構わず相手は剣を振ってくるが、振り切った所で反撃していく。
「ホワチャァッ! アタァッ! アタタタタタタ!」
確反の付きそうな隙を衝いた後ろ回し蹴りを側頭部へ当て、怯んだ所でできる限りの猛攻を加えた。
「オーワッタァ!」
最後に渾身のワンサイドキックを腹に突き入れる。
蹴り飛ばされた男は、宙を舞ってから地面へ転がった。
動かなくなる。
「こんなもんか」
言いながら、私は鼻の頭を親指で弾いた。




