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クロエ武芸帖 ~豪傑SE外伝~  作者: 8D
朱雀国編
123/145

閑話 州牧の集い

 私、魁仁かいじんは、北方の国境付近にある州を任せられ、ハンの侵攻を抑える役目を担う朱雀の臣である。

 その私がこの度、都へ参じる事になったのは、私が後見人をしている魁瑞の武功が認められたからである。


 魁瑞と出会ったのは、私が北方防衛の任に着いてほどなくしての事だった。


 ハンの襲撃を撃退し、その場で握り飯を食っている時の事。

 物欲しそうな目で握り飯を凝視していた子供が魁瑞であった。


 魁瑞の手には、その身の丈に分不相応な槍があり……。

 穂先は血に濡れていた。


 聞けば、物心ついた頃から傭兵として戦場にいたという。

 親無し子というものは、今の時代珍しくなかった。

 彼女の境遇も、この国において今はありふれた物語の一つだ。


 しかし、この出会いに縁を感じた私は魁瑞を引き取る事にした。


 いや、違うのかもしれない。

 私も家族を失ったばかりだった。

 子供が死に、妻とはそれを機に離縁する事になってしまったからだ。


 私は家族がいなくなった寂しさに、耐えられなかったのだ。


 魁瑞は才能を持ち合わせていた。

 私が教えるまでもなく、彼女は武に長けていた。

 その力量は瞬く間に私を超えた。


 才覚を開花させた彼女は、私の部隊でもっとも敵を殺す者として恐れられるようになっていた。


 その武功を労う宴が催され、褒賞を頂く運びとなったのだが……。


 その席で、どういうわけか魁瑞は己の武を見せる事となったのである。

 相手は、天子様の後宮に住まうという謎の人物だ。

 そういう者がいるという事は風の噂で聞いていた。


 実際に見たその女人は、異国情緒溢れる顔立ちをしていた。

 女性にしては体格に恵まれ、男性にしてはほっそりとしている。

 魁瑞と同じく引き締まった体型であるが、身長は頭二つ分高かった。


 黒髪黒目はこの国の人間に多いが、あの顔立ちには濃い西の色がうかがえる。


「勝敗こそああなりましたが、魁瑞殿の戦いぶりは聞きしに勝るものでしたな」


 そう魁瑞を褒め、隣にいた武官が私の杯に酒を注いでくれる。

 今私は、江台こうたい殿の開いた宴に招かれていた。


 江台殿は、天子様直属の部隊を預かる隊長の任を与えられた方だ。

 この部隊は高呂殿の率いる近衛隊とは別の組織であり、近衛を盾とするなら江台殿の部隊は剣を担う部隊である。


 そのような重要な任を授かる者だけあって位は高く、ここにいる州牧達にとっては上司にあたる方だ。


 ちなみに、褒められた当の本人は参加していない。

 誘いは受けたが、眠いと言って断った。


 最近の魁瑞は、天子様に願い出て後宮への出入りを許してもらっている。

 そこであの武人に勝負を挑んでいるらしい。

 全力で相手をしているためか、毎日疲れきって帰ってきてはすぐに眠っていた。


「ああ、その通り。あの苛烈な攻めは他に及ぶ者なきものでしょう。相手もまた、防戦に徹さざるを得なかった」

「然り然り。天子様はお喜びあそばしたが、最後の一撃も苦し紛れの一撃に過ぎませぬ」

「そうでありましょうか……」


 慰めの言葉には少し嬉しさを覚えた。

 私は、魁瑞が負けた事に悔しさがあったのかもしれない。


 しかし、あの一撃がまぐれであったとは到底思えなかった。


 確かに防戦一方。

 誰がどう見ても魁瑞は優勢であった。

 その攻撃はあまりにも速く、並みの者では目で追えぬほどである。

 あれだけ攻め立てられれば、誰もがその武威に怯む。

 あの動きは尋常のものでなく、武を修める者が見れば魁瑞の力を疑う者はないだろう。


