七話 後宮最強の生物
「クロエ。あなた、太った?」
食事の時間、アードラーは言いにくそうにしながらもそう口にした。
え、と口から漏れ、私が箸で摘んだ米の塊がお椀の中に落ちる。
「……い、いや、でかくなったけどね」
「そう……」
その場はそれ終わったのだが、改めて一人になって鏡を見ると……。
確かに、ちょっと太ったように見える。
いや、脂肪が乗ったというのではなく、実際に筋肉がでかくなっただけだというのが正しいわけなのだけど……。
女の子としてはちょっとねぇ……。
原因は多分、魔力無しでやっていた鍛錬のせいだと思われる。
魔力で出力していた部分を全部筋肉で補っていたため、その分筋肉が発達したのだ。
……この鍛錬もうやめよう。
パワーだけ上げてもスピードが疎かになって実戦では役に立たない。
と、野菜の星の王子様も言っていたし。
何より、これ以上太く見られたくない。
カイズイは褒賞として、後宮への出入りを願った。
その翌日の早朝。
当のカイズイを前に、私は困り果てていた。
すずめちゃんとの訓練中に現れたカイズイは、その手に棍棒を二本持っていた。
棍棒の一方は、私へ差し出されている。
むふー、と少し興奮した様子で息を吐き、期待に満ちた目で私を見てくる。
どうやら、このカイズイという子は私に興味があるらしく、度々話しかけてきた。
雪風がいないので、何を言っているのかわからないが。
一応、世話係の女官から少しずつ言葉を習っているのだが、まだまだ身についていない。
なので雪風のいない今は、「ワタシ、コノクニノコトバワカラナイネ。トイウコトバシカシラナイネ」というテンプレ対応でどうにか対処していた。
が、それでも彼女は構わず喋りかけてくる。
そして、今は言葉ではなく行動で意思を伝えようとしているようだった。
差し出された棍棒を見れば、彼女が「ファイト! ファイトネ!」と要求しているのがわかる。
「すずめちゃん、ちょっと休憩して見稽古にしようか」
私が師匠モードとは違った口調で言うと、すずめちゃんは気を抜いて「おう」と頷いた。
私は棍棒を受け取り、軽く振るう。
両端に金冠のついたものだ。
ある程度振り回して止めると、カイズイに視線を移した。
それを合図として、カイズイは容赦なく棍棒を突き込んでくる。
打ち下ろして防ぐと、地面を滑らせるように薙いで足を狙ってきた。
器用な物だな。
と感心しながら、続く彼女の攻撃を私は捌いていく。
素手の時と動きがまるっきり違う。
武器は手の延長、と私は父上に教えられたが、彼女の場合はそもそもの戦い方が違う。
体の動きに合わせるのではなく、武器の特性に合わせて動きを変えている。
しかも多角的。
正面から通じないとなると、背後を取るように動き、それだけでなく頭上を取ろうとも画策する。
とんでもない運動量だが、事も無げにこなしていた。
それでもパターンは限られているようだけど。
鳩尾を狙っての突きが来る事を読み、私は地面に突き立てた棍棒を支えに跳んだ。
その動作で突きを避け、蹴りを見舞う。
喉を蹴られて怯んだ所へ、棍棒の先をカイズイの目前へ突きつける。
またこの表情だ。
カイズイは不思議そうな表情で、キラキラとした子供のような目で私を見てくる。
何なの?
カイズイはまた構えを取るが、私は棍棒をカイズイに投げて返した。
え? と呆気にとられた表情で彼女は私を見る。
「すずめちゃ……すずめよ。稽古を再会するぞ」
「はい!」
大人しく座って私とカイズイの戦いを見ていたすずめちゃんは、声をかけられて勢い良く返事をした。
すずめちゃんとの稽古を再会する。
……その稽古の様子をカイズイがすっごい見てくる。
私は無視してすずめちゃんの稽古に専念するが……。
やっぱりめっちゃ見てくる。
座って私を正面から見上げたり、後ろへ回ったり、すずめちゃんを間近で観察したり……。
うっとうしい……。
すずめちゃんもうっとうしそうにしていた。
とはいえ、言葉も彼女の意図もわからないのでどうしようもなかった。
こんなに雪風の訪れが待ち遠しかった事は初めてである。
当の雪風は、いつも通り昼食後に漢麗様と後宮へ来た。
昼食は、カイズイも一緒に食べた。
『おお、カイズイよ。ちんよりもさきにきておったのじゃな』
『はい……。たのしみ……だったのでした』
なんとも奇妙な言い回しである。
高呂がムッと怪訝な顔をする。
話し方も、私に話しかけてきた時と違ってぎこちない感がある。
多分、丁寧な言葉遣いに慣れていないのだろう。
『でも、ことばがつたわらない……です』
『おお、それならもうもんだいないぞ! ゆきかぜがつたえてくれる!』
漢麗様は得意げに、雪風を抱き上げて言った。
カイズイは雪風をしばし見詰め、「ん?」と首を傾げる。
「わんわん」
雪風の声を聞いたのだろう。
カイズイは驚きもせずに納得した様子だった。
雪風の頭をワシワシとやや乱暴に撫でると、私に向き直った。
『ききたいことがある』
「何?」
『あのたたかいのとき、てかげんした?』
これはどう答えるべきなんだろう?