 だが、その猛攻を受けても、あの異国の武人は表情を変えなかった。

 涼やかに、じっと、見極めるように魁瑞の動きを見ていた。


 そして、力む事もなく、そうなる事が当然のような動作で的確に魁瑞の顎を打ち上げた。

 動き続ける魁瑞には、攻撃を当てる事すら至難である。

 狙ってやったと見る方が自然であろう。


 魁瑞が未だに後宮へ通い続けている事も、それを裏付けている。

 もし魁瑞があの武人に勝つ事があれば、恐らくもう興味を失っている。

 興味が尽きてないという事は、魁瑞はあの武人にまったく勝てていないのだ。


「しかし、まさか後宮への出入りを望むとは……」

「余程、あの負けが悔しかったのでしょうな」

「天子様よりの褒賞としてあのように願い出るとは、なんとも勿体ないですな」


 州牧達は口々に語る。


 恐らく、あの異国人の力に間近で触れたいのだろう。

 魁瑞は武に楽しさを見出す子だ。

 強さを磨く事は一番の楽しみであり、自分よりも強い相手があれば何よりも惹かれるのだ。


 下すまでの間は……。


「しかし魁瑞殿がおれば、北方の守りは安泰ですな」


 隣の州牧が言う。


「ええ。大変心強い。しかし私としては、それが良い事だとは思えないのです」

「というと?」

「あの子は本来なら、戦場に立つような歳ではありません。親としては、できるなら危険とは程遠い場所で生きて欲しいのです」

「なるほど。それは、当然の親心というものでしょうな」


 役柄を考えれば戦力の低下は痛い。

 しかし親として見れば、私は魁瑞にもっと歳相応の女の子らしい生き方をしてほしいのだ。

 本人はきっと、そこに何の楽しみも見出さぬだろうが。


「それこそ、北方の国境などよりも、この中央の宮廷で勤められればと思います」


 護衛武官などならば、あそこよりかは安全だ。


「おや、宮中が安全とは言い切れませぬが」


 ふと、私の言葉に返したのは桃色の衣を着た女性だった。

 この場に呼ばれた人間は、州牧の中でも武名を轟かせる者が多い。

 いかめしい顔の大柄な男達ばかりである。


 だからこそほっそりとした女性が混じっていれば、あまりにも似つかわしくなかった。

 彼女は異彩を放っている。


 光を照り返す艶やかな黒髪。

 後ろにまとめられたその髪に刺さる簪は、目の冴えるような紅玉を一つあしらったもの。

 派手ではないが、印象に残る一品だ。


 そして着飾るその一品に負けず、むしろ引き立てさせるだけの美がその相貌にはあった。

 切れ長の目は輝き、その視線を向けられると目を逸らせなくなる引力があった。

 顔立ち自体はまだ少女のものであるが、作る表情は妖しげな美しさを持っていた。


 異彩を放っているのは、いでたちではない。

 恐らく、彼女自身だ。


 気を巡らせ、内外の功を操る武人は一見してその実力を測れないが……。

 武人ばかりのこの場で、彼女だけはどう見ても武人に見えなかった。


董苞とうほう殿。それはどういう意味でしょうか?」


 隣の武官が訊ねる。


 董苞。

 聞いた事がある。


 州牧ではなかったはずだが……。

 確か、都周辺の治安維持を目的とした部隊、その一隊を任された才媛だったか。


「圭杏殿は、天子様の興味を惹く存在に容赦がありません。国で一番と言われる武名を誇る方が天子様に近づけば、要らぬ嫉妬を買うでしょう。現に、後宮の武人殿は圭杏にずいぶんと疎まれている様子ですからね」

「そうなのですか?」

「自らよりも天子様の近くにある存在を、あの宦官達が快く思うはずはないではありませんか」


 そう言われるともっともである。


「あの武人が天子様に忠誠を誓い、後宮へ住まう事を許されてからあの場は天子様のもっとも近くにある者が住まう特殊な環境となっております。何せ、近頃の天子様は一日の大半をあの後宮で過ごされているようですからね」


 それを聞き、私は血の気が失せる思いだった。

 とばっちりで圭杏の恨みを買う事も恐ろしいが……。

 それ以上に魁瑞の性根もまた不安に思える。


 あの子は誰かに礼を尽くせる人間ではない。

 いくら礼儀作法を学ばせようとしても、まったく身につかなかった。


 今の後宮は本来の用途で使われていない。

 天子様がまだ幼いからだ。


 だから、天子様が頻繁に通っているとは思わなかった。


 だが天子様が頻繁に訪れる事となれば、魁瑞はいずれ無礼を働く事になるのではないか、とそう思えてならなかった。


 不安だ……。


「宦官どもの振る舞いには、目に余る部分があるな」


 話を聞いていたらしい、江台殿が言葉を発する。

 それに、他の武官達もそちらを向く。


「まったくです」

「天子様の信を笠に、やりたい放題。真に遺憾な事です」


 江台殿が本心からそう言ったのかはわからない。

 ただただ、政敵として邪魔な圭杏の行いであるからこその批判ではないか、と私は勘繰ってしまう。


 確かに、この都へ訪れるまでの道中……そして都の外縁部は目に余る惨状であった。

 あの状況を許すのは、一重に政治を取り仕切る圭杏を初めとする文官の一派が、詔勅を自在に操っている事が大きいだろう。


 国の中心……それも宮中だけが富んでいる。

 それは文官達が、国中の富を全て独占しているからだ。


 そして、ここに住んでいるのはこの江台殿も同じだ。


「もはや、この専横は誅するに値するものではございませんか?」


 江台殿の近くにいた武官がそう言葉にする。


「うむ。わしもそう思っておった所だ」


 江台殿は答えると、立ち上がって部屋の武官達を見回した。


「今、ここには各地の腕に覚えある武官達が揃っておる。その力を結集し、今こそ天子様をあの佞臣共の手よりお救いするべきではないだろうか。わしは、そう思うのだ」


 宴の目的は、このためか。

 返事に躊躇すれば、殺されかねんな……。


 美味い飯に釣られて来てしまった自分が恨めしい。

 辺境では、これほど美味いものも食えぬからなぁ……。


「お待ちください」


 そんな折、声を上げる者があった。

 董苞殿である。


「何故止める?」

「事を起こすにしても、まだ尚早です。この宴の席の事、恐らく圭杏の耳にも入っております故。これからどれだけ準備を隠し急がせても、圭杏はそれ以上の速さで策を巡らせましょう」


 江台殿は不機嫌そうに顔を顰めながらも、叱責はしなかった。

 彼女の指摘に対して、思う所があったのだろう。


「しかし、待った所で機があるとは思えん」

「いえ、機はあります。国の荒む時には、乱の気配があるもの。閣下がお立ちになろうとするように、立ち上がる者は他にありましょう」

「とはいえ、圭杏には数々の乱の種を潰してきた手腕がある」

「ええ。しかしそれは、朝廷内にあっての事。その手の届かぬ所で起きる乱には、何の力も持ちません」


 いつしか、江台殿の表情からは不機嫌そうな色が消えた。

 自分の半分ほどしか生きていない少女の言葉に、聞き入っている。


「都の外で面白い噂を聞きました。それが乱の種に繋がるやもしれません。圭杏では手の出せぬ、乱の種に……」


 そう言うと、董苞殿は涼しげに微笑んだ。

 その微笑に、江台殿も笑みを浮かべる。


「朝廷の内にある閣下は、静かに待つべきかと思います。手に負えぬ乱に、圭杏達が疲弊するのを……。閣下はその時に、抗う力を持たぬ圭杏を仕留めるだけで良いのです」

「面白い。その口車に乗ってやろう」


 どうやら、巻き込まれずに済みそうだ。

 私は安心する。


 しかし、董苞殿の思惑はどうなのか?

 江台殿を諌めるための方便だったのか、それとも本気の助言であったのか……。


 そのように考えてしまうのは、彼女の得体の知れぬ気配のためか、それともこの国の情勢のためか……。


 とにかく、長居はしない方が良さそうだ。

 早い内にこの都を離れよう。


 まさか、あの殺伐とした北方に帰りたくなるなどと思いもしなかった。




 宴の帰り。


「魁仁殿」


 不意に声をかけられてそちらを見ると、董苞殿が私の隣に歩み寄ってきていた。


「これは董苞殿」


 互いに礼を交わし、隣に並んだ董苞殿と歩み出す。


「何か御用でしょうか?」


 (よしみ)があるわけでもない。

 わざわざ声をかけ、隣を歩くには何かしらの意図があっての事だろう。


「聞けば、魁瑞殿は養女だとか」

「はい。そうですが」

「何故、身寄りの無い子を育てようと?」

「……人は、一人では生きていけぬからでしょうか」

「そうですか」


 私の答えに短く返す、彼女の表情は微笑である。

 それは声をかけてからずっと変わらぬものだ。


 この娘の心の内を察する事は難しい。

 今の答えに満足したのか、不快に思ったのかすら推し量れない。


「こちらからも訊いてよろしいか?」

「なんなりと」

「乱の種、とは?」

「半分は方便です。失敗が確定しているような乱に、強制的に参加させられたくはないでしょう?」


 確かに。

 なら、あれはあの場を収めるための方便……。

 いや、今半分と言ったか。


 真意を見極めんと、知らず私は董苞殿を注視する。


「しかし、実際に噂もある。そして、その噂を裏付けるように人が動いている……」

「では、乱は確かにあると?」


 董苞殿は答えず、ただ笑みを深めるばかりであった。


「巻き込まれるのを恐れるならば、早い内に北方の任へ戻られるのが良いでしょう」

「そうですな。しかし、どうしてあなたはこうして私に構われる?」

「それは……」


 董苞は艶然と、そして悪戯っぽく微笑んだ。


「あなたが魅力的な男性だからですよ」

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