彼女の私を見る眼差しは真剣だ。
「手加減した」
少し悩んでから、私は素直に答えた。
すると、カイズイは微笑んだ。
嬉しそうである。
『ほんきでたたかって、てかげんされたのはひさしぶりだ。てかげんできるってことは、それだけわたしよりつよいってことだ』
「今のところはね」
『だから、たたかおう』
やりとりをいくつかすっ飛ばされた気がする。
スタンド攻撃でも受けたかな?
「さっき戦ったでしょう」
『あなたにかつか……ぶったおれるまでたたかいたい』
ふむぅ、と私は唸った。
どうしたものだろう。
別に戦うのは構わないのだけれど。
『おお、またたたかうのか! これはたのしみじゃ!』
漢麗様がそうおっしゃるなら仕方ないなぁ。
「漢麗様が望まれるなら、叶えましょう」
私はそう言って、カイズイに向いた。
カイズイが笑みを浮かべる。
「では、先ほどの庭で」
そして、私とカイズイの戦いが再び始まった。
あれから数時間。
最初の三十分ほどで漢麗様が飽き、私とカイズイを残してアードラーの部屋へ向かってからずっと私はカイズイと戦い続けた。
カイズイは何度か武器を変え、時に徒手でやり、何度も私に挑んだ。
その全ての戦いに私は勝利し続けた。
とはいえ、ずっと楽勝であったかと言えばそうでもない。
カイズイは戦う度に試行錯誤を行い、少しずつ私との戦いに順応しつつあった。
何が通じ、何が通じないのか。
どういう動きが致命的な隙になるのか。
どこに打開する道があるか。
どれだけ敗れても、諦めず何度も挑んできた。
その戦いを通じて、彼女の武に対する真摯さを強く感じ取った。
彼女には、情熱がある。
その情熱を絶やさずに挑み続ければ、いずれ彼女は私に追いつくだろう。
けれど、彼女がその日の内に私から一本取る事はできなかった。
空はもう暗く、星が煌いていた。
言った通り、彼女はぶっ倒れるまで戦い続け、今は地面へ仰向けに寝転がっている。
私はその隣に座る。
視線は共に夜空へ向けられていた。
『クロエー!』
呼ばれて見ると、雪風がこちらに走ってきていた。
走り寄った雪風を抱き上げる。
『そろそろねるじかん!』
「そうだね。でも、せっかくだからちょっと付き合って」
私は雪風にお願いし、カイズイに語りかけた。
「あなたの言葉、強い相手と戦いたい、と取ってもいいのかな?」
カイズイの目が私に向く。
『そうだ』
「どうして?」
『つよいあいてとたたかえば、それだけつよくなれるから』
「どうして強くなりたいの?」
カイズイはすぐに言葉を返さなかった。
思案して、答える。
『……かんがえたこともなかった。ただ、つよくなりたい。つよくなることが、たのしいからかもしれない』
「そう」
その気持ちもわからないではない。
私もこの体に転生した時は、自分の強靭な肉体を扱う事がただただ楽しかった。
今の私にとって武は器。
大事な物を容れて、守るための堅固な器だ。
彼女の武を器に例えるならば、そこには何も入っていないのだろう。
ただただ強さという意匠を刻み込む、美しい器だ。
堅固さも美しさも、価値のあるものだ。
実用品か、芸術品か、という違いがあるだけ。
突き詰めようとする意図があれば、どのような違いがあってもそこに優劣は無い。
ふと気付けば、カイズイは目を閉じていた。
「カイズイ……眠ったの?」
『ねてない』
返事と共に、彼女は起き上がった。
『おふろにはいらないとおこられる』
そう言って立ち上がると、後宮の出口へ向けて歩いていった。
「私もお風呂に入ろう」
自分の体の臭いを嗅ぎながら、私もそう呟いた。
その日も、私が話を聞かせていると漢麗様は途中で眠った。
漢麗様は手を握りながら眠る事がお気に入りで、話を聞く間もずっと私の手を握り続けていた。
そして、眠りに吐くと時折……。
「まぁま」
と呟く時がある。
「漢麗様のご母堂は?」
珍しく雪風が起きていた事もあり、私は部屋の隅に控える高呂へ訊ねた。
『なくなられた』
「そう……」
私はそっと、漢麗様の小さな手を剥がし、放す。
「うう……」
心細そうに歪められる表情と無くした物を探すような手の動き。
それを見ると、私はもう一度漢麗様の手を握り直した。
漢麗様の歪んだ表情が解れる。
私は小さく溜息を吐いた。